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47.日常へ

 そこから数日は、淡々と、しかしあっという間に過ぎていったような気がした。


 まず、シドレイ様が思ったよりも早く捜索にやってきてくれた。

 妙な胸騒ぎがして、オランドの伝令を聞くより早く領地を出ていたらしい。

 わたしたちがレイシーの隠れ家を出た日には襲撃場所の小屋にたどり着き、そこからずっと周囲を捜索したという彼は、翌日の夜になる前にはわたしたちの野営地を探し当てた。

 味方に容易に発見されたということは、敵にも見つかりやすいということ。だが、幸いにして再度の襲撃はなかった。

 わたしたちは弱ったミリーを丁重に扱いながら、可能な限り素早くケイネスへと帰還した。


「まったく、俺らしくないことだった」


 後日、シドレイ様はケイネスの宿舎でわたしに話してくれた。


「夢にイヴァン様が出ていらして、しきりに俺に馬を用意しろとせっつくのだ。なにを焦っているのかと訊くと、お子様方が危ないと言う。もう失くしたくないのだとおっしゃる顔が、いやに鮮明にまぶたに残って……気が付いたら、夜中だというのに隊員を叩き起こし、領主に掛け合って出立していた」


 領主軍にはだいぶと呆れられたらしいが、その後間を置かずにオランドの伝令が到着し、おっとり刀で後を追ってきたということも話してくれた。

 わたしが実際にこの目で見たのは、さすがは音に聞く銀環騎士のご慧眼と養父におもねる、領主軍の兵士たちだけだ。彼らも遅ればせながら王都の騎士隊長を救ったとして、褒賞をもらったらしかった。


 小屋に調査に向かった騎士たちは、全員生きていた。

 ただし、それぞれに怪我がひどい。わたしだけが無傷で、あとは大なり小なり負傷している。

 隊長も、弱った様子はいっさい見せなかったが、やはり身体には相当の負担がかかっていたらしい。さすがにケイネスに帰ってからは数日の休養を要した。

 魔法に目覚めたばかりでは苦しむというレオの言葉がふと頭をよぎったが、非常時と違っていまは勝手に見舞いに参じるわけにもいかない。不調にマナが関係しているのかどうかを確かめるすべはなかった。


「そなたは平気なのか、ニア?」


 シドレイ様についでのように心配されたが、わたしは本当になんともなかった。

 重魔力も受けたし、肩も負傷した。慣れない遠征と野宿に疲労ももちろん溜まっているはずだ。

 だが、


「わたしの回復の早さは、義父上もご存じでしょう」


 そう答えるしかなかった。

 ほんとうに、平気なのだ。

 肩の傷はケイネスに到着する頃にはほぼ塞がっていたし、体力もありあまるほどではないが、職務がこなせないほど消耗しているとも言えない。

 重魔力に至っては影響など一切なく、むしろマナを把握しやすくなったいまとなっては、体内の循環を自分で管理できるぶん、前よりも調子がいいくらいだ。


「意外だ」


 シドレイ様が、純粋に感心した口調で言った。

 それには、わたしも頷くところである。

 昔から怪我の治りは早かったが、マナを感知できるようになってから、それがさらに強化されたような気がする。


 ちなみに、カシウス様の魔法封印が解けたことに関しては、シドレイ様にはお話ししたが、他には伏せている。

 瞳の色が変わったので変化は一目瞭然なのだが、それを魔法力の解放と結び付けられるものはまずいまい。なにより、隊長が人前では半兜をけして外さないようになったので、ほとんどのものが変化に気づいていない。


