43.目覚めの始まり
「ここは墓地か?」
時間そのものが止まったのではないかと思うような、かなり長い沈黙のあと。
そう訊いたのはカシウス様だった。
「そんな立派なものは、アタシたちにはないよ。魔法使いにも、シュルマにも」
答えたレイシーの横顔にも、声にも、濃い疲れがにじんでいた。
彼女がたいまつを持ちあげ、ひとつひとつを照らすようにゆっくりと左右に振ると、動く光源に揺らされた影が、本体である人骨の瞬きのように見えた。
「棺もなく、墓碑もなく、アタシたちはこうして眠るんだ。場所が限られてるからね、頭以外はみんな一緒に焼いて灰にして、この先の山で畑に撒く」
淡々と語られ、見せつけられる、隠れ住むものたちの現実に、わたしは愕然とするしかなかった。
頭蓋の並ぶこの通路に来てから、圧倒されるばかりで、言葉ひとつまともに出てこない。
代わりにというわけではないが、カシウス様が質問をつづけた。
「すべてがシュルマなのか」
「まさか、違うよ。ほとんどはこの地方の魔法使いさ。アタシたちはそれに倣ってるだけ。でも……そうだね、最近、増えたね」
穏やかではない返答だ。
レイシーは並ぶ頭蓋骨をゆっくり見回したあと、ふと横目でわたしを見た。
「重魔力を浄化できるすべは、どこで覚えたんだい?」
「え……あ、いや、習ったわけではない。その、なんとなくできるようになったというか……初めに除去してもらったときの感覚を、なんとなく覚えているというか」
急に尋ねられたので、我ながらみっともなく動揺した答えしか出てこなかった。
「そうかい」 レイシーの答えは、まるで乾いてひび割れているようだった。「アタシたちにも、その技があればね……もっと、生きていられたかもしれない」
「重魔力で襲われたのか?」
わたしは驚きのあまり、間髪入れずに訊いた。
自分で口にしておきながら、ぞっと背筋が冷たくなるのを感じる。
レイシーは、わたしたちを促して通路の先へとまた進みながら、ぽつり、ぽつり、と話してくれた。
はじめて顔を合わせてから、さほどの時間もたっていないはずなのに、まるで一気に老け込んでしまったかのようだ。その声には生気がなく、なにか隠し事をするほどの気力もなさそうだった。
秋口に来たのは、わたしや隊長を襲ったあの女たちだったらしい。
彼女たちはみずからを『審問官』と名乗った。テルヴァスから来た使者だと。
震え上がるシュルマの人々とレイシーに向けて、やつらは有無を言わさずに重魔力を放った。
はじめに子供たちが犠牲になり、つぎに、大人たちも次々倒れた。
数が半分ほどに減ったところで、助かりたければ言うことを聞け、と言ってきた。
「シュルマは不思議な魔法を使うけど、重魔力はまた別のものらしくて、彼らにもなすすべがなかった。アタシの魔法薬も、なんの助けにもならなかったよ。従うしかなかった。誰だって、死ぬのはいやだからね」
「ひどい」
わたしは聞いていて吐き気がしてきた。
重魔力に命をむしばまれる苦しみは、受けたものにしかわからないだろう。
それを知っているわたしだが、逆に、そうして苦しんでいるものを隣で見守るしかないものの苦しみは、一度も経験したことがない。
けれど、憔悴したシドレイ様を知っている。わたしを助けたせいで、アルンバートが背負った業を知っている。
それを思い出すと、目の前のレイシーの姿に重なってしまって、かける言葉が見つからなかった。
レイシーの話は続く。
審問官たちは、重魔力の呪いを解くと、シュルマをテルヴァス本国に連れ帰らないかわりに、自分たちに従えと持ち掛けてきた。
それは、野党の手先となって、文書のやりとりを仲介したり、必要な物資を調達することだった。
「反乱分子の手伝いをしていた、と」
カシウス様が、独り言のように付け足す。
