得意ということ
「それでは第5回の文化祭実行委員会を終わります」
月曜日の実行委員会は割とあっさり終わった。
それぞれのクラスの進捗状況を確認し、テスト準備期間、テスト期間での準備禁止を念押しする程度であった。
「それじゃあ、みのり先輩お疲れ様です」
机の上に広がる資料をまとめていたみのりに、優希はいつものように声を掛け、そのまま桜と教室を出ようとしていたが、そこにみのりから声が掛かった。
「優希、いつも挨拶だけで寂しいじゃないか。たまには雑談くらいしてくれてもいいんじゃないか?」
見上げながら言われたみのりの突然の言葉に優希は少々面食らってしまう。
「えっ!えっとそれじゃあ、どうしましょうか。場所変えます?」
思わずその提案に乗ってしまったものの、桜の都合を考えていなかったと思い視線を送る。
するとその視線をどう受け止めたのか、桜は笑顔を作る。
「それじゃあ、私はお邪魔だね。先に帰ってるよ」
「桜、それは違うぞ」
「どうしてだ?桜は一緒にいてくれないのか?」
二人の言葉に桜はキョトンとしてしまう。みのりが誘ったのは優希であり、明らかに自分は邪魔になると考えていたからだ。
「えっと、私お邪魔じゃないかな?」
「私が優希だけに声を掛けたようになったのが悪かったな。すまない」
自分の失態気付き、みのりは頭を下げる。
「ごめんなさい、私も早とちりしちゃて」
お互いに頭を下げたところで、みのりが手早く資料をを片付け立ち上がった。
「桜も時間があるなら一緒にどうだ?」
「少しくらいなら大丈夫ですから、一緒に行きます」
「それは良かった。そんなに長時間拘束するつもりは無いよ。それじゃあカフェ葵にでも行こうか。先生に報告してくるから、少し待ってて欲しい。この教室という訳にもいかないだろうし、玄関で待ち合わせしよう」
そう言ってみのりは職員室へと移動していくのだった。
「俺達も行こうか」
「そうだね」
優希と桜も玄関へと移動しみのりを待つことにした。
「お待たせ」
キョロキョロ周囲を見回し優希達の姿を見つけるとみのりが駆け寄ってきた。
「悪いね。思ったよりも時間が掛かってしまった」
「いえいえ、お気になさらず。一人で待ってる訳では無いので大丈夫ですよ」
「そうかい?それなら良かった。さて、あんまり時間を奪っても悪いし早く行こうか」
みのりを真ん中に三人は歩き出すのだった。
「いらっしゃいませ。あれ?兄ちゃんと桜先輩と?」
今日はバイトの日だった晃成が入店に気付き声を掛けてくる。
初めてみる人物の姿に不思議そうな表情を見せるも、思考を切り替えて席に案内する。
みのりと向かい合う形で優希と桜は席に着く。
注文し飲み物が届くと、さっそくとばかりにみのりが口を開く。
「あの彼は優希の弟なのかい?」
戻っていく晃成の背に視線を向けながら、みのりは優希に問いかけた。
「いえ、あいつは従弟ですよ。昔から『兄ちゃん』って呼ばれてるだけで」
「なるほど」
「ところで、わざわざ雑談なんてどうしたんですか?」
優希は呼び止めてまでただ雑談という訳もなく、何か大事な用事があるのではないかと考えていた。
「言ったじゃないか。ただの雑談だよ」
「え、本当に雑談なんですか?」
「なんだ、私と雑談では不満か?こんな美少女と雑談出来るんだ。もっと嬉しそうにしたらどうだ?」
みのりは当然といったようにそう言ってのけた。
「自分で美少女とか言っちゃうんですね。確かに可愛いですけど」
「まあな。美的感覚は個々にあるだろうが、テレビや雑誌に出る人間と比較しても、そう悪いものではないだろう?」
通常こんな物言いをされれば不快に思いそうなものだが、みのりのキャラとあくまでも客観的に判断し、一般的な美的感覚と照らし合わせた結果だということが言葉から伝わってくるため、不快感は無くその言葉を受け入れることが出来た。
「その割には男子があまり周りにいませんね。もっとモテても良さそうなものなのに」
「ああ、どうやら私の容姿と言動にギャップがあるらしいな。クラス替えのたびに最初は声を掛けられるが、そのうち誘ってくる男子はいなくなるよ」
みのりはそれに対して特に思うことも無いようで淡々と事実を述べていく。
