出会い(海斗編)
海斗と茜、二人の交流は幼稚園時代(四歳)に遡る。
もともとこの土地に住んでいた羽田家の近所に、ある日氷室家が引っ越してきたのだ。
早めに友達が出来るように、また賢くなるようにと両家ともに幼稚園へ子供を入園させた。
このことが二人の出会いの契機となる。
「みんなー、今日はこのクラスに新しいお友達が増えました!新しいお友達の氷室茜ちゃんです」
教室に園児を集め、先生が明るく声を掛ける。
しかし、それに続いて茜から声が発せられることは無かった。
先生は慌てたように再び茜に声を掛ける。
「茜ちゃん、皆にご挨拶しよっか?」
先生は膝立ちで目線を合わせながら、優しく微笑んだ。
「……氷室茜」
緊張しているのか、それだけで自己紹介を終えてしまった。
しかし、園児はあまり気にした様子も無く、友達が増えるという状況を喜んでいる様子だった。
だが、茜の生来の気質なのかあまり他人と関わろうとはしなかった。
最初は園児も新しい友達に興味を持ち話しかけていたが、必要最低限の返事が多かったため、だんだんと距離が出来、子供たちは興味を失っていった。
子供というのは残酷なもので、関わりが無くなるとそのままいなかったかのように、また日常を繰り返す。
また途中入園ということもあり、元々グループが出来上がっていたこともこの状況を後押ししてしまったのだ。
初めは平気そうな茜だったが、一週間、二週間とそのような状況が続けば、だんだんと耐えられなくなってきてしまう。
そしてそんな状況の中、クラスの親睦を目的としたお泊り保育の日。
今日は一日家族と離れるということもあり、そのことを分かっている子供の一部は時折泣きだしてしまう。
だが、そんな子供たちも時間が経つにつれ、友達と夜も一緒に居られるということを楽しく感じ、自然と笑顔も増えていった。
しかし、そんな状況でも茜は輪に入らず一日を淡々と過ごしていた。
そして夕食時。今日のメニューはカレーであり、みんなで作ることになった。とはいっても、玉ねぎの皮を剥いたり、食器を並べたりという手伝いレベルだが。
ここでもやはりグループが出来てしまい茜は孤立する。
みんなが楽しそうに準備をしている様子を見てこみ上げるものがあったのか、思わず茜は走り出してしまった。
外に飛び出し運動場のブランコへ駆け寄る。すると、そこにはすでに先客がおり茜は怯んでしまった。
「あれ?お手伝いしなくていいの?」
「……あなたに言われたくない」
男の子がそう声を掛ければ、そういう自分はどうなんだと子供ながらに責めたてる。
「泣いてるの?」
男の子は茜に近づくと、頬に手で触れ涙を拭った。
「泣いてない……」
茜は手を振り払うことも無くそう呟く。
「お母さんが言ってた。泣くのは我慢しなくていいんだよって」
そうして頬を撫でていた手を離し、そのまま頭を撫で始める。
「偉い偉い、よく頑張ったね」
「……っ!」
男の子はただ大好きな母親の真似をしただけなのかもしれない。茜の境遇も、泣いている理由も分かっていなかったが、今はこうしたほうが良いと何となく感じたのだ。
初めて話す子が何でこんなことを言うのかと思いながらも、その言葉は今の茜にはとても刺さるものだった。
「私、頑張ったの……!みんな仲良くしてくれなくて、いつも一人だったけど泣かなかったの……」
「そっか、偉いねー」
優しく微笑みながら少年は茜の頭を撫で続ける。
「それじゃあ、僕と友達になろうよ。そしたら一人じゃないよね」
「……っ!ホント?」
「もちろん。僕は羽田海斗っていうんだ。お名前教えて?」
「……氷室茜」
「茜ちゃん、これで僕たちは友達だね」
その言葉に茜はとうとう耐えきれなくなり、海斗に縋りつくように再び泣き出してしまった。
海斗は少々驚いてしまったものの、落ち着かせるようにポンポンと背中を叩くのだった。
「大丈夫?」
