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[出発]

「ナーギニーっ、ごめんね~、遅れてー!」


 祭り最終日から二日が経った出発当日。清々(すがすが)しい朝の光に包まれて、元気に手を振り駆け寄るシュリー。その姿は純白の生地に薄紅色の手刺繍が施されたパンジャビ・ドレスを(まと)い、同じく白布に銀色のコインを房のように縫い付けた軽やかなドゥパッターを巻きつけている。小ざっぱりとした荷物を抱え、タージ=マハル正面に群がる人々の山へ、シュリーは勢い良く走り込んだ。そんな彼女がナーギニーをいち早く見つけられたのは、既に少女が迎えのラクダに乗せられていたからだった。


 シュリーの声に気付いたナーギニーは、向けていた背をぎこちなく振り向かせた。大きな(まなこ)は初体験の「高さ」に少々おどおどとしているが、親友に再会出来た喜びに満ち溢れ、色艶の良い笑顔を見せている。少女の足元に到着したシュリーは、異国の姫の旅路のような眉目(みめ)麗しい装いを見上げ、思わずハッと息を呑んだ。


 旅支度のため全身をすっぽり覆う薄いヴェールにくるまれているが、その合わせの隙間からは鮮やかなピンク地に金色の豪華な装飾が覗いている。艶のある長い黒髪も、淡い蓮文様のショールに守られ、一層滑らかさを際立たせていた。


 そのような豪奢(ごうしゃ)な衣装にも負けぬ程、ほんのり赤く上気したナーギニーの頬には、いつになく健康そうな様子が見て取れる。祭りの後の静養が効いたのだろう。シュリーとの別れの後、彼女を見つけたナーギニーの家族は、今まで通りの優しく穏やかな面々に戻っていた。母親は喜びを露わにし、大袈裟な祝福の言葉と共に強く娘を抱き締めた。一家はにこやかに彼女を取り巻いて、最後の祭りを楽しむ為、屋台や神輿(みこし)の群れへ溶け込んでいった。それから帰宅したナーギニーは、もう二度と嘲笑(ちょうしょう)も中傷も受けることはなく、満たされた眠りから翌朝全ての疲れを(ぬぐ)い去り目覚めた。もちろん掌を返したように豹変した家族への(わだかま)りが消えた訳ではない。それでも彼らをそうさせてしまったのは、自分の「過去」と「今」なのだと思えば、むしろ自分に非があるのだと、深く心に痛みを感じていた。


「ナーギニー、とても綺麗だわ」


 しばし見とれていたシュリーの唇から、微笑みと感嘆の言葉が現れた。


「シュリーも、とっても可愛い」


 込められた温かみを真っ直ぐに受け取り、はにかみながらも同じ気持ちを返すナーギニー。彼女も自然に想いを伝えられる楽しさを、ようやく知ったようだった。


「シュリー様も宜しいですかな」


「あ……はい」


 シュリーは慣れない呼ばれ方に一瞬戸惑いを示したものの、背後から二頭のラクダを引き連れた使者に促され、一頭に小さな荷を、もう一頭に自分の身体を乗せて、広げられた視界に目を見張らせた。


 ──随分と野次馬が集まったものね……野次馬? いえ、違う──


 自分達を中心として集まる人だかりを見つめたシュリーは、興ざめした表情を隠そうともしなかった。この場に居る殆どの面子(メンツ)は、おそらくシュリーにもナーギニーの家族にも面識はない。それでも親切な人間を装って餞別を渡そうと必死になっているのは、披露の後、寵姫(ちょうき)として選ばれた花嫁が一度家族を連れに戻ってくる際、砂の城からの「おこぼれ」に預かることを内心期待しているからだ。まるで「逃すには惜しい」とシャニから特別賞を与えられたナーギニーこそ、花嫁に選ばれる可能性が高いと踏んだのだろう。その餞別は優勝したシュリーではなく、ナーギニーの(もと)へと集中した。


 またそうした中には以前寵姫選良披露に出場して、結局選ばれずに戻ってきた女性も数多く見受けられた。選別期間、砂の城での生活を望むが故に、自ら(みさお)を捧げてしまう少女は後を絶たなかった。そのため今でも未婚者が多いのは、貞節を重んじるこの国ならではだ。けれど彼女達は自己の不幸を不幸とも思わず、口を揃えて城の煌びやかな生活を語った。「シャニ様に、私は元気ですと伝えて」──それだけの為に、彼女達は自分達の「後輩」を激励し手を振るのだった。


「それでは……そろそろ」


 先頭に立つ馬に乗った侍従が、ヴァーラーナスィーの方角へ顔を向ける。シュリーとナーギニーを乗せたラクダは従者にそれぞれ手綱を引かれ、二人を砂の城へとゆっくりとした歩みで導き出した。その後ろには荷を積んだラクダが数頭繋がれている。


「気を付けてね、ナーギニー。頑張るのよ!」


 母親の叫びに娘は振り返り、弱々しく手を振ってみせた。


 明らかに少女は十日後に待ち受ける披露の結果と、落選によって再び訪れる母親の態度の変貌、更にシャニの不気味な視線に怯えていた。例えシヴァと名付けたあの青年との再会を願っても、シュリーの付添いとも思える同行がなければ、ナーギニーは単身城へ乗り込むなど不可能であったかもしれない。隣に並んでラクダの背に揺られるシュリーの笑みは、舞踊大会での励ましと同様、心を落ち着かせてくれる温かな勇気を与えていた。


 万歳を繰り返し盛り上がる墓廟を背に、一団は一路砂の城を目指し始めた。これから三、四日を要する長旅が続く。二人は祭り最終日の家臣と同じく、黙々とラクダを操る使者達に連れられて、砂塵漂うアグラの街を後にした。今一度振り返り見上げた先の墓廟は、徐々に黄砂に纏われ、あたかも幻の如く砂色の空へ溶けていった──。




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