魔法の考察
魔法理論を作り上げます。
昼食も終わった。マナとスキルについてまとめを確認して、魔法の実験に行けるようにするんだ。
まずは、マナに関してだ。本に書いていたのはマナが魔法の存在の核である事、自身の体内のマナを媒介させることで自然物質の物理現象・化学反応を引き起こし魔法を発生させるのでもなく、また自身のマナを素材として魔法ができるのでもない。体内のマナを介在して自然にあるマナを操ることで魔法を作っているんじゃないかという事だ。
これはすごい発見だった。自分のマナはあくまで助けだ。自然にあるマナを使っているんだとしたら、実験で分かった事がかなり説明できる。回復魔法を受けた時、体内でエルカ姉様のマナを感じたのは、回復魔法を作ったのは自然のマナで、介在したマナであるからエルカ姉様のマナが残るために俺はそれを感じたということだ。そしてマナは変わってないのに、マナが変容したように見えたのは自然のマナを変容させていたということだ。
そして、火魔法が空気のないところでもできるのは簡単だ。自然のマナを変容させているだけで、自然現象の燃焼は起きていない。それなら、火魔法を空気のないところで出来るのも頷ける。魔法は自然現象の反応ではなく、擬似反応だ。
そしてこれでわかるのは、魔法という現象は自然のマナを変容させることで、マナで擬似現象を作っている。つまり魔法は実際の現象の法則と関係ないんだ。火魔法ならば火がつく現象は燃焼物が温度が上がる際に、酸素と結合する際に気体化して、酸素と結合しなかった可燃性ガスが燃える。それに対して火魔法は自然のマナが変容して火のようなものを出す。そこに燃焼のメカニズムはない。マナがどう変容するかで火に変わるんだ。そう理解した。
同様にマナがどう変容させるかで、水になったり、風になったり変えている。これが魔法のメカニズムだ。ここまでは早かった。だが次で問題が起きた。
次に、マナの変容をどうさせるかだ。これはスキルや詠唱の関係が重要だった。魔法スキルが何を意味するのかと詠唱が何をしているのかだ。
これはトルネスト氏の第3章が実に役立ったが問題にもなった。トルネスト氏の理論を簡単に言うと、トルネスト氏は詠唱は、詠唱内容で、マナを変容させている事だとしていた。マナは変容させるのは難しい。そこでトルネストは詠唱が変容させるんじゃないかと推論していた。
これで俺はつまづいた。結果、俺は詠唱によるマナの変容とは少し違う結論にたどり着いた。そもそもマナは形がない。形ないものを変容させるのは難しい。それに、マナは人によっても、場所によっても、質も量も異なる。さらに詠唱にかけられる時間やスムーズさも場合によって違う事もある。
それなのに、全ての人や場所で、同じ詠唱文句で同じ魔法になるのは、変容だとおかしい。変容だと言うならば、違う材料で、違う場所で、どんな人でも同じ物が作れる事になる。トルネストの理論では、ここがおかしくなる。
さらに、変容とすると、魔法が使われた後は世界中に色々なマナが出来上がるはず。言うなれば、魔法のゴミだ。これが至るところにあるはず。そして、その魔法のゴミで溢れるはず。
変容を物作りに例えると、材料はなくなり、作品とゴミができる。しかし魔法はそうならない。これもトルネストの理論はおかしい
なのに、メル姉から聞いた話では、空気のないところでもどこでも火魔法はできるし、詠唱も変わらない。どこだろうと、同じ人なら魔法自体は変わらない。さらに数十年も詠唱は変わらないとね。変容ならありえない。変容なら世界中のマナが変わって来ているはずだから、詠唱も変わって来る。また、場所によってマナの質は異なるから詠唱は変わる。
つまり、詠唱にマナを変容させる力はない。
だとすると、マナは変容させているんじゃない、だが、それに近いことをするんだ。マナを結合させていくんじゃないか?それを自分のマナを媒介や呼び水にして、どう結合させるかで魔法が変わるんじゃないか?
