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[標的]

 何事もなく訪れた二日目の晩、雲を燃やすような赤々とした太陽(スーリヤ)は既に沈み、辺りはすっかり闇に包まれていた。不思議なことに使者達もラクダ達も、少女二人とは違い歩き続けているにも関わらず、全く疲れを見せる様子はなかった。あの初めての休憩から小一時間後には昼食を、夜が更けてから簡素な夕食を提供されたが、それ以外はこちらから申し出なければ、ラクダの歩みは一切止められることはなかった。夜通し移動を続けることで、やっと境界まで辿り着く程の遠い道のりなのだ。だとしても、この平常を保ち続ける一団は異様としか思えなかった。街を出て以降、先頭で導く馬に乗った侍従のみが言葉を交わすが、それも最低限の説明に限られる。時々シュリーはたわいもない質問を故意に投げてみたが、殆どは通例の返答か、さもなければ振り向きさえもされないという有り様だった。


 砂漠の夜は日中とは正反対に急激に冷え込む。少女達は自分の荷から有るだけの衣服を重ねて暖を取ったが、使者達は相も変わらず薄着のまま、何の感情も見せぬ平然とした顔で足並みを揃えた。(ソーマ)の照らす砂の道は、少々風は強いが穏やかであった。シュリーは皆に申し訳ないと思いながらも、ラクダの背でうたた寝を始めた。反面ナーギニーは大波に揺られる小船の如く、危うい揺らぎに全てを(さいな)まれながら、昨晩と同じ眠れぬ時を過ごした。


 ヤムナ河はエターワという街の先でチャンバルという川と交わり、更にヤムナとしての流れが続いていく。一向はその合流地点に差しかかろうとしていた。かつて豊富な水を湛えた地であったからだろうか。依然地下に水流を保っているのか、規模は小さいながらも立派に『ジャングル』と呼べる木々の繁った領域が在った。蝙蝠(こうもり)(ふくろう)が時々葉擦(はず)れの音を立てる。そのような黒々とした闇を右手に、一行は変わらぬ調子で過ぎ去ろうとした。が、こんもりとした森の底辺で、ギラギラと光る鋭い獣の眼が幾つもこちらを見据えていることを、繊細なナーギニーは見逃さなかった。


「ひっ……」


 胸から湧き上がった恐怖は、知らず少女に小さな悲鳴を洩らさせた。


「ナーギニー?」


 睡魔から解き放たれたシュリーが、眠気(ねむけ)(まなこ)をこすりながら首をもたげた。ナーギニーの蒼褪めた表情と、その指差す方角へ顔を向けるや、彼女の(おもて)もすっと血の気が引いた。


「……ドール、だわ」


「ドール?」


 シュリーは自分の鼓動が聞こえる程、心臓が波打っていることを感じた。


 『幻の獣』──ドールだ。


 赤褐色の毛並みを持つことから別名アカオオカミともいう。狼よりも小振りであるが、群れで獲物を襲い、その襲撃の残忍さは至極(むご)たらしい。『月夜の狩人』──彼等の通った(あと)には何も残らない……──。


 どうやら久し振りのご馳走となろうラクダの臭いを嗅いで、続々と集まってきたようだった。冷たい眼光は徐々に大きくなったが、使者もラクダも気付いた様子はなかった。シュリーは先頭に立つ馬上の侍従に、


「ドールよっ! ドールが襲ってくるわっ!!」


 と叫んだが、侍従は一度その(うつ)ろな瞳を振り向かせたのみで、どうこうしようという気は見せなかった。


「ナーギニー……あなたは絶対ラクダから手を放さないでいて」


「シュリー、一体どうするの?」


 ナーギニーは疑問を投げかけたものの、シュリーの緊張した面持ちに圧倒されて、答えを待たずに言われた通りの行動を取った。ゆったりと歩んでいくラクダの後方には、既に飢えたドール達がジリジリと近付きつつある。ナーギニーは緊迫と焦燥で息苦しさを催しながらも、必死にラクダの(コブ)にしがみついた。ラクダの皮膚は妙に冷ややかだった。


 ──キィィィィィッ!


 最後尾の荷を積むラクダが甲高い断末魔を上げた。三頭ずつ繋がれ並列した六頭の内の、シュリー側のラクダがどさりと倒れ込む。振り向いたシュリーは自分のラクダに繋がれたロープを手繰り寄せ、背後のラクダから急ぎ荷を取りロープをほどいた。


 静けさを湛えていた砂の海は、刹那荒々しいドールの咆哮に包まれた。倒れたラクダの上には数匹のドールが群がり、(むさぼ)るように皮を肉を噛みちぎった。次の標的はナーギニー側の最後尾、後方から襲われたそれも一瞬の内にバランスを崩し、シュリーはナーギニーを乗せたラクダの背後に手を伸ばして、ロープを解き放つのがやっとであった。


「早く! お願いだから逃げて!!」


 シュリーは自分のすぐ後ろで歩みを崩さない使者に、顔を向け悲痛な願いを叫んだ。けれどそれも今までと変わらず、返事もしなければ逃げようともしない。仕方なく彼女は使者の持つ、ラクダを操る長い棒を奪い取った。その棒で真ん前の馬の尻を思い切り突く。驚いた馬は侍従を乗せたまま、一気に駆け抜け消え去った。前方を確保したシュリーとナーギニーのラクダは、同じく棒で尻を叩かれ、ドールの攻撃から僅かに引き離された。


 ナーギニーは目を(つむ)ったまま、驚き走り出したラクダに連れ去られている。その隣を走るラクダの上からシュリーは後ろを振り返ったが、見えた視界は無残にも喰い殺されようとするラクダ四頭と三人の人型だった。けれど思った以上にドールの数は多く、ご馳走にありつけない哀れな捕捉者が、二頭を追いかけ迫りつつあった。ラクダとドールでは確実にドールの方がスピードは勝る。ましてやこちらは人一人乗せての逃亡だった。疾風の如く追いついたドールは、ついに二人に襲いかからんとした──その時──


「お願いっ、出てきて!!」


 ──え──?


 その叫びに咄嗟に開いたナーギニーの瞼の先には、夜の虚空へ懇願するシュリーの横顔が見えた。疑問は音声にはならず、代わりに地響きのような轟音が耳をつんざいた。同時に前方の砂が盛り上がり、大きな黒い塊が一気に空を貫いていく。


 高さはタージ=マハル程もあろうかと思われるその物体は、シュリーの呼びかけに応えて姿を現したのだろうか?


 目を疑うばかりの光景に、ドール達は動物本来の怖れを感じて、萎縮し平伏し逃走した。


 そして驚愕したナーギニーも、シュリーに問い(ただ)すことも出来ぬまま、いつしか気を失っていた。


「ありがとう」


 シュリーは黒い塊に礼を言い、ラクダの背を降りて二頭の手綱を引いた。颯爽と進むその姿が見えなくなった頃、それはもはや影すらも存在せず、ただ砂と、三人と、四頭の屍骸が、なだらかな大地に転がるのみであった──。




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