はた迷惑な有名人
一度だけ、後悔したことを彼女は忘れない。
――どうして。あの時は助けてくれたのに……
目に焼きついた、あの眼差しが忘れられない。
悲しみと、蔑みの眼差し。
そんな目をした、彼が許せなかった。
いつしか彼女は、弱い人間を嫌うようになっていた。
「でさー、その作者がすごい面白くてさー、あとがきを本のカバー裏に書いちゃうんだよ」
「……それって気付く人いるの?」
イマナはあの一件以来、なーちゃん(仮)と行動を共にするようになった。
「ていうかさ、イマ。別に私に付きまとわなくても、あいつらはもうキミのことを虐めないと思うよ?」
「なーちゃん……そんなこと言っちゃうの?」
うるる、と目に涙をためるイマナ。うっ、となーちゃんは少し罪悪感にかられる。
「私……こんな体だから今まで友達も出来なくて……」
「あー、ごめんごめん。私が悪かったよイマ」
イマナの頭を撫でながら、謝るなーちゃん。弱い。
「やっぱりなーちゃんは優しい。ハグして!」
「抱きつくな。後、なーちゃんはやめろ」
なーちゃんと知り合った頃のイマナはもう少しだけ暗かったのだが(知り合った状況もあり)今ではすっかり明るくなった。
なーちゃんもイマナの要望で、ニックネームで呼び合うということになり(泣き落し)イマと呼ぶようになっている。
「しかしなぁ、私が友達ってのもいろいろ良くないものがあるしなぁ」
「えー、なんでなーちゃんが友達じゃだめなん? 後、顔から手を離してください。死んでしまいます」
「いや、ほら。私って他の人から良いイメージ持たれてないから」
確かに、なーちゃんのそばに人がいたことはいない。最近ようやくイマナが話しかけてくるようになったくらいだ。
「なーちゃんって、あまり人と話さないよね」
「なんせ、床屋にもろくに行かない根暗ですから」
クックック、と軽くなーちゃんは含み笑いをあげる。
「情報だけなら友人もいらないしね」
「それって……可愛そうな人だってこと?」
「……いや、違うけど」
前が本当に見えているのかもわからないほど垂れ下がった前髪を弄ぶ。
「ま、私と一緒にいても友達なんか増えないからあんまり関わらないほうがいいよ」
「そんな……」
『待ちやがれえええええええええ!』
イマナが次の言葉をつなごうとした時、背後から叫び声がした。
「うん?」
なーちゃんとイマナは同時に振り返る。
するとそこには二人の男女が、明らかに不良と思われる集団に追いかけられている図があった。
しかも、イマナたちの方に向かって。
「ほら栄治、早く倒してよ! こう、手から光線でも出して!」
「まなかさん、勘違いしてるかもしれませんが、僕はZ戦士でも何でもないですよ! それにあの数は無理ですって!」
先頭の男女は走りながら口々に言い合っている。
「あ、あれって……」
「ああ……」
イマナの呟きになーちゃんが応える。ため息をつきながら。
「口撃の女王と下僕のお出ましだ」
愛背まなか。この学校でその名前を知らない人はいないというほどの有名人だ。
身長驚異の百四十センチのちびっ子サイズの彼女は、不良の現れる所に彼女あり、とまで言われるほど、体育館裏などの所謂『不良スポット』と呼ばれる場所でよくエンカウントする。
わざわざ一般人が避けて通るほどの『不良スポット』に足しげく通う彼女は、別に不良ではない。
ではなぜ行くのか?
罵声を浴びせるために、だ。
手は使わずひたすらに人をこき下ろしたような言葉を吐き、不良たちの怒りのマグマを噴き出させ、颯爽と逃げていく。
それだけ。
ただそれだけの為に、まなかは『不良スポット』に通っている。
お前は何がしたいんだランキング堂々の一位を取るような方面での、『有名人』だ。
つまりは変人である。
そんな、毎日毎日足しげく『不良スポット』に通っては罵声を飛ばして逃げる彼女のことを、人はこう呼ぶようになった。
『口撃の女王』と
そんな口撃の女王に付き添っている男の名前は伊豆奈栄治。名前までは知らなくとも、存在だけならばこれまた学校にいる誰もが知っている。
とは言っても、皆どうしてまなかのそばにいるのかは知らず、勝手に流れた噂が、女王に気に入られたから一緒に走らされている。というまなかのとばっちりを受けている薄幸少年というのが最近の定説だ。
「わ、わっ! 相変わらずのパレードだよ!」
「あいつらもよく飽きないもんだよなぁ」
二人が不良たちに追いかけられているのは定例行事であり、誰も手を出そうとはしない。むしろ出せない。止めに入ればどう考えても吹っ飛ばされるのが目に見えているからだ。
「と、止めなくていいの?」
イマナがおずおずといった感じで、なーちゃんに尋ねる。
「イマは、私のことをヒ―ローか何かと勘違いしていない?」
そう言ってなーちゃんは苦笑する。