「なにをしていたかなんて、知らずにやってた。やらなきゃ殺されるから、やってた。それだけだ」
レイシーがすかさず反論した。
怒りで反発したというより、とっさに言い訳を口にしたように見えた。
カシウス様はなにも言わなかった。
テルヴァスの審問官を名乗るものが、ガルリアンで暴れまわる野党とつながっている。
その下っ端として働かされていたシュルマを捕縛すると、反乱分子の証拠が出てきた。
レイシーの証言により、その事実が明らかになった。。
これが、どれだけ根の深いことなのか。真偽はどれほどのものなのか。
おそらく、そういった根本的な問題を見ておられるのだろう。
いままで見てきたカシウス隊長は、そういう考え方をなさるおひとだ。
通路を歩いていくと、死者の並ぶ棚はやがて途切れた。
横幅はそのままで、棚だけが作られていない通路は、がらんと広く、たいまつの光だけでは心もとないほど暗い。
いまさらながら、コツコツいう自分たちの足音が耳につき始めた。
通路の床が、むきだしの土から石畳に変わっていることに、その段階で気づいた。
「べつに、許されるとは思ってないよ」
沈黙をはさんで、レイシーがまた言い訳めいた言葉をつづけた。
「生きるためでも、アタシたちは、騎士に咎められるようなことをした。もともと法から逃れてきた一族だ、罪悪感もなしにやったのは否めないしね……裁くなら、好きにすればいいよ」
すっかり投げやりなその言い分に、わたしは息を呑んだ。
騎士として、どう答えるのが正解なのか、とっさにわからなかった。
騎士は国を守るものだ。
それは、法を守ることでもある。
法の観点から見れば、秩序を揺るがさんとしたレイシーやガノらの行いは、処罰に値する。
そもそも、そのために我々はここまで遠征に来たのだ。
けれど、騎士は善行を詰むものだ。
虐げられた人々がやむなく行ったことが間違いだったと、一方的に責め立てることが、善行だろうか?
弱者を苦しめることが、わたしのなりたかった騎士の姿だろうか?
自分のなかに生まれた迷いがあまりにも大きくて、わたしは動揺した。
背中のミリーを負い直すふりをして、顔を下に向ける。
迷っている自分の顔を、騎士の鑑と呼ばれるカシウス様に見られたくないと、そう思ってしまった。
「巫女レイシーよ」
カシウス様が、歩きながら魔女の背中に声をかけた。
大声ではなかったのに、周囲の石壁と床は、その声をいやにはっきりと響かせた。
「そなたは、そなたのすべきことをすればいい。そなたの行動を、その意義を、自身の外に求めなくていい」
いつも通りの落ち着いた隊長の声だ。
感情のあまり乗らない、けれどつい聞きたくなるような、美しく張りのある声。
レイシーが弾かれたように隊長を振り返った。
わたしも隊長の背中を見た。
隊長の声には迷いがなかった。それが、とても意外なことのように思われて、刮目せずにはいられなかった。
迷うわたしの横で、こんなにも明確に答えを出されるかたの背中は、なにかとても偉大な存在に思えた。
レイシーの表情が、くしゃっと歪んだ。
泣きそうな少女の顔。そんなふうに見えた。
わたしよりも年かさの女性であるのに。
やがて、目の前にまた扉が見えてきた。
レイシーがその扉を開ける。魔法の鍵はかかっていなかったらしい。
隊長が入り、わたしも続いた。
「やーっと来た」
扉の先はまた広い通路で、しかし、そこには先客がいた。
周囲の暗闇に溶けるような黒衣と、そこから零れ出る長い銀髪。
あの、ランスとか呼ばれていた、襲撃者のひとりだ。
目の前には、ほかにも黒衣の影が複数いた。
その数、5つ。
体型からして男性のように見える。
あの赤毛の女はいなかった。
「これで」
扉の横で立ち止まったレイシーが、震える声で怒ったように言った。
