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48.平原を行く


 最低限の休憩だけで、あとは王都に向けて駆け通しだ。

 文字通りの強行軍で、弱音を吐く暇もない。


 遅れたりはぐれたりした場合に落ち合う場所は、事前に打ち合わせている。

 しかし、それは当然ながら免罪符にはならない。

 わたし以外は銀環騎士隊の精鋭揃いだ。馬の扱いも相当にうまい。それに必死で食らいついていくしか方法がない。

 従者に合わせて多少速度を落としているので、なんとか着いていけているといった感じだ。


 出立してはじめの夜、小さな村落にたどり着いたときには、口もきけないほど疲れ果ててしまった。

 プリメラもさすがに疲れたらしく、水を大量に飲んでいた。

 とはいえ、持ち前の回復力のおかげで、耐えられないほどではない。


 2日目からは体力の配分を考えながら駆けた。

 ほかの騎士は表情に疲れも見えない。今更ながら、音に聞く銀環騎士隊の偉大さを身に染みて感じた気がした。


 いま走っているのは平原だ。

 ところどころに岩が突き出しているが、近くを商路が通っていることもあって、比較的整備されている。

 遠くに針葉樹の林が見えるほかは、見通しもいい場所だが……


「うわあ!」


 鋭い風切り音がして、後方の従者が悲鳴を上げた。

 馬が悲鳴のようにいななく。恐慌を起こして走りが遅れかけたのを、近くの騎士がすばやく腕を伸ばして手綱を引いた。

 また風切り音。


「襲撃!」


 別の騎士が叫んだ。

 わたしは素早く周囲に目を走らせた。

 近くの岩場から、見知らぬ馬が出てきた。背に人影。小さい。


 ――あれは!


 遠目でもわかった。

 昼間の明るい場所で見るのは初めてだし、あのときのような黒衣でもないが、見間違えるはずがない。

 ランスとかいう、重魔力を使う女だ。


 思わず、前を走る隊長へと視線を向けた。

 カシウス様の左腕が動いて、横を指す。


 散開か?


 覚えのない指示に一瞬訝るが、他の騎士たちが動いた。

 隊長の先頭はそのままに、わたしと従者が中心になり、ほかの騎士3人が周囲を取り囲むかたちになる。


 なんだ、この陣形は⁉


 わたしは息を呑んだ。

 野盗などに会敵した場合の手順は事前に打ち合わせていたが、そのなかにこんな陣形はなかった。

 これでは、わたしはまるきり守られる側だ。


 ひゅん、とまた風切り音が鳴った。

 矢の流れる方向を確認するより先に、陣形は一体となって左に逸れる。

 視線を後ろに向けると、追ってくるランスの馬のほかに、騎馬の影がもうひとつ見えた。弓を持っているのはそちらだ。

 こちらも相当の速度で走っているが、隊列を組んでの走行はどうしても速度の調整が入るため、じわじわと相手に距離を詰められていく。あちらのほうが早い。


 隊長がふたたびサッと手を上げた。

 その指の形を見て、こっそりと安堵する。今度はわたしにも覚えのある指示だ。

 騎士隊は平原の中でも多少小高くなった岩場へと向かい、そのまま馬の速度を落としていく。

 そこで戦うのだ。

 わたしも続こうとした。


「待て!」


 しかし、手綱を引こうとした手を、いきなり横からの鋭い声に止められた。

 驚いて顔を向けると、ひとりの騎士が厳しい目つきをこちらに向けていた。


 止まるなと?


 走る馬の上で話すのは至難の業だ。

 視線で問うと、騎士は目配せで前方を指した。

 そうこうしている間に、隊長たちは岩場へと向かい、わたしたちは自然そこから横に逸れるようにして離れていく。従者たちも一緒だ。


 そうか、従者を逃がすのか!


 やっと合点がいった。

 非戦闘員である従者を先に逃がすために、わたしともうひとりが護衛に着くというわけだ。

 しかし、事前の話にはなかったことだが……どうして?


 わずかな疑問が浮かんでも、質している余裕がない。

 わたしは馬首を回して、もうひとりの騎士と反対側、警護対象である従者を挟む位置に行こうとした。

 ところが、


「ちがう!」


 短い言葉で制止された。

 驚くわたしを、なんと従者たちが動いて、両隣を囲まれた。

 わたしを止めた騎士はしんがりだ。


「どういう、ことだ!」


 走る馬の上で、わたしは我慢ができずに叫んだ。

 さきほども感じた通り、これではわたしが守られる対象だ!