「情報の扱いについては、休養のついでに考えておこう」


 ふと執務室に顔を出された際に、隊長が自らわたしにそう言ったのだ。

 そのお姿に弱った様子はやはり少しも見られないが、お伺いするところによると、やはりミリーほどではないが変調のようなものを感じているらしい。

 マナを見させていただいたが、たしかに活発に動いており、そのまま自然に落ち着くのを待とうという結論にいたった。


 これらのことで、10日が瞬く間に過ぎ去った。


「明後日、王都に帰還することになった」


 わたしにあてがわれた寝室で、寝台に横になるミリーそう告げた。

 ミリーは遠征から戻って以降、いまだ床から起き上がれないままだ。

 彼女を含めて、怪我や不調が癒えないものはまだ帰還できない。

 今回帰るのは、隊長と、わたしを含めた無傷の騎士数名だけだ。


「すみません」 ここ数日でずいぶんか細くなってしまった声で、ミリーがわびた。「同行したかったんですけど、ずっとお荷物のままです。無理を言ってついてきたのに……」

「なにひとつ詫びることはない。今回のミリーの貢献は、騎士にも匹敵するほどだった。だから、いまは身体をいたわってほしい。マナもだいぶ落ち着いてきたから、少しずつ良くなるよ。魔術師として目覚めてしまえば、あとは楽になるのだが」


 わたしが言うと、少女ははにかんだように笑った。

 魔法に目覚めるのだとレオに言われたミリーは、しかしいまだに魔力を発現することなく今日まできてしまった。

 その間でマナはだいぶ落ち着いたが、遠征先での無理が祟ったのもあって、復調の兆しはごくゆるやかなものだ。ふっくらとしていた少女の頬は、だいぶやつれてしまっている。

 目にするたびに痛ましい思いに駆られるが、本人はいつも気丈に笑っていた。


「まさか、あたしが魔術師になるなんて」


 ミリーは天井を見上げて、独り言のようにつぶやいた。


「昔、お兄ちゃんに言われたんです。あたしはたしかにマナに適性はあるけど、魔法が使えるほどにはならないだろうって。でも魔法具の見極めには役立つだろうから、魔術師になるよりは気楽だろうって」