「イマが特別だったんだよ。ぶっちゃけあれ起こしてんの、あそこの女王様だし。」
そう言ってまなかをあごで指す。
「さあさ、どこうどこう。ここは危ないからね」
「う、うん……」
「くっそー! なんだってのよ! ふざけんじゃないわよ! たかがGの継承者になりたいのかしら? って聞いただけじゃない! Gかもしんないじゃない!」
「そこで何でガンダム出てくるんですか!」
「Gガン最高じゃない! ししょー! って」
「ああ……まんま、まなかさんの趣味ですよね」
「まあ、GはゴッキーのGなんだけど」
「それは誰もが気付いてますよ……」
と、そんな会話をしながらひたすら走り続ける二人。と、そこで
「あ! いいの発見!」
そう言うと、まなかは少しスピードを上げる。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて栄治もスピードを上げるが、まなかの方が早い。
一体あの小さな体のどこにそんなポテンシャルを秘めているのだろうか、などと考えては後でひっぱたかされそうである。
「あ、あれ? なーちゃん……愛瀬さんが……」
「どった? とうとう女王が捕まったのか?」
「いや、こっちに……その、突っ込んできてるかも」
「……は?」
「捕まえた!」
「……え?」
イマナの方を向いていたなーちゃんは、一瞬何が起こったのかわからなかった。
振り向いた時には何かがこちらの側面に向かって突っ込んでくる図だけだった。
「ぐふっ」
慣性にまかせて吹っ飛ぶなーちゃん。もちろん、吹っ飛ばしたのは『口撃の女王』こと愛瀬まなかであった。
「良いところにいたわ! ちょっと壁になってあいつらの相手をして!」
馬乗りになったまなかはそう、傍若無人に言い放つ。
「はぁ!?」
なーちゃんにはまなかの言葉が一字一句わからなかった。
「だーかーらー! 私が逃げるまでの時間をあんたに稼いで欲しいのよ! あいつらだって、見ず知らずの人をぶん殴るのは気が引けるでしょ? 栄治は使いもんにならないし」
「ま、まなかさーん! 何やってんすか!」
遅れてやってきた栄治は少しだけ息切れしながら、まなかを問いただす。
「あんたが不甲斐ないから、今一般人を盾にしようとしてるのよ!」
「はぁ!? や、止めてください! いつから悪役っぽいことをするようになったんですか!」
「今、ここで正義がやられちゃうのは駄目なのよ! この人は、ほら『ここは私に任せて先に行け!』って言う役の人だから」
「んなわけないだろうチビ助」
「あにゃ!」
なーちゃんは手でピースを作り、まなかの目に突き刺す、途端に苦しみ悶えてなーちゃんを馬乗りから解放する。
「変なことに他人を巻き込むんじゃない。これはあんたの問題だろう」
「うー、目がぁ……目がぁ! ケチくさ!」
「目をどうにかするか、文句言うかどっちかにしろ」
「ぐうう……私の英雄譚のために死になさい」
「文句だけすらすら言いやがって。素直にお前が死ね」
裾を正し、立ち上がったなーちゃんは吐き捨てるように言った。
するとまなかは、不敵に笑いだした。
「ふっふっふ。けれどもそうも言っていられないわよ」
「はぁ?」
「背後を御覧なさい!」
その言葉でなーちゃんも現状を思い出し、恐る恐る振り返る。
案の定、そこにはもう目と鼻の先に、不良たちが走りこんできていた。
『今日という今日は許さねえぞ愛瀬ぇーーッ!』
『邪魔だァーッ! どけぇええ一般ピーポーどもっ!』
「くっ……無駄話が過ぎたか」
「どうやら私の策に引っかかったようね!」
「って、僕たちも逃げられないじゃないですか!」
「ふぇ? わっ! きゃーしまったー!」
なーちゃんは今すぐにでもこの口の悪いちびっこを締め上げたくなる衝動に駆られるが、ぐっと堪えて、解決策を考える。
「む」
「へ? な、何ですか?」
そこで目に留まったのは、この中で唯一の男子である伊豆奈栄治であった。
なーちゃんは迷うことなく、栄治の顔面をつかむと、
「ちょっと手伝え」
それだけ言って、不良たちの方へ投げ飛ばした。
「は? えぇええええ!」
栄治の絶叫が、廊下に木霊する。
不良たちは、飛んでくる栄治を見て、少しひるむ。
「あいつら問答無用で男を盾にしやがった!」
「お前ら人間じゃねえ!」
「やかましい」
なーちゃんはその言葉を一蹴し、自分もまた不良たちに向かって走り出す。
「ぎゃっ!」
先に飛ばされた栄治は不良たちに頭からぶつかった。
そしてまるでボウリングのピンのように不良たちを倒していく。
「ふむ、いい感じに間引けたな」
にやりと、少し口元をゆがめるなーちゃん。
「お、男を片手でぶん投げるとか何モンだよ……」
「別にただ者とかじゃないさ」
地面を強く蹴り、飛びあがる。右手を目の前に突き出して、
「ただの根暗な女の子だよ」