悪趣味な女の3
「青春、ってすごく良いものだと思いませんか? 今しかできない若い熱情、仲間たちと繋がっている絆、一体感、どこまでも爽やかな夏の風が吹き去るような一瞬のときめき、そんな一瞬を感じられたら、きっとすごくいつまでも思い出になると思うんですよね」
戸津宣はライトノベル片手に熱弁をしている。見た目はごく普通の女の子、と言った風体で私達と同じ学生服を着ているが、根っこからのオタクであるというのは話に聞いた通りであった。
「な、面白いだろ!」
彼女のことを教えてくれた篠田楓子は、普段通りと言ったところか、ギャハハと笑いながら何が楽しいのか私の背中を大いに叩く。私は別に変人を求めているわけではないのだが……。
ストーカー趣味と言われて久しいが、私日角まといは結局篠田と二人になっては悪友よろしく悪事を働いては教師から注意されるような生活を送っていた。
そして、私のストーカー趣味のせいで篠田からは変わった人間を紹介されるようになったのである。一つの習慣のようなもので、その標的が今回戸津だったというわけだ。
「お話はかねがね伺っていますよ。悪友、悪事する友達、素敵じゃないですか、青春じゃないですか。私もそういうのやってみたかったんです」
「戸津さん、私達別にそういう関係じゃないので」
自分としても、だいぶ素っ気なく返したつもりだ。なんと言っても、私は直接当人にかかわるのは良しとしない。ストーカーというだけあって遠くから見守って、観察するのが楽しいのだ。別に会話できる友達が欲しいわけではない。
篠田は特例というか稀有な例だった。そもそも学校の奴をストーキングするという私を気に入って逆にストーキングしてくるくらい親しくしてくるから仕方なしに付き合っていたのだから。そんな私達の関係を羨んで仲良くなりたい、というこの戸津も大概稀有な特例であるのかもしれないが。
「ぐ、ぐ、まあ聞いてみろよまとい、こいつイカれてるから」
笑いをこらえて変な呻き声を出しながら楽しそうな篠田に言われて、多少辟易しながら私は聞いてみた。
「……それで、単刀直入に何?」
「男子風呂、覗きましょう」
なるほど、彼女は大概にイカれているのであった。
―――――――――――
「私青春って――恋愛じゃないと思うんです。いえもちろん恋愛も凄い素敵だと思いますよ? でも女子の身からして恋愛するって絶対に少女漫画チックなイメージじゃないですか。憧れのあの人に的な。あんまりこう……青春! って感じじゃないですか。青春って少年漫画って感じしません? 童心に帰って少年みたいなことしたくないですか? 幼稚園の時の男女入り混じって遊んでいるくらいの時が良いと思うんですよね、元は男子も女子も同じですし。だから私としてはもっと男らしいことをするような友情が良いんですよね。その点でやっぱりお二人の行動って結構ワイルドだから真似してみたいな、なんて思って。で私がチョイスしたのが風呂覗きですよね。性欲に合わせてなんて現実じゃ悪いことですけど、それは逆に女子が男子のを覗くわけですからまだ可愛いイタズラで済むかな、みたいな保身のことも考えてですよ。一緒にお風呂覗いて反省文を書く……ってすごい青春青春したことじゃないですか? 絶対に一生の思い出になりますよ。そんな経験を共にしたら私達は永遠の友情に結ばれる関係になると思うんです。だから放してください日角さん」
まさか、まさかと思っていたが、修学旅行の和風な旅館でやりやがった。彼女は、戸津はやりやがった。
「でも正直、来てくれただけで嬉しいです。本当はちょっと覗きたかったとか?」
「本当に黙って。っていうか、もう逃げ出したい」
旅館の廊下、男と女の暖簾がある別れ道、青い暖簾の手前で私は後ろから戸津を抱きしめている。彼女が減らず口を叩きながら動こうとするのを私は必死に踏ん張っていた。なんでこんな冷や汗をかきながら風流な旅館の窓の外の庭を見ているのか。湿った石の立ち並ぶ潤った庭の雰囲気を、味わっているのか。ただの現実逃避である。
今時間は、私達が風呂に入る時間で、かつ私達のクラスの男子が風呂に入っている時間。お風呂に入らずふらっと抜け出したこいつを心配して来てみれば案の定、というわけで私も怪しまれながら抜け出てきた次第である。
今、こうしているだけで遅れてきた他のクラスメイトの男子がふらっと来たり、早くに風呂を出た男子がここに来るだけで私達は怪しまれる。そうでなくても、旅館の人に見られてもアウトっぽい。
ただでさえ私の悪癖は学校中に知られているのだ。これ以上問題を起こすとヤバいくらいは分かっている。
「日角さん、私、一皮剥けたいんです。ラノベばっか読んでアニメばっか見てこういうの面白いなってなっても現実友達の少ない状況に非常に寂しさを覚えることもあるんです。正直今こうやって熱烈に悪行を止めてもらっているだけで、ああ青春だなぁって感じるくらいには嬉しいんですよ」
「だったらもうやめて……」
「いえ、いえ、求めてしまいます。もっと、を求めてしまいます。……一緒に怒られてください」
「いや、ほんと、勘弁して」
オタクのくせに、どこにこんなパワーが……!