「うん……」
大泣きしてしまったことが恥ずかしくなり、茜は顔を赤くして俯いてしまう。
「やっと見つけた!」
海斗がいなくなったことで建物内を探していた担任の先生が、外から声が聞こえたため出てきたのだった。
「海斗君、心配したでしょ!」
注意しつつも視線を合わせ、本当に心配していたことが覗える。
「あら、こっちは隣のクラスの茜ちゃんね?」
「うん!お友達になったんだ」
隣のクラスとはいえ、茜の状況は気にしていたため、海斗の言葉に少々驚きつつも嬉しくなる。
「そっか。みんな待ってるからご飯食べに行きましょう」
「うん。ほら、茜ちゃんも行こう?」
先生がそう促すと、海斗は茜の手を取り歩き出した。
建物内からは茜を探していたであろう担任が姿を見せるも、海斗と手を繋ぎ歩いている姿を見ると、注意する気持ちも薄れ優しく諭すに留めた。
そして食事の準備が整っている教室の前に着くと、それぞれの教室への移動を促した。
「茜ちゃん。それじゃあ、またね」
海斗が繋いでいた手を離し、そう言って茜に背を向ける。
「ヤダ……、友達……」
茜はそう言って海斗の服を掴んでしまう。
「茜ちゃん、ほら教室にもお友達が待ってるわよ?」
先生がそう諭して教室へと促すが、徐々に茜の目に涙が浮かんでくる。
「先生、僕も茜ちゃんとご飯食べたい!茜ちゃんの教室で食べたらダメ?」
先生二人は顔を見合わせるも、このままでは食事も出来ないだろうと考え、海斗の提案を受け入れる。
「それじゃあ、海斗君の分のカレーを取ってくるから、茜ちゃんの教室で待ってて」
茜のクラスの担任に通されるといくつかの丸テーブルに椅子が人数分準備されていた。
茜は自身の席に着くも当然海斗の席は無く、先生に助けを求める。
先生も微笑ましいものを見るように微笑むと、予備の椅子を準備して茜の隣にセットする。
その頃には海斗の担任がカレーを持ってきており、海斗の食事の準備も整っていた。
「それじゃあみんな手を合わせて。頂きます」
「いただきまーす」
みんなは食事を始め、だんだんと会話が生まれ教室内が活気付いていく。
「茜ちゃん、カレー美味しいね」
そう言って海斗が微笑むと茜はスプーンを咥えたままコクンと頷く。
入園初日からなかなか馴染めなかった茜からすれば、初めて心から美味しいと思える食事だった。
食事も片付けまで終わると、あとはお風呂に入って寝るだけになる。
食事の後も茜は海斗から離れず、海斗は茜のクラスで一日を過ごすことが決まってしまった。
お風呂は一度には入れないため、時間をずらしてクラスごとに入る。幼稚園だと羞恥心も薄く男女関係なく一緒にお風呂に入るということになっていた。
待っている間の自由時間は茜が絵本を読みたいとのことで、二人並んで絵本を読んでいた。
本を読んでいる間の茜はとても楽しそうにしており、泣いている姿からは想像できないような可愛らしい笑顔を浮かべてた。
「それじゃあみんな、お風呂に入るよー。お着替えは持ったかな?」
お風呂の順番が回ってきたため、先生が声を掛ける。
「茜ちゃん、行こうか」
服を脱ぎ浴室に入ると、すでにクラスの半数以上が室内にいて、浴槽はすでに人で一杯だった。
「先に身体を洗っちゃおう」
「……うん」
二人で並んで身体を洗っていると、茜から声が掛かる。
「海斗君、髪洗って……」
身体は洗えたものの、髪までは一人で洗えなかったのだろう。少し困ったように茜がお願いしてくる。
「いいよ」
そう言って海斗は椅子から立ち上がると、座っている茜の後ろに立つ。
シャンプーを手に取り、優しく茜の髪を洗っていく。
茜はシャンプーが目に入らないように、ギュッと目を瞑っていた。
見守っていた先生がシャワーの温度を調節し海斗に渡す。
「茜ちゃん、お湯を掛けるからね」
そう言って髪に残ったシャンプーを洗い流す。
「はい、綺麗になったよ」
