ありもしない罪
アイデアにおいて最も重要なのは、鮮度だ。
客は常に新鮮さを求める。同じことの繰り返し、似通った物語には飽きてしまう。
とりわけ推理小説は顕著で、キャラクターとトリックの組み合わせに少しでも既視感があれば、穿った見方をされる。
そう強く思ったのは、自作が世に出回り始めてからだった。
大学在校中にコンテストで受賞、そのままデビューした自分の才能を、どこか過信していたのかもしれない。
僕が書いた推理小説は――見たことも聞いたこともない漫画のパクリだとして、批判を浴びた。
通販サイトのレビューには、『二番煎じ』や『元作品あり』なんて心無い言葉が並んでいる。
それはニュースに載らない程度の、小さな火種だったけれど……本の売上を阻むには十分だった。
苦労して手掛けたデビュー作が、こんなことになるだなんて。
憤らずには、いられない。
気になって漫画を調べたところ、確かにトリックの題材や、キャラの性質は近しい物を感じる。しかし物語の筋道が、まるで違う。伏線を張るタイミングに至っては僕の方が上手いくらいだ。
言い掛かりにも程がある。
後日、出版社からメールで連絡があり、事実確認を迫られた。
当然のことながら僕は否定。論拠を加えて返信すると、出版社側も納得してくれた。
作家において最大のタブーとされる、盗作。
世間での扱いはどうあれ、業界との繋がりが切れなかったのは、不幸中の幸いなのかもしれない。
手痛い傷と共に、僕は何度も心に刻む。
無知は罪。アイデアは鮮度だ、と。
約束されていた続刊の話は、言うに及ばない。
▲ ■ ▼
デビュー以降、くすぶっていた僕に転機が訪れたのは――あれから一年経った三回生の春。出版社から一通のメールが届いていた。
かなりの長文に熱量を感じる。
要約すると、社の命運を賭けて『ミステリーフェア』なるものを開催するらしい。そこで、同社において出版歴のある推理小説家に書かせ、順に売り出すのだとか。
まるで作家同士を競わせるかのような企画に、胸が踊った。
一つだけ気がかりなのは、僕が参加する為の条件は、ペンネームを変えなければならないこと。
出版社として傷物は扱えないのだろう。
それでも、僕は挑戦してみたかった。ここで注目されて実績を挙げれば、また華やかな世界に戻れるかもしれない。
『是非、参加させてください』とメールを返して、僕は生活の全てを執筆に捧げた。
昼も夜も関係なく、ただ幾日も……大学の講義を休んでまで、新作を磨き上げる。
もう誰にも『二番煎じ』とは言わせない。
この作品こそが、僕の作家人生を定める分岐点だ。
そして初稿を納めた翌週――スマホの着信音が鳴った。
いつもはメールでの連絡で済ませている、担当の佐藤さんからだ。珍しいな、急ぎの用だろうか。
充足感に浸っていた僕は、不審に思いながらも電話に出た。
「はい、柊ですが」
『あの、いい加減にしてくれませんか』
「……は、い?」
間の抜けた返事をしてしまう。
挨拶すら度外視した一言。
その怒りさえ感じる声色に、頭の整理が追いつかない。
『ヤドウさんと口裏合わせでもしていたんですか。冗談じゃないですよ、まったく。こっちは本気で企画に賭けてるんだ、遊ばないでください!』
すっと血の気が失せていく。崖から突き落とされたかのような体の重さ。
目の前が、真っ黒に塗り潰されて。
喉を絞るように、なんとか口に出す。
「な、え? 何が、どういうことですか」
『しらばっくれるつもりですか、あなたも』
「待ってください! げ、原稿の件ですよね? 僕、本当に分からなくて」
『そんな訳がないでしょう。何から何まで同じ設定の作品を出しといて。ええ、もう結構です。時間も無いので別の方に依頼します。それでは!』
「ちょっ――」
一息に怒鳴られ、通話が切れてしまう。
僕はスマホを耳に当てたまま、しばらく震えることしかできなかった。
なんの、間違いだ?
佐藤さんは、何を誤解しているんだ?
別の方に依頼。結構。あの作品と、僕のチャンスは。
僕の出した原稿が、誰かと同じ設定?
それじゃあ、まるで――僕が盗作家みたいじゃないか。
心血を注いだ十数万字と、書いては消した数万字が、脳内で弾け飛ぶ。
虚無感に襲われ、そっと耳の奥で囁くのは――二番煎じ。
違う、違う、ふざけるな! 僕は誰の作品も盗んでなんかいない!
