S2 道行きの親切心
<旅立ちの浜辺>から島と島の間を縫うように延びた一本の海岸線。その海岸線の先に旅人達が目指す離島がある。ティムネイル諸島に属するこの名も無い島の通称はイルカ島。その名の通り、まるで水面で躍るイルカの背のように反った形状が由来である。緑に溢れたこの島は、温暖な気候が乗じて鳥獣達の楽園であり、獰猛なモンスターは存在せず、低レベルなモンスターしか存在しない事から狩りの基本を学ぶには最適であった。そして、旅人がこの島を目指すにはもう一つ大きな理由がある。
全長二百メートルにも満たないこの小さな島の南部には、緑に囲まれた小さな村がある。おそらくは冒険者達が始めに訪れる事になるであろう<エルム>の村である。冒険者達はここで、この世界のルールを知り、世界へ旅立って行く事になる。
<旅立ちの浜辺>からパピィがここ<エルム>の村へ到達するまで、その行程は驚くほど円滑なものであった。実質、<旅立ちの浜辺>から向う陸路はこの離島へ到達するための一本の海岸線しか存在しない。その事実に気づいてかパピィは迷う事なくこの陸路を突き進み目的の島へと辿り着いたのだった。
島と島とを繋ぐように伸びた真白な砂浜はいつの間にか砂利へとその姿を変える。海が近いせいか、頭上では真っ白な翼に黒の斑点を持った鳥々が飛び交い、囀りを上げていたがパピィにとっては興味の外の話だった。そんな鳥々を仰ぎながら島の海岸についたパピィを迎え入れたのは反り立つように迫る十メートル程の崖。絶壁とまでは言わずとも、その剥き出しのうねった地脈は圧倒的な自然の力によって生まれた一つの芸術である。そしてその崖にぽっかりと口を開けた洞窟。島の中心部に向かって伸びたその洞窟は明らかに人為的な手の加わった通路であった。
砂利の敷かれたその通路を、側壁に取り付けられた淡いランプの光に導かれながら洞窟を抜けると、そこに広がる光景にパピィは思わず声を上げる。
「おっ……村発見」
今パピィの視界はのどかな村の景色に包まれていた。
花と木々に包まれた、まさに自然と一体化したその村には、藁でできた円錐型の大小無数のテントが点在していた。そんな中でも一際目を引いたのが、視界奥に映った一際大きな藁葺きの小屋だった。
こんな美しい自然に囲まれる事は現実では無い。アスファルトとコンクリートに固められた世界では味わう事の出来ない至高の喜びが今ここにある。ただ純粋にその感動に浸っていたのか、パピィは洞窟前の入り口で立ち止まるとその村の風景を前に立ち止まっていた。そんな姿が滑稽に映ったのだろうか。村から洞窟の外へと向う通行人の中年の男が、そんなパピィに微笑を携えて近づいてきた。
「お嬢ちゃん、この世界は初めてかい?」
唐突に掛けられた言葉に微動だにしない少女。そんなパピィの様子を微笑えましくその冒険者は見守っていた。
「緊張してるのかい? いや、初めは皆そうだよ。何かわからない事はあるかい? 私で良ければいくらでも相談に乗るよ」
その言葉にあどけない瞳で中年のその冒険者を見つめるパピィ。
冒険者に疚しい心は無い。それは純粋にこの世界を訪れた新たな旅人にこの世界を享受してもらおうと、親切心からの声掛けだった。
その男に向かって今ゆっくりとパピィはその小さな左手を差し出す。パピィのその唐突な行動に男が握手を求められたのかと、自らも手を差し出そうとしたその時だった。
「じゃあ、お金下さい」
「え、な……え? お、お金?」」
動揺する男を前に真正面から真剣な瞳で頷くパピィ。
「いや……え、お金かい? いや、それは困ったな。お金はおじさんもあんまり……」
その言葉に潤んだ瞳を返すパピィ。
「ひどい、いたいけな少女を騙すなんて。いくらでも相談に乗るよって言ったのに、うう」
「ごめん、いやあげる。あげるから泣かないで」
それを見て慌てて男は空中に手を掲げて何やら呪文のような言葉を唱える。
「Book Open!」
男の差し出した右手の前に閃光が迸ると、同時に僅かに煙のようなエフェクトが噴出し、そこに銀色の輝きを帯びた大きな本が現れる。ふわふわと男の前で空中に浮かぶその本を見つめながらパピィは自らもまたすっと手を前に差し出し、見様見真似で男の言葉をなぞる。
「Book Open」
するとパピィが差し出した手の平の先から閃光が輝き、そこに立ち昇った僅かな煙の中から銀色の本が現れた。まるでパピィに寄り添うかのように、空中に漂うその本をパピィは不思議そうに見つめながら手に取る。
「それはね、パーソナルブックと言うんだ。この世界ではPBなんて略されて呼ばれているけどね。これを使う事で冒険者達は互いに離れたところで会話をしたりメールをしたり情報交換をする事ができるんだよ。その他にも様々な特典が」
その言葉を聞き流しながらパーソナルブック、通称PBと呼ばれたその本を開くと少女は中の内容を確認する。手に取った本を開くと、中にはまるでパソコンのデスクトップ画面のような映像が映し出されていた。驚いたのはそれだけではない。本を開くと同時にページからキーボードが飛び出してきた。
