部活
阿田内は、教師になったものの、やらないといけないことがあった。
それは部活の顧問になることである。
この高校では、顧問は必ず何らかの部活の顧問を務めねばならない。
「わたしのところを見学されてはどうですか?」
と誘いをかけてきたのは、この高校の教師、荒井であった。
荒井は四十半ばの頭頂部が薄い男性である。
まだ学校の雰囲気にも馴染めない阿田内にはありがたいことで、早速、体育館にやってきた。
体育館では、バスケ部の姿とバレー部の姿がある。
練習風景としては、至ってまじめに感じられた。
ただ、阿田内が来てから、さり気なく配られる生徒たちの視線に、ピンとした空気の張りを肌身で感じる。
大歓迎ムードには無いようであったが、マシュマロより柔らかくて蕩けそうな笑顔でもって受けると、視線を合わせてもくれなくなった。
ぐっと手を握りしめ、挫けるな自分、と持ち直す阿田内。
荒井を探す。
荒井は女子バレー部の顧問である。
男子も存在するが、別の顧問がいて、別の体育館がある。
荒井は、ステージの上に座っていて、阿田内と視線を合わせるなり、手を上げて答えてくれた。
「いやぁよく来てくれましたね」
と言いつつ、差し出された荒井の手を握り返す阿田内。
(む?)
手を握り締めて分かった。
何という力強さ。硬い皮と、固めた瞬間に伝わる岩のような感覚。
アームレスリングで相手と手を組んだとき、相手の強さを悟るように、阿田内もまた、手を握ることで、相手の力の片鱗を感じた。
しかし、阿田内が分かるのはそれだけのことではない。
力加減によって、相手の筋力の筋を見透かし、機敏な言葉を読み取る。
もちろん、僅かな瞬間にしか分からない。
掴み、握り、離さない。
それが握力の動作である。
荒井は半袖であったので、前腕にある屈筋の緊張を観測できた。
強引で、力任せで、相手を思いやる気持ちに欠ける。
総合して考えるに、威嚇されたことを理解した。
阿田内が何でこんなことをされたのか、さっぱり見当もつかないのだが、表情は変えずにしておいた。
相手の荒井も、まったく表情に出さずに、さっさと手を離している。
がつーん、と頭を打たれたように思えた。
体罰教師は、喜んで迎え入れられ難いと言われている。
相手の洗礼があってしかるべきものだ。
ウッキウキな先生たちとの、暖かな交流を期待していた阿田内は、砂漠のように乾いた職場で、寒々しく孤立した自分をイメージする。
(ボールを片手で割ったらドン引きされちゃいそうですしねぇ)
子供ならいざ知らず、大人相手というのはどうにも難しい。
自分の腹の中の隠し方を知っているからだ。
「先生もどうです?」
「はい?」
気づいたら、隣の荒井が話しかけてきた。
それに、女子バレー部員の視線が、自分に集まってきている。
荒井は再度言ってきた。
「ですから練習を先生も」
「あーしかしわたしは」
ぴきーん、と閃く。
ここで積極的に生徒らと交わることで、好印象を抱くのが先決ではないか?
すべてがドミノ倒しのごとく、綺麗にうまく行く直感がした。
「はい! やります! 是非!!」
くわっと迫ったせいか、若干ながら荒井は引いていたが、興奮気味の阿田内は、早速とばかりにスーツの上着とネクタイを脱ぎ捨てる。
白いシャツの袖を捲り、軽い柔軟体操をしてから準備を整えた。
「さぁやりましょう!」 ←何をするのか分かってない
阿田内はバレーのコートに入る。
ネットの向こうには数名の人物が待ち構えているようだ。
他の生徒らは、コートの外で、可哀想、といった目で、コート内の生徒たちを見つめている。
実際罰ゲームみたく残ってしまった、女子部員らは、何か話し合って互いの手を握りしめてから、配置に着いた。
とは言え、バレーなど、高校生ぐらいの経験で、それからはトンとやっていない。
自分の近くにボールの入ったカゴがあり、トスを上げる係みたいな子が一礼してきたので、阿田内も軽く一礼を返す。
(ふむなるほど、アタックにアタックすればいいと?)
