目の見えない金持ち婦人の家に入った泥棒
それは真っ暗な新月の晩だった。
強い風が窓ガラスをガタガタと揺らしていた。
黒いジャケットに黒いズボンをはいた男が、郊外の一軒家の近くまで来た。
黒い帽子を目深に被った男は、キョロキョロと辺りを見回して、誰も見ていないことを確認すると、ひょいっと垣根の間から家の敷地へと身を滑り込ませた。
男は、ぴったりと閉められているドアの鍵の辺りに、細い針金のようなものを滑り込ませると、あっという間に鍵を開けて、家の中に忍び込んだ。
その家は、目の見えない未亡人が、一人で住んでいる家だった。
男は慣れた様子で金庫のある部屋に向かった。
部屋には未亡人の飼っている猫がいたが、猫は男に気づいて片目を開けてチラっと見たものの、また目をつぶって眠ってしまった。
「ふー 猫は犬と違って吠えないから助かったぜ」
男は、帽子を取ると、冷や汗で濡れた額をぬぐった。
すぐに大きな金庫の前にしゃがむと、聴診器のようなものを金庫に当てて、ダイヤルを回し始めた。
カチッ カチッ カチッと3回音がした。
「この家の夫人は不用心だな。鍵がかかっていなかったぞ」と、心の中で呟きながら、男は金庫の扉を開けようとした。
しかし、何かが引っかかって開かない。
男は仕方なく金庫を調べ始めた。
すると、部屋のドアが開き、ガウン姿の夫人が部屋に入ってきた。
盗みの下調べで60代の盲目の女性の一人暮らしと分かっているが、60代には見えず50そこそこに見える。
「金庫を開けてくださるの?」と、にこやかな様子。
男は驚いて、持っていた短剣を取り出した。
しかし盲目の夫人は、目が見えないせいで短剣には気が付かないのか、ニコニコしている。
「その金庫、壊れてしまって開かないんですの。日ごろは使っていないので、気が付かなかったのだけれど、もしかしたら長いこと壊れていたのかもしれないわ」
夫人はそこでため息をついた。
「でもね、近日中に、どうしても中にあるダイヤの指輪を取り出す必要があって困っていたの。もし開けてくださるならば、ダイヤの指輪以外は差し上げますよ」と言うと、近くのソファに腰をおろした。
男は夫人の落ち着き払った姿に、しばし言葉を失くしていた。
我に返るとナイフをしまって夫人に向かって話し出した。
「お前さん、目が見えないとは言え、夜中に金庫を開けているやつを怖いと思わないのか」
「ええ。私、目が見えなくなるのと引き換えに、人を見る目がつきましたの」と微笑んだ。
「それは、どうかな。俺は金庫破りだぞ」少し脅すように男は言った。
夫人は、それにひるむ様子もなく、「そうね。金庫破りじゃないと、この金庫は開けられないでしょうからね。本当に助かるわ」と、まるで古い友人と冗談を言うように男に言った。
「ハハハハハ おかしな人だな。分かった。とりあえずやってみるよ」
男は、いつの間にか夫人に対する警戒心をすっかり解いていた。
「その前に、お茶でもいかが? どんなお茶が好きかしら?」
男は、つられて「紅茶ならなんでも…」と、答える。
夫人はニッコリ微笑むと、部屋に入ってきたのと同じように、音もなくスーッと部屋から出ていった。
男は、この隙に夫人が誰かに助けを求めることも頭をよぎったが、それでも夫人を信じたいという気持ちが湧いてきた。
「不思議な人だな…」と、小さく独り言を言いながら、男は金庫の仕事にとりかかった。
数分して、ちょうど夫人がお茶を持って部屋に戻るのと同時に、金庫が開いた。
ギギギィと音がして、大きな扉が開いた。
「開いたぞ」と、男は大きな声で嬉しそうに言った。
金庫の中には、宝石箱と現金が入っていた。
男は、宝石箱を夫人の前に置いた。
「ありがとうございます」
夫人は男に頭を下げると、中から小さなダイヤの指輪を取り出した。
宝石箱の中には、もっと大きいダイヤの首飾りや、エメラルドやルビー等、夫人の取り出した指輪よりも価値がありそうな宝石が沢山あった。
夫人は、宝石箱の蓋をしめると、男の方へ「どうぞ」と言って手渡した。
男は、一瞬手を伸ばして受け取りかけた。
「いやいや、いらねえよ」と、言いながらドカッとティーカップが置かれた夫人の前のソファに腰をおろした。
夫人は、フフフと笑った。
「あなたのような鍵開け職人さんがいると、皆が助かるわね。どう、お店を持ったらいいんじゃないかしら」
「店だ?」男は驚いて大きな声を出してしまった。
「そうよ。あなたのような人は二人といないわ。その技を求めている人が沢山いるはずよ」
夫人は男のもお茶をすすめると、自分もティーカップに口を付けた。
「そのための資金が必要でしょう? これを資金に使ってちょうだい」