 追手は来ない。

 隊長たちが足止めしているのだ。

 それを確認した騎士がわずかに速度を落とし、わたしたちもそれに従った。

 並足ではないが、会話をするには不自由がない程度の速度になる。


「説明を!」


 わたしは騎士に食って掛かった。


「命令だ」 騎士の兜の下から、低く怒ったような声が答えた。「襲撃があれば、第一におまえを安全な場所へ連れて行く」

「敵は魔法を使う!」 わたしも負けじと怒りをあらわにした。「魔法騎士のわたしが相手をせねば!」


 本当のことを言えば、敵の魔法攻撃に対抗する手段など、魔法騎士だからといって持っているわけではない。

 しかし、ランスは重魔力を使う。

 隊長はあれで命を落としかけたのだ。

 もし、またあの力を使われてしまったら、防御手段などまったくない。わたし以外に、浄化できるものもいない。


「リオンタール閣下と、たかだか魔法騎士ひとりの命、どちらが重いか、貴殿もおわかりであろう!」

「命令だ!」


 わたしの喚きは、騎士の怒声ひとつで抑えられた。

 その声音で、騎士の葛藤がわかった。

 今回同行しているのは、出向してきたものではなく、長らくカシウス様の下で仕えてきた銀環騎士隊の精鋭だ。

 わたしなどより、よっぽどカシウス様の身を案じているだろうし、カシウス様の実力を知っているからこそ、かの方を受傷せしめた敵の実力を危惧しているに違いない。


「すまん」


 わたしは短く詫びた。

 ここで子供じみた我儘を繰り返しているより、この状況でどう動くのが最善かを考えたほうがいい。


「今日の野営地まで行き、そこでわたしは従者たちとともに身を隠す」 わたしは言った。「貴殿はそれを確認次第、閣下のもとへ向かってほしい。それならばいいだろう?」


 騎士は答えなかったが、わずかにうなずいた。

 それに安堵する。


 そのとき、


「ひいっ!」


 従者のひとりが叫んだと同時に、下から巨大な衝撃が来た。

 馬がいななき、走りがとたんに乱れる。わたしの乗るプリメラも、よろよろとふらついた。

 地震かと思った。地面が揺れて、馬の脚が取られたのだと。

 だが違った。


 地中から、断続的に大量の魔力の波動が吹き上げてきたのだ。

 地響きを伴うほどに、巨大なものが。


「攻撃魔法だ!」


 わたしが叫んだ直後、波動が我々の隊列を直撃した。

 悲鳴が重なり、騎士と従者たちが馬から投げ出されるのが見えた。

 しかし、ひとごとではない。

 わたし自身もまた、斜め下から突き上げられたかのように、プリメラの背からぐんと浮き上がった。

 プリメラ自身にも衝撃が来たらしく、悲痛な声が上がる。


「プリメラ!」


 わたしはとっさに手を伸ばした。

 愛馬の首にしがみついたが、馬の足元がおぼつかなければ、それはなんの支えにもならない。


 だめ! 転んだら、脚を折ってしまう!


 馬鹿馬鹿しいことだが、自分の身よりも馬の身を案じた。

 わたしは一瞬で意識を集中して、風を呼ぶ呪文を唱えた。

 攻撃魔法の部類にはいるそれは、わたしには本来使えないものだが、そんなことは構っていられなかった。


陣風(ハウリング・ウィンド)!」


 叫びながら、全霊でもって周囲のマナに干渉した。

 一瞬、腹のあたりが燃えたかと思うほどに熱くなる。


 ざあっ、と音がした。

 数千羽の鳥がいっせいに飛び立ったような音だと思った。

 それは大量のマナの流れで、空気と一体となったマナは一陣の風を巻き起こした。その風が、プリメラの身体を包み込み、彼女が転倒して地面に激突するのを防いだ。

 ほっとする間もなく、強すぎる風にあおられた自分の身体が馬の身体から引きはがされる。

 せめてと頭を抱えたところ、ぞっとするような冷たい衝撃が全身にぶつかってきた。さきほどの攻撃魔法だ!


