母、来襲
「母さん、着くのは19時って言ってなかった?」
「違うわ。19時までには着くって言ったでしょ?」
「あーね、なるほど」
優希はメッセージを思い出しながら納得する。
「ところで優希、こちらはお友達?」
そこまで言うと、エレベーターが目的の階に着いてしまう。外に出たところで優希が桜を紹介する。
「お隣に住んでる橋本さん。同じ学校でクラスも一緒なんだ。色々地域のこととか教えてもらってお世話になってる」
優希の紹介を受け桜が挨拶を行なう。しかし、その様子はどこか緊張しているようで。
「は、橋本桜です。優希君のお世話をしてます!」
「……おい桜」
優希は桜の脇腹を突っついて訂正を促す。
「え、何?」
何事も無かったかのように桜が言えば、優希は諦めた表情で何でもないと返すのだった。
「へー、随分と仲良くやってるみたいね。桜ちゃん、って呼んで大丈夫かしら。優希と仲良くしてあげてね」
そんなやり取りをしつつ家の前まで移動すれば、それぞれが自宅へと帰っていく。
「それじゃあ桜、またな」
「桜ちゃん、またお話しましょうね」
「うん、優希君またね。それと……」
「伊藤麻衣よ。気軽に麻衣さんって呼んでね」
「麻衣さん、それではまた」
会釈すると桜は自宅へと入っていった。それを見送り二人も帰っていくのだった。
優希は食材を冷蔵庫にしまい、オカズをダイニングテーブルに並べる。一度自室に戻ると荷物を置き、部屋着に着替えてリビングに戻ってきた。
「母さん、晩御飯は食べた?」
「まだ食べとらんよ」
部屋の隅でキャリーバッグを整理している麻衣に声を掛ける。
「それなら良かった。一応オカズは買ってあるけん。好きなやつ食べてよかよ」
「もうちょっとしたら食べるわ。ちょっと橋本さんのお宅にご挨拶してくるけん、その後で一緒に食べましょう」
その手には福岡では定番のお土産が握られていた。
「えっ、今から行くと?」
「もう少し遅くなると食事中かもしれないでしょ。何?優希も一緒に来たいの?」
「んー、何を言われるか分からないし俺も行く」
二人は外に出ると、橋本家のインターホンを鳴らす。
すると菫が対応に現れた。
「こんばんは、優希君。……こちらはお姉さんかしら?」
『身長は自分よりも少し高いくらいか、優希君の母にしては若い気もするし』と考えた結果の答えだった。
「こんばんは。菫さん、お忙しいところにすみません。こっちは……、痛い痛い!」
「うふふ!優希、お姉さんだって!」
菫の言葉に上機嫌になりつつ、麻衣はバンッバンッと優希の肩を叩く。
「桜さんとは先ほどお話させて頂きましたが、優希の母の伊藤麻衣と申します。妹さんには優希が大変お世話になっているようで、ありがとうございます」
「ご丁寧にありがとうございます。橋本菫です。でも、妹……?やだっ、桜は私の娘ですよ!」
麻衣の言葉に菫も目に見えて上機嫌になっていく。
女性特有の会話に優希がついていけなくなっていると、来客が気になったのか桜がこちらの様子を伺っていた。菫の姿越しに桜に気付くと、優希は手招きして桜を呼んだ。
「誰かと思ったら優希君達だったんだね。どうしたの?」
桜の言葉に本来の目的を思い出した麻衣が、スッとお土産を差し出す。
「そうでした。今日はご挨拶にお伺いしたんです。福岡のお菓子なんですけど、良かったら召し上がってください」
「これ知ってる!テレビで見たことあるよー。めんたいこ味のおせんべいなんだよね」
「そうそう。俺も好きなんだ。オススメだよ」
「ご丁寧にありがとうございます。家族で頂きますね。優希君の律儀なところはお母様に似たのかしらね」
