伊藤裁判開廷
翌日は桜の様子がいつもとは違った。
朝会った時もどこかよそよそしく、かといって一人で登校するわけでもない。
もちろん優希も会話を成立させようとするものの、目が合うと逸らされ、いつもより少し距離が開けられているという状況から、どうしたものかと頭を悩ませていた。
もちろん理由は昨夜の一件である。
桜は就寝前に電話を掛けたまでは良かったものの、眠りにつくまでの間に自分がどんな状態であったのか、何を言ったのかということを何度も思い出し恥ずかしくなってしまったのだ。
『なんでハグしちゃったんだろ⁉それに『言ってくれたら……』、とか何言っちゃってるのかな私⁉』
そんなことを考えながらなんとか就寝したものの、翌朝に優希の姿を見てしまえば、そのことが再び思い出されてしまったのだ。
そんな調子で教室に入ると、そんな二人の雰囲気を敏感に感じ取った茜が桜を連れて自分の席へと戻っていくのだった。
「おっす。今日はどうした?桜と喧嘩でもしたか?」
海斗はそんな様子を分かっているのかいないのか、そんな風に訊いてきた。
「ああ、おはよう。さてな、喧嘩なんかした覚えはないんだけど」
優希は特に気にした様子も無くそう言った。
そうやって適当な雑談をしていると、優希の肩を衝撃が襲った。
「痛っ」
優希が振り返ると、そこには仁王立ちした茜と、その後ろに隠れるようにしながらこちらを見ている桜の姿があった。茜は叩いた手が思いのほか痛かったのか、ブラブラと振っていた。
「痛いんですが?」
「優希、放課後空けておきなさい」
茜は優希の言葉を無視するようにそう言い放った。
「海斗、自分の彼女だろ?どうにかしろよ」
「まあ、諦めろ。俺も一緒に行ってやるから」
その後も桜の様子は完全に元には戻らず、午前中の授業ではずっと前を向いていた。
その姿が教師からは真剣に授業に臨む姿に見え、問題を当たられる一幕もあった。
昼休みにはいつものメンバーで食事をしたこともあり、午後には多少落ち着いたものの、今度は優希のことを授業中にもかかわらずチラチラと見てしまう。もちろん優希もその視線には気付いており、たまに視線を返すと慌てたように教科書へと視線を落とした。
そんな様子に教師も気付いており、注意散漫だと指摘され問題を当たられてしまう。
桜にとっては何とも不運な一日であった。
そして放課後、優希は朝の約束通り予定を入れず、茜に声を掛けた。
「それで?約束通り空けておいたぞ」
「それじゃあ行くわよ」
そう言って行き先も伝えられないまま後を着いて行くと、その途中で優希は気が付いた。
そこはカフェ葵だった。扉を開けるとマスターである大悟がレジで作業をしており、笑顔で声を掛けてくる。
「いらっしゃいませ。おや、茜ちゃんたちか」
「こんにちは。4人ですけど大丈夫ですか?」
「ああ、お好きな席にどうぞ」
店内は平日ということもあり多少テーブルも空いていて、優希達は奥の席に腰を下ろした。
しかし今日は男子、女子で並んで座るといういつもとは違った並びであった。
それぞれが飲み物を頼み、届いたところで茜が口を開いた。
「それでは、第一回伊藤裁判を始めます」
茜はそれっぽく、クイッと眼鏡を上げながら言った。
「茜ちゃんいいよー。ホントにやらなくても」
桜は茜の袖を引っ張りながらそういうも、そうはいかないとばかりに茜は首を横に振る。
「いいえ桜、これは必要なことなのよ」
そんな芝居がかった茜の様子を眺めながら、優希は会話が途切れたタイミングを狙い口を挟んだ。
「盛り上がってるところ悪いんだけど、これは何なの?しかも第一回って」
「まずは被告、伊藤優希君。昨夜の行動を述べて下さい」
優希の発言はスルーされ、茜が捲し立てる。
「海斗、なんか今日の茜おかしくないか?」
海斗も『うーん』といった様子で頭を抱えていた。
「裁判長!被告と雑談は禁止です」
「裁判長?俺か?あー、はいはい。どうも裁判長です。……これは昨日のドラマだな」
「ドラマ?何の話だ?」
優希が不思議そうに海斗に問えば、海斗は優希に耳打ちした。
「いや、茜って漫画とかテレビに影響されることがあるんだよ。そんなに多くは無いんだけど。それで優希が見てたかは知らないけど、昨日の夜に検察官モノのドラマやってたんだよ。茜が昔好きだったやつの特番」
「え、それを見た影響でこんなことになってるのか?」
「まあ大体次の日には恥ずかしくなって転げまわってるんだけどな。悪いんだけど付き合ってやってくれよ」
海斗はそう言って笑うと、優希の背中をポンッと叩いた。
優希は一つため息をつくと茜に向き直るのだった。
「えっと何だっけ、昨日の夜?家に帰ってからは古典の課題をやってたぞ」
「意義あり。被告人は重要なことを隠しています」
チラリと視線を送ると桜は小さく頷いた。昨夜のことは茜に話しているようだ。そうでなければ、そもそもこの場も生まれなかったのだろう。
「そうだな、正確には桜がウチに来て一緒に勉強してたかな。その後は雑談とちょっとしたスキンシップみたいな感じだな。これでいいか?」
「そのスキンシップが問題なのよ。付き合ってもいない男女がハグなんて破廉恥だわ。有罪!」
ビシッと優希を指さしながら茜は言った。
『せっかくぼやかしたのに言っちゃうんだ……』
優希はそんなことを内心思いながら小さく笑った。
また、桜は具体的な単語が出てきたことで顔を赤くして俯いてしまった。
「おいおい、俺は提案こそしてみたものの、最終的に決めたのは桜だぞ。桜が嫌だと言えば何事も終わっていただけの話なんだから。お互い合意の上ということで無罪だろ?」
「だとしてもよ。優希は相手がOKすれば誰でもハグするのかしら?」
「それは桜にも訊かれたがな。俺だって相手を選ぶさ。俺ってそんな風に見えるのか?」
自分では全く分からないことであるため海斗に訊いてみるも、海斗は『さぁ?』といった様子で笑っていた。
「ふむ。まあ、茜の言いたいことは分かった。裁判長、検察官への質問を良いでしょうか」
「許可する」
優希はその言葉を受け少々目を瞑って考えた。
「それでは今度は俺から、茜に質問する番だな」
「ちょっと!被告から検察官への質問なんて聞いてないわ」
「いや、俺には弁護士がいないんだから自己弁護するしかないだろ」
そして次は優希のターンが始まるのだった。