夫人は宝石箱を男の前に置いた。
男は宝石箱をじっと見つめ、しばし沈黙していたが、ゆっくりと話し始めた。
「俺は、金なら…あるんだ。これでも昔は堅気の仕事をしていたんだ」
男は、ふと顔をあげた。
ニコニコと微笑んで聞いている夫人の笑顔に促されるように、身の上話を始めた。
「町の修理屋に就職して、ちょっとした壊れた機械や道具を直していた。生まれつき器用だった俺は、修理も上手かった」
男は、そこで、しばし口をつぐんだ。
「ある時、壊れた金庫を開けてくれという依頼があった。店の主人は、金庫を開けるのは無理だと断ったが、相手のたっての頼みで、やれるだけやってみるということになったんだ。それで、俺がお客の家に行って、やってみることになったんだ。金庫を開けようとして、ちょっといじっていたら開いたんだ」
男は、少し誇らしそうに笑った。
しかし、すぐに悲しそうな顔をすると、続きを話し始めた。
「その時は、お客も凄く喜んでくれて、よかったんだが、それから2,3日して、店の近所で金庫破りが出たんだ。警察が犯人を捜したが、みつからない。すると、金庫を開けてやったお客が、俺が犯人なんじゃないかって言いだしたんだ」
男は手を膝の上でギュッとにぎりしめた。
「周りの人は、最初は俺が犯人だってことに反対していたけど、頼まれて別の家の開かない鍵を開けたのを知って、疑い始めたんだ」
聞いている夫人は、今にも泣きそうな悲しそうな顔をしていた。
「警察にも尋問された。結局、当たり前だが、俺が犯人だって証拠もなかったので、俺は犯人にでっちあげられることはなかった。しかし、町の人は……」
男は、言葉を詰まらせた。
音もなく近寄ってきた夫人は、男の背中を優しくなでた。
ぼとり、ぽとりと男の目から涙が落ちて、黒いズボンに染みをつくった。
「俺を信じている人もいたが、大半は俺が犯人だと思っていた。俺は…町の奴らが俺を見る目に耐えられなくて、結局仕事をやめた。そして、町の奴らの期待に応えるように、金庫泥棒になったのさ」
「そう… それは辛かったでしょうね」と言いながら、夫人は男の背をさすっていた。
男は、こぶしで涙をぬぐうと顔をあげた。
「それでも、凄いお金持ちの家から、困らない程度の金額をかすめ取って、また金庫を閉めておいたから、今まで一度も捕まらなかったがね」と、言うと、ちょっとおどけた顔をしてみせた。
「つまらねえ話をしちまったな」と言うと、帽子をとって頭をかいた。
静かに席に戻った夫人は、無言で顔を横に振った。
「でも、あなたの力が必要な人は、いっぱいいるわ。私も助かったようにね」
そういうと、夫人は金庫の中から札束を取り出して、「これは謝礼です」と渡した。
男は札束の中から1枚抜き取ると、残りを夫人の前に置いた。
「ありがとよ。俺は、あれからずーっと後悔してきた。堅気をやめたことじゃない。信じてくれた友がいたのに、裏切って泥棒稼業に手を染めたことだ。後ろめたいことなんて、なかったんだから、堂々としていれば、よかったんだ」
また、男の目から涙があふれ出た。
「それなら、いっそのこと、今回は私の信頼に応えて店を開いてください。私が信頼するように、あなたも私の言葉と、そして、自分自身を信じてください」
男は驚いた。自分自身だって?
そうか、あの時俺は、自分を信じていなかったのだ。
友達が、いつまでも信頼してくれるような人間であり続ける自信がなかったんだ。
だから、友人もいつか、俺を疑った人たちの仲間になるんじゃないかって思ってしまったんだ。
男は、ブルブルと震えた。
じっと夫人の目を見ると、「分かった。やってみる…」と声を絞り出した。
夫人は、その言葉を聞いて、ニッコリした。
いつの間にか東の空が白み始めていた。
夫人が入れてくれたお代りの紅茶を飲み干して、男は立ち上がった。
「本当に、いいのですか」と、夫人は宝石箱の蓋をもう一度開けた。
「それなら、あなたとの記念に、この一番小さな赤い指輪をもらってもいいですか」
男は小さなルビーのついている指輪を指さした。
夫人は、宝石箱からルビーの指輪を取り出し、男に渡した。
「しかし…、あなたは、まるで目が見えているようですね…」
「ふふふ… 皆さんそうおっしゃいますの。でも、本当に肉体の目は、見えないんです。でも、心の目は色々見せてくれるのですよ。形のあるものも、ないものも…」
男はお礼を言うと、来る時とは違って、玄関から外へ出た。
いつの間にか強かった風もおさまっていた。
曲がり角まで来ると、男は門の外まで送り出してくれた夫人を振り返り、手を合わせて深々とお辞儀をした。
そして、顔をあげると、くるりと振り返り、軽やかな足取りで去っていった。