「それについては、王都に帰ってからアルンバートと話さねば」


 わたしはそう言って、近くの窓から外を見た。

 ここからだと、ケイネスの領地を囲む山の稜線が望める。あの山を越えた先は、隣国、テルヴァスだ。


「レイシーさん、無事に行けましたかね」


 同じことを考えていたらしいミリーが、ぽそりと小さく言った。

 わたしたちを救助するごたごたの裏で、魔女レイシーはうまくやったらしい。


 独房でぼや騒ぎがあり、複数の囚人が逃げ出したという噂話を聞いたのは、ケイネスに戻ってすぐのことだ。

 逃げたのは全部で10人あまり。ほとんどが小悪党だったらしいが、その際にガノも逃げた。ガノの共犯として捕まっていたもうひとりも逃げた。

 領主の面目は丸つぶれだ。

 おかげで、遠征先で襲撃に遭い散り散りになるという銀環騎士隊の失態も、思ったよりは強い糾弾を受けなかった。

 怪我人や病人だけが残るという領主側の負担を強いるような今回の決断とて、向こうの立場が弱くなっているからこそ頼めたことだ。


「隊長の馬は無事に戻ってきた。上手くやったのだろう」


 レイシーの姿は見ていないが、彼女が移動に使ったであろうカシウス様の馬は、ぼや騒ぎの数日後に宿舎まで自ら帰ってきた。仲間と逃げた魔女が解放したのだろう。

 馬には飢えや怪我もなく、毛艶もよかったとのことなので、すべては滞りなく済んだのだと信じたい。


「なんだか、あっという間だったような……へんなかんじです」


 ミリーのつぶやきに、わたしは黙ってうなずいた。

 ケイネスに戻ってきてから、事後処理だなんだと忙しく、こうしてミリーとまともに会話をするのも久しぶりなのだ。目まぐるしい毎日だった。


 その時、部屋の外からいらえがあった。

 誰だろうとミリーと目を見かわし、扉を開けてみると、シドレイ様とカシウス様だった。


「お呼びいただければ参じましたものを」

「バーティアス嬢の様子はどうかと思ってな」


 カシウス様はそう言って、恐縮して起き上がろうとするミリーをやんわりと押しとどめた。

 その服装はいつもの騎士服で、頭には半兜を装着したままだ。

 隊長はこちらに戻ってから、たとえ事情を知るわたしたちの前ででも、ほとんどお顔を見せなくなった。


「あの、も、申し訳ございません」 ミリーは戸惑った様子で視線を泳がせる。「たくさんご迷惑をおかけしましたし、あの、ご無礼も、たくさん……」

「さて、そういったことに思い当たる節がない」

「ありがとうございます。でもニアさまに怪我をさせたことは一生お恨み申し上げます」

「ミリー!」


 遠慮しながらとんでもないことを言う少女に、こちらが青くなってしまう。

 となりで、シドレイ様がたまらず吹き出した。


「形無しですな」

「敵うわけがない。アルの妹だ」


 カシウス様も、気を悪くした様子もなくそれに応える。

 それを聞いたミリーの目が、すこし誇らしげにきらめいたのが見えた。


 その後、シドレイ様が説明してくれた。

 今回帰還する人員のなかにシドレイ様は含まれておらず、このままこの地に残って、遠征時と同じくカシウス隊長の名代として残るものの監督を務めるとのことだった。

 ミリーを残していかねばならないわたしに対して、養父がついているので安心してほしい、とのことだった。


「義父上、ミリーをよろしくお願いいたします」

「うむ」


 わたしがシドレイ様に頭を下げると、ミリーが困ったような、しかしどこか嬉しそうな、複雑な顔をした。

 カシウス様が小さく手招き、わたしはそちらに寄る。


「頼みがある」

「はい」

「怪我をした隊員の様子を見てきてほしい」


 重要なことのように耳打ちした割には、存外ふつうのことだったので、思わずわたしは隊長の顔を見た。


「なにか、気がかりがおありで?」

「わからん」 隊長は静かにかぶりを振った。「ただ、私や副官代わりのシドレイが行ったのでは、休めるものも休めなかろうと思ってな」

「承知いたしました。すぐにも行ってまいります」


 帰り支度はまだ済んでいないが、被疑者が逃げたことでほかに仕事があるわけでもない。

 承諾の意を表すために敬礼すると、カシウス様はもうひとこと添えた。


「もしも訊かれるようなことがあれば、召還命令があったことを明かしても構わない」

「召還命令」


 初耳である。

 だがもちろん、そんなことは上官の耳にしか入るまい。

 余計な質問はせず、わたしはそのまま部屋を出ることにした。シドレイ様とカシウス様も一緒に出る。


 ミリーの世話は、わたしがいなくなれば領主に仕える女官を借りることになる。

 そのあたりのあいさつもしてこようかと考えながら、わたしはすっかり慣れたケイネスの宿舎を横切った。


 治療院は、平民とそれ以外で入れる区画が分かれている。

 騎士たちが入院しているのは貴族たちを診療するための区画で、いまは他に患者はおらず、銀環騎士隊で占領しているようだった。


「エウクレストか」


 顔のほとんどを白い布で巻き、全身もまた包帯や添え木で痛々しく固められた格好の男が、わたしを見るなり、存外元気な声をかけてきた。

 声から、それが一緒に遠征に出た騎士の一人、ルガーだとわかった。

 襲撃でもっとも深刻な負傷をしたと聞いていた男だ。


「生きているようだ」


