その指導者は
阿田内は、体育館にやって来た。
ちょうど昼休みも終わり、生徒の姿も無くなっている。
その場所に、バレー部顧問の荒井の姿はあった。
荒井は、阿田内を横目で睨むように見る。
「何かご用ですかな?」
阿田内は、ある程度の距離を保ち、そこで止まった。
何せ近づき過ぎると噛み付くような気配すらあったからだ。
「いえ、少し通り魔についてお尋ねしたいことがありまして」
「そのことは何も知らないですね」
「一年前から、荒井先生が、ずっとバレー部の顧問だったのに?」
痛いほどの沈黙が僅かに流れる。
荒井は、すぐ口を開いた。
「何も話すことは無い」
「いいですよ。ぼくが勝手に話したいだけですから。
一年前の通り魔は何故生まれたのか?
その理由について」
「……」
「一年前、通り魔なんてものはまだ存在していませんでした。
しかしある日を堺に通り魔は現れ、活動をし始めた。
これが何を示すか?
簡単なんです。
通り魔には師匠が存在していたんですよ。
弱かったはずのその子が、強くなったことで、イジメっ子を倒した。
それだけのことだったんです」
「くだらん……実にくだらん妄想だなぁ! ええ?」
荒井は、ぐりんと目玉を見開く。
あからさまな、威圧に阿田内が物怖じするわけもない。
阿田内は、メガネをくいっと指で僅かに動かした。
「荒井先生、あなたは、体罰指導資格を持っていますね?」
「ふん、だからどうしたぁ?
この俺が通り魔を育てたとでも言うのかぁ? なぁ?」
「どうでしょう、ぼくもそこが知りたい」
「どうしようというんだ? んん?」
「話し合いましょう。今度は、拳で」
阿田内は、荒井に拳を少し突き出して見せる。
荒井は眉間に皺を寄せた。
「分かっているのかぁ? ああ?
生徒には、障害が残るような指導は行えない。
だが、体罰指導教師同士ならば、その限りではない」
阿田内は体育館にある時計を見た。
「生徒が来るまで、ちょうど十分と少しぐらいあります。
それまで、殴り合いましょう」
腰を落として拳を握り、構えを取る阿田内。
荒井は、がっかりといった感じに、首を少し左右に振る。
「度し難いほどの愚か者だよなぁ? ええ?」
荒井は、自分の右手を左手で取り、ぐっと押さえた。
押さえられた右手は、手首に着くまで曲がり、ついには、折れてるんじゃないか? というぐらいに張り付いた。
(凄い柔軟性だ)
阿田内は驚きつつも、肩を回す程度のことしかしなかった。
首を捻り、足を捻りながら、荒井は言った。
「流派は?」
「得には」(ただ、殴り合いたいだけだし)
「我流か。
俺は、蛇蝎真拳。
忌み嫌わる使い手だ。泣くなよぉ? おお?」
そう言いながら、荒井は構えを取った。
その構えは、何とも独特で、異様であった。
腕は持ち上げているが、カマキリのように曲げており、体に張り付いている。
一歩足が前に出て、もう一方の片足が後ろにある。
更に、ぎゅっと絞りとるように、体全体に捻りが少し加わっている。
つーん、と突っぱねたような、身動きを取らない荒井。
あ、と思う阿田内。
(そうか、荒井先生はこのまま時間切れでも構わないわけか)
見とれている時間は無い。
阿田内は、すっすっ、とすり足で、荒井に近づいた。
(この前はこのあたりでもう気配があったな)
この前というのは、花壇で大曽根慧に出会ってから現れた、荒井とのやり取りのことである。
とは言え、阿田内が拳を突き出しても届かない距離である。
荒井の間合いに入るのは、ずぶっと足を沼に入れるような、異質な感触があった。
と、荒井に動きがあった。
(来るのか? やはり)
何が飛び出すのか、何とも言えず高揚する阿田内。
荒井は右を出しているように見えた。
阿田内は避けるために少し前かがみになる。
ボクシングで言うところのダッキングという避け方である。
ここで更に間合いの詰めがあると思っていた。
なのに、下の方から圧力が迫って来て、拳が見えた。
阿田内は、上体を緊急的に起こす。
顎先に触れるかそうでないかの間合いでぴしっと掠める拳。
(何だ?)
