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急接近(物理)

その夜、晩御飯を食べ終え、古典の課題を片付けていた優希だが、唐突に部屋にインターホンが鳴り響いた。構造上、一度マンションのエントランスでインターホンを鳴らす必要があるため、都合二回は部屋に音が響く仕組みとなっている。しかし今の呼び出しはエントランスを飛び越え、一度目から家に設置されたインターホンが鳴らされた。


「こんな時間に誰だ……?」


少々不審に思いながらもモニターに映し出された画像を見て優希は安堵した。

そこには桜の姿が映し出されていたのだ。

優希は玄関に向かい扉を開けた。


「桜、どうしたんだ?こんな時間に」

「一緒に古典の課題やりたいなと思って。忙しかったかな?」


そう言って桜はバッグを掲げて見せた。


「俺も今やってる所だから構わないんだけど、ちゃんと親御さんには許可貰ったのか?」

「もちろん大丈夫だよ。むしろお母さんなんて『頑張れ!』なんて言うんだよ?」

「ん?何を頑張るんだ?」


優希の言葉に桜はハッとして、慌て始めた。


「それはもちろん勉強だよ!」

「それはそうか」


そう言って背を向け優希はリビングへと戻っていく。


「……勉強に決まってるんだから」



ダイニングテーブルには優希が広げていた勉強道具が置いてあった。

その向かいの席に腰を下ろすと、桜も勉強道具を広げた。


「桜、お茶で良かったか?」

「うん、ありがとー」


桜の分の飲み物を準備すると優希も改めて席に着いた。


「桜は授業中にも課題を進めてただろ?どの辺まで終わってるんだ?」

「んー、半分くらいかな。優希君はどんな感じ?」

「ほとんど終わってるぞ。そんなに難しくなかったしな」


何時から始めたか分からないが、優希が授業中、課題に手を着けていないことを把握していた桜は、先に手を付けていたにも拘らず追い抜かれている事実に愕然とする。


「え、速くない?」

「そうか?比較材料が無いから良く分からないけど、普通だと思うぞ」


その言葉に桜はテーブルに突っ伏してしまった。


「普通の基準が高すぎる……」

「古典は暗記すればある程度解けるようになるだろ」


優希が何でもないように言うと桜は顔を上げた。


「古典ってそんな科目だったっけ?」

「単語の意味、その時代の常識、文法なんかは暗記だろ?覚えてしまえば、自分の力で文章を読み解けるか確認すれば良いだけの話だし」

「それはそうだけど……」

「それから学校の授業内容だけで言ってしまえば、究極的には現代語訳を暗記してればある程度点数は取れるんじゃないか?テスト範囲は決まってるんだし」

「……理屈は分かる」


桜は難しい顔をしながらうんうんと唸っていた。


「まあ、今回のはただの課題だし、力試しくらいに考えていれば良いさ」


その言葉に少し気持ちが楽になったのか、桜はペンを進めていく。時折躓いてしまう問題があったが、優希がアドバイスをすることで答えを導き出していく。


「終わったー!」

「ほい、お疲れさん」


以前訪問した時と同じように、チョコレートがテーブルに置かれた。


「ありがとー。あ、でもこんな時間にチョコを食べたら太っちゃうかも……」


そう言って桜は自身のお腹へ視線を向ける。


「そうか?そんなに気にするような体型じゃないだろ」

「私の何を知って……っ」


桜はバッとお腹に手を当て隠す様にすると、顔を赤くして優希を睨みつけた。


「……エッチ」

「冤罪だぞ、それは」

「だってこの間触ったし……!」

「ああ、この間くすぐった時な」


優希はなぜ責められているのかと考えていたが、ようやく合点がいった。先日くすぐっていた時のことを言っていたのだ。優希としてはいやらしい気持ちは無く触れていたため、上手く繋がらなかったのだ。


