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[舞踊]

「ああ、無事だったのね! ナーギニー。あたしゃまた、人ごみの中で窒息死でもしちまったかと思ったよ。しかし一体どうやって助かったんだい? ……と、そんなこと聞いている場合じゃなかったね。もうすぐお前の番だよ。さあさあ着替えよう」


 大会はこの騒動で一時中断していた。一旦は治まったものの、今度は当のナーギニーが消えてしまった為、再び大騒ぎとなったからである。母親は無傷で戻ってきた娘を強く抱き締めた後、大会の警備員である男にその旨を伝え、今度は舞踊のことを心配するように、早速更衣室の中へナーギニーを連れ込んだ。


 再開した大会は二十七番から三十一番まで、まるでナーギニーの前座のようにトントン拍子に進んでいく。観客もナーギニーを待つ為に其処に居るようなもので、踊る少女達には何の関心も示さず、時々ヤジさえも飛び交っていた。


「綺麗だ。お前は何て美しいんだろう。これでちゃんと踊ってくれさえすれば、優勝は間違いなしだよ。あと少しだね。さあ外へ出よう。頑張っておいで」


 ──頑張っておいで、わたしと家族の為に。家族が贅沢出来るように。


 母親は口ではともかく、心の中でそうほくそ笑んだ。


 二人は天幕から出た途端、傾いた太陽(スーリヤ)の光に目を突かれ、数秒何も見えなくなった。と、同時に終わりを知らせる笛の()が聞こえ、背の低い少女が退場し……辺りはさざめきに包まれた。


 ナーギニーの出番を示す、さざめきだった。


 =次は三十二番、ガネーシャ村、ナーギニー=


 二人の男が砂を(なら)し、大声で告げて足早に退散する。


「行ってらっしゃい、ナーギニー!」


 母親の手が力強く背中を押し出し、ナーギニーは少々よろけながら半ば強制的に舞台へ放り出された。瞬間会場は男共の歓声に埋め尽くされ、地響きのような声の振動は、空気の針となって彼女の肌を刺し貫いた。沢山の好奇心を含んだ視線に耐えながら、舞台の中央へ静々と歩み寄る。タージ=マハルへ正面を向けたナーギニーは、基壇上の玉座に腰掛ける不気味なシャニの姿を、出来るだけ瞳に映さないよう深々と礼を捧げた。


 (こうべ)を垂れたナーギニーに、シャニは大層満足げに頷いた。〝やっと見つけた。やっと手に入れることが出来る。この世で最も美しい娘よ……。〟シャニの真っ赤な軟体動物にも似た舌が、唇の端をそろりそろりと舐めていた。


 一呼吸を置き、少女は姿勢を戻して舞を始める体勢に入った。自分を抱き締めるように右手を左肩へ、左手を右肩へ。少々腰を屈め、左脚を優雅にくねらせる。顔はやや下向きが正しい状態であったが、前方からの熱視線を感じて上げた瞳の先に、人垣から頭一つ飛び出した青年の姿が垣間見られた。シャニに最も近いながら死角となる、昨夜彼が駆け下りていった東の階段を隠す壁面の手前。


「心配しないで。落ち着いて、自然のまま踊ればいい」


 騒々しい歓声の中では聞こえる筈もなかったが、青年が口を動かしたのを見て取り、ナーギニーは他には気付かれないよう小さく頷いた。きっとシュリーも何処かで自分を見ていてくれる。二人からの励ましを受け取った気がして、再び胸に熱い物が込み上げた。


 そうして始まるシタール・タブラ・ハルモニウムの煌びやかな音色。彼女が踊るのはウッタルプラディッシュ州都ラクナウを中心として、発展を遂げたカタック・ダンスである。その中でもイスラム神秘主義を取り入れたスーフィー・カタックと呼ばれる流儀だ。カタックはヒンズー教の牧歌的でおおらかな一面を保ちながら、ムガール帝国がもたらしたムスリムの華やかさを併せ持つ、インド古典舞踊の中では特殊な一派である。それはまたシャニのヒンドゥでありながらイスラム文化を愛するという二面性に媚びるには、うってつけの舞踊であった。


