覚悟
ため息が出る。
これ以上叔母の相手をさせたくないので、リビングに通す訳にもいかず、なちはイマナを自分の部屋に通した。
一度だけ感謝の言葉を述べたイマナはそれ以上何も言わずになちの後ろについてくる。
「井美、イマナ」
自室の扉を閉め、なちは小さく呟く。その声にイマナは反応する。
「……何?」
「私には、記憶がない」
「えっ……」
驚き、目を見開くイマナ。
「お前がいくら昔を語ろうと、過去の私を知っていようと、私はそのことを知らないし、当然お前のこともわからない」
「そ、そうなんだ……」
目を逸らし、少し気まずそうに体を震わすイマナ。
「……なんとなくはそう思っていた」
「…………」
「な……畠瀬さんの雰囲気がなんとなく違ったし、その髪も……」
「ああ、昔の私が何を考えてたかはわからないけど、切らせてもらった」
短くなった自分の髪に触れて、なちは数回こすり合わせる。
「……けど、畠瀬さんはどこかで前の記憶を持っている」
「……っ」
髪をいじる手が止まる。そして一度舌打ち。
「言ったよね。昨日私と愛瀬さんが話してた時に畠瀬さん……」
帽子の男。
その時には決して知りえない情報をなちは口にした。
けどそれは、無意識のものだ。自分の記憶に手繰りを寄せた訳ではない。
しかしなちの右手には、先程からしっかりと握り締められていた。
鈍い輝きを放つエメラルド。温海利戸那の言った記憶の手がかり。
それを飲み込めば、イマナの言う帽子の男の手がかりも手に入るかもしれない。
「きっと畠瀬さんのどこかに記憶は残っているんだと思う。わかってる、無理なことを言っているってこともけど、
イマナは、深々となちに頭を下げる。
「お願い! 私、その帽子の男に用事があるの。明日……までにその人を見つけないと……」
「……それが、なんだってんだ」
なちは頭を下げたイマナを、冷徹な目で見下す。
「だから、記憶を取り戻してほしいだと……?」
「……なー、ちゃん?」
「ふざけるな…………ふざけんなよ!」
右手に掴んだエメラルドが熱い。それは、自分に無限の万能感を与えているように感じた。
頭を下げたイマナの髪を思い切り掴む。そして思い切り自分の顔に引き寄せた。
「あっ……う、ぐ……痛い……痛いよ」
「うるさい! お前は、私に何を言っているのかわかってるのか!」
右手に記憶の塊がある。飲み込めば何かがわかるかもしれない。
「私は……私の記憶は……!」
半眼で痛みを訴えるイマナを見て、なちは自分の中にある何かが急にさめていくのを感じた。
髪から手を離し、軽く突き飛ばす。
「うぅ……」
軽くよろけて、イマナはなちのベッドに座り込む。
それを確認せず、なちはベッドの先にある、机の上に乗ったノートを取った。
「お前は、こんなのが自分の部屋にあっても、思い出したいと思うか」
イマナに叩きつけるように、放り投げる。
題名、復讐ノート。
イマナは、少し怯えた表情をしながらも、ごくりと生唾を飲んだ。そして、ゆっくりとページを開く。
「見た内容は話さなくていい。聞きたくもない」
自分でも内容は見ていない。きっと思い出したくもない過去だから、隠すように置いていたのだろうとなちは思っていた。
少しだけ読み進めたイマナは、ぽつりと呟く。
「やっぱり、そうなんだ」
「……やっぱり?」
イマナはなちを見やる。赤い煌きを目に宿して。
「畠瀬さん、私は、きっとなーちゃんのことを今のあなた以上に知っている」
「だから、私は……」
「畠瀬さん、だよ。私の言うなーちゃんとは違う人。あなたは、畠瀬なちさん」
うぐ、と言葉に詰まる。
「畠瀬さん、あなたは目を背けたいんだよね。これは、嫌な記憶だから」
「……そうだ。私の中の、知らない私が起こした嫌な……」
「それは違う!」
赤い閃光。勢いよく立ち上がったイマナを見て、なちはそう感じた。
「いい、畠瀬さん。あなたは否定するかもしれないけど、あなたの延長線上にはなーちゃんがいるの」
「ちがっ」
「違わない。あなたの先にいるの。あなたは宿しているのよ。なーちゃんを」
「け、けど私は復讐なんて……」
「うん、わかってる。考えたくない。私だって、なーちゃんがそんなことをしていたなんて考えたくない。だけど
復讐ノートを目の前に突きつけられる。
「こうしてこれは、あなたの部屋にあった。それは、なーちゃんが、そうするまでに突き動かされたから」
「う……」
「畠瀬さん、私はあなたを軽蔑するよ。あなたは、どんな理由があろうとこの現実から逃げようとしていた。自分の記憶から逃れようとしていた」
「そ、それは……」
「自分が知らないから、じゃない。これは知らなければいけないことなの。自分の中にある業を、見つめないといけないの」
「……そうやって、口だけなら、な、なんとだって言える!」
いらつく、イラつく、苛つく!
