[完遂]
「きゃっ」
視界がぐるりと空を掻き、次には観客の山が弧を描いた。刹那焼けた砂が少女の頬を濡らす。周囲からは大きな驚きの声と、混乱した人々の動き出す足音が響き続けたが、彼女はそれも聞こえぬほど酷く動揺していた。十分でない食事と熱射の中の散策が、体内の泉を干上がらせていた。
「ナーギニー!!」
幾度となく繰り返し聞こえる自分の名は、誰によって叫ばれているのだろうか。母親か父親か……それとも見知らぬ自分を知る者か。ナーギニーは焦燥と眩暈により、指一本でさえも思い通りにならなかった。いつしか彼女の頬には一筋の涙が伝い、夕闇に染まった砂の上に落ち、小さな丸い紋様を刻みつけた。
──私は……どうしたら……? もう……何も、出来ない……──
哀しみと口惜しさが入り混じるも、身体は一向に言うことを聞いてくれない。それでもようやく力を取り戻した指先が、触れる砂を集め握り締める。観客の慌てふためく様子が地鳴りとなって、彼女の耳に振動を送り続けたが、意識は徐々に遠のき始めていた。
──ナーギニー……ナーギニー……。
夢の向こう側へと流れ落ちる瞬間、蜂蜜のようなまどろみの中を、少女を探して漂う優しい声があった。
──ナーギニー、やっと見つけた。心配しないで、元気を出して。とにかく立ち上がって、最後の姿勢を……どうか諦めないで……きっと大丈夫……。
それはシュリーのようにも青年のようにも思われた。空虚な心に反響するその声に導かれ、ナーギニーはぐいと現実に引き戻されたようだった。夢なのか幻なのか……が、今はそんなことなどどうでも良いことだ。『最後まで諦めない』──震える瞼に力を込め見開く。傍らには降ろされた担架が横たわっていたが、それに促す警備員の手を制止し、少女はよろよろと立ち上がった。
遠く真正面に満足そうな青年の微笑みが映った。こめかみに汗を光らせ、ナーギニーは右手の先を左腕に伸ばした。更に左の手先を右腕へ……口角の上げられた美しい笑顔で、シャニに向け腰を落とし、優雅な会釈を贈ってみせる。
驚きを隠せず呆然と立ち尽くす人々の中には、最後まで良くやったと手を叩き出した者もいる。しかし彼女は肝心のシャニ自身が玉座から立ち上がり、ナーギニーへ向かって拍手を始めたことが確認出来るや否や、安心したようにその場にへたり込んでしまった。それから担架に乗せられて家族に付き添われた彼女は、治療の為に仮宿舎へと運ばれた。
──さて……これはどうしたものかな。
大衆の喧騒が治まり、再びプログラムの進み出した舞台をぼぉっと眺めながら、シャニは頤を擦り考えを巡らせた。
一度舞踊が大きく崩れた以上、明らかに彼女を優勝させる訳にはいかなかった。──が、彼女が欲しい。この矛盾を解消させる方法に、シャニは頭を悩ませ始める。
そしてまたナーギニーの母親も、あのラクシャシニーの母親と同様、怒りと悔しさを何処へぶつけたら良いのか分からないように、狂気に満ちた顔で夫の胸を叩き続けていた。
「どうして……! どうしてナーギニーはいざって時にチャンスを逃すんだい! あと少しでシャニ様に気に入られる筈だったのに……あともう少しで、わたし達だって……!!」
三年前の選良披露、十四歳のナーギニーは高熱で候補に選ばれることさえ叶わなかった。それでも娘を責めることなく何事もなかったように日々振る舞い、更に三年大事に育ててきた苦労を思えば、今度こそは報われても良いというものだろう……母親の打ちひしがれた姿は、絶望以外の何物でもなかった。眠りに落ち込んだ娘を恨めしそうに覗き込み、母親は再び真っ黒で骨の突き出た細い腕の中でむせび泣く。その背後では祖母が俯いて立ち尽くし、兄と妹は隣の寝台の上、捨てられた子猫のように膝を抱えてうな垂れていた。
「まあまあ落ち着きなさい。まだ決まった訳じゃない。お前も見ただろう、シャニ様が立ち上がった娘に向かって手を鳴らしていたのを。とにかく明日の発表を待とうじゃないか。こんなに美しい娘なんだ。好色のシャニ様が放っておく筈がないよ」
自分ですら動揺を隠せずにいるナーギニーの父親は、妻の肩に手を置いて、自分も含めて家族を励まそうとしていた。
「そうは言っても……優勝出来るのは一人なんだろう? ああ……今回に限って州代表の選抜がこんな舞踊大会になるなんてっ! これがなけりゃあ誰もがこの娘を選ぶに決まっているのに! もうっ、なんてわたし達はついていないんだろう……!!」
「まぁ、仕方がないさ。祭りの費用を捻出する為に、一族の訪問は不可欠だった……寄付金をたんまり出せるシャニ様においでいただくには、このイベントが必要だったんだよ……」
しかしこれこそがシャニをも悩ませる通過儀礼となっていたとは、誰もが気付かされることなどなかった。
ひとしきり泣きはらした母親は、赤く腫れた泣き顔のまま、無言で帰り支度を整えた。夜祭りの舞妓を免除となったナーギニーは、兄に背負われ、闇の立ち込めた表へ連れ出されたが、まるで気を失ったように目覚める様子は微塵もない。付き添った家族は重い足取りで、依然盛り上がりを見せる祭りの灯りに、後ろ髪を引かれながら墓廟を後にした。
ナーギニーのぬくもりを残した寝台の下には、白いマントの隠された鞄が、ぽつんと忘れ去られているなど知る由もなく──。
[以下閲覧注意]
皆様、いつも本当にお世話様になっております!
前話に続きまして凝りもせず、むかーしのイラストをお披露目致します(大汗)。
今回は毎度イイトコ取りである青年クンのお顔など・・・けれどナーギニー以上にインド人に見えません(苦笑)。
私の技術が足りないのはもちろんですが、更に以前の設定では、彼はヨーロピアンとのハーフのようなオリエンタルなイメージで本文を書いていたからでございます*
今回榛色の肌に紫黒色の髪と描写しておりますが、本来はもっと色白で、髪こそが榛色としておりました。
書き直しをしている内に「オリエンタルな理由が何処にも見当たらない・・・!」と感じまして、今の連載ではれっきとしたインド人のつもりで描いています(笑)。まぁ以下を見てしまったら、もはやインド人として脳内描写出来なくなると思われますがw・・・それでも宜しければスクロールしてご覧ください☆
以前旅した際にも数名とても美麗なインド人男性を見掛けたことがございました(惚)。最近はマサラ・ムービーもポピュラーですので、素敵なインド・イケメンを検索して、拙作読書のお伴?にして頂けたらと思います♪
それではどうぞ懲りずに、また次回もお付き合いくださいませ!!
朧 月夜 拝