阿田内の混乱をよそにして、今度は、横腹を狙う蹴りが目端で見えた。
肘で迎え撃ちながら、阿田内は下がる。
まだ何か来る感じがしたので、すぐに下がるしかなかった。
荒井は、繰り出した蹴りの姿勢を戻し、また同じような構えを取る。
阿田内は、考える。
(まったく意図しないところから拳が来た。
間合いも変わってない。凄い伸びだ)
阿田内には何も見えなかった。
普通のパンチのはずが、次の瞬間にアッパーに変わっているのだから、意味が分からないというものである。
荒井の蛇蝎真拳は、読もうと思って軌道を読めるものではなかった。
曲芸師のように柔らかい体が、ムチのようにしなり、突きや蹴りは変幻自在を可能とする。
初めに体を絞るように撚ることで回転し、パンチから蹴りを繰り出す、まさに旋風のような技である。
(それにバネと腕のリーチもある)
関節の柔軟性も合わせ、足の腱が、荒井は、持って生まれて強靭であり、長く引き伸ばせる。
そこから来るバネに合わせて、突き出した勢いで更に伸びる腕や足が、仰天の早さを持って迫ってくるのだ。
まさに全身からムチを体現するに相応しい存在であった。
(距離を保つしかあるまい)
荒井の予想とは反して、阿田内は構えを取った。
なお進んでくる阿田内に舌打ちをする荒井。
(理解できんか、唐変木が)
荒井は拳を振り放つ。
阿田内は、すぐに両腕を上げてガードをする。
これに荒井は、内心、嘲笑した。
(そうだ、ダンゴ虫になるしかない。
これぞ蛇蝎と忌み嫌われる由来だ。
為す術無く一方的に噛み付かれ続けるだけだ。
身を持って味わうがいい)
荒井が馬鹿にするのも無理はなく、阿田内は一方的に攻撃され続けた。
それは近づく手段もなく、術中にハマっていることを意味していた。
が、阿田内は、荒井が考えもつかないことを考えていた。
(腕屈筋の力に余計な力が無い。
伝う三角筋は張りがある。
僧帽筋仕事と年齢のせいか、コリを感じるな。
背広筋のかっちり感は、さすが強靭。痛いパンチを繰り出してる。
捻りの連結で感じるのは、足底筋、足底方形筋の異様な発達。
常に、つま先から立っているのか。
回転の根幹はここか)
阿田内の感じられる筋肉は、経験と知識にによるイメージである。
詳細なことは、解剖してみないことには分かるものではない。
電流が走るみたいに、イメージが浮かび、相手に投影することが出来るのだ。
筋肉のイメージには感情という味がつく。
荒井から感じるのは、剛毅な人格に合わない、恐怖。
阿田内は、振りかかる拳や蹴りを、正確に拳で弾いた。
(俺の攻撃をパリングした?)
荒井も、変化を感じて攻撃をやめる。
阿田内は、ガードを下げた。
多少のメガネのズレや、スーツの腕部分が避けたが、ほぼ無傷であった。
阿田内はメガネのズレを直す。
「おかしいですね」
「何がだ? ああ?」
「拳に信念が通っていません。
迷いがあると言っています」
「占いでも始める気かぁ? ええ?」
「ぼくを恐れてはいないはずです。
ぼくが知ろうとしていることを恐れている。
荒井先生の恐れているのは……教え子。そうではないですか?
本当は嘆いているのでは? 通り魔を作ってしまったことを」
「気味の悪いことを言うな! お前に何が分かる!?」
「ええ、ぼくには何も分かりません。
それでも、ぼくは、笹倉さんや大曽根さんの抱える問題を解決したいと思っています。
だから先生、本当のことを話してください」
「断る、死ね!」
ぐるんと回り込んだところで、頭上に襲い来る、荒井の拳。
撃ち落とすみたく、阿田内は払いのけた。
驚嘆する荒井。
(軌道が読まれている? 馬鹿なありえん)
「あなたの拳は、捻くれ者ではありますが、酷く乱れて分かりやすい。
吐露したい気持ちが、知らずの内に、すべて肉体に出ているんです。
荒井先生、やめた方がいい。
あなたは間違っている。
自分でも気づいているはずです」
荒井は、座った目をする。
「そのお喋りな口を閉ざしてやる」
荒井はうねり、阿田内に激しい連打を打ち込んだ。
阿田内は、撃ち落とすでもなく、再び両腕でガードを固めている。
それを見た荒井は確信した。
(やはり偶然。
分かったようなことを言いやがって!)