「これで、アタシの役目は終わり、でいいだろ?」
「あー、いいんじゃない?」
審問者、ランスが突き放すように答え、後ろ手に回した手で、背中からなにかを取り出した。
通路の両脇には燭台がかけられており、その灯火が、取り出したそれが妖しく濡れ光る剣だと照らし出した。
わたしはとっさにレイシーの腕を引き、扉の後ろに無理やり下がらせた。
意外そうにこちらを見るシュルマの巫女に、目を向けないままつぶやく。
「逃げなさい、安全な場所へ」
そう言って、足蹴にするように扉を閉める。
それからすぐ、扉からずれた場所に、眠るミリーをそっと下した。睡眠魔法が効いているらしく、彼女はまだ目を覚まさない。
「ミルトを守れ」
わたしの先に立つカシウス様が、そう言った。
返事をするまでもない。わたしは腰の剣を抜き、ひざまずいた格好のまま、少女を背にかばった。
「なーんか、おまえ、へん」
ランスが、片手の剣をくるりと手のなかで回しながら、まるで雑談のように気軽な口調で言う。
「その髪、その顔……なんか、へん。おまえ、カシウス・リオンタール……ガルリアンの、騎士。ほんとに? おまえの髪、シュルマそっくり。おまえの顔……どっかで、見たこと、ある気がする」
カシウス様が剣に手をかけた。
シャン、と音を立てて剣を鞘から払い、わずかに身体の向きを斜めにして構える姿は、騎士の教本に出てきそうなほど型どおりで美しい。
けれど、放つ気迫は型破りの凄まじさだ。
怒りでも殺気でもない。負の要素の一切ない純粋な闘気は、まるで神の奇跡かと思うような荘厳さ。
その雰囲気は、小屋の戦闘で見せた気配をさらに研ぎ澄ませたもので、わたしは奇妙な懐かしさを覚えた。
これに似た気を、どこかで感じた覚えがある。
思い出そうと思う前に、周囲が動いた。
ランスの後ろに控えていた黒衣の男たちが、いっせいに各々の武器を構えだしたのだ。
まるで、隊長の闘気に慌てたかのように。
「カシウス・リオンタールは、あたしの獲物!」
ランスが吠えた。その声には笑いすら含んでいた。
「おまえら、聖女奪え! リオンタールの部下、殺せ! どうせ重魔力で、ぼろぼろだ!」
聖女とは、おそらくミリーのこと。
殺せと命じた部下は、わたしのこと。
それさえわかれば、十分だった。
黒衣がいっせいに動いた。
統制のとれた動きだ。
ろくに狩りをしたことのないわたしだが、それはまるで一匹の野生の獣のようだと感じた。
複数がひとつの大きな生命のように動く。その威圧。
ランスだけが、流れるような獣の動きのなかから、弾かれたように離脱した。
けれどそれは猛禽の飛来と同じだ。
男のひとりの背中を駆け上がって跳んだ彼女は、曲芸のように宙で身体を高速回転させた。
その手にある刃物が、凶悪な連撃となって隊長に迫る。
残る男どももわたしへと襲い掛かってきた。
相手の得物はみな短剣で、ずらりと並んで迫ってくるさまは、まさに獣の牙のようだ。
ダン! と、ひとつ。
打擲めいた音が響いた。
それはカシウス様の踏み込みの音。
剣とは、腕で振るうものではない。身体と別個の、独立した武器ではない。
手指の延長であり、視線の具現であり、足さばきの軌跡である。
それを示すかのような、完璧な一連の動作が、迫る刃の旋回と接触する。
衝突音はしなかった。
細かく連続した風切り音がして、白刃は互いに絡み合う。
振りほどき、切り裂こうとする凶刃と、受け流し、なだめるかのような護りの剣とが、目視しきれない速さで攻防した。
わたしが見えたのはそこまでだ。
自身に迫る複数の牙の対処に、意識をほかに向ける余裕がなくなった。
ほんとうの獣であるなら、牙はすべて一そろいだ。
だが、襲い来るものの実態が刺客5人の短剣となれば、ただ薙ぎ払って弾くだけでは防げない。
