変化
なちは、利戸那を部屋に通していた。
叔母は特に何も言わなかった。以前のなちが呼んだのか、記憶には無かったが叔母がやわらかい笑顔で対応していたので、もしかすればそうなのかもしれない。
(私は、知っている)
なちは、目の前で部屋を見渡す利戸那を見て思う。
長い黒髪。銀縁の眼鏡。優しげだが、意思の強そうな瞳。
全て、自分の記憶の通りだった。何故か、記憶の通りだった。
見たことがないはずなのに、見ていたと頭が訴えかけてくる。
「久しぶり。この部屋に入るのも」
「へっ!? そ、そうだっけ……」
利戸那に話しかけられ、どもりながら返すなち。そもそも、久しぶりも何も無い。親切なことに、なちの記憶は姿と名前しか教えてはくれなかった。
彼女の人となりなど、何一つくれなかった。彼女は自分の友人であった、それだけで。
「どうして私の家に……?」
人と、面と向かって話すのは、少し苦手だった。それは、懐かしさを感じる彼女に対しても同じだった。なちは目を見て話せなかった。
「なーちゃん……髪、切ったんだ」
しかし、利戸那はそんななちの問いかけに反応せず、自分の疑問を投げつけてくる。
「うぇっ!? う、うん……少し邪魔だったし」
「そう……邪魔だったから」
そう言って、利戸那はじっとなちを見つめる。眼鏡の上から、裸眼で、彼女を見つめる。
なちは合わせない。
「え、えっと……そんな風にじっと見られたら少し恥ずかしいんだけど……」
「…………」
しばらく見つめていた利戸那は、唐突にふっと、笑みを浮かべた。
「なんだか、変わったね。なーちゃん」
「……えっ?」
「ほんの少し前に会ったばかりなのに、すごく変わった」
「そう、かな」
彼女の言う『なーちゃん』という存在を、自分は知らない。変わったなんて言われても、その記憶が無いのだ。この時になって、なちは自分の行動を後悔し始めていた。
過去の知り合い、これほど今の自分を縛り付けるものだとは。
「そうだね……」
なちは、利戸那の目を見る。というより、驚きによる条件反射だろうか。まるで心を読まれたかのような相槌を打たれた。けれども、それはどちらかと言えば、自分自身に対して言っているかのように見えた。目を伏せていた、からなのだろうか。
「……うん!」
すると、今度は元気よく頷いた。一瞬見せた、憂うような表情は既に消えていた。
「私、今日はもう帰るよ。なーちゃん、なんだか体調良くなさそうだし」
「えっ、そ……そう見えるかな……」
なちは、少し表情に出ていたのかと、少し自分の頬に触れる。
「やだなぁ、なーちゃんそんなに焦ることじゃないでしょ?」
「っ!」
銀縁眼鏡の彼女、温海利戸那。かつて畠瀬なちの友人だった少女。
けれども、彼女に対して知っているのはそれだけ。柔らかな笑みを浮かべた彼女の表情は、見えない。
笑っているはずなのだ。確かにそこで彼女は笑っているはずなのに、分からない。今、彼女がどんな表情をしているのか。
利戸那は歩き出した。なちをすり抜け、扉へ。帰ると言ったのだから帰るのだろう。見送りをしないといけない。けれども、体が動こうとしない。
表情の見えない彼女が、何かに見えた気がして――。
「なーちゃん」
利戸那の声がする。振り返らなければ、違和感を持たれてしまう。そうすればこの時間がもっと続くかもしれない。早く振り返らないといけないのに、首が動こうとしない。
焦りがなちを埋め尽くす。しかし利戸那は、先程と変わらない声で。
「私、英雄になる」
英雄。
「なるなっ!」
言葉を聞いた瞬間、認識したと同時に声が出た。首が動いた。何かは全て吹き飛び、なちは一つの感情に囚われた。
利戸那の口元は笑っていない。表情は分からない。急に声を出した自分に驚きを示しているのかもしれない。分からない、けれどなちはきっ、と利戸那を睨みつけた。
「そんな……得体の知れないものになる必要なんて、ない」
どうして? なぜ自分は思うのだろうか。しかしそれを考える暇も無く、なちは言葉を発し、伝えた。自分の気持ちを、変わった自分の、変わらない何かを。
けれども、利戸那はそんななちを見て、ふっと笑みを、再び柔らかな笑みを浮かべる。
「そう、そんななーちゃんが好きだから、決めたの」
そこでなちは、初めて利戸那の顔を見た。
銀縁眼鏡の彼女。温海利戸那。かつて畠瀬なちの友人だった少女。
彼女は、自分の記憶よりひどく変わってしまっていた。




