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41.魔法使いの隠れ家

「ニアさま、だいじょうぶですか?」


 心配そうに呼び掛けてくるミリーに対して、わたしは答えられなかった。

 気が付いたばかりで口が思うように動かなかったこともあるが、それよりも、視線がほかへと釘付けになっていたからだ。


 現実での最後の記憶が、目覚めたての頭にじわじわとよみがえってきた。

 わたしは、ミリーとカシウス隊長とともに、夜中の襲撃から逃れようとして、逗留中の森の小屋で謎の転落を経験した。

 敵からの毒撃を受けたらしいわたしは、そのまま、意識を混濁させていたのだが……


 気づけば、あたりは洞くつのような場所で、藁を敷いた床に寝かされていた。

 そしていま、すぐ横でミリーがわたしを心配そうに覗き込んでいる。

 ミリーだけではない。

 わたしを覗き込んでいるのは、もうひとりいた。


「あなたは?」


 わたしは、そのもうひとりに声をかけた。

 それは、痩せた女性だった。

 年のころは40か、それ以上か。荒い素材で編んだゴワゴワしたローブを着て、木製の杖を支えにしてこちらにかがみこんでいる。

 乾いた金髪には艶がないが、きっちりと編んで肩に流しているさまには清潔感があった。


「アタシはレイシーだよ、お嬢さん」


 わたしがずっと見つめっぱなしなので、レイシーと名乗った中年女性は、くすぐったそうに口の端をゆがめた。


「このかたが、助けてくださったんです」 ミリーが言った。「あたしたち、このかたの隠れ家に落ちちゃったみたいなんです」

「隠れ家……」


 横になったまま、ぐるりを見回す。

 いかにも洞くつらしい岩と土のごつごつした壁のあちこちに、木製の柱や梁、壁が張ってある。

 坑道によく見る補強だが、それよりも整然としていて、なるほど、言われてみれば住居らしく見えなくもない。

 柱に設置された燭台も簡素ながら装飾が施してあり、煤の付着があまりないところから、定期的に掃除されているのだろうとわかる。


「入口の目くらましを破るガルリア人がいるとは思わなかったよ。しかも、騎士だなんてね」


 レイシーは皮肉っぽく笑って、かがんでいた背を起こした。

 そうすると、ずいぶん背が高いことがわかる。


「ありがとう、レイシー殿」


 わたしは上半身を起こそうとした。左肩に痛みが走って、一瞬ためらう。

 ミリーが背中に手を添えて介助してくれたので、なんとか起き上がることができた。


「アタシは寝床を提供しただけ。重魔力に侵されてるやつなんか、治療したことはないからね」

「重魔力」


 当然のようにその名が出たことに驚く。

 そういえば、と自分のなかのマナを探って、不快感が消えていることに気づいた。


「あんた、自分で浄化したんだよ。覚えてないかい?」


 言われて、わたしは意識が混濁している最中に見た夢のような、幻のような光景を思い出した。

 あのとき、黒いものはすべて払った。あの感覚が、浄化した、ということなのだろうか。


「以前も、重魔力に侵されたことがあるのです」 わたしは呆然と自分の身体を見下ろしながら言った。「けれど、あのときほどつらいとは思わなかった……たしかに苦しかったけれど、払うのは、簡単でした」

「なんとまあ」 レイシーが呆れたような声を出した。「重魔力に、二度も侵されたって? それで生きてる? しかも、当たり前みたいに自分で浄化するなんて……はあ、あんた、もしかするととんでもない存在なのかもね」

「わかりません。占い師にはたいそうなことを言われましたが、自覚はない。……そういえば、カシウス様は?」


 周囲は小部屋のようなつくりだが、そこにいるべき、もうひとりの姿がないことに、遅ればせながら気づいた。


「見回りに出られてます」 ミリーが答えた。「あたしたちが落ちてきたみたいに、また襲撃者がくるかもしれないから。レイシーさんの話だと、あたしたちが落ちてきたってことは、つまり、ここを隠してる結界が一度緩まってしまったのかもしれないって」

