幼女
外からは商店街のざわめきが聞こえてくる。俺は何とはなしに聞き耳を立てた。高レベルシーフの俺には、普通の人間には聞こえないような会話の内容まで聞こえてくる。
若い女性がリンゴを買う声。お釣りをうけとる音。コーヒーを淹れる音。占いのぜいちくの音。様々だ。
だが、その中に気になる会話があった。
声の響き方で狭い通路の途中だとわかる。
「ようよう、おじょうちゃん、おれにかたぶつけといて、むしすんのかよぉ」
「ドモ、スミマセン」
頭の悪そうな大柄の男性と、十三歳くらいの少女の会話だ。少女の方は片言の異邦人だ。
「すみませんで、すむかよ! もっとべつのあやまりかたがあるだろぉ」
「ゴメンナサイ」
「いや、くちであやまるんじゃなくて、もっとべつのだよぉ」
「ワタシ、オカネ、コレダケ」
「おう、じぶんからすすんでおかねをだすんじゃしかたない、うけとってやるよぉ」
数枚の硬貨が渡される音がする。
「おう、ありがとうよ。でもちょっとたりねえな。こっちでもはらってもらわないとなぁっ」
「ア、イ、イヤッ」
布を切り裂く音がする。
おっと、そこからは犯罪だ。
俺は窓から飛び降りると、現場に向かった。全力で走っては素性がばれてしまうので、もどかしいながらも一倍速で走った。その間も会話は続いていた。
「ダメデス。オカネ、ワタシタノニ。モウヤメテ……」
「ひっひっひ。こっちのおくちは、もっとしてほしいです、っていってるぜぇ?」
粘液をもてあそんでいる音がする。
ぴちゃ、くちゅ……。
俺は、やっと現場に到着した。路地裏の行き止まりで二メートル超の大男が百三十センチの少女に何かをいたしている。
「おいこら待て! すぐにその子から離れろ!」
思わずタンカを切ってしまった。俺はなんて馬鹿なんだ。今バックスタブを使わずしていつ使うというのか。
大男はゆっくりと振り返る。
「なんだあおい、じゃましてんじゃねえよぉ」
やばいですよ。ちょっと強そうじゃないですか。俺のシーフの本能が『ハイド』しろと告げている。だが俺はシーフと言えど千六百万レベルだ。大男の一人や二人大丈夫だ。
俺はダガーを取り出そうとした。しかし、あるべきダガーが無い。宿でベッドに乗った時にさやごと床に投げ出したのを思い出した。
俺には山賊五人を追い払った実績がある。パンチだけでもなんとかなるかな? 俺はゆっくりと大男の方に歩いて行く。
大男も俺の方に歩いてきた。もう引き下がれない。俺は全力で走り、こぶしを振りかぶった。
一方、大男はガードの体制をとる。
俺の三倍速プラス全体重を乗せた渾身のパンチが大男をガードの上からふきとば……さなかった! 大男は体勢を崩しただけで全くダメージを受けていなかった。どういうことだ。
次は大男のターン。俺は大男のパンチを楽々とかわした。相手の動きは見切れる。しかし俺は相手にダメージを与えられない。これはもう、シーフの本能に従って『ハイド』を使うしかない。
俺は走って通りに戻り、直角に曲がるとすぐに『クライムウオール』で壁をのぼった。そこはレンガ造りの二階建ての人家だ。レンガはとても上りやすい。二秒で屋上まで登り切った。そこで気配を消し、様子を見守る。
大男は通りに出て俺の曲がった方向を見たが俺を見つけることはできない。三百六十度見回した後、結局俺の曲がった方へ走っていった。
俺は大男の行く先を見守った。大男はどこまでもどこまでも走って行く。あっという間に姿が見えなくなった。俺は男が戻ってこない事を十秒ほど確認してから飛び降りた。
いじめられていた少女を見ると、ボロけて灰色になったワンピースの前面を完全に引き裂かれ下着もはぎとられていた。ほとんど全裸でおびえている。
少女は結構可愛い。金髪ロングで引き込まれるような碧眼を持っている。
俺は少女を見ないようにしながら自分のマントを少女に巻きつけた。
俺はしゃがんで少女と視線を合わせる。
「大丈夫?」
少女はこくこくとうなずいた。
「家まで送るよ」
少女は首を横にふった。
「ワタシ、イエ、ナイ」
やはり片言だ。ここの出身じゃないんだろう。旅の途中かな?
「ご両親はどこにいるんだい」
「パパ、イナイ。ママ、イナクナタ」
驚いた。ストリートチルドレンなのか?
「どうやって生活してるんだ?」
「オカネモラウ、ミルク、ノム」
ちょっと意味が分からないんですが。
それはそれとして、いつまでもここにいるのはまずい。あの大男が帰ってきたら対抗する手段がない。
「俺の宿まで来なよ。それで、ちょっとおはなししよう」
少女は再びこくこくとうなづく。
「じゃあ、俺についてきて……」
俺は帰ろうとして路地に出ようとした。しかし、少女は俺の腰にタックルしてきた。
「ミルク、ノム」
「いや俺牛乳は持っていないから」
俺は少女を引きはがそうとして少女の両手首をつかんだ。しかしこれが結構な力持ちで、うまく引きはがすことができない。
仕方ないので、髪の毛をつかんで無理やりはがした。
「イタタ……」
「ミルクは後であげるから、今は俺の言うこときいてくれ」
「ミルク、ノメル!」
少女は「ふんす」と鼻息を荒げると、嬉しそうに両手をぎゅっと握った。
「とにかく俺についてきてくれ」
少女は俺のシャツの背中をチョンとつまんだ。
俺が歩くと少女もついてくる。顔もかわいいが、しぐさもかわいい。まるで子猫のようだ。
俺は宿屋への道を急いだ。