09.挑発
「こちらが、最近研究している属性についての一覧表でございます」
「ああ、先日、会議であがったものの写しを見ました。これが原本なのですね?」
「左様でございます。会議用のものは、どなたにもご理解いただけるよう分類を少なく記しましたが、こちらは現在調査中のものも記帳してありますゆえ、少々乱雑でございまして……お目汚し、何卒ご容赦を」
「かまいません。おもしろいものですね……ひとくちに魔法といっても、こんなに種類があるなんて」
「はい、とくにこちらの分類などは、民の生活の補助になるのではと注目しているところでして」
魔法研究棟の一室にて、王子殿下は渡された資料をご覧になりながら、研究員の説明に聞き入っておられた。
その隣のゴードン将軍も、一緒に説明に耳を傾け、時折質問などを返している。さらにその後ろでは、文官が帳面を広げ、せっせと筆を走らせていた。
わたしはと言えば、することは警備以外にあるはずもなく、入り口の扉の前に控えている。
魔法研究というものは国の機密にも関わるため、塔の内部であっても、扉は音が外に漏れないように分厚く作られている。そんな扉には、開閉式の細隙があり、扉を閉ざしていても、そこを開ければ外と連絡は取れるようになっている。
ふいに、わたしに聞こえる程度の音量で、こつこつと扉が外から叩かれた。
わたしは身を翻し、扉の細隙を開けた。
「女騎士」
細隙の向こうから、涼しげな男の声がかかる。
声の主は、ここまで先導してきた黒騎士だ。彼は扉の外側の警備を任されている。
「なんだ、黒騎士」
われながら愛想もなにもない声を返す。
すると、くつくつとこもった笑い声が返ってくる。
「暇だ。俺の相手をせよ」
なんという言いぐさ。
わたしは呆れた。
この男、ずっと黙っていたので読めなかったが、なかなかいい性格をしているらしい。
「われらには、入り口の警護という任があろうが。王子殿下の御身をお守りする責、放り出したいのならばひとりで勝手にしろ」
「女だてらに言うではないか。黒騎士団のひとりである俺に向かって、そういう口を利く女はおまえが初めてだ」
尊大な口調に、わたしは少なからず不快感を覚えた。だが、憤慨するほどではない。
女騎士などやっていると、こうして下に見ようとしてくる男は多い。
国王陛下が国政改革を打ち出したのが、いまから20年ほど前のこと。そのうちのひとつが、女性の社会進出を一部認める法案であった。そうして、実際に女性の文官が初めて王城で登用されたのが、11年前。
それ以降、それまで社交界で着飾るばかりが仕事と思われていた女性にも、教育を受ける権利、男性と同じ職に就く権利が次々と認められだした。騎士もそのひとつだ。
しかしそれは同時に、かつてないほどの女性蔑視をも生んだ。いままでは花でも贈っていれば静かにしていた存在が、急に自分の地位を脅かすかもしれなくなったのだ。それを快く思わない男性は多かった。
結果、こうして日常の中で当然のごとくに女を罵る輩も多いというわけだ。とはいえ、この黒騎士はまだ優しいほうであろう。
「栄光ある黒騎士殿にとれば、卑しき女騎士など話相手になさるは名折れとなろう。このうえは、黙って警護の任に戻られてはいかがか」
「女、おまえはエウクレストと言ったな?」
ひとの話を聞かんときた。どこまでも不遜なやつだな。
「魔法騎士団の奇女とはおまえのことか。たしか、今度の剣舞会に出ると噂になっていたな」
き、奇女?
まさか、わたしがそんなふうに周りに噂されていたとは知らなかった……
胸にぐさりと刺さるものがあるが、否定もできん。たしかに、変わり者の自覚はある。
女騎士はほかにもいるが、すべて正規軍に所属するものばかりだ。城内の貴婦人がたの警護にあたるために編成されており、彼女たちは騎士でありながら淑女としての教育も受け、魔法騎士とは別のくくりで戦場には立たない部隊とされている。なるほど、彼女たちならば、たしかにこんな全身鎧は着るまい。
そしてもちろん、わたし以外の女の魔術師は、みな騎士ではなく研究者になる。やっとうの道なぞ選ぶのはわたしだけ、というわけだ。
「自ら望んで見せ物になろうというのだから、魔法騎士というものはやはり変わっているな」
扉の細隙から、黒騎士は挑発めいた言葉を次々と投げ込んでくる。
いったい、この男はなにがしたいのだ? 暇になると人を怒らせて楽しむ趣味でもあるのだろうか?