「知覚鋭敏!」
わたしは自身の感覚を研ぎ澄ます支援魔法を唱えつつ、低い姿勢のままその場で回転し、剣を振るった。
弾ける限りの攻撃を弾き、同時に騎士服の懐から小剣を取り出す。
騎士の懐剣は、それだけでは戦闘には役に立たない華奢なものが多い。わたしの慈悲の剣もそうだ。
「武器強化」
しかし、魔法で強化すれば話は違う。
本来ならば悠長に武器に魔法などかける暇もないのだが、パーセプションの魔法のおかげで、斬撃の間のわずかな隙をつくことができた。
「はあっ!」
気合一閃。
わたしは小剣で残る攻撃を弾き飛ばした。
一撃が重い。小屋で唱えた筋力増強は、気絶しているあいだに解けていたらしい。
男たちが散開する。
こちらが壁を背にしているせいで回り込まれることはないが、等間隔で前方にばらけられると、特定の方向に狙いが定めづらい。
わたしは喉の奥でうなった。
筋力を魔法で補強したいが、連続で魔法を唱えすぎた。
魔法は、マナのほかに、自分の精神力を消費する。
五感が普段よりも敏感になっているいまだから余計にわかるのだが、毒が抜けきらない状態で無理を重ねると、ふたたび意識を失いかねない。
背にミリーを守っているいま、それだけは避けなくてはいけない。
そのとき、ふと、腹に違和感を覚えた。
臍のあたりが熱い。
この感覚には覚えがあった。
さきほど、小屋で悪夢にうなされて目を覚ましたときに、全身を取り巻いていたあの熱だ。
「ゼフュロス……あなたなのか?」
わたしは熱に浮かされるまま、その場に立ち上がった。
片手に長剣、もう片方に小剣。
その姿は、わたしの記憶のなかにある戦士の立ち姿にかぶった。
あれは王都の路地裏。
殺気にまみれた冒険者たちを前にして、腕のなかの負傷者を守りながら戦った、ひとりの男。
わたしを守ってくれた……ゼフの姿。
ああ。
わたしは長剣を持ち上げながら、小剣を持つ手で腹に触れた。
熱源に触れると、瞼の裏の戦士の姿が鮮明になった気がした。
偉大なる戦士よ。
どうかわたしに力を。
乱殺剣の片鱗を、この木っ端騎士に与えたまえ。
黒衣の男たちが、目配せでなにかの合図を交わし合う。
それが見えた次の瞬間に、わたしの目は、それ以外のものも捉えた。
周囲を浮遊する、無数の光の粒。
男たちの頭上を、対峙する隊長とランスの間を、この場の空間全体を遊ぶように漂う、マナの光だ。
それらのいくつかが、わたしが認識したのとほぼ同時に、音もなくこちらに吸い寄せられてきた。
そのまま、わたしの肩に、腕に、脚に、まだ熱を持つ腹部に……全身に光が寄り添い、肌に溶けていく。
とたんに、身体が軽くなった気がした。
剣が重量を失ったかと思うほどに軽くなり、軋むような肩の痛みがふわりと和らぐ。
自分の内と外にある光が一体になったような、まるで自分という定形が宙に溶けたかのような、唐突な解放感がする。
目の前で、男たちが床を蹴った。
その動きが、いやに場違いなものに見えた。
緊迫している状況のはずなのに、5人が5人とも、やたらと鈍重になり、あれほど一体感のあった短剣の切っ先が、気まぐれなほどにばらばらで、ちぐはぐな動きになっている。
なんだ、簡単なことだ。
わたしは拍子抜けする思いだった。
襲撃者を圧倒することの、なんと単純なことだろう。
なんと、つまらないことだろう。
ひとつ、ふたつ、踏み込む。
上半身ごとひねって、剣を振るう。
ギラリと濡れたように光る自分の剣の切っ先を、わたしは呆れたような心持ちで見送った。
それが、示し合わせたようにやってきた男どもの首を順に斬り落とす軌道を通るのを、ただ見ているだけでよかった。
ああ、簡単だ。
簡単すぎて、つまらない。
こんなものなのか、ひとを、殺すということは。
 




