世界樹の夏Ⅵ
新年あけましておめでとうございます。
皆さまはどうおすごしでしたか?
ヒソヒソと貴族たちが小言を言いながら視線を向けている。
扉を開けた彼女等は聖薔薇騎士団。
聖白百合騎士団と対となるアルテミスの剣である。
可憐で優雅さ、守備、統一を求められるお嬢様騎士団とすら称される聖白百合騎士団とは違い、実力があるものだけを取り入れている。
実際、ローゼンの正騎士は13名のみとなっており呼び名も世襲制となっている。
言動や動きに統一感はあまり見受けられないが過去の戦争を礎とした攻撃的な騎士団である。
故に、専ら世界樹の外での任務が多く中には大陸外で活動することもある。
「はいは~い、キルヒさん。大人しくしてくださいね~」
室内に少々強い風が吹いたかと思えばキルヒの隣にリーゼロッテに少々風貌が似ているほんわかスマイルを一ミリたりとも崩さない青髪の女性が立っていた。
彼女は少し間の伸びた口調で喋るため緊張感が薄れるが、キルヒの喉元にハルバートを添えていた。
大きなハルバードを携えている彼女は今しがた扉の前にいたはずである。
扉からキルヒまでの距離を一瞬で詰めた彼女の動きはシロエールを素直に驚かせた。
(それにしてもあの青色の髪って……)
「フィーア。別にさん付けしなくていいんじゃない?罪人なんでしょぉ」
ケラケラと小柄で武器は持ってない黒い髪に銀色の目の少女。
不躾な態度からして一般市民の出だと感じ取られる。
手甲や脚甲が様々な金属で造りこまれているのを見る限り格闘戦闘に長けているのだろう。
「ドライツェン。キルヒさんはまだ貴族なのですから目上にはちゃんと言葉遣いに気を付けないと駄目ですよぉ」
フィーアと呼ばれた女性は言葉遣いはともかくキルヒに対して敬意は払ってる素振りは一切ない。
キルヒの方もこめかみに血管を浮かべつつも自制している。
ざわめくエントランス。
普通なら多少は擁護するような態度をとる者もいるだろうに、誰一人その様な素振りは見せずヒソヒソと会話を続けている。
周囲の視線は疑惑、混乱の眼差ではない。
手負いで身動き取れずに群れから置いて行かれ、孤立した草食動物を見つけた肉食動物のソレだった。
流石にシロエールも周囲の人間達の考えてる事が理解できた。
彼女等にとってキルヒ・グーデリアンが本当に横領したのか真偽は然程関係ないのだ。
成り上がりのキルヒが、グーデリアン家其の物が快く思わぬ人間が多いということ。
好都合なスキャンダルが目の前に転がっているのに拾わない手はない。
いざとなれば彼女等は口裏合わせてグーデリアン家の都合の悪い方へ持っていきかねない。
「此方に貴女方が10数年、本来の帳簿より多くの資金を得ている事がわかる原本がございます」
前髪で片眼が隠れていて、その髪と瞳は薔薇の様な真紅色。
他の団員に比べ、いかにも騎士らしさを感じさせる彼女は背丈も高く180を超えるのではないだろうか。
その後ろに隠れるように一人のメイドがいた。
酷く狼狽え、今にも泣きそうな素振りを見せている。
「彼女が証人として法廷に立つ。言い逃れはできないぞ」
「あ、貴女一体どういうつもり!」
「す、すみません。私ど、そうしてもこんな事は辞めさせるべきだって」
涙ぐみながら顔を覆い隠す。どうやらグーデリアン家のメイドらしい。
だが、シロエールはこの状況でも本当に状況が理解できていない様なキルヒに違和感を覚えた。
シロエールは彼女也に他者の心を覗き見、命乞いをする人を何度もみた。
彼女からしては本当に嵌められたようにしか見えないのだ。
そもそも何故、このような大衆の面前でやる必要があったのだろうか?
これが貴族、女の世界なのか。目と口と態度がドレもかみ合ってない。
シロエールは正直怖いと思った。全員が自分と同じように鍵魔法を使っているのだと思いたくなるほどに。
シロエールは視線を発端を口にしたリーゼロッテへとむけた。
そして、そこから彼女の母親であるベルフラウ侯爵へと……。
侯爵である彼女の口元は扇子で覆い隠されているが、あれは間違いなく笑っている。
シロエールと娘の関係、シロエールがグーデリアンの娘を倒したこと、そしてこの騒動。
半森守種族であるシロエールを不浄を陰口を叩く人間がいる。
実際、駆け落ちして産まれた子であるから何とも言えないが……。
シロエールの才覚を知った彼女はブランシュ家のマイナスイメージの回復の為に大衆の前でリーゼロッテとの仲の良さをアピールさせる。
アリスの言葉も計算だったのかは今は分からない。
シロエールに一番敵意を抱いているグーデリアン家に対して存続の危機すらありうる情報の開示。
自分側につく優秀な存在に仇なすなら、自分に盾突いたとして制裁を加える。
予めこうなるように仕立て上げられたグーデリアン。
もうシロエールに関して陰口を下手に言う事はないだろう。
皆ああはなりたくないのだから。
シロエールはこれは演劇の舞台だと考えていた。でも実際は違った。
これは私刑グーデリアンの処刑台だ。
ここまでくるとキルヒ・グーデリアンが不憫にすら思えてきた。
そんなシロエールに彼女と視線が合った。彼女の瞳は明確な敵意と、溢れる殺意で満たされていた。
ああ、これは不味い。すごく不味い。
この人は、私がやったと思い込んでいるのです。
私がリーゼロッテに取り入って、復権するためにクーデリアン家を徹底的にたたき落としにきたと勘違いしているのです。
結果的には間違ってない気もするけど私じゃなくてリーゼロッテがやったことなのです。
私は別に貴女と事を荒立てる気はなかったのです。
いや、キュリディーテをぼっこぼこにした時点で荒立てる気満々だったのです。
「あらぁ~」
とんっ、とフィーアがキルヒをわざとらしく押した。
その方向にはシロエールが立っている。
キルヒの拘束が解けているのです。
一体何があったのです。何で間近にいるのです?