「それは分かります」
「優希は初めて話した時からそうだが、なかなか失礼だな」
みのりはそう言ってわざとらしく睨んでみせる。もちろん全く怒っておらずただのポーズである。
「優希君、流石に失礼だよ」
それまで黙って様子を伺っていた桜は思わず口を挟んでしまった。
「桜、優希はいつもこんな感じなのかい?」
「うーん、たまにありますね」
「まあまあ、俺の話は良いじゃないですか」
分が悪くなりそうだと判断した優希は早々に話題を逸らすことにした。
「露骨すぎる話題転換だが仕方が無い。それでは別の話題を提供しようじゃないか。二人とも勉強はどうだ?捗っているかい?」
学生らしく、またタイミングも今しかないというような話題をみのりは放り込んだ。
「俺はテスト勉強は順調ですよ。といっても毎日やってる勉強の延長なので、根を詰めてやるような感じではないですけど。桜はどうだ?」
「私は何とか……。優希君みたいに頭良くないから、たくさん頑張らないとですけど」
桜は気合いを入れなおす様に、胸の前で軽く拳を握った。
「それなら良かった。桜は自分に合った勉強法を見つけると良い。テキストを読み込むのか、それとも問題を解く方が頭に入るのか、色々と試してみると良いかもしれないな」
「似たようなことを優希君も言ってました」
「そうか」
みのりは一つ頷くと言葉を続ける。
「ところで、優希は以前私が言ったことについて何か考えてくれたかい?」
「以前というと志望校についてですか?」
優希は本屋で初めて出会った時のことを思い出していた。
「そういえば、あの場では志望校の話で落ち着いたな。参考書を選んでたし。私も言葉足らずだったな。志望校は途中経過に過ぎない。伝えたいことの本質は少し違うのだよ。まあ先輩のお節介とでも思って聞いてくれ」
みのりは鞄からノートと筆箱を取り出すと、空白のページに大きめのマトリクス図を書き始めた。
「ふたりはどんな仕事に就きたい?好きなことを仕事にしたいと思うか?」
優希と桜は一度顔を見合わせると、桜が先に口を開いた。
「私は好きなことを仕事に出来ると良いな」
「俺はどうだろう?好きなことを仕事に出来ればいいと思うけど、そこまで打ち込んでいることも無いし。強いて言えば勉強くらい?」
「なるほど。それじゃあ、好きで就いた仕事が実はあまり向いていなくて上手く結果が出なかったらどうする?それでもその仕事を続けるかい?」
そう言われてしまうと二人とも答えに窮してしまう。もちろん仮定の話ではあるものの、好きという気持ちだけで続けられるほど仕事が甘いものではないことを二人は理解していた。
そんな様子を見てみのりはノートに書き加えていく。
1:やりたくて出来る
2:やりたくないけど出来る
3:やりたくないし出来ない
4:やりたいけど出来ない
「こんな風に4つに分けた時、理想は1番だろう。好きで仕事も向いているんだからな。だけどそんな人間ばかりじゃない。1番以外の選択肢を選ばざるを得ない時にどう選択するかが大事だ。人間は嫌なことを避けがちだからな。結果、1と4を選びたがる。桜、2番についてどう思う?」
「えっと、やりたくない仕事だからいくら仕事が出来ても、やる気も出ないし仕事も続かないんじゃないかな」
『なるほど』と一つ頷くとまた違う図を書き始めた。
「マズローの欲求5段階説というものを知っているか?」
みのりの問いに二人は首を横に振る。
第5段階:自己実現欲求
第4段階:承認欲求
第3段階:社会的欲求
第2段階:安全欲求
第1段階:生理的欲求
ノートには1~5段階の欲求がピラミッド型に書かれている。
「人間はその段階の欲求が満たされると次の段階を求めるそうだ。生理的欲求とはすなわち生きるための本能だな。食べたい、眠りたいなどだ。それが確保されると安全欲求が生まれる。これは言葉通りだな、安心安全な暮らしだ。次が社会的欲求。仲間が欲しい、どこかに属したいという欲求だな。その次が承認欲求。他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求だ。そして最後が自己実現欲求。なりたい自分になるとでも言えばいいかな。ここまでは理解したかい?」