「ああっ!」


 全身鎧を着ているというのに、まるで紙きれのようにわたしの身体は上空に押し上げられた。

 頂点まで来て、すさまじい速度で落下する。

 地面にぶつかる!

 鎧を着た人間が衝撃を受けたとき、中の生身がどうなるかなど考えたくもない。


「あははははっ!」


 しかし、その答えを身をもって知る前に、甲高いと笑い声とともに落下が止まる。

 なにが起きたのかと、知らず知らず強くつぶっていたまぶたを開くと、地面が眼前に迫っているのが見えた。

 落ちずに済んでいるのは、腹に巻き付いた腕がわたしを捕まえているからだ。


「やっぱり騎士なんて馬鹿しかいないね!」


 頭のすぐ上で、得意げな声が笑った。

 それに聞き覚えがある。これも小屋の襲撃で聞いた声だ。

 ランスと一緒に襲ってきた、あの、赤毛の女の声。


 馬上にいるその女に、わたしは荷物のように小脇に抱えられているのだと分かった。

 体格もわたしとそう変わらない女な上に、わたしのほうは全身鎧を着ているというのに、だ。

 すさまじい膂力だ。筋骨隆々とも言えない女の体つきから、おそらくは魔法の補助を得ているに違いない。


「待て!」


 騎士が駆けつけてきて、女へと剣を向けた。

 馬がいない。さきほどの魔法攻撃で落とされたのだろう。


「あの夜とあべこべね」


 女が揶揄するような浮ついた声で言った。


「あのときは、あんたが庇う側だったのにねえ。ウチらもすっかり騙されちゃった……腹立つったら!」


 わたしに言っているのだと、すぐにわかった。

 たしかに、小屋で対峙したとき、わたしはミリーを守ろうと剣を握った。

 そういえば、あのとき狙っていたのは、聖女と呼ぶ存在だった。


「くっ!」


 わたしは身をよじった。

 たかだか女の腕一本が腹に巻き付いているだけだ。魔法の補助を得ているとしても、解くのは難しいことではない。

 そう思って暴れてみたのだが、相手の腕が少しも揺らがない。まるで鋳型で圧したかのようにわたしを抱えた形のままで、革を張った布づくりの袖がよじれるばかりで芯が動かないのだ。

 暴れながら女の腕に手をかけたが、その感触の不快さに、わたしは一瞬抵抗を忘れた。


 なんだ、この腕は?

 まるで粘土を触っているかのような……とても生物の感触とは思えない無機質さだ。

 なにか、服の下に巻いているのか?


「相手をしている暇なんかないの!」


 女はそう言って、騎士のほうに片腕をかざした。

 その手に握られた弩は、小屋でも見たものだ。


「あぶない!」


 わたしが叫ぶと同時に、弩から矢が射出される。

 騎士がすばやく首をひねったが、兜の側面に当たってガンと固い音が立った。

 肉体に損傷は出なかったが、視界は揺らされただろう。さすがに騎士の足が止まった。


「バイバイ!」


 その隙に、女が弩を背に戻して、馬を回した。わたしを片手で抱えたまま、手綱を繰って走り出す。

 なんとか首を起こして前方を見る。

 平原は似たような景色が続くので方向感覚がわかりにくいが、騎士の位置と照らし合わせると、来た方向へと戻っているようだ。


「離せ!」

「言われて離す馬鹿がいる? ここで離したら、あんた、地面と激突してぐっちゃぐちゃよ」


 怒鳴ってみたが、軽く返されて終わりだ。

 走る馬の背でも相変わらず女の腕は揺るがない。

 捕まえられているわたしが馬の振動で揺れているというのに、腹に回ったその腕だけが固定されているように不動なのが、明らかに異様だった。。


「あ、いたいた」


 女がなにか見つけたような声を出す。

 馬首の向こうを見ると、見覚えのある鎧が3人見えた。

 カシウス様と、銀環の騎士たちだ! 全員が馬上にあり、ぐるぐると円を描いて回るその中心に、あのランスがいる。

 騎馬の機動力を生かして、相手の狙いを定めさせない布陣だ。


「あははぁ、ランスってば、情けなーい」


 仲間が追い詰められているのを、少しも危機感のない声で笑って、赤毛の女は馬首を回して少し離れた小高い丘へと向かう。

 隊長たちの姿を見渡せて、向こうからも視認しやすいような場所だ。


「ああああ! めんどくせえ!」


 輪の中央で、ランスが焦れたように怒鳴った。

 それと同時に、周囲の地面が揺れ始める。

 さきほど、わたしたちの一団を襲ったものと同じに見えた。

 地面の下から、魔法の衝撃が突き上げてくる!