勢いよくLANケーブルを引き抜いた。考えられるとしたら、このパソコンしかない。すぐさまウイルスチェックを起動させる。
ふらふらとした足取りで台所へ向かい、蛇口を全開に。激しく流れる水道水を目がけて、頭を突っ込んだ。
馬鹿なことをしているという自覚が、僕に冷静さを与えてくれる。
落ち着いて考えろ。そんなことは、あり得ない。偶然で片付けられるわけがない。
誰かが僕から盗んだ。その方が道理に合う。佐藤さんは何者かに騙されている。
……どうやって?
水を止め、背筋を伸ばす。両手で濡れた髪を後ろに追いやる。
捨てる物が無くなった以上、覚悟は簡単に決まった。
居間に戻ると、モニターには『ウイルス検出0件』の結果が映っている。
相手がハッキングのプロなら、痕跡も残さずセキュリティを潜れるかもしれない……けれど、そこまでの価値が僕にあるとは思えない。
所詮は大学生の、デビューだけで終わった作家だ。それに今回はペンネームを変えて参加した。パソコン経由で盗むなら、他の大先生を狙った方が利口だろう。
いいぞ、ようやく頭が回ってきた。
「盗んだのは、初稿を出した後だな」
出版社――三船文庫の関係者か?
そこから先は、佐藤さんが『誰と原稿を共有したか』で分かってくる。
駄目元で電話してみようか。いや早まるな。それは最終手段にした方がいい。本当の手詰まりになった時だけだ。今は感情的にもなっているだろうし。
思い出せ、考えろ。他の手掛かりと、佐藤さんが言っていたことを。
ショックで薄まった記憶を、無理やり掘り起こせ。
「……ヤドウ」
口裏合わせ。そうだ、佐藤さんは確かに、そう言っていた。ならば少なからず、ヤドウという人物が関わっているに違いない。
僕はネットを使って、三船文庫とヤドウというキーワードで検索した。
ヒットしたのは、小説家のペンネームだった。
夜道源内――こいつが盗作家だ。
三船文庫からは四冊、その他のレーベルで二冊も手掛けている、新鋭の推理小説家。僕とは違って、好意的なレビューも数多く載っている。
適当に試し読みをしてみると、名前通りの硬質な文章を綴っていた。ほとんどの舞台が現代で、登場人物は成熟した大人ばかり。いかにも賢そうな雰囲気だ。
おそらく作者も年季の入った風体なんだろう。余生の楽しみで成功したパターンか。
だからって、何をしてもいい訳じゃない。
僕は僕自身の疑いを晴らす。例えそれが、出版社を敵に回すことになったとしても。
盗作家は、許しておけない。
▲ ■ ▼
翌日、僕はパソコンの前で深呼吸をした。
夜道は今風の作家らしくSNSを利用していた。呟いている内容は、自作の宣伝と創作論が主だ。フォロワー数は三桁にも満たない。
そのダイレクトメッセージに、僕は書き込みをした。
未発表の作品について、と題して。提出した自作の概略を、つらつらと書き記す。あらすじをコンパクトに収めても、千字は超える内容。だが未発表の作品と銘打っておけば、見ざるを得ないだろう。
文末にスマホの電話番号と……『今日中に連絡が無かった場合、無料投稿サイトに全文を掲載するぞ』と添えた。
これが僕の出した答え。
盗作として世に出てしまうくらいなら、その前に公開してやる。どちらが盗作家になるかは明白だ。裁判でも有利な証拠になるだろう。
もちろん、それは適切な考えであって、最適解じゃない。
一番の望みは、夜道が盗作を認め、僕の潔白を三船文庫に説明することだ。
どうやって僕の作品を持ち出したのかは知らないけれど、罪として認めるべきだと思う。
夜道本人に、それを分からせるしかない。
日暮れの間際――スマホの画面に、非通知と表示された。
間違いなく夜道だ。僕は努めて冷静に、録音ボタンを押してから、通話に出た。
『誰よ、アンタ』
若い女の、声?
くそ、動揺するんじゃない。慌てるな、しっかりしろ。
「……夜道さんですか?」
『こっちの質問に答えなさいよ。答えられないなら、あたしは今すぐ投稿サイトに放り込むけど?』
「ッ!?」
仕返し、だと? 馬鹿な、そんなことをして、何の得があるっていうんだ。この期に及んで盗作家じゃないとでも言い張るつもりか。
嘘に決まっている。決まっている、けれど。
『頭の回転、遅いのね。こうして電話をした意味も考えられないの? アンタは盗作家じゃない。むしろ被害者なんでしょ。あたしと同じで』
――は、ぁ?
『作品を盗まれたのは、アンタだけじゃないのよ。つべこべ言わずに協力しなさい』