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[一変]

 =優勝者は、二十五番、ガルダ村、シュリー!=


 自分の発した愛しの名は、低い声と舞い上がる砂にこすられ、辿り着く前に掻き消されてしまった。少女はその波紋に(はば)まれるが如く、一瞬にして駆け寄る足先を止めてしまう。それでも真後ろに感じた微かな気配に、シュリーはまるでスローモーションのように振り返った。その表情は優勝の喜びなどではなく、「優勝してしまった」という困惑の(きざ)しを見せていた。


「ナーギニー……」


「……おめでとう、シュリー!」


 ナーギニーはシュリーの優勝を心から喜んでいた。例え最後の失敗がなくとも、シュリーの舞の素晴らしさには、足元すらも及ばないと感じたのだ。そして自分が望んだ道をシュリーが進んでくれるのであれば……これから待ち受ける我が身の困難も、きっと受け入れられると思っていた。


「シュリー、早くシャニ様の(もと)へ……」


 笑顔で促すナーギニーを前にして、シュリーは戸惑いを隠せなかった。つい手を伸ばし彼女を抱き締める。どうしてこんなに健気(けなげ)なのか、愛らしいのか……その柔らかなぬくもりを(いだ)いて、胸の内の(はかな)げな少女にシュリーは自分の気持ちを伝えた。


「待ってて、お願い、ナーギニー。わたしは本当に選良披露の代表になんてなる気はないの。今からシャニ様に直談判してくるわ。きっとあなたは次点の筈。わたしは辞退をして、あなたを格上げしてもらうようにお願いするから……だから少しだけ待っていてちょうだい」


「シュ、シュリー?」


 きつく包み込まれたシュリーの腕の中で、ナーギニーもようよう戸惑い出した。あんな失態を演じてしまった舞踊で、次点などとは到底考えられない。けれど必死なシュリーの想いを得て、彼女は心満たされるということが、こうも心地良いものなのかと気付かされた。見返りなど求めない清廉な愛情に触れ、胸の奥底からじんわりと発する熱に、全身がとろけてしまいそうな悦びを覚えた。


 やがて周囲の人々が、優勝者であるシュリーの存在に気付いたようだった。ナーギニーを抱え込んだままのシュリーは群衆から祝福され、シャニの待つ墓廟正面へと貫かれた小道を、皆の押し出す手によって流され始める。しかしその滑らかなせせらぎと、四方から降り注がれる拍手の渦は、再び口を開いたシャニの咳払いによって直ちに()き止められた。


「さて、次に異例ではあるが、もう一名の受賞者を発表する」


 続けられた言葉の意味に、シュリーはハッと声の先を見上げた。すっかり諦め消沈する出場者とその親達の、切望の眼差しがシャニ一点に注がれる。ゴクリと息を呑む音が、静まり返った砂原(さはら)に響き渡った。


「優勝したガルダ村のシュリー。彼女の外見はもちろん、舞踊も殊更(ことさら)に優れ、申し分のない受賞であった。が、これから選ばれるもう一名は、どちらも大変美麗であったのだが……惜しくも本来の力を存分に発揮出来なかった。ならば今一度、我が城で彼女にチャンスを与えたく、特別に賞をと願うものである! 皆……異論はないか?」


 ぽつぽつと生まれ出でた同意の拍手が、瞬く間に溢れて洪水のような轟音と化した。


 ナーギニーの舞踊を見た者ならば、その名は()うに予測出来ただろう。完璧に踊れなかった者と言ったら、少なくともあのラクシャシニーと呼ばれた少女とナーギニーの二人のみなのだ。けれど当のナーギニーは、自分の名が呼ばれることなど思うに及ばなかった。シュリーは自分の期待が叶うことを祈って、ナーギニーの手を強く握り、その身を震わせた。


「その受賞者は……三十二番、ガネーシャ村、ナーギニーとする!」


 ──え……?


「やったわ! ナーギニー!!」


「え……?」


 シャニの言葉を解する間もなく彼女が感じたのは、シュリーの抱き締める腕の強さと、甲高い喜びの声であった。途端、砂と人の群れで(くす)ぶる真中を、二人は再び押し流されていく。シュリーによって手首を掴まれたナーギニーは、いつの間にか階段を駆け上がり、いつの間にかシャニの顔前に引き出されていた。


「シュ、シュリー……」


 受賞の二文字を噛み締める余裕もなく、少女は弱々しい声を洩らして、咄嗟にシュリーの腕へしがみついた。シャニの長く細い淫靡(いんび)な両眼が、全身を舐め回していたからだった。


「シュリー、そしてナーギニー。二人共おめでとう。今朝、各州に送り込んでいた伝令が全て集結し、選良披露に出場する他州の代表者が決定したと連絡が入りました。例外ではありますが、貴女方二名をこのウッタルプラディッシュ州の代表者と認めます。……良いですかな、お二人共? 六日後から一週間掛けて行なわれる寵姫(ちょうき)選別期間を楽しみにしておりますよ」


 シャニは淀みなくそう言い、ニヤリと軽く笑んでみせた。垂れ下がった頬の肉塊が、まるで生き物のようにぐにゃりと(うごめ)く。再びナーギニーをじっと見つめ、家臣の一人に目配せをしたシャニは、今後の予定を説明する為に、二人を廟の裏へ連れていくよう命じた。