「散れ!」


 隊長の号令一下、隊列が外へと広がった。

 衝撃波は目には見えないが、マナを感じられるわたしには、下から登ってきたそれが、まるで押し寄せる濁流のように横向きへと変じて騎士たちに殺到するのがわかった。

 馬の悲鳴が上がる。

 数頭が倒れて、騎士が地面になぎ倒された。

 カシウス隊長はなんとか逃れて、馬とともに衝撃波の届かない場所まで下がる。その手には、今日は剣ではなく槍が握られていた。


「カシウス・リオンタール!」


 ランスが苛立ちを隠さずに怒鳴る。


「おまえ、戦え! あたしと戦え! おまえの、騎士、死なせたいか⁉」

「侮るな!」


 落馬した騎士が、叫んでランスに斬りかかる。

 うまく受け身で流したらしく、その足取りに弱ったところはない。

 だが、あれは悪手だ!


「近づいてはいけない!」


 わたしは思わず声を上げた。

 だが遅く、騎士の剣がランスに肉薄した。

 それを難なく交わした銀髪の女は、片手を差し上げて騎士にかざす。

 その手先に、魔力が溜まるのがわかった。


「ちっ!」


 しかし魔法が発動する前に、カシウス様の槍が騎士とランスの間を突いた。

 つい数瞬前まで遠ざかっていたのに、もうふたりに肉薄している。

 槍の穂先はランスの手をかすっただけだったが、隊長はそれに構わず、騎士をかばうように馬を割り込ませる。そのまま、騎士になにごとかを指示した。

 おそらく、下がれと言っているのだろう。


「来た! ははっ!」


 ランスが狂喜して隊長に斬りかかる。

 この位置からでは見えないが、あのときと同じく、その手には小剣が握られているのだろう。

 カシウス様が無造作に槍の絵でそれを受け、難なく跳ね返す。


 身のこなしや武器さばきだけを見れば、カシウス様の戦闘能力はランスよりも明らかに上だ。

 だが、怖いのは魔法……もっと言えば、重魔力だ。


「あいつ、強いのね」


 ふいに、頭上で赤毛の女が忌々しげにつぶやいた。


「っ⁉」


 次の瞬間、身体を引き上げられ、馬上、女の前に乗せられる。


「ちょっとお! そこの騎士ィ!」


 赤毛が怒鳴る。

 その声はむこうに届いたようで、地面に転がるものたちも含め、全員の視線がこちらに向いた。


「へんな真似しないで、うちのランスと楽しくおしゃべりしてあげてよぉ! じゃないと、こうよ?」

「なっ! あっ⁉」


 衆目を集めながら、女がわたしの首に片手をかけ、もう片方の手をわたしの胸の前に回した。

 抵抗しようと思うより早く、いやな音が耳をつんざいた。

 メキメキとか、ギシギシとか、そういった固いものが擦れて割れる音とともに、女の手がわたしの胸当てを裂いた(・・・)