寂しいやつめ。
まあ、そこにわざわざ付き合ってやる義理はないか。
「そうだな」
わたしは頷いて、扉に背を向けた。
「黒騎士に背を向けるか、女。殺してくれと言っているようなものだぞ」
「そうか、それは恐ろしい」
わずかに低くなった男の声に、わたしは振り向かずに肩をすくめてみせた。鎧でこわばった肩にちょうどいい運動だ。
言葉と裏腹に、わたしがなにひとつ危機感を覚えないのは、男が多少不機嫌な声音になっても、結局は本気ではないとわかるからだ。
なにしろ、つい昨日、本物の殺気を味わったのだ。戦士ゼフの放ったあの強大な気を思い出せば、冗談めかした脅しになにを怯むことがあるだろう。
「ふん……魔法騎士エウクレスト、おまえを覚えておこう」
動じないわたしに、男はどこか楽しむような声を寄越す。
ちらりと後ろを振り向くと、黒騎士もまた扉に背を向けるところだった。
やれやれ、やっとからかうのをやめてくれたか。
わたしは身体をひねり、開けていた細隙をまた閉じた。
そうこうしているうちに、王子殿下とお付きの方々は、説明を粗方聞き終えたらしい。
王子殿下が説明に当たった研究員に労いのお言葉を述べられ、研究員はかしこまって深々と頭を下げる。その挨拶も済むと、ご一同は扉のほうへと戻っていらした。わたしは扉を開いてから、外へ出られる殿下と供の方々に続き、またしんがりへとついた。
視察はここで最後のようだった。一行はそのまま、行きとおなじ案内の魔術師に先導されて、塔の入り口へと向かった。
王子殿下のご同道は、この上ない栄誉ではあったが、慣れない責任の重さに肩が凝ってしまった。
やっと解放されると思うと、恥ずかしながら安堵が胸にこみ上げてくる。
「すこし、ここで」
すると、殿下は入り口前の広間で、一行をお引き留めなされた。
どうなされたのだろう、と疑問に思う間もなく、なんとなんと、殿下は振り向かれ、わたしへと向き直られたではないか!
「どうか、お楽に」
あわてて膝を折るわたしの頭上から、殿下の優美なお声がかかる。
「エウクレストさん、でしたね。今日は急な視察だというのに、長い時間付き合わせてしまい、すみませんでした。
できれば、魔法騎士であるあなたからもいろいろお話を伺いたいのですが、これ以上本来の任を離れてあなたを振り回すのは、あまりにも無体というものですね」
「おそれながら、殿下」
直接に言葉を交わしていいものか、先刻と同じく将軍の顔色をうかがってから、わたしは口を開いた。
「われらはガルリアン王国の忠実なるしもべにございますれば、殿下のお望みとあれば、他のなにをなげうってでもお応え申し上げることこそが本懐にございます」
「ありがとう。あなたのように誠実なかたが騎士として国に仕えてくれることを、王家の一員としてなによりうれしく思います。
それでも、これは私の個人的なわがままですので、今日はなしにしておきましょう。でも、近いうちに魔法騎士団を正式に視察に行きたいと思っています。書面で後日通達しようとは思いますが、あなたの口からも、そのことを隊長どのに伝えていてもらえますか?」
「はっ。お任せくださいませ」
殿下が、魔法騎士団へおいでになる?
隊長の蒼い顔が見えるようだな。あの荒れ放題の司令室になど、間違っても殿下にお見せできないだろう。掃除など押しつけられなければいいが……
「あなたは、不思議なかたですね」
ふいに、王子殿下はわたしに向けて、どこか感慨深げに仰せになった。
「女性騎士を何人か知っていますが、みな、あなたとは違う。あなたはまるで、男性騎士のように振る舞う。しかもそれがとても自然です。あなたのようなかたは、初めて見ます」
「は」
ひざまずいたまま頭を下げつつ、わたしは戸惑った。
ほめられているのか? いや、毛色が変わっていることは、けしてほめ言葉ではあるまいな。
「殿下」
すると、横手から意外な声が上がった。
あの黒騎士だ。
「控えよ、ジュード」
「よいのです、将軍」
許可なく話しかけた黒騎士を、ゴードン将軍が渋面とともに鋭く叱責なさる。しかしそれを、殿下が片手をあげて制された。
「どうしました、ジュード?」
「はい。こちらのエウクレスト殿は、どうやら収穫祭の剣舞会に出場するらしいのです」
「っ」
黒騎士の言葉に、わたしはつい顔を上げてしまった。
おい、それが何の関係があるのだ!?
なぜここで急にそんな話をし出した、黒騎士め! わざわざ殿下のお耳に入れてなんとする!
「剣舞会に!」
驚愕と憤慨で目を白黒させるわたしに気づかれることもなく、殿下は目を輝かせ、口元に笑みを浮かべられた。
「そうなのですか! でも、あれはたしか男女混合で、女性には不利だったはず……それなのに出場されるとは、勇気があるのですね!」
「は……恐れ入ります」
「私は毎年、剣舞会を観るのが楽しみなのです。そうですか、今年はあなたが……ぜひ、応援しましょう! がんばってくださいね。あ、でも、どうかけがにはお気をつけて」
「もったいないお言葉、祝着至極に存じます」
あらためて深々と頭を下げながら、わたしは兜の内側で歯噛みした。
胸の内から噴き上がる怒りを、長槍を強く握りしめることでやり過ごそうと努める。
おのれ……黒騎士め!