「それは……わたしも、いや、わたしが代わらねば」

「ああ、こらこら、まだ立つんじゃない」


 急いで立ち上がろうとしたが、レイシーにたしなめられ、さらにはミリーにも腕を引かれて、かなわなかった。


「あんたね、盛られたのは重魔力だけじゃないんだよ。リバシアかアンデラか、そのあたりの毒も入ってたよ。手持ちの薬は飲ませたけど、あんたの浄化とちがって、こっちはちゃんと効くまで時間がかかるんだ」

「そうです、ニアさま、もう無理はなさらないでください!」


 ふたりに詰め寄られてしまうと、逆らうわけにはいかなくなった。

 体感的に、毒を盛られたような感覚はないのだが……


 ミリーに請われてふたたび横になると、レイシーはもっと薬がないか探してくる、と言って部屋を出ていった。

 改めて周囲を見回すと、梁や壁の木材には相当な年季が入っているのがわかった。

 湿った冷たい空気に包まれた室内は、もの寂しい雰囲気がある。


「ここは、地下なのか」


 質問というよりは、自然と口から出たひとりごとだった。

 ミリーがうなずき、わたしが意識を失ってからのことを教えてくれた。


 まず、わたしたちがこの地下に落ちてから、まだ一刻ほどしか経っていないこと。

 そして、暗闇のなかでミリーとカシウス様がどうにもできないでいると、すぐに物音を聞きつけたレイシーが来たこと。


 もちろん最初はお互いに相当警戒し合ったが、ミリーがわたしを心配する様子を見て、レイシーは問題をいったん棚上げにしてくれたらしい。


 レイシーは魔女だ。つまり、魔法使いということ。

 ケイネスは歴史的に魔法使い弾圧の激しかった土地で、いまでも、魔法使いはあまり歓迎されない存在らしい。

 そのため、面倒を避けようと隠れ家に暮らしていたレイシーだったが、困っている人間を見捨てるのも夢見が悪いと言って、わたしの介抱に手を貸してくれた。

 ここは天然の洞穴を補強した隠れ家で、魔法使い弾圧の時代の遺物だという。

 上の小屋は目くらましで、さらには人間の認識をそらす結界が張ってあるので、見つかりにくいのだとか。ただ、数日おきにかけ直さなければならず、騎士たちが見つけたのは、ちょうど魔法が薄れたときだったらしい。


「薬も、申し訳ないですけど、最初はめちゃくちゃ疑ったんです。このうえニアさまに毒を盛られたらどうしようって、あたし、だいぶ失礼なことをたくさん言ってしまいました」


 ミリーが目をこすりながら話してくれた。


「そしたら、レイシーさん、ためらいなく自分で薬を飲んだんです。遅効性の毒なら保証にはならないだろうけどって、ニッコリ笑ったあのひとを見て、あたし、反省しました。平謝りして、薬を譲ってもらったんです。そして……あの、ちょっとだけ、あたしも飲んでみてから、ニアさまに飲ませました。だから、用量からいったら少な目になっちゃって」