菫はお土産を受け取るとそんなことを言い出した。当然麻衣はそれに食いついた。
「優希はご迷惑をお掛けしていませんか?何かあったらどんどん注意して貰って構いませんから」
「いえいえ、ウチの桜とも随分仲良くしてもらって、ありがたいくらいですよ」
優希と桜は話題が自分達のことになり、何を言い出すのかと気が気ではなくなってきた。
「母さん、俺のことはよかけん。はよ帰らんと邪魔になるやろ?」
優希にしては珍しく少々顔を赤くすると、グイグイと麻衣の肩を押し帰宅を促す。
「ハイハイ。それじゃあ菫さん、またお話ししましょう。今度はゆっくり」
渋々といった様子ではあったが、麻衣はそのまま自宅へと帰っていくのだった。
「しっかりしている優希君も母親の前ではあんな感じなのね。何だか新鮮だわ。だけどお母様も随分とフレンドリーというか、親しみやすい方だったわね」
「だねー」
「桜、『将を射んとする者はまず馬を射よ』よ」
「いきなり何の話かな⁉」
「優希、ご飯は?お米炊いてないみたいだけど。というか、この炊飯器使ってる?」
麻衣はオカズをレンジで温めつつ、ご飯をよそうために炊飯器を確認する。しかし、弁当や真空パックのご飯が主の優希がご飯など炊いているはずもなく、炊飯器の中は空だった。
「ご飯はそこにパックがあるやろ?」
優希は風呂にいつでも入れるように準備をしながらそう言った。
「野菜とか買ってきてたから、てっきり自炊をしてるものかと思えば。出来合いが悪いとは言わんけど、ちゃんとバランスは考えなさいよ?」
「分かってるよ」
そんなやり取りをしつつ、伊藤家の夕食が始まった。
「母さん、いつまでこっちにいるの?」
「明後日の午前中までかな。飛行機の時間もあるけんね。あ、予定があるなら私のことは気にせんで出掛けて良かけんね?」
「今のところ予定は無いから大丈夫だよ」
優希のその言葉に麻衣は固まった。
「……それは悪いことを聞いたわね」
「いやいや、何を勘違いしてるか知らないけど、たまたまこの二日間に予定が無いだけで、他の日には予定入ってるし。それに晃成もおるし、どうしても寂しくなったら声を掛けるさ」
「晃成って、従弟の晃君?」
予想外の名前に麻衣も少々驚いたような表情で言った。
「そうだよ。知らなかったんだけど、俺と同じ学校に入学してた」
「へー、良く気付いたわね。学年が違えば接点も無いでしょうに」
「ホントにたまたまだよ」
そんな会話をしていれば、来客を知らせるインターホンが鳴る。確認してみれば、ちょうど話題に上がっていた晃成の姿がそこにはあった。優希が対応し、リビングへと通す。
「こんばんは、姉さん」
「あらっ、晃君!久しぶりねー。今ちょうど晃君の話ばしよったとよ。優希、晃君が来るなら先に言わんね」
「悪かったよ。母さんが来るって話したら、晃成が母さんに会いたいって言うけんさ。ちょっとしたサプライズだよ」
「まあっ!嬉しいこと言ってくれるじゃない」
そこまでは言っていないと晃成は優希の顔を一瞬見るも、優希は素知らぬ顔で会話を続けるのだった。
「立っとるのもアレやけん、晃君も座らんね」
そう促され優希の隣へ腰を下ろす。
「晃成は晩御飯食べたっちゃろ?今日は賄いを出すとは聞いてるけど」
「食べてきたよ。そうだ。兄ちゃん、ケーキありがとね。美味しく頂きました」
「賄いって、晃君バイトでも始めたの?」
麻衣は意外そうに言った。優希が編入した学校を考えれば、バイトと勉強の両立は非常に難しいことを知っていたからだ。
「今、喫茶店でバイトしてるんだ。個人経営のお店だから、どこのお店か訊かれても困っちゃうんだけどね」