 金属でできた装甲だ。それを、素手で曲げて、留め金を弾き飛ばした。

 目の前、そもそも自分の身に起こっていることだというのに理解が追い付かず、わたしは呆然と女の手に握られた金属片を見るしかなかった。

 鎧を裂かれたときに背中にかかった負荷ですら、痛いとも思わなかった。それくらい驚いたのだ。


「次は聖女のあばらを開くよ? 人質っていっても、生きててくれりゃあなんでもいいんだからね!」


 女が狂ったように笑うのも、どこか遠いひとごとのように聞き流す。


 次の瞬間、ヒュンと風を切る音がして、なにかがこちらに飛来した。

 とっさに首をひねって避けたが、そもそもそれはまっすぐに赤毛の女の眉間に向かっていた。

 頭蓋に突き刺さる直前、女が無造作に払った鎧の残骸でそれを弾く。


「この、馬鹿が!」


 投げられたのは小剣で、投げたのは、なんとランスだった。


「余計なこと、ベラベラ、しゃべるんじゃねえ!」

「だってえ」


 殺意すら乗せて怒鳴られたのを、赤毛の女はまるで冗談のように受け止めている。

 その隙に拘束を解けないかと思ったが、わずかに動いただけで、鎧の裂け目が音を立てて気づかれてしまう。


「あら、耳くらい千切ってやろうか」

「ぐっ!」


 女が、わたしの首元を押しつぶすように腕を押し付けてきた。

 そうすると、鎧の裂け目が鎖帷子で覆われた首のほうへと曲がり、刃でも突き付けられたような感覚がする。

 さきほどの膂力でそのまま押されれば、刃よりもむごく肉を潰して食い込んでくるだろう。


「あんたも大人しくしてるんだよ、聖女様。自分がまともな交渉材料になるなんて希望は捨てな」


 冗談めかした色が消えて、低く耳元にささやかれる。

 その声音で、耳を千切るのも、あばらを開くと脅したのも、本気なのだと分かった。

 強く首を押されて、息が詰まる。


 どうする?

 この状況を打開するために、なにをする?

 なにをしたら、全員を助けられるのだ?


「ランスも、なんであんな騎士なんか」


 赤毛の女が、ひとりごとのようにそうつぶやくのが聞こえた。


 そのとき、風が動いた。

 自然のものではない。

 マナがざわめいたので、これは魔法の力だ。


 見ると、向こうから駆け寄ってくる騎馬が見えた。

 カシウス様だ。

 手にした長槍にまとわりつくように、マナが渦巻いているのが見える。


 魔法を使えるようになっている⁉


 隊長の後ろからは、ランスが追ってくる。

 ほかに動くものはない。騎士たちはまだ衝撃波による転倒から立ち直っていない。


 カシウス様が馬を駆りながら槍を振りかぶる。

 それに合わせて、マナが動く。

 一瞬凝縮し、そこから爆発のように膨れ上がる。


 光った。

 膨れ上がったマナが、きらきらと輝く光の粒子に変わった。


 それは何度も見た光景だ。

 わたし自身がマナを導くときに。

 囚人ガノが不思議な力を使ったときに。

 ゼフュロスが、わたしの前に幻のように現れたときに。


 あのひとはロアードだから。


 弟の顔をしたひとがつぶやいた言葉が頭のなかに聞こえる。

 光るマナの粒子。導きに従うものたち。

 シュルマが独自の魔法を使うと、マナが光ると言ったのは、巫女と崇められる魔女だった。


「それだぁ!」


 ランスの狂喜した声が聞こえる。


「やっぱり、おまえ、シュルマだな!」


 カシウス様は背後の叫びを意に介す様子もなく、槍を振るった。

 まるで矢のように、マナが射出される。

 それは一条の雷撃となって、赤毛の女を直撃した。速い!


「ぎゃあっ!」


 女が叫んで、腕の拘束が解けた。

 馬上からぐらりと身体が傾ぎ、そのままわたしは落ちた。

 壊れた鎧のせいで受け身が取れず、肩からしたたかに地面にぶつかる。

 痺れるような痛みが全身に走って、まともに息ができない。視界が赤くなったり、暗くなったりする。


 まずい……気を失ってしまう。


 なにか意識を集中するものはないかと、目を動かす。

 視界の端になにかが降ってきたのがわかった。

 赤毛の女だ。あいつも落馬した。

 ……死んだか?


 視界が狭まる。

 だめだ。いま気絶するわけにはいかない。

 まだランスがいる。あいつの重魔力を、警戒、しなくては。


自己治癒力促進(ハイパーヒーリング)


 ふいに、優しい声が下りてきて、全身が温かくなった。

 自分のなかのマナが活性化し、それによって血流がよくなるのを感じる。

 息苦しさと全身の痛みが消えて、視界が急に明るくなった。


「っは!」


 息を吹き返して、わたしは地面に手をついて身体を起こした。


「どうどう」


 ふたたび、優しい声が上から聞こえる。

 赤毛の女が乗っていた馬をなだめているのだと、すぐにわかった。

 しかし、この声は……?


「やあ、ニア」


 顔を上げると、そこには、柔和に笑うアルンバート・バーティアスが立っていた。


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