「驚いたかい? まぁ携帯用パソコンのようなものだと考えてくれれば分かりやすいかな。お嬢ちゃんパソコンをいじった事はあるかい?」
男の言葉を聞いての事かパピィは画面に映し出されたデスクトップを見つめふんふんと頷きながらその手をキーボードに走らせ始める。
画面に浮かぶは三つのアイコン。それは左上から順に『Mail』『Messenger』『My Status』の三種だった。
キーボードを巧みに操りその内容を確認して行くパピィの前で、男はその少女のあまりの手捌きに動揺しながら口を開いた。
「ちなみに、ClickMarker Onというボイスコマンドでペンマーカーが現れるよ。使い方は簡単、ペン先でコツと一回叩けばマウスでいう左クリック。コツコツと二回叩けば、ダブルクリック。あとはペンの後ろについてるボタンを押せば右クリックと同じ効果なんだ」
「ほう」
男の親切な説明を「ほう」の一言であしらった少女は、丁度デスクトップ画面から『My Status』を開くところだった。
マイステータスを開くと同時に画面に立ち上がるウィンドウ。
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〆Status of Puppy
Lv 1
Exp -------- 0/100
HP --------- 100/100
SP --------- 10/10
Atk -------- 10(+3)
Def -------- 10(+5)
M.Atk ------ 10
M.Def ------ 10
Speed ------ 10
〆Now out of Party
〆Equipment
weapon ------ Bronze Knife
Head -------- None
Body -------- Traveler's clothes
Leg --------- Traveler's pair of trousers
Foot -------- Traveler's shoes
Accessories -- None
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その内容は英語で記されていた。その内容の隅々に目を通しているパピィに向かって男が再び口を開く。
「ウィンドウの右上に出てる和訳で日本語に変換できるよ。じゃないとお嬢ちゃんには難しいよね。あ、重要な事を忘れていたよ。こういった基本的な事項については村のギルドで教習を開いているから。この後行ってみるといいよ。ギルドはほら、あの村の奥に見える一番大きな藁葺きの小屋だよ」
その言葉を聞いているのか、ステータス画面に目を通したパピィは『Mail』『Messenger』を立ち上げその機能を確認する。
それは時間にして僅か十数分の出来事だった。
「ふぅん、メールとメッセンジャーの使い方は現実と一緒なのかぁ」
「うん? そうだね、その二つは現実とそう変わりはないよ。それにしてもお嬢ちゃん飲み込みが早いね」
中年男はそう呟くとパピィの視線に自らが何故PBを開いたのかを認識する。
「あ、そうだった。お金だったね。ごめんよ。幾らくらい必要かな……?」
そう呟きながら男がキーボードに手を添わせ打ち込み始めて数分後、パピィのPBの画面に変化が現れた。
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Rozefからトレードが申し込まれました
【Rozef】
●200ELK
【Puppy】
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▼受諾する
▼拒否する
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PBに浮き上がる金額数値は200ELK。その金額が高いのか低いのかも少女には分からない。少女の手が今キーボードに伸ばされボタンをクリックする。
その返答に男は目を丸くして少女を見つめる。少女は男が提示したトレードを断ってきたのだ。
「ん……どうして? あ、間違えて拒否しちゃったのか。もう一度送るよ」
男が気を遣い再び送信を行おうとしたその時だった。
「この無礼者ーー!!」
突然のパピィの咆哮に硬直する男。
「ど、どうしたんだい……200ELKじゃ少なかったかな?」
「このパピィ様を侮辱するかー! お金なんて誰が受け取ると言ったぁー!!」
小さな顔で目一杯怒りの表情を浮かべて激昂するパピィを前に当惑する男。
「え……いや、さっき。お金下さいって……え?」
「まぁ、いいや。PBの使い方分かったし。おじさん役に立ってくれてありがとう。それじゃーねーメタボのおじさん」
親切なその男に笑顔を取り戻した少女はペコリと一礼すると去って行く。残された男はただ呆然と少女の後姿を見送る。
別に気取っているわけでも何でもない。それはMMORPGでは時折見られる不思議な人間模様の一幕だった。
▼次回更新予定日:11/26▼