晃成は笑顔でそう言った。少なくとも充実していることが分かり、麻衣は安心した様子だった。
「楽しそうで良かったわ。こっちにいるってことは一人暮らしなんでしょう?ちゃんとお母さんにも連絡してあげないとダメよ?優希なんて、こっちから連絡せんといっちょん連絡してこんっちゃけん」
ジトっとした目で優希を見れば、ばつが悪そうな表情で目を逸らした。
「だけど、兄ちゃんは家にいると方言が出るんだね。学校だと全然なのに」
「家というか、母さんと居ると気が抜けて、つい方言が出るんだろうな。学校だと意味が通じないと二度手間だから、なるべく使わないようにしてるけど」
「あー、それで」
納得いったとばかりに晃成が頷く。
「福岡の方言はそんな分かりにくくなかろう?テレビでも結構聞くようにはなったけん、それなりには分かると思うけどなー。晃君だって分かるやろ?」
麻衣は不思議そうにそう言った。自身がいつも使っている言葉のため、方言としての難易度は低いと常々思っているのだ。
「うーん。姉さんや兄ちゃんがいるから、他の人よりは分かると思うけど、やっぱり分かりづらい時はあるかな?」
「ほらね」
晃成の言葉に麻衣は少々ショックを受けていたようだったが、なんだかんだと楽しい夕食であった。
晃成side
優希達が帰る頃まで時間は遡る。
「晃成君、そろそろ上がろうか。賄いは食べて帰るだろう?」
客の波が引き落ち着いた時間に入ったため、大悟は晃成に声を掛ける。その声を受けて晃成は私服に着替え戻ってくる。周囲を見回せば葵が席に着いており、テーブルには料理が並んでいた。
晃成も葵の対面に腰を下ろす。
「……晃成、お疲れ様」
先に席に着いていたにもかかわらず、葵は食事に手を付けていなかった。
「葵先輩。先に食べてても良いんですよ?」
晃成としては待たせても悪いと思い気を使ったつもりだったが、葵は不思議そうに首を傾けた。
「……食事は一緒に食べたほうが美味しい」
当然のように言う葵に少々驚いたが、晃成も同意見であり、葵と同じ考えだというのが嬉しかった。自然と晃成の表情も笑顔になる。
「そうですね。僕も葵先輩とお食事出来て幸せです」
葵への返答としては少しズレていたものの、晃成はそう返した。
「「いただきます」」
そのまま食事を続けていると葵が思い出したように口を開く。
「そういえば、前に言ってた勉強の件だけど、5月4日はどう……?」
「大丈夫ですよ。予定は空けてますから」
晃成は笑顔でそう答えた。
「……大丈夫?それじゃあ、お昼前に集まろう。せっかくだし、一緒にご飯を食べよう」
「ええ、喜んで」
食事を終えた頃、大悟がテーブルへとやって来た。
「二人とも、今日はデザート付きだぞ」
テーブルに並べられたそれは、海斗の誕生会で出されたケーキだった。
「……お昼に出したケーキ?」
「優希君達が、ぜひ二人にもって渡してくれたんだ。残しても悪いし、気にせず食べなさい」
そう言って再び厨房へと戻っていった。
「……あとでお礼言わないとね」
「兄ちゃんには夜に会いますので、僕から伝えておきますよ」
「……ダメ。こういうことは自分で言わないと」
「分かりました。そうですよね……」
そういうつもりは全くなかったものの、晃成は注意されたと思い少し落ち込んでしまう。言葉はだんだん弱くなってしまった。
「……だけど、ありがとう。晃成が私のためにしてくれようとした、その気持ちは嬉しい」
そう言って葵は微笑んだ。
落ち込んだ気分は何処へやら、葵の笑顔に晃成は顔が赤くなってしまうのだった。
難しい方言は無いと思いますが、分かりにくければコメントで教えてください