さすがに、このようなギャグを挟めるほど砕けた雰囲気ではない。
阿田内は黙って、自分の置かれた状況と求められる答えを考慮し、数回だけ飛び跳ねて調整した。
だいたい把握し、今度はそばに居る子にトスだけしてもらって、ボールをキャッチし、高さを覚える。
(こんなものか)
向かいのコートの子らに、にっこりと笑う。
「それでは行きます!」
そばに居る子のトスが上がる。
阿田内も跳躍し、タイミングは合致した。
無論、阿田内が全力で叩くつもりはない、力加減を調整しなければ、どんな変化が起きるかも予測できないし、危ない。
まさに阿田内がボールを叩く瞬間。
四方八方より、槍で射抜かれるような感覚を覚えた。
全身が固まりかけた。
これに抵抗するために、筋肉が半ば反射的に張り詰め、サーブした手が動く。
かなり調整したギアを少し上げてしまった。
これでも、生徒に打ち込むには躊躇われるほどの力である。
とっさに、吸い出した息を、一挙に吹き出す。
力と共に吐き出す息を、力を込める前に吐き出すことでバランスを崩す。風船から空気を抜くように、僅かに動く体に、捻りを加えた。
ドボンッ
と、バレーボールにあるまじき音を立てながら、ボールは叩かれた。
バレーボールは、待ち構える部員たちから外れて落ちる。
閃光のようなスピードに、練習に慣れた生徒らは微動だにできなかった。
しかし、ボールの勢いはそれで終わらない。
跳ねるはずのボールは、異様な回転を続けて、地面にお饅頭みたいな形でへばり付いて、それから跳ねた。
「いけない!」
阿田内が着地した時点で、ボールの軌道は読めていた。
コート外に居る女子部員らの前に向かっている。
彼女らはもちろん反応しきれていない。
ぶつかると思えたが、横から突如現れた部員が、ボールを前にして受ける姿勢を取った。
ボールをレシーブしようというのだ。
その女子部員は、ボールを受けた。が、ボールはこれまたありえないことに、女子部員の腕を這いずるようにして上がってくる。
彼女はよろけて、弾け飛ばされるかに見えた。
が、よろけたのは上半身までで、なでらかな曲線を描く。
ボールは、発射台みたく軌道に乗せられ、高く天井に投げ出された。
そして、ボールが天井の鉄骨部分にハマって、やっとのことでその勢いを止める。
(素晴らしい)
思わず阿田内はそう思った。
とっさの出来事であったが、あの女子部員は的確に軌道を反らした。
腕だけではなく、足を僅かに下げてボールの衝撃を緩めて受け止め、スプリングのように柔らかい上半身の反りを維持した筋肉のバランスの良さ。
(んーいい人材。欲しい! てそうじゃ無かった!)
阿田内はすぐに駆けつける。
女子部員は、尻もちをついている。黒髪で、横に髪をまとめて縛っているようだ。
阿田内は手を出して、その子もまた手を握り、起こす。
「平気ですか?」
「えぇ、まぁ」
阿田内は、女子部員の腕を取って見たが、赤く腫れるところはあっても、目立った傷は無く、ほうっと胸をなで下ろす。
落ち着いてから阿田内は、未だに自分に降り注ぐ気配に気がついた。
上を見上げると、二階のギャラリー席に、数人の人の姿がある。
生徒ではない、大人、いや、この学校の教師であった。
すぐに理解した。
彼らは、体罰指導を有する教師。
「大丈夫ですか?」
側に、ゆっくりやって来たのは、荒井だった。
彼の眼光から、心配だなんてものは、表面の言葉だと理解できる。
先生らとの甘い交流の幻想は、阿田内の中から掻き消えてしまった。
(やれやれ。これは大変になりそうですねぇ)