 今まで威厳を保つべく強い口調であったシャニのそれが、一転して嫌味なほど丁寧なものに変わっていた。これには一体どのような意図があったのだろうか。二人の退場を促したのち、シャニは背を向け群衆に語りかけた。しかしその時にはそんな欠片(カケラ)も見せないことが、少女達にはどうにも不気味に思われた。


 シャニとは正反対に長身で細身の家臣は、二人を裏地へ招き座らせ、砂の城へ辿り着く為の経緯を話した。(しわ)の寄った(うつ)ろな眼と口は、機械仕掛けのようで感情を見せない。シュリーとナーギニーはそれに気付き、お互いの顔を思わず見合わせたが、家臣はそんなことはお構いなしという調子で畳みかけ、終えるやさっさと帰ってしまった。


「ナーギニー、おめでとう」


 いささか呆気(あっけ)に取られながら、小さくなっていく家臣を見送ったが、隣から射し込まれる陽差しのような眩しい光を感じ取って、少女はようやく表情を緩ませた。


「ありがとう……シュリー」


 けれどこれで本当に良かったのだろうか? ナーギニーは伏し目がちに微笑んで、その長い睫を震わせた。


 代表者に選ばれたからには、今日から二週間を確実に救われたことになる。しかしその後の身の振り方は、やはり自分では決められない。あの青年の存在が、むしろ自分の心を締めつけるかもしれない。何より……城で再会を果たすきっかけにと大切にしていた、あのマントは失われてしまった。


「本当に……良かったわ。自分の受賞を取り下げてもらわなくて」


「……え?」


 折った膝に頬杖を突いたシュリーは、心から安堵したという様子で大きく息を吐き出した。


「これで約十日、あなたと一緒に居られるのだもの」


「シュリー……」


 刹那喜びと共に元気の良いウィンクが投げられて、ナーギニーは嬉しさに頬を赤く染めた。


「でも……」


 が、シュリーは続けた言葉を途切らせながら、にこやかな笑顔に突如として(かげ)りを見せる。おもむろに膝を引き寄せ、ナーギニーを見上げる体勢で片頬を乗せた。その瞳が徐々に涙を溜めて潤み、唇は哀しみを湛えながら少女の心の内を探った。


「あなたは、本当は……シャニ様に……嫁ぎたくなどないのでしょ?」


「……」


 「大切に育ててもらった家族への恩があるから」──押し黙ってしまったナーギニーの代わりに、シュリーの加えた補足はまさしく的を射ていた。少女は観念したように小さくコクリと首を上下させる。それでも砂の城へ行きたい理由はもう一つあることを、シュリーには告白したいと考えていた。けれどあの青年のことを思い出すや胸が張り裂けんばかりに高鳴って、やっと開いた唇からは、とうとう言葉が零れ出すことはなかった。


「噂をすれば……どうやらお迎えが来たようね。ナーギニー、二日後の午前八時にこの正面で。お迎えを一緒に待ちましょう。……あっと! それから~これ、忘れ物!」


 背後から嬉しそうにナーギニーを呼ぶ声は、紛れもなく彼女の家族だった。


 シュリーは肩掛けした布鞄の中から、取り出した包みを僅かにほどいてみせた。ちらりと垣間見えた白地と金刺繍に、ナーギニーは珍しく「あっ」と大声を上げる。その震える掌にそっと乗せ、シュリーは優しく包み直した。


「貴女が帰ってから寝台の下で見つけたのだけど……ごめんなさい……これを取り出した直後にぼんやりしていたら、他は鞄ごと盗まれてしまったみたいで……」


「ううん! いいの……本当にありがとう、シュリー!」


 これさえ見つかってくれれば……ナーギニーは心からの礼を捧げて、申し訳なさそうなシュリーの身体に抱きついた。本当に嬉しかったのだ……そんな気持ちを表した初めて見せるはしゃぎ振りは、シュリーにも少女の恋の片鱗(へんりん)を気付かせたみたいだった。


「砂の城に行きたい本当の理由は、もしかしたらこれにあるのかしら?」


 シュリーのからかうような(なま)めかしい視線に、ナーギニーの瞳は咄嗟に見開かれ丸くなった。固まったように動かなくなった彼女を残したまま、シュリーは颯爽と立ち上がる。少女の家族が到着する前に、逆側から正面へ向けて駆け出した。


「それじゃ、ナーギニー。明後日ねー!」


「あ……うん、さようなら、シュリー」


 ──さようなら、シュリー。


 ナーギニーの他愛もない挨拶がシュリーの耳に届いた時、彼女の心の片隅にある小さな何かに触れた。それを少女に気付かれぬよう、シュリーは懸命に走り続ける。


 誰の姿も見えない暗がりまで駆け抜けて、彼女はふと足を止め空を仰いだ。どんよりとした薄暗い、濁った汚泥(おでい)のような(けが)れた(そら)。それでもこれが今の地球を包み、今生きる人々を「生かしている」。


 ──あなたはわたしが守るわ……わたしが、必ず──


 自分の(いだ)く固い決意を、改めて胸に刻みつけた。


 そしてその引き締められた秀麗な(おもて)は、雲の狭間の(ソーマ)に照らし出され、美しく清く輝いていた──。




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