[輪廻]
【以前、目次背景が設定出来ていた時に使用していた画像です】
インド──ヴァーラーナスィー。
神々の聖地として名高い、三日月を象った小さな街。幾千幾万という夜を越え、時を流れる巡礼の民が、昔と姿を変えることもなく朝──夜明け前の聖なる河ガンガーへ向け列をなしていた。
ヒマラヤから流れ出で、ベンガルの海へと注がれる万里の調べ。もはや岸とも分からぬ均された沐浴場では、病に蝕まれた低カーストの男達が、浅黒い身に一枚の薄衣を纏い、穢れた骨と皮だけの手を合わせ神へと祈る。
痩せ細った頬から零れ落ちそうにギラつく眼の中には、雄々しき蒼き峰──ヒマラヤの神シヴァ以外に、今や心の拠り所は存在しない。
彼等は皆揃って北を仰ぎ、前世同じく捧げたであろう、崩れた屍骸の混ざった水を掬っては投げ、ひたすらシヴァ神のみに救いを求めていた。
──西暦……それすらも既に忘れ去られた遠い未来。
異常気象の影響により、数百年前から徐々に枯渇した地球の表面は、大地を潤す雨も、遥かに広がる海さえも殆ど失われていた。荒野を滑る物はただ砂のみ。空はどす赤黒く淀み、白く紅く輝く太陽と月だけが、狂いようのない輪廻を繰り返している。
三十年前に始められた第二次地球計画によって、多くの者が母星を捨て去ることになった。人口は急激に減少し、遺された廃墟には貧しき者・悪しき者が蔓延った。しかしそれも風と時が悉く崩し、新たな砂の山と化した。残った者は物好きな大富豪……そしてヒンドゥである。
ヒンドゥは生まれた地を捨てない。彼等は神を信じ、輪廻において輝かしき来世に生まれ変わることを信じる。例えその結果良い身分を得られずとも、再び転生を繰り返し、豊かな日々が訪れる命を待ち焦がれるのだ。もしくは二度と生れ出でなき時を待つか。そのため今は失きガンガーの砂と死灰に満ちた涸れた流れに、人々は幾度となく身を浸した。
世紀末──カリ・ユガと呼ばれたその末期、人々を次代へと誘う救世主は、シヴァ神その人のみであった。(註1)
温和と冷酷という二面性を抱いたこの破壊神は、苦行者の保護、人々の生殖をも司り、髪にはガンガーの女神を象徴とした三日月を頂く眉目麗しき野生の男神である。傍らには白い牛を侍らせ、遊行者姿の身体には牛糞を燃やした青白い灰を塗り、虎の毛皮を纏い、うねる蛇を巻きつけた恐怖すべき者として表わされる。
暴風雨神マルト神軍の父ルドラを原型となす、自然信仰を発祥とした神。三叉戟の立ち聳える牙城ヴァーラーナスィーにおいて、シヴァは額に煌めく第三の眼を通し、この衰退した世界をどう見つめたのか──。
彼は共に並ぶ全能神──ブラフマーの創造し、ヴィシュヌの保護した世界を殲滅後、宇宙を混沌に戻すという。(註2) そしてのち、再びブラフマーが現れ、世界を紡ぎ始めるのだ。
世界創造初期。四千八百年の幸せの訪れである。(註3)
ヒンドゥの民は幾重にも続く輪廻の繰り返しの中で、その時だけを待っていた。シヴァが踊りの王として世界の破壊と創造、死と再生を表現するターンダヴァを踊るその時を。
砂塵転がる大地は今、安定期とも思える時を紡いでいた。風は弱まり、砂嵐も竜巻も久しく起きていない。
しかしそれは嵐の前の、刹那な静けさであったのかもしれない。
シヴァ──救世主。
業は既に動き始めている──。
[註1]カリ・ユガ終末論:ヒンズー教のヴィシュヌ派によれば、ヴィシュヌの化身カルキが現れ滅ぼす、とされていますが、こちらではシヴァ派の思想を用いています。
[註2]全能神三身説:三位一体説もございますが、日本でも広く知られている説でお送りします。
[註3]四つの時代:神の一年は人間の三六〇年に等しいので、四千八百年は実際には一七〇万八千年となります。クリタ・ユガはサティヤ・ユガとも呼ばれ、その後にトレーター・ユガ、ドヴァーパラ・ユガ、カリ・ユガと続き繰り返されます。




