相談
阿田内は、通り魔、というか弓子を避けるために、別の道を通って帰ることにした。
夜中の道ながら、なるべく表の明るいところを通れば、通り魔も現れようが無いのである。
ただ、阿田内は、まだこの土地にかなり不慣れである。
自宅であるマンションにたどり着くのに、無理な細い道を通っていた。
少し開けた場所に出た。
深々として、虫の音だけが鳴り響き、田んぼがあって建物は少ない。
まっすぐ続く道に、点々と並ぶ街灯のあるところ。
明滅を繰り返す街灯が見え、その下にフードを被る人物が居た。
フードの人物は顔を上げているが、覆面をしている。
よく見れば以前に着ていた服と、色とデザインが違う。
(オシャレさん、なのかな?)
同じ服では飽きるというのなら、その通りである。
女子なのだから、当たり前だろう、とか、阿田内は妙な納得の仕方をしていた。
阿田内は参っていた。
内部事情の調査は始まったばかりで手探りだ。
まだ、通り魔として捕まえるわけにもいかない。
これで被害者が出るなら即効で捕まえている。
なまじ自分しか狙われていないし、半端なやり取りしかしていないので、なおさら、捕まえ辛いのである。
阿田内は、くるっと百八十度回転して、一目散に逃げ出した。
走りは得意というほどではなかったが、体力には自信があった。
三日間ほどぶっ通しで走っても平気である。
これでマンションの入口付近で待ち構えられたら終わりだが、要は相手に諦めて欲しかった、というのがある。
ある程度走り込んだ。
一向に迫り来る気配が無い。
阿田内は、小走りになりながら、後ろを振り向いた。
誰の姿も無い。
(諦めた?)
目を細めてから、ほうっとして前を向く。
ちょうど曲がり角に差し掛かっていて、暗がりのせいか、前に突然現れた存在に気づけなった。
ぶつかる寸前で足を止めて、相手もまた立ち止まる。
背も小さい相手なので、これは失礼したと思い、阿田内は謝ることにした。
「「ごめんなさい」」
同時に謝罪したが、阿田内は相手の声に聞き覚えがあり、確認する。
そこには、同じように顔を合わす笹倉弓子の姿があった。
あれ? と思い阿田内は口にしていた。
「……笹倉さんが通り魔では」
はっ、として馬鹿な真似をしたと思い直すも、手遅れである。
弓子は見るからに、目が泳ぎ始めた。
「っっ違います」
ですよね、と内心思う、阿田内。
彼女からすれば、こう答えるしかない。
弓子は上目遣いに阿田内を見る。
「どうして、そんなことをぉ、言うんですか?」
「いやぁ、笹倉さんに、投げ飛ばされたとき、かなりやり手だと思ってまして」
下手くそな誤魔化し方をしてしまった。
弓子の、シャボン玉みたいに柔らかな心を、枝で突いて割ってしまったみたいな罪悪感が残る。
これに弓子はきっぱりと言った。
「柔道の授業で習っただけです」
柔道の授業というのは本当かもしれない。
ただ、通り魔として出会った彼女は、それだけで済むものではなかった。
明らかに師がいなければ得られない体術を身につけている。
「先生。会ったんですか? 通り魔に」
と、弓子が言って阿田内を見てくる。
弓子の大きな瞳は、まるで阿田内の心の内を、覗きこむような心境にさせた。
「いいえ。勘違いだったみたいです」
阿田内は考えていた。
あの通り魔は、別人だった?
そもそも通り魔は、弓子ではない?
阿田内の中で少し混乱が生じる。
だが、すぐに結論が出た。
最初に、二度ほど出会った通り魔は、やはり弓子だ。
拳から伝わる、エネルギッシュな情熱は、唯一無二のもの。
真似できるものではないのだ。
ということは、さっき会ったのはやはり、別人。
むしろ、本物の通り魔?
拳を合わせなかったことが悔やまれる。
どんな相手も殴り合いの前では、丸裸も同然なのだ。
しかしいったい誰が?
阿田内に心当たりは無かった。
まだ通り魔は、うろついているかもしれない。
このまま弓子を一人で帰すのは、危険であると阿田内は考えた。
「夜も遅いようですから、近くまで送ります」
「それは……分かりました、お願いします」
とことこと、二人は並び、夜道を歩いた。
会話の無い時間がしばらく続いた。
珍しく、涼しい風が舞い込んで、思い出したように弓子は口を開いた。
「先生はぁ、体罰教師なんですよね?」
「そうですよ」
「やっぱりぃ。暴力で問題を解決するんですか?」
「言ってしまえばそうですね」
「だから暴力は無いといけないですよね」
弓子の表情に陰りが見える。
阿田内は、メガネを少し手で動かした。
「暴力で、誰かを傷つけていい理由なんて、誰にも無いです。絶対に」
弓子は阿田内を見た。
阿田内は、真顔なのに、奥底で静かな炎が揺らめいるように弓子には見えた。
「先生は、体罰教師なのに暴力を否定するんですか?」
急に阿田内は、ニコッとして、軽い雰囲気に戻る。
「はっはっは、まさか。そんなことが出来る人間。
もはやこの国に存在しませんよ。ただ」
「ただ?」
「ぼくは、暴力から逃げたく無いだけです」
「逃げる? 先生はぁ、強いのに?」
「ぼくは弱いですよ。
だからこそ、ぼくは、体罰教師になりました。
暴力と体罰、その堺に存在する門番にでもなれば、逃げ出せないと思ったんです」
「やっぱりぃ先生は強いです」
そう褒められたものではない、と阿田内は思っていた。
弓子は立ち止まる。
「ここまででいいですぅ。ありがとうございました」
「いいえ。何かあれば電話でもいいので連絡してください」
「はい、それとぉ先生」
「ん?」
「わたしもぉ、逃げないようにします」
その意味を阿田内が問いただす前に、弓子は去ってしまった。