「無茶をする」


 わたしは驚きつつ、ミリーを隣に手招いた。


「だって、あたし、ニアさまがこんなに怪我をしちゃうなんて、しかも毒なんて、ほんとうに怖くて」

「ありがとう。わたしはもう大丈夫よ。さあ、横になって、目を閉じて」


 むずがる子供のようなミリーをわたしの隣に寝かしつけて、自分の外套を着せかけてやる。

 まだなにか言いたそうだったが、体力の限界だったのだろう。ミリーはそのまま数秒もたたずに眠りに落ちた。


 入れ替わりに、ゆっくりと身体を起こす。

 左肩はまだ痛む。見ると、おそらくレイシーが提供してくれたのだろう、清潔な布で患部がぐるぐると巻かれていた。

 痛いが、固定されているおかげで、野ざらしよりはずっとましだ。

 ミリーを起こさないよう、音も声も立てないように気を付けて立ち上がった。


「気が付いたのか」


 そのとき、カシウス様が部屋に入ってきた。

 変わらぬ騎士服姿だが、半兜は外していらっしゃる。


「ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」


 わたしは居住まいを正した。

 隊長がかぶりを振る。


「詫びはいい……どこへ行くつもりだった?」

「隊長が見回りに出ておいでと聞いたので、代わろうかと」

「相変わらずだな」


 呆れたような、笑いを含んだようなつぶやきをこぼして、隊長は、座れ、と近くにあった木製椅子を指した。

 一瞬ためらったが、もうひとつある向かいの椅子に隊長が座ったので、断るわけにもいかず、わたしも座った。


「落ちた場所からこの部屋まで、往復しただけだ。ほかにも扉はあったが、魔法で施錠されていたし、そもそも住人の許可がなくては。

 あとは、上に戻れないか探っていた。ただの縦穴ゆえ、はしごでも渡さねば登れそうにないな」

「そうでしたか……ほかの隊員たちは、無事でしょうか?」

「私が覚えている限りでは、全員生きていた。

ルガーがいちばん重傷で、腕と腹を負傷したが、意識はあった。入り口の刺客をすべて片付けたあと、アレンタにルガーを頼んだ。オランドには収束後のシドレイへの伝令を頼んだし、キプリーは逃げた」

「逃げた⁉」 わたしは目を剥いた。「キプリーが……ほんとうですか⁉」

「戦闘中のことなので、私もきちんとは見ていない。気づけば、いなかった」


 頭のなかに、尋問室で囚人相手に優位に立とうとする優男のにやにや笑いがよみがえる。

 頑健なたぐいの人間には見えなかったが、まさか……そこまで愚かだったとは。

 それとも、なにかやましいことがあって……?


「気にするな。今回の任務には、出向隊員のそういった資質を見極める目的もある」


 カシウス様はたいして気になさった様子もなく、いつも通りの落ち着いた声でおっしゃる。


「それより、襲撃者のことだ。入り口から来たのは10人だった」

「10人……その人数ならば、ある程度の統制がとれていなければ、却って不利になる。傭兵くずれの野盗ならば、ありえない話ではありませんが」

「その通りだ。指揮官のようなものがいたが……手加減ができなかった。証言が取れない」


 取り逃がした、ではないあたりは、さすがとしか申し上げられない。

 とはいえ、王国最強の騎士に手加減を許さないとは、相手もなかなかな実力者だったのだろう。


「許せ」


 だしぬけに隊長がおっしゃった一言を、わたしはすぐに理解できなかった。

 膝の上に落としていた視線を上げて、ろうそくの灯りに照らされる隊長の顔を見て……改めて、言葉の意味を思い返す。

 謝られた? 名高いカシウス・リオンタール様から、謝罪をいただいた?


「あの……失礼ながら、おっしゃる意味がわかりませぬ。相手の指揮官を死なせたことならば」

「怪我をさせた」

「これのことですか?」


 わたしは自分の左肩を指し、目を丸くする。それから、慌てて言葉をつづけた。


「これは、わたしが受けて当然の傷です。わたしと隊長では、命の価値が違う。わたしがお守りするのは当然のことです!」


 話しているうちに、多少むきになってしまった。

 カシウス様が、ふと視線を落とし、膝に腕を乗せて前のめりになった。眠っているミリーを見る。


「バーティアス嬢と約束したのだ。ニアに降りかかる危険はすべて私が防ぐと」

「約束……そういえば」


 戦闘中に、動転したミリーがそんなことを口走っていたと思い出した。

 どうしてそんな約束をしたのだろう?