 わたしはルガーの寝台の横に立った。


「もちろんだ。やつらめ、奇襲をもってしても俺ひとり殺せないんだから、たいしたことはない」

「それだけ口が回るのなら、治りも早いだろうな」

「おまえは無傷なのか?」

「服の下はぼろぼろだ。だが、隊長が駆けつけてくださったので、たいしたことはない」


 わたしはとっさに嘘をついた。

 騎士服の下に、もう目に見える傷は残っていない。

 気心の知れた相手か魔法騎士団のものにしか、わたしの回復の早さを伝えていないので、妙な不信を抱かれないためにもごまかすようにしている。


「情けないものだな。せっかく銀環騎士隊に入れたのだから、もっと力を奮ってやろうと思ったのに」

「夜陰に紛れての卑怯な相手だった」


 傲慢な慰めに聞こえないよう気を使いながら、わたしは軽口をいくつか交わして、ルガーの寝台を離れた。

 遠征を経て、出向隊員同士の絆は深まったと、すこし言葉を交わしただけで実感できた。


「おう、エウクレスト! よくきた!」


 ひときわうるさい男がいる。

 オランド・レイクだ。隊長直々に伝令を任され、まっさきにケイネスに帰還したはずの男だが、怪我の度合いを見ると、重症のルガーと大差ない。

 これでよくあの距離を単独で駆けれたものだと思う。


「全員が生きていてうれしいよ」


 わたしが言うと、オランドはうんうんと大げさなくらい大きくうなずいた。

 ルガーと同じように他愛のない話をしたが、話す限りは元気なようだ。声が大きいので、たまに廊下を歩き過ぎる治療師が驚いているくらいだ。


「ところで」


 すると、いきなりオランドが声音を落とした。

 太い眉が、急にきりりと上を向く。


「キプリーに会ったか?」

「キプリー? いや」 わたしはかぶりを振ってから、眉根を寄せた。「そういえば……逃げたらしいな?」

「敵前逃亡だ! あいつめ、ありえん!」


 怒りに任せてふたたび大きな声になったのを、わたしはやんわり押しとどめた。

 隊の醜聞を大きな声で話し合いたくはない。


「おれと同じくここに入院しているらしいのだが、一度も会ったことがない。しかもあいつ……」


 なんとか声量を落としてオランドが苦々しく言ったが、あとの言葉を言う前に、なにか思い直したように口をつぐんだ。


「どうした?」

「エウクレスト、キプリーには気をつけろ」

「どういう意味だ?」

「いや」


 直情的なオランドらしくない。言葉を濁して、それ以上はなにも言おうとしなかった。

 余計に気になってしまうが、


「おれが気になっているというだけの話だ。確証はなくてな……療養中に考えをまとめて、必要ならおれから隊長にはご報告申し上げようと思う」

「そうか」


 そう言われてしまっては追求できない。

 病室を辞そうとすると、去り際にもう一度、キプリーに対する注意喚起を促された。

 なにかあったのだろうか?

 結局訊くに訊けず、あいまいにうなずいただけで別れた。


 あとの見舞いも済ませたが、キプリーにだけ会えなかった。

 治療師に尋ねてみたが、熱が出て個室で臥せっているとのことだったので、戻って隊長に報告する。

 オランドの懸念について直接は伝えなかったが、唯一キプリーの顔だけが見られなかったという点を伝えると、なにか考えていらしたようではあった。


 さらに2日が過ぎて、王都に帰る日になった。

 全身鎧姿でミリーに別れを告げに行くと、寂しさにか、少女はわずかに目を潤ませていた。


「改めて拝見しても尊すぎます……! 武骨な鎧姿でそれだけ美しいなんて!」

「ありがとう」


 だいぶ復調はしてきているようで、嬉しい世辞まで言ってくれる。


「ミルティアの世話用に、領主から侍女を借りた。帰りには馬車も手配できているから、騎士たちがある程度回復したあたりで俺たちもすぐに帰るぞ」


 シドレイ様がそう請け合ってくださった。


「あとを頼みます、義父上。道中の隊長の護衛はお任せください」

「言うようになったな。遠征から帰ってきてから、面構えが違うのではないか?」


 シドレイ様は嬉しそうに目を細めて、わたしの鎧の肩をバンと叩いた。


「武運を」


 互いに交わす言葉に、甘ったるいものがないのが嬉しかった。

 ひとりの騎士として、徐々に認めてもらっているような気がする。

 籠手で覆われたこぶしを軽く打ち合わせて、わたしはシドレイ様とミリーに背を向けた。


 広間に行くと、帰還する騎士たちと、彼らの従者たちが揃っていた。カシウス隊長もいらっしゃる。


「早駆けで戻る。途中で落ち合う場所など、確認は怠るな」


 隊長の言葉に、みな神妙にうなずく。

 王都からの召還とあれば、急ぐのは当然だ。多少隊列に乱れがあっても構わず進む強行軍になる。


 わたしは鞍の上から愛馬の首を撫でた。

 プリメラは遠征先の小屋から無傷で生還できた。シドレイ様の捜索のおかげだ。

 わたし同様、争いに慣れない箱入りだったが、今回のことで揉まれて少しは胆力がついたような気がする。


「出立!」


 号令一下。

 わたしは手綱を握ってプリメラの腹を蹴った。

 隊長を先頭に、人馬が一体の影となり、ケイネス領主の門を後にした。



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