全部正しいから、図星だから。正論だから!
間違ってないから、間違ってるのは自分だから。だからこんなにも深々と突き刺さる。
「畠瀬さん、私は同情はする。こんなのをなーちゃんに置いてかれて、何も知らない女に好き勝手言われて、心底同情する。けどね、畠瀬さん」
赤い瞳に覗き込まれる。中まで覗かれる。震えが止まらない。全てを暴かれてしまうような、そんな恐怖が体を支配する。
「結局は自分のことなんだ。だから、自分がそれを否定してもいつまでも付いて回るよ。それこそ、一生」
そこまで言い終えると、イマナはなちから一歩はなれる。
赤い瞳が自分から離れる。それだけでも解放された気になる。
しかし、気持ちは先程イマナに言われたことが渦を巻いていた。
一生、付いて回る。自分のことだから。自分が起こしたことだから。
「……ごめん、少し言い過ぎたよ。また、後で来る」
イマナは、なちの様子を見て、気まずそうに目をふせ、部屋から出ようとする。
「……畠瀬、さん?」
しかし、それをなちは許さなかった。彼女の腕をしっかりと掴み、離そうとしない。
「……言ったな」
「……うぇ!? ももももしかして、というかやっぱり怒ってるね!」
「……ああ、怒ってる」
「う、くくくくく! わ、わわわわかってる! けど私だって言ったことは絶対に撤回しない! 畠瀬さんに言うのは酷だけど……」
「間違ってる、だな」
「う、うん……そうだよ!」
「なら、見ていろ」
なちはイマナに向き直り、右手に掴んでいたものを見せる。
「それは……」
「宝石、だ。が、どうやらこれには私の記憶が入っているらしい」
「記憶……?」
「私だって半信半疑だけど、あの人が言っていたんだ。恐らく、記憶が取り戻せる、はず」
「あの人……」
「だから、見ていろ井美。きっと今しか出来ない。お前がいるこの時しか出来ないから」
「畠瀬さん」
自暴自棄、とも思える。なちは一時の感情に囚われているだけだと自覚していた。
しかしイマナの言うとおり、いつまでも自分の記憶から逃げることは叶わない。
ならばいっそ、自分で取り戻す。きっかけを、飲み込む。
「記憶が戻らなくても……恨むなよ」
「わかってる。これは、本当は私の問題だから」
イマナが頷いたのを確認し、なちは、宝石を口に含む。大きいことはわかっていたので、無理してでも飲み込もうとする。
「ぐっ……む」
食道が異物を拒否する。嘔吐物と共に吐き出そうと胃酸がせり上がるのを感じた。
「なーちゃん!」
イマナの声。なーちゃんと呼ばれたくないと否定したくとも、それどころではないなちは、脂汗を流しながら賢明に飲み下す。
「う、ぐ、ぐ、ぐ……ぷはっ」
「なーちゃん、大丈夫?」
何とか飲み込むことに成功したなちはようやく文句を言おうとイマナのほうに顔を向け、
「あ、れ?」
おもむろに、彼女の全身の力が抜けた。そして自分の全てを支配されるような――甘い感覚に取り付かれ、
やがて視界が真っ暗になった。