「どうして優希君はそんなに平然としてるのかな!?それはそれで傷つくのですが!」

「俺にどうしろと」


優希は小さく笑う。


「それじゃあチョコは要らない?」

「……食べる」


なんだかんだで、結局チョコを食べる桜だった。


課題も終わっているため、何だかんだと雑談をしながら時間を過ごしていく。


「それにしても、桜が俺の制服を着るとはなー」

「あー!考えないようにしてたのにその話するの?すっごく恥ずかしかったんだからね」


桜は昨日のことを思い出したのか、顔を赤くしながら膨れてみせた。


「何かあったか?」


気付いてはいるものの、あえて知らない振りをしてみる。


「そっ!それは、あれだよ。優希君が私を抱きしめた……みたいな?」

桜は口に出すのも恥ずかしいのか、どんどん言葉が小さくなっていった。


「俺はネクタイを締めてただけだよ。……ふふっ」


素知らぬ顔でそんなことを言うが、流石に堪え切れきれず、声が漏れてしまった。

当然桜もそれには気が付いた。


「あー!いま笑ったでしょ!確信犯だー!あれは間違いなくハグですよ、ハグっ」


桜は思わず優希を指さしながら声を上げた。


「嫌だったなら悪かったよ」


優希の言葉に桜は一瞬言葉が詰まる。


「別に嫌じゃないけど……。その訊き方はズルいよ……」


桜は顔を赤くし、視線を逸らしながら呟いた。


「それは良かった。だけど、実際のところアレをハグとは呼ばないだろ?ハグと呼ぶにはまだ弱い」

「えー!というか弱いとかあるの?」


その言葉を待っていたと言わんばかりに優希は言葉を返す。


「それじゃあハグしてみる?」


優希はそう言って微笑むと、椅子から立ち上がり桜の方へと近づく。


「の、望むところだってばよ!」


ガタっと椅子を鳴らして立ち上がる。桜は唐突なハグの提案にテンパっており、普通に断れば良いだけなのに、何故かそれを受け入れてしまった。

優希としても桜をからかうためだけに提案したものだったので、受け入れるというまさかの事態に驚いていた。


「言葉遣いがおかしくなってるぞ」


そう言って優希は笑う。そうすることで、思いがけない事態に緊張していた気持ちも落ち着いてきた。


「おいで」


優希はそう言って両手を広げると優しく微笑む。

それに対して桜は緊張した面持ちで、顔を真っ赤にしながらモジモジとしていた。

優希はそんな様子を眺めつつ手を広げたままでいると、決心がついたのか、ゆっくりと桜が近づいてきた。

後は手を回せばハグできるというところまで来ると、一度立ち止まり、目線を上げ優希のことを見つめる。

優希の表情は全く持って余裕そうで、自分ばっかり恥ずかしがっているのが悔しくなってくるくらいであった。

もちろん優希も多少の恥ずかしさはあるものの、それは表に出さないように笑顔を作っているのだが。


そして恐る恐るといった様子で、桜が優希の背中に手を回す。


「うぅ……。やっぱり恥ずかしいよ」

「俺も」

「嘘……、私ばっかりだよ……」


そこまで言うと優希も桜の身体に手を回す。

軽く力を入れれば一層密着していて。


「俺もドキドキしてるの分かる?」


身長差があるため、ちょうど胸のあたりに桜の顔があり、優希の鼓動が分かった。


「うん、……分かるよ」

「だろ?」

「ちょっと意外かな。優希君、凄く普通にしてるから、こういうの慣れてるのかなって……」

「そんな訳ないだろ。こんなこと誰にでもはやらないよ」

「……そうなんだ」


桜がそう呟くと無言の時間が続く。

桜はどのタイミングで離したら良いのか分からず、しばらく抱き合ったままであった。


「これって、いつまで続くのかな……?」


しかし、さすがに桜がポツリと呟く。


「こんな機会滅多に無いし、俺が満足するまでかな」

「……言ってくれたら別に……」


自分の発言にハッとして、桜は真っ赤な顔を誤魔化す様、優希の胸にグリグリと頭を擦りつける。

小さな言葉だったが優希にはしっかりと聞こえており、驚くと同時にふふっと笑った。


「そんなこと言ってると、ホントにまた声掛けちゃうよ?」


優希そう言って、抱きしめた手で桜の背中を撫でた。


「ひゃっ……!」


声を上げ、桜が慌てて離れる。


「そ、そこまでは許してません!」


優希は空に残された手をブラブラと振って見つめる。


「それは残念」


そう言って優希は笑う。


「……もうっ!」


桜がふと時計に視線を向けると、思った以上に時間が経っており、慌てて荷物を片付け始めた。


「流石に怒られちゃうよ!」

「む、悪かったな。長々と引き留めて。俺も一緒に行くよ」

「そこまでは大丈夫だよ」

「まあまあ、良いから」


そう言って桜の片付けが終わったことを確認すると、優希は先導するようにして家を出た。


「……ただいまー」


申し訳なさが先に立ち、ゆっくりと扉を開くと、小さく声を掛けた。


「やっと帰って来た。いくらお隣とはいえ連絡は入れなさい」


伊藤家の扉が開く音に気付いていた菫がすでに玄関の前に仁王立ちしていた。


「すみませんでした」


そう言って優希が頭を下げると、菫は優希の存在にようやく気が付いた。


「あら、優希君。こんばんは」

「こんばんは菫さん。すみません、俺が長々と引き留めてしまってこんな時間になってしまいました」


潔く謝られてしまうとだんだんと怒る気持ちも失せていく。


「優希君が相手だから信頼はしてるけど、あんまり遅いと心配しちゃうからね」

「あのっ、私が……!」

「すみません。今後は気を付けます」


桜が何かを言いかけたが、それを遮るように優希は謝罪する。


「もう怒ってないわ。優希君も顔を上げて」


そう言われて優希はゆっくりと顔を上げる。

すると、少し困ったようにしながらも菫は微笑んでいた。


「これからは気を付けてね」


優希は菫の言葉に安堵すると再び頭を下げる。


「ありがとうございます。それじゃあ桜、また明日」

「うん、それじゃあまた明日」


桜と菫は家の中へ帰っていくのだった。



優希は寝る直前、スマホにメッセージが届いていることに気付く。


『今日は謝らせちゃってゴメンね』


「そんなこと気にしなくて良いのに」


そんな独り言を呟きながら、返事を考える。


『気にしなくて良いよ。気付かなかった俺が悪いのは事実だから。菫さんも「これからは」って言ってたし、これからも気が向いたらウチに来て良いから』


メッセージを送るとすぐに既読が付き、電話が掛かってきた。


「もしもし、桜?」

「……今日はありがと。それだけっ!おやすみなさい!」


一方的に話し終えると、そのまま電話は切れてしまった。


「ああ、おやすみ」


そう呟いて優希は眠りにつくのだった。

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