羽交い絞めにした私を振り解いて、男子風呂に向かう廊下を駆けだす戸津!!
止めるか!? 止めないか!? 今、逆に全力で逃げれば私だけは逃れられるかもしれない、怒られずに済むかもしれない。
仮に戸津が叱られた時に私の名前を出しても知らぬ存ぜぬを押し通せばいい、そう思ったけれど、その時にそれは思いつかなかった。
こんな必死な状況、ただ目の前の非行を止めようとする私の善の心だけが働いたのであった。
後に戸津は語る。
『十メートルもない男子風呂までの廊下、二人で全力で追いかけっこしたこの数秒、永遠にも思える時間で、久々に全力疾走なんてして、本当に青春って感じがしました。あの瞬間、私はきっと捕まっても捕まらなくても良かったと思います。ありがとう、日角さん、いいえ、まとい』
知ったこっちゃなかった。というかそう言うのなら捕まってくれれば良かったのに現実はそうじゃなかった。オタクにあるまじき脚力で駆け抜けた戸津は、無事更衣室の扉を開き、全裸でいる男子たちの間を真っすぐ歩きぬけて、堂々と浴場の戸を開いたのであった。
それを私は、半ば頭が真っ白になりながら、なんとか戸津の手だけを掴んだ。浴場で。
男、全裸、下半身、異物、男男男……。
「と、づ、……戻ろう……」
「……勝負して勝つ、そして目的を果たす。……男の体なんてなんの興味もなかったんですけど、今は不思議な充足感に満ち満ちています。なんでしょうね、これは。実感として青春を得られるなんて思っていなかったですけど、私、今、凄い興奮しています……!」
戸津も心ここにあらずと言った状態だった。
私達は恥ずかしがって股間を隠し、驚いて動けない男子たちの間を戻って、女子風呂になんとか戻ろうとしたのであった。
そうはならなかったが。
とても、とても怒られたので。
篠田のやつはのんびり風呂に入っていたらしいが、私と戸津はしっかり反省文を書かされる羽目になったのであった。
ただ戸津の計算通りというべきか、それは奇跡的に反省文だけで済んだ。時代、というか普通に警察沙汰になってもおかしくないし絶対に許されない行為だと思うけれど、その点一応私は止めようとしたけど普段からストーカー趣味があるというので怒られたらしかった。(戸津は親にまで連絡されたらしいが、私はそうじゃなかったため、そう判断した)。
戸津と一緒に怖い生活指導の中年教師に、散々怒られて挙句泣き出した戸津に同情するような言葉までかけられて惨めったらしいたらありゃしない状況にまでなったが、原稿用紙二枚分の反省文を書いて私達は解放された。泣くほど辛いならやめればよかったのに、と思うけど、黙って私は反省文を書いた。
散々、だったと思うけれど、良いことはあった。
泣き過ぎて放心状態な戸津はもう知らないけれど、お風呂に入る時間が大幅に遅れた私達は別クラスの入浴時間に混じって大浴場でお風呂に入ることになったのだ。
そこにいたのが、河部時雨だった。
「あれ、なんで今ここにいるの?」
河部時雨、『雨の中、合羽も着ずに自転車で走り回る』のが趣味の奇妙な女子。
私を見つけるや否や、隣に来て、その高い肩を私の頬に寄せる。意外と距離感が近い系の人らしい。
大浴場なんて、全くもってよくあるもので、多くの女子が髪と体だけ洗って出て行ったり、のんびり友達同士で喋っているようなゆるい人間の空間。
今の河部は、別に普通の人間だ。ただ背が高い分、体が大きく湯舟から出て見えて、蒸気でややかすむ中、私に笑顔を向けていた。
「えっと、悪いことしてめちゃくちゃ怒られて、遅れて」
「ははっ、またストーキング? 変なことしちゃダメって言ったのに」
言いながら彼女はからから明るく笑う。私を責めることなく楽しげで気さくに話してくれる。
私はどうも彼女のことが苦手……いや、特別視していた。陽光に水滴を煌めかせる爽やかさの権化のような姿は、あの日から私の脳裏に焼き付いて離れない。
「……いや、あの、私は止めようとしただけで、私じゃなくて」
「あ、あっちの子を止めようとしただけなんだ。良い子じゃん。おーよしよし」
彼女がふざけて頭を撫でるのを、私はただ甘んじて受けた。どうにも気恥ずかしいが、それがどうしようもなく嬉しくて。
「……あ、う、ぐ……」
そんな要領を得ない返事をしていると、もうのぼせてしまいそうになってすぐに風呂を出る。
「さよなら!」
私はただ逃げ去るように……、いや逃げた。その場を逃げ出した。
惨めに惨めが重なったような時間のようで、その瞬間の私は間違いなく幸福だった。それはいい思い出だった。いつも遠くから傍目で見守る河部と接触を得た数少なな機会に非常に満足して、胸をときめかせていた。
それが恋だと知るのは遅くなかった。
二年の秋のことであった。
百合が何かよくわからなくなっているのでしばらく作品のタイトルやらタグに百合って書かないと思いますね。