二人は口を挟むことも無くコクコクと頷く。
「結構。どうしてこの話を出したかというと、最初に出した2番の『やりたくないけど出来る仕事』は承認欲求に繋がると思わないかい?自分の仕事を認められれば欲求が満たされ、だんだんと気持ちも変わるかもしれない。なにせ高次の欲求だからね。まあ何が言いたいかというと、物事は好き嫌いで判断するのではなく、得意不得意で選んだ方が良いという話だ。スポーツ選手なんかは理解しやすいだろう?例えば優希が首位打者を取ったプロ野球選手と全く同じ練習をしたからといって同じ成績を取れるわけでもないし、そもそもプロ野球選手になれない可能性が高い」
みのりが言っていることは非常に理にかなっており理解できることであった。
「大事なことは自分が何が得意なのかということを理解し、自分が勝てる土俵で勝負することだよ」
二人は感心した様にみのりを見つめ、話に聞き入っていた。
しかしふと疑問が浮かび、優希が問いかけた。
「みのり先輩は簡単に言いますけど、自分が得意なことなんてどうやって見つけるんですか?判断基準が分からなくて」
優希に言葉にみのりは意外そうな表情を見せた。
「おや、優希は頭が固いな。さっきの話にヒントはあったぞ。要は『自分が楽に出来ること』を探すんだ」
「楽ですか」
「そうだ。他人が10日掛かったものを1日で、1日掛ったものを1時間で。そういうものを見つけるんだ。人間、努力して出来たことを褒めがちで簡単に出来たものは評価しないだろ?自分自身の評価だと特にそうなりがちだ。だけどそれは全くの逆だ。自分が努力しないと出来なかったものは、きっと才能ある誰かがずっと前に通り過ぎていった道だ。逆に自分が楽に出来ることを極めていけば、それはきっと誰も追いつけないような力になる」
その言葉に優希は大きくため息をついた。
「何でその発想にたどりつかなかったんだろう」
「みのり先輩凄いです!そんな風に考えたことなかったです」
みのりは二人の言葉に得意げに頷いたものの、少々照れたようにしてポリポリと頬を掻きながら言った。
「まあ、偉そうに語ってしまったが全部受け売りなんだけどな。私もこの話を受けて感銘を受けたよ」
「そうなんですか?」
「ああ、とある塾講師の言葉だよ。それにしても、優希がなぜその発想に至らなかったかだが、もしかして優希は視野が狭いのではないか?もっと色んなことにチャレンジしてみるといい。もちろん勉強が得意だいうのならそれでもいいが、勉強と一口に言っても『講師』『研究者』もしかすると勉強本の出版という可能性もあるかもしれないぞ」
「優希君の教え方分かりやすいし、そういう仕事も向いてるかも!」
桜はそう言ってニコニコと優希を見つめていた。
自分としては知っていることを教えているだけなので何でもないことであったが、他人から見ればそういう評価なのかと優希は改めて感じていた。
「そうですね。あんまり趣味も無いし、そういう意味でも色々やってみたいと思います」
その言葉にみのりは満足そうに頷き言葉を続ける。
「桜はどうだ?」
「私はそんなに得意なことって無くて」
「そんなことは無いだろう。少なくとも料理は得意なんじゃないか?俺は桜の料理好きだよ」
「確かに料理は好きだけど、それが仕事にはならないよ」
料理人になりたいかと言われれば、そこまでの腕は無いし、なりたいとも思っていなかった。桜の中ではあくまでも趣味の延長でしかない。
「桜の得意なことが何かは私には分からないが、料理と言っても厨房で働く料理人だけが料理の道じゃないだろう?商品開発、料理教室の講師、学問として究めるなら栄養学という道もある」
「なるほど」
桜は思いもしなかった道を提示され、そういう道もあるのかと考えていた。
「得意なことを見つけたら、そこに繋がる色々なものを考えてみると良い。私たちが生きるこの世界は誰かの仕事で成り立っているんだからな」
書いていることは実際に提唱されているの説と東進ハイスクールの林先生の言葉を引用しています。
ferret:マズローの欲求5段階説とは?各欲求を満たす心理学的アプローチを用いたサービス事例
林修著:林修の仕事原論-壁を破る37の方法(青春出版社)