今のあの人は、何をするかわからないのです。
ローゼンの人は一体なにを……ただ見ているだけなのです。
予想外の出来事にリーゼロッテは驚きつつも何かに気付き、ある方へ振り向く。
予感敵中、アリスがニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「なー、キルヒ。私は別にお前の事嫌いじゃないよ~。だからさぁ、チャンスあげる」
アリスの言葉にざわつく周囲。
キルヒもシロエールもアリスの方を向く。
「シロエールちゃんに勝ったら仮に不正が本当でも許してあげちゃう」
「そ、そんなの私に何のメリットが!私はやっておりません!」
「私さ~この状況絶対キルヒじゃ切り崩せないと思ってるんだよねぇ……負けたら審議飛ばして処罰な」
子供っぽいような口調から一変して冷酷な表情と声に切り替わるアリス。
彼女の戯言が本気だと全員が理解し距離を置く。
演劇の舞台から処刑台。処刑台から決闘場へと変わっていく。
「じゃ、開始ね~」
何の事前もなく開始の合図を告げられた。
アリスの行き成りのフライングにシロエールは数秒程――呆気にとられ無防備だった。
ちゃんと合図してくれたのならシロエールも準備はできていただろう。
「我が血と精気の元に集えし、大地の牙!!グレイヴファング!」
キルヒが床に手を置き詠唱をすぐさま唱えた。
グレイヴファングは大地魔法の初級魔法。
地面から鋭い柱が出てきて相手を串刺しにする。単純だが効果は高い。
これを最初に覚える人は多いはず。
この魔法は使い手の技量や精気によって中級、上級へと変貌するのも特徴だ。
キルヒはこの魔法を何十年も練り上げていた。
まるでこの魔法は自分だと。成り上がれる魔法だから。
アリスがそういった事を平気でやる人間だと理解していたら。
既にシロエールに対する憎悪で今にも爆発しそうなキルヒのように集中していれば。
床が隆起し、まるで槍のように襲い掛かる。
隆起した際、シロエールの足場も巻き込まれ体勢を崩してしまう。
そんな絶好の獲物に深々と勢いよくグレイヴファングは貫いた。
絹を裂くような響く悲鳴。ボタボタと床に流れる赤い血。
土の牙はシロエールの腹部を確実に貫いていた。
追い打ちと言わんばかりに更に詠唱を追加し、更に牙の数が増えていく。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ。
まるで竜の口、鋼鉄の処女のように形をかえていく。
「砕かれ、潰され、壊され、消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!」
土の音が止まり――静寂が訪れる。
最初の一つを除きグレイヴファングが崩れていく。
そこには白い少女ではなく赤い少女と化していた。
まだ原型は残っており、最初の腹部以外は致命的な攻撃に至らなかったようだ。
只の怒り任せに唱えたからだとは思うがそれでも傷は深い。
「ア、ハッハハハハ。何、何なのその様は!」
「私の最高傑作をダメにしておいて!見た?これが噂の正体よ!ねぇ、さっきから私の事を疑ってた奴ら絶対に忘れませんからねっ!」
「これで私は晴れて無実。嵌めた事を証明する機会が得られたんだから覚悟しなさい!」
周囲の反応は困惑、落胆、疑心、恐怖、畏怖。
グレイヴファングで貫かれて宙ぶらりんのシロエールが反応しない。
高笑いし己の勝利を喜ぶキルヒに対して全く興味がなさそうに少し興醒めな表情で見つめている。
シロエールとはこの程度なのか?と。
彼女を大変気に入り、政治的観念から推していた可愛い姪に視線を向けると平然としていた。
どう見ても即死に近い状態なのに何故平然としているのだろう?
その眼には失望も落胆も嘆きも悲しみも恐怖もない。
犬メイドの方は凄い殺気立ってるが心配しているような素振りはない。
友人の一人である吸血種族も平気な顔をしている。
どういう事かともう一度シロエールの方に視線を向ける。
カチャカチャ。
何か金属をこすり合わせるような音が小さく響いた。
キルヒも気づきその音の元へと視線をむける。
串刺しにされたシロエールからだった。
カチッ。
そう、これは多分、錠が外れる音――。
開錠の音と同時にシロエールの手にはレバーアクションライフルとレイピアが握られていた。
ゆらりと銃口を自身を貫いている土の牙に向けた。
細く白い指に赤い血の線が伝わり、一滴が落ちるのと同時にトリッガーを引いた。
ガギンッ!と猛烈な爆発音が響いた――。