 疑問を口にしようとしたが、その前にレイシーが戻ってきた。


「薬はもう空だ。ちょうど補給の時期だったからね。冬が近いから病人も多くてさ」


 そう言った魔女の横顔は、どこか疲れて見えた。


「それと、悪い知らせだよ。隠し扉の仕掛けは生きてるけど、新たに厄介な罠がかけられてる。しかも、魔法のね。もしもあんたらがそこから出てきたら、すぐわかるようになってる」

「女の片割れが魔法使いでした」


 わたしはハッとして隊長を見た。


「灯火の魔法を使っていました。好戦的な様子から見ても、我らを襲うことを諦めていないかと」

「現時点で襲撃がない、という事実がなにを指すかだ」 隊長はうなずいて立ち上がった。「入口を通れないのか、そうだとして……隊員とぶつかったか、それとも退いたのか」

「一応、上の様子も魔法で探ったけど、静かなもんだったよ。ひとの気配もないね」


 レイシーの言葉に、隊長が顎を撫でて考え込む。


「敵はいないが、隊員もいない、か……最悪、明日中に戻らずにいればシドレイが気づくだろうが」

「戦場を探らねばなりませんね。皆の安否もですが、相手の情報も欲しい。また襲ってくるようならば、迎え撃つ準備もしなくては……」

「焦ってはいけない、ニア。優先順位を間違うな」

「はっ……」


 そわそわと腰を浮かしかけたわたしだが、隊長にたしなめられて、椅子に座り直す。

 隊長はあくまで冷静に、情報を整理したい、と話し始めた。


「女の片割れはガルリア語が不自由だった。外国人かもしれん……地理で近いのはテルヴァスか。

 この土地は排他的な傾向が強いゆえ、移民が野盗化するのは不思議ではないな」

「隊長、もしや先に捕らえたものたちと関連があるのでは……?」

「指揮官を殺したのは、やはり失策か」


 珍しく自責めいたことを呟いて、隊長は思案に沈む。

 わたしは、ふと、レイシーの様子に目が行った。

 ついさっき、隊長の口からテルヴァスの国名が出た途端、一瞬だけ顔がこわばったのだ。すぐに疲れた無表情に戻ったが。


「レイシー殿」 わたしは、できるだけ何気なく訊いた。「隠し扉の仕掛けは補強できないだろうか? あるいは、小屋全体の隠ぺい魔法を強化するとか」


 中年の女性の瞳が、ちらりとこちらを見る。

 青い瞳が揺れたのは、ろうそくの火のせいだろうか。


「残念だけど、どっちも無理だよ。隠ぺい魔法は時間がかかるし、外に出ないといけない。隠し扉は、そもそもアタシの細工じゃないからね……やりかたを知らない」

「あなたは、ここにひとりで住んでいるわけではないのか」


 ひとりで住むには、この小屋は大きすぎる。

 かつて魔法使いたちの隠れ家だったことを思えば、規模の大きさに説明はつくが、扉は魔法で施錠されていると隊長が言っていた。すでに二重の隠ぺいを施している隠れ家で、ずいぶん厳重な警戒ぶりだ。


「まあ、ね」


 言葉を濁しつつ目をそらす彼女の顔を見て、わたしは頭に浮かんだ考えを、ほとんど確信をもって口に出すことにした。


「ガノを、知っているか」


 そう尋ねると、レイシーの顔がふたたびこわばった。


 巫女様。

 そう言って鼻血に汚れた顔で笑う囚人の顔が、頭のなかに鮮明に浮かぶ。


「やはり」 わたしはひとりでうなずいた。「あなたは、先に捕らえられた彼の、仲間なのだな。ここは、彼らの隠れ家だ。テルヴァスから流れてきたシュルマの隠れ家……そして、あの襲ってきたものたちも、テルヴァスのものたち。もしかすると……あなたは知っているのではないか? あの襲撃者たちが誰なのか」



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