「大層なことを言っておきながら、その程度かぁ? おい!」
阿田内は、身に受ける攻撃が、硬くなるのを理解した。
これ以上受けるならば、痣で済むような話しではなくなるだろう。
阿田内は打たれながら言った。
「通り魔じゃないんですよ」
「ああ?」
「笹倉さんは通り魔ではありません。
荒井先生、あなたは通り魔を作りたかったわけじゃない。
一人の指導者として、彼女たちを救いたかっただけです」
「何だ、それは、お前は信じてるとでも言うのかぁ? ええ?
子供の気持ちなどお前に分かるのか!?」
「分かります。ぼくは殴り(かたり)合いましたから。
荒井先生はどうなんです?
生徒と向き合いましたか?」
「ぐ、黙れぇえ!!」
筋肉は更に硬く、強力になったかに思えた。
ただ、阿田内が待っていたのは、硬くなることにあった。
瞬間的に阿田内はガードを開いた。
そして向かう荒井の腕に、狙いを定めて裏拳を放った。
先ほどと同じく、手で弾く。
今度は、荒井の手首に向かい、上半身を捻じり、振り切ってぶつけた。
荒井の手首は、柔軟とは言え折り曲げられる。
その大ぶりによって阿田内は後ろを向き、隙だらけである。
しかし、
「うおぉ!?」
荒井は、そう呻くと、跪いた。
起き上がろうとしても、ピキッと脳天をつく痛みを覚える。
足の太ももから腱にかけての筋に、亀裂でも走ったみたいな痛みがある。それ以外には、肩のあたりと腰にも若干、響くものがあった。
荒井はわけが分からず、阿田内の居る方を見ながら言った。
「俺に……何をした?」
阿田内は、姿勢をゆっくりと直してから言った。
「あなたの体はしなるムチだ。
それを実現できているのは柔軟性と修練の賜物でしょう。
しかし、余計な力を加えて硬くなれば、柔軟性は失われ、衝撃を吸収できなくなるんです」
荒井は、全身をしならせ、拳へ、あるいは足の先端へ、力の波長を伝わらせ、鋭いムチの一撃としていた。
荒井が怪我をしたのは、ちょうど放った右手に対極の、左足に集中していた。
阿田内が行ったのは、言葉と拳を投げかけること。
阿田内の言葉は、的確に荒井の弱りを突き、感情的になったことで筋肉は緊張し、技が硬くなっていた。
そして、肉体に拳を投げて、荒井の捻じりによって生じる波に、逆の振動を与えて、突き崩した。
荒井はまだ納得いかないといった感じである。
「俺の体の硬さを、正確に突いたと? ありえん。
人間の出来ることじゃない!」
阿田内は、困ったように、頭の後ろを掻いた。
「そんな化け物みたいに言わなくても」
「化け物だ!
お前みたいな化け物が、俺たちの秩序を破壊する!
さぞ満足だろうなぁ! この俺を追い詰めて、ああ!?」
阿田内は内心、複雑な気持ちになっていた。
相手を挑発したかったわけではない、相手に、自分自身と向き合って欲しかっただけである。
それがとどのつまり、相手の心を深く傷つけることになるのは、自分の修行不足だと、阿田内は思った。
荒井は、もう戦える状態には無いと言えた。
改めて阿田内は、真実を問いただそうとしたのだが。
ぐぐぐ、と荒井は立ち上がる。
まだ戦意を喪失しているとは言い難い目をしていた。
焦りながら阿田内は言った。
「荒井先生。これ以上は無理です!」
「お前に負けるわけにはいかない、お前のようなやつには」
凄まじい執念。
もはや阿田内の理解を超えている。
だがマズイと言えた。
(これ以上戦っても、荒井先生が壊れるだけだ)
荒井は、手負いとは言え、安易に峰打ちをさせてくれる相手ではない。
近づけば、阿田内の首筋に噛み付いて、食い千切るのではないか、という気迫がある。
「先生!」
体育館の入口から、叫ぶ声があった。
入り口に、女子生徒の姿がある。
助かった、と思った阿田内だが、何やら様子がおかしい。
女子生徒は続けて言った。
「一年の笹倉さんが!」