あやつめ、女であるわたしを馬鹿にするために、畏れ多くも王子殿下を利用したな! なんという不届きなやつ!
これで、わたしが王子殿下の御前で試合に負けようものなら、わたしの恥は、ただ負けるときの何倍にも膨れ上がる。いやならせいぜい勝ち進め、か?
なんと陰険な、ひねくれた、嫌みなやつ!
いまもあの黒一色の兜の内側で、皮肉にほくそ笑んでいるにちがいない。
「殿下、そろそろ次の予定が」
「あ、そうですね。行きましょう。……エウクレストさん、今日はお会いできてよかった」
殿下はわたしのどす黒い怒りに気づかれるようなこともなく、文官にうながされて、塔の外へとあらためて向かわれた。黒騎士も、なにごともなかったかような体で無口になり、一行の先頭に立った。
それを、わたしは塔の入り口、変わらず門番を勤めていた同僚と並んでお見送り申し上げる。
「まいった」
殿下ご一行が行ってしまわれてしばらくしてから、門番をしていた同僚が、詰めていたらしい息を吐き出すとともに言った。
「王子殿下どころか、将軍閣下も、初めてこんな間近で見たぞ。悪いことをしたわけでもないのに、始終生きた心地がしなかった……エウクレスト、おまえ、よくあんなのに同行できたな」
「閣下直々のご下命だ、逆らえるわけがなかろう」
面頬を上げ、呆れたような目で見てくる同僚を、わたしも同じく面頬を上げてにらみ返した。
「それに、ひとごとでは済まんぞ。殿下は、近いうちに魔法騎士団の視察もなさりたいと仰せであった」
「なにっ!?」
「此度は急なおいでであったが、魔法騎士団には先触れをくださるそうだ。となれば、非番でも呼び出されるのは必至であろう。逃げられんぞ、覚悟しろ」
「おお……こんなことを言うのは人生で初めてだが、俺は明日から毎日倉庫番でいい。考えただけで胃に穴があきそうだ」
「栄誉と思え。お目に留まれば、取り立てていただけるかもしれんぞ」
「ふん、そんな熱心なのはレイクくらいなもんだろう……というか、どうした? 栄誉ある追従の任を賜ったあとにしては、やけに不機嫌そうじゃないか。仏頂面がとうとう取れなくなったか? 嫁のもらい手がますますなくなるぞ」
「そうとも、とうの昔に行き遅れよ。わたしは剣と添い遂げるのだ。……さあ、交代だ。わたしが番をするから、塔を昇って固まった身体をほぐしてこい」
軽口の尽きない同僚を塔の中に追い立てて、わたしはひとり塔の入り口に立った。
面頬を下ろす前に、ふと、革手袋と手甲をはめた手で自分の顔に触れてみる。
不機嫌そう、か。
仏頂面と言われるのはいつものことだが、最近はこの顔にも感情の機微があるのだと、同僚もわかってくれるようになった。さぞ見分けがつきづらいであろうに、見事な観察眼だと感心する。
あの黒騎士……
面頬を下ろし、立てた長槍を両手で握りしめる。手袋がぎゅっと鳴り、五指手甲の小札もわずかに軋んだ。
わたしを虚仮にするものは多い。騎士という男社会で生きているのだ、侮られるのは珍しいことではない。
だが、あの黒騎士のやり方は許せん。わたしを直接に馬鹿にするならばよいが、あのような……
「見ておれ」
わたしは兜の内側でうなった。
「奇女にも奇女なりの意地がある。踏まれてただ潰れるだけと思うなよ」
わたしは雑草の女だ。
踏まれれば踏まれただけ、強くなるのだ。折れたところから芽を出し、上を目指して成長するのがわたしだ。
強くなってやる。
いまはあの黒騎士に腹が立って仕方がないが、やがて憤慨を感謝に変えてやろうではないか。おまえが馬鹿にしてくれたからこそ、わたしは強くなれたと、そう言えるようになってやろう。
強くなるんだ、絶対に。
固く強く決心するわたしの頭の中に、なぜか、ひとりの男の姿が浮かんだ。
それは、武勲をあげて国王陛下のおぼえもめでたい誉れある養父、ではない。
天才と謳われる、魔法騎士団の筆頭である同僚、でもない。
あの、老練な目をした戦士を思ったのだ。
わたしの剣による渾身の一撃を、短剣で、しかも片手で受け止めた、あの不敵な戦士を、わたしは、なぜか真っ先に思い浮かべた。