満足いく出来栄えだったのか、海斗はニコニコと茜に伝えた。
「……ありがとう」
「そろそろお風呂に入れるみたいだよ」
そう言って二人は浴槽へ入っていく。海斗達と同様に先程まで入れていなかった子供たちが入浴しており、意外と浴槽内は混雑していた。必然的に二人は肩を触れ合わせながら、のんびりと入浴を済ませるのだった。
入浴を済ませると、パジャマに着替え教室に戻る。
寝る場所は決まっておらず、各々が好きな場所に布団を敷きそこで寝る。海斗の布団も入浴している間に茜の教室に準備されていた。
「一緒に寝てくれる?」
いつもとは違うクラスのため茜の隣で寝られればいいなと考えていたが、茜が海斗の袖を掴み上目遣いで訊いてきた。
「もちろん!僕も茜ちゃんと一緒が良い」
海斗は単純に知らない子の横で寝るのが嫌だなと思って言ったのだが、その言葉をどう受け取ったのか、茜は少し顔を赤くして照れてしまった。
布団を敷いて二人並んで横になれば、あっという間に睡魔が襲ってくる。いつもと違う環境というのは思った以上にストレスだったのかもしれない。
しばらくして先生が様子を見に来れば、二人仲良く手を繋いで眠っていたのだった。
翌日、起床、朝食と済ませるとあっという間に帰宅の時間が近づく。
「みんな、お父さんお母さんと一日離れてたけど、自分のことは自分で出来て偉かったね!お父さんお母さんがお迎えに来てるから、お泊りのことを色々聞かせてあげてね!」
「「はーい!」」
園児たちは迎えに来た家族の元へ駆け寄る。自慢げに話し出す子、安心から泣き出す子、その様子は様々だった。
しかし、海斗の手を茜が握ってしまったため、海斗は母親の元へ行けず少々困ってしまう。
無理に剥がすわけにはいかないと考えていると、母親の方から近づいてきた。
「海斗、帰るわよ?」
「茜、どうしたの?」
そこには二人の女性が立っており、手を繋いでいる二人を微笑ましく見つめるのだった。
「「お母さん!」」
流石にここまで近づいてくると、海斗も茜も母親に抱きつくようにして甘えた。
「茜、お友達出来たの?」
茜の母親はかがんで茜の視線に合わせると、優しくそう問いかけた。
「うん!海斗君!」
「そう、良かったわね」
そう言って微笑むと立ち上り
「初めまして、氷室茜の母です。息子さんには仲良くして頂きありがとうございました。最近引っ越してきたせいか、なかなか幼稚園に馴染めてなかったみたいなんですが安心しました」
そう言って深々と頭を下げた。
海斗の母も社交辞令の様に、いえいえ……、と言いながら会話を続けた。
「最近引っ越してきた氷室さん……、確か同じ町内にそんな家があったような」
買い物などで歩いているときに、真新しい家にそんな表札が掛かっていたのを記憶していた。
その場で情報交換をすると、その氷室であっていたらしく、ご近所さんであることが判明した。
二人とも車で迎えに来ていたため一緒に帰ることは叶わなかったが、茜の希望で帰宅後に母親とともに氷室家へお邪魔することになり家族ぐるみの交流が始まるのだった。
「茜、さっきのこと気にしてるのか?」
「別に気にしてないわ。ただ、ちょっと昔のことを思い出しただけよ」
優希の言葉に乗っかった結果、一時的にだが茜が口をきいてくれなくなってしまう。
嫌だったからという感じではなかったが、流石に海斗も気になってしまい、つい言葉に出して訊いてみた。
「何で今なんだ?」
「言ったところで海斗は覚えていないだろうから教えない」
「成績優秀者をなめるなよ!」
ドヤ顔でそんなことを言ってくる海斗がおかしくて、茜もついつい笑ってしまう。
「ふふっ、そういうことじゃないわ。だけどそうね、気が向いたら教えてあげなくもないわ」
「なんだそりゃ」
海斗も釣られたように笑い、そのまま二人並んで帰るのだった。
幼馴染っていいよね




