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プロローグ

 とある国の、地図にも載らないとある場所、そこにひっそりと佇む、朽ち果てた教会

 教会かどうかも判断がつかないほど荒廃し、瓦礫が至る所に散らばるその中で、一か所だけ原型を留める鐘塔が、そこが教会であることを物語る。



『まことしやかに囁かれる噂話』

 そこは『絶望』を見たものだけが辿り着ける場所、そこへ行けばどんな願いでも叶うと言う。だがそれは、あくまで噂話。それを証明した者は誰一人としていない。



 プロローグ 喜劇王の祈り



 一人の男がいた。

 かつては「喜劇王」と呼ばれた男だ。だが、かつての栄光は見る影もなく、髪は伸びたまま、所々油で固まり白く変色している。身にまとう服も、もう何日も洗濯をしておらず、黒ずみ、不快な臭いを発している。

 数多の女性を魅了したその顔も、浅黒く、皺が刻まれ、髭に覆われ、その姿はまるで別人だ。


 男は祭壇の前に腰を下ろした。

 月が雲に隠れる夜だった。

 もうどれくらい歩いたのか、それすらも分からないほど、ボロボロになり、彷徨い続けて、やっとここまで辿り着いた。探し求めた安息の地。

 

 腰を下ろしてしばらくすると、月を覆っていた雲が晴れ、男の身体が、淡い月の光に照らされた。それはまるで、舞台の上でスポットライトを浴びるような、そんな懐かしい感覚だ。その感覚に、過去の栄華を思い出し、男は僅かに笑みを浮かべた。すると、男の身体に異変が起こった。なぜかは分からないが、疲れが癒えていくような、そんな不思議な感覚だった。そして理解した。あぁ、最期のときが迫っているのだと。だが、不思議と怖くはない。どちらかと言えば、心は穏やかだ。



「旅人よ、ここがどこか分かっておいでか?」


 その時、男の耳に、どこからともなく、女性の声が聞こえた。いよいよ天使の声まで聞こえるか。男はもう何十日も誰とも会話をすることなく、固く閉じたままだった口を開き、声の出し方も忘れてしまったような、掠れた声で一言だけ呟いた。


「……裁きの教会にわ


 しばらく沈黙があった。先ほどの穏やかな気持ちとは打って変わって、まるで品定めされているような、居心地の悪い感じだ。そして、声は言う。


「……あなたを資格のある者と認めます。さぁ、あなたの全てをなげうって祈りなさい……」


 凛として、優しい声だった。

 天使が本当にいるのだとしたら、こういう感じなのかも知れない。やっと自分は救われる。と、男は顔を僅かに綻ばせた。

 だが、困ったことに、男には何もない。神に捧げるに相応しいものなど、何も持っていないのだ。ただ一つ、かつて自分が使っていた仮面を除いて。


「……私にはもう何もありません。この仮面だけが私の全て……」


 男はそう言い、懐にしまっていた仮面を取り出し、よろよろと立ち上がると祭壇の上に置いた。何の変哲もない、どこにでもありそうな仮面。随分と使い古された仮面。

 だが、男にしてみればそれは自分の人生そのもの。苦楽を共にしてきたかけがえのない物なのだ。


「……あなたは何を願う?」

「……あいつを……、私の人生を踏みにじり、私から全てを奪ったあの男へ復讐を。何年もかかって築き上げた私の人生を滅茶苦茶に壊して嘲笑ったあの男を……どうか……」


 男は祈った。

 願うのはただ一つ。

 自分を陥れ、それだけでは足らずに家族まで奪った。そして在らぬ汚名を着せ、喜劇の世界から追放した。「喜劇王」と呼ばれた自分に成り代わり、かつて妻だった者と並び、自分を嘲笑うあの男に制裁を。


「あなたの願いは聞き届けられました。あなたに代わり、神が裁きを下しましょう……さぁ、愛しい子、ゆっくりとおやすみなさい……」


 鐘塔の鐘の音が聞こえた。鐘塔の一番上に設置されていたであろう鐘は、どこかへ行ってしまったのか、どこの誰かが売り払ってしまったのか、鐘そのものがない。そのないはずの鐘が鳴る。 

 男は涙を流しながら、最期の言葉を紡いだ。


「幕を、幕を下ろしてくれ、喜劇は終わった……」

 



 その翌日、一組の男女の遺体が発見された。男に成り代わり、「喜劇王」と呼ばれるようになった男と、その妻だった。

 鋭利なもので心臓を一突きにされた男女は、苦しみもがいた様な表情のまま死んでいた。

 容疑者は『かつての喜劇王』であると誰もが思った。だが、その男の遺体が発見され、検死の結果、二人の殺害よりも前に死んでいたという事実が判明し、物取りか、行きずりの犯行とされ、この殺人事件の捜査は打ち切りになった。




 教会の傍に作られた小さな墓。その前で一人の少女が祈りを捧げる。


「これで……よかったのかな……」


 それに対して美しい容姿をした女が吐き捨てるように言う。


「あんたは優しすぎるわ。こんなゴミ同然の仮面一つで請け負っちゃうんだから」

「だって……」

 

 少女を擁護するように、中年の男が言う。


「まぁ、いいんじゃねぇの? あの人にとっちゃぁ、金よりも価値のあるもんだ。そんな嫌味言ってやんなって。ガブ……なんだっけ?」

「ガブリエル。いい加減、覚えなさいよ」


 キーッといらつく女に対し、口を開いたのは、まだ年端もいかぬ少年だ。


「年寄りの言い争いって、見苦しいよね、バッカみたい」

「あんたね~~~~」


 それを収めるように、少女がまた口を開く。


「ま、まぁまぁ。とにかく、この件はこれでお終い。」





 とある国の、地図にも載らないとある場所、そこにひっそりと佇む、朽ち果てた教会

そこには、ラファエル、ミカエル、ガブリエル、ウリエルという4人の天使が住むと言う。


「裁きの教会にわ」の天使たちは、幸せをもたらす天使なのか、はたまた悪魔か、それを知る者は誰もいない。


 そして今日もまた、絶望を見たものが一人、この地に救いを求めて彷徨い歩く。

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