 更に母親のアレンジが加えられて趣は違い、衣装の方も随分様相を異にしている。西空を彩り出した夕焼けと同じ淡いオレンジ色の舞踊衣装は、胸元と腰回り以外全て視線を通す薄い素材で出来ていた。


 少女らしいほっそりとしたラインながら、メリハリのある滑らかな肢体は、かなり隔たりのあるシャニにさえも容易に見て取れた。華奢(きゃしゃ)な肩を僅かに覆う袖口から、長く伸びた(はかな)げな白い腕。それは緩やかに揺らめいて、不思議と妖艶さを醸し出しながら、恋する乙女の心情を描き出す。幅広のオーガンジィが重ねられた両手首の先では、小鳥の翼のような柔らかい指が羽ばたき、風に流された花々が恋と共に散りゆく切ない場面が表された。


 普段はきつく結んでいる三つ編みを、今回は事前にほどいて、頭上から一本に結い上げていた。波のようなうねりを紡ぎ出した長く艶のある黒髪は、素肌を晒す苦痛を(やわ)らげるよう少女を守りながらたゆたう。中盤には回転を多く取り入れ、徐々に激しく回り出すにつれ、足首に()めた百を越える鈴の音が、シャンシャンと涼しげな音楽を奏でた。足元に跳ね上がる砂の粒子が、西陽に照らされて赤く輝く。半透明の布地から浮き立つ、数多(あまた)の瞳を釘づけにしてやまない脚線は、まるでルビーを散りばめられたように砂の舞に飾られた。


 舞踊が始まってからは、冷やかし交じりの観客も息を潜めて、ナーギニーの姿をじっと見つめていた。けれど彼女にはその沈黙が息苦しかった。恥ずかしさと緊張に慣れる間もなく、時は終盤へ向かい始める。やり場のない気持ちを今出来る全てに専念することで紛らわせ、ただひたすら肉体を揺さぶるその想いを、青年とシュリーに捧げていた。


「何と美しい……」


 シャニは足下で繰り広げられる素晴らしい芸術に、つい隣の王妃のことも忘れて、言葉を洩らし目を見張った。


 全身を夕陽色に統一した可憐な衣装と、白く透き通る肌に寄り添うような黄金の装飾。それらと相対するように流れ舞う漆黒の髪と潤んだ大きな瞳。表情はまだ強張(こわば)ってぎこちなかったが、あのあどけなさを含んだ無垢な面差しが、自分を見つめて微笑んだらどれほど麗しいだろうか。それこそこの舞台を照らす夕陽にも負けないくらいの優美さに違いない。


 シャニはもとより、辺りはナーギニーに心奪われた観客達で埋め尽くされていた。闇の立ち込め始めた舞台四方には、いつの間にか松明(たいまつ)が灯されている。炎と人々の興奮で、この場の大気と大地は異常な熱を帯びていた。そして終わりを告げる笛の()が鳴り響く数秒前、最後の回転に臨もうとしたその時、事件は起きた──



 ──起きてしまった──。




[以下閲覧注意]



 いつもお読みくださり誠に有難うございます!


 えー・・・何を思ったか、二桁に及ぶほど昔の(つたな)いイラストを掲載してみました(大汗)。


 他作品ではお馴染みですが、相変わらずの貧相なシャープペン画ですし、何よりインド人には見えません(苦笑)。余りに紙が古過ぎて、消しゴムを入れる勇気もなく、修正したい部分は多々ありますが、そのままの状態でスキャン致しました(涙)。


 それでもご興味ございましたら、スクロールしてご覧ください*


 衣装はその頃考えた舞踊用だった模様です・・・が、今回の描写とは違っております。ご了承くださいませ☆ イラストの中のナーギニーは、舞踊に向け二人から自信を与えられ保ち始めた、といったところの彼女でしょうか?


 それでは引き続き、次回もどうぞお楽しみください♪



   朧 月夜 拝











挿絵(By みてみん)




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