ただし、詠唱はなくても、自分のマナを使い、自然のマナの結合の状態を作り出すことができるんじゃないか?それならば、どこでも、誰でも同じものができるし、無詠唱もわかる。マナの結合を崩せば元のマナになる。マナ自体は何も変わらないから、ゴミも出ない。そう考えた。
まさにマナが分子、いや原子や原子核に近い概念で、魔法は自分のマナを媒介に詠唱によって化学反応または原子を構成させているような現象だ。
つまり、魔法か現象の状態をしっかりとイメージして、それに合わせたマナの結合を作るという事ができればいいんだ。とそう考えた。
これで魔法が纏まった。後はこれを姉上の協力のもと確認し、俺が再現出来ればいいんだ。
最後はスキルがないと魔法ができないこと、スキルのある人は魔法をスキルで行なっている理由だ。スキルがないと詠唱だけでは魔法を使えないとされていることだ。
だとすると、スキルは何なのか、トルネストは第5章で、「スキルは魔法を感覚として理解し、それによって詠唱の意味を感じるようになるためのものだ。そして詠唱によってマナをどう変容させるかを習得するスキルだ」とした。
しかし、これが納得いかなかった。さっきも言ったがマナをどう結合するかで魔法が水なったり、火になったり、それらを大きくしたり、温度を変えたり、爆発させたりと変わると俺は思う。ならば詠唱によってどう変容するかを習得するというのがいまいちだった。また詠唱の意味や変容の仕方を理解しているならばもっと魔法のメカニズムが広まっていいはず。
それで反対なのではと考えた。実際にはマナの結合させてる魔法を、魔術詠唱や現象イメージを理解できて、覚えられる。つまり魔法が実際にしているマナの結合メカニズムは理解できないが、その手段や結果のみがわかる。
トルネスト風に言い換えるならば、スキルとは、マナ変容の内容は理解できないが、手段である詠唱の意味を感じ、イメージや結果を体得する。もっと言うと詠唱とその結果である魔法の発動の組み合わせが覚えやすく、イメージしやすくなるものだ。計算式や方程式を意味も知らずに暗記するようなものだ。
スキルが発展したり、スキルレベルが上がるとその感覚が鋭くなったりや組み合わせの種類が増えるということだ。そして無詠唱は詠唱がなくても結果を導く方法を覚えることが出来る、簡単に言えば暗算するようなものということだ。
これは他のスキルにも言える。剣術スキルは剣が何かとか、剣の動きのメカニズムがどうとかを知る能力ではない。剣をどう動かすとどのような結果になるかの組み合わせがわかるというものだ。九九を覚えるだけのようなものだ。九九の意味は証明も説明もできなくても、九九は言え、使える。これがスキルの真相だ。
全て纏めると、
1マナとは原子というか原子核のようなもの、それ自体に変化はない。自身のマナを媒介に化学反応のようなことを起こすことができる物質で、自分のマナを媒介にすることよって自然のマナを結合させたり、離したりする事で起きる、マナの結合や分解反応で魔法が発生する。
2詠唱はその過程の式、計算式や方程式のようなものだ。
3魔法スキルは、詠唱という魔法の過程式の文を理解、言えるようにする。そして、魔法現象という結果の組み合わせを覚えやすくする技術だ。つまり1+1というふうに書いてあると理解すると共に、その答えが2だと覚えられる。どうして答えが2なのかはわからない。
4他のスキルも同じで過程を理解でき、そしてその結果との組み合わせを覚えて、動作をしやすくする技術ということだ。簡単に言うと剣スキルなら型を覚えられ、それでどうなるかを想像でき、実際に行いやすくできるということだ。言い換えれば動きをイメージしやすいとも言える。
ちなみに、人それぞれマナが違うのは、体の中でマナの結合の仕方が異なるからだ。また火魔法は現実とは違う燃えるメカニズムで火を作り出すんだ。混ぜるな危険を混ぜたら爆発したみたいな感じだった。
やっとマナと魔法スキルが纏まった。姉上に魔法を打ってもらうのを観察して、俺の理論通りの事が起きていれば、この理論で完成だ。あとは自分で出来る方法に移行だ。
これは、実はもう分かっている。簡単に言うとマナを介在するのは化学変化をイメージすることだ。そう、前世の科学だ。どうマナ同士を反応させてくっつけるか試せばいい。それを記録していけばできる。無詠唱になるができる。
後は訓練あるのみになるはず。よし頑張ろう。その前に姉上との魔法実験だ。明日だ頑張ろう。
考察部分が少しわかりにくいかと思いますが、まとめた部分を読めば、マルク君の理論がわかるかと思います。
2月25日改変しました。大筋は何も変わりません。わかりやすい文章にしました。




