37.辺境調査へ
翌日、リオンタ……カシウス様の命令により、わたしは調査隊の一員として館を出ることになった。
急な出立になったが、商家育ちのミリーの手際の良さに助けられて、大きな混乱もなく準備することができた。
集合時刻は日も高く昇り切ったころで、愛馬プリメラにまたがり前庭に出てみると、シドレイ様がすでに待っていらした。
「義父上、お待たせしました」
馬首をそちらに向けると、同じく馬上のシドレイ様が、気安く片手を挙げて応えてくださった。
「なに、ひと仕事終えてからの出立だろう? 忙しかっただろうに、この早さはなかなかに感心だぞ」
「ありがとうございます」
にこやかなねぎらいに、かるく頭を下げる。
そう、実は午前のうちに別件を片付けてきたのだ。
ほかでもない、囚人ガノの二度目の尋問である。
「おなじ仕事をしたはずなのに、相棒のほうはまだ来ないようだな」
続いて、シドレイ様が呆れを含んで指した『相棒』は、その尋問に共に臨んだ、アルフォンソ・キプリーのことだ。
彼もおなじく調査隊に参加する。
「実はな」 キプリーの姿を探して入り口を顧みるわたしに、シドレイ様が打ち明けた。「今回、俺は調査には加わらない。昨日出たやつはみな、今日は館で待機だ。そなたを見送りに来たのだ」
「そうなのですか? お疲れのところ、わざわざありがとうございます」
「娘の記念すべき門出だ、この目で見たくてな」
「おおげさな」
親ばかな発言をするシドレイ様に、わたしは顔をしかめてみせた。
養父と話していると、ときどき、自分がまだ年端もいかない幼女であるかのような錯覚を起こしてしまう。
過保護なのだ。
「まあ、もちろん喜ばしい気持ちもあるが、あとはとにかく、気をつけろと伝えたくてな」
「実戦素人の魔法騎士には、荷が勝ちすぎると?」
「そうまでは言わん。しかし、なにしろ日をまたぐ長丁場だからな」
昼過ぎの出立ということは、そういうことだ。
わたしが野営について聞いたのは今日いきなりだったが、ミリーたち従者や侍女らには前もって伝令がいっていたらしく、そのあたりの準備も抜かりなかった。
いままで従者を持ったことがなかったのでわからなかったが、こういうとき、そのありがたみを実感する。
「貴重な機会を与えていただいたと思っています。必ずや、成果を持ち帰ります」
「気負うな、気負うな。力仕事は男連中に任せよ。いいか、魔法騎士のそなたが組み入れられた意味を、よく考えることだ」
「はい」
養父の助言にうなずいていると、新たな馬の鼻息が聞こえてきた。
キプリーが来たかと、そちらに目をやったのだが、違った。
「これは」
わたしは驚き、急いで居住まいを正した。
館の前庭に現れたのは、見事な黒鹿毛の馬にまたがったカシウス隊長だったからだ。
その後ろには小柄な従者の姿があり、彼がまたがる馬に括られた荷物の量は、どう見ても見送るだけの荷物には見えない。
「シドレイ、ニア、早いな」
隊長がいつもどおりの抑揚の少ない、落ち着いた声で言った。
「カシウス殿」 シドレイ様が、呆れと感心が半々といった声を出した。「まさか本気でいらっしゃるとは……昨日も申し上げた通り、娘のことはくれぐれも頼みますぞ」
「心得た」
「え? は?」
訳知り顔でうなずきあう男性ふたりに、わたしだけが馬鹿みたいに動揺した。
「た、隊長が、御自ら調査に赴かれるのですか?」
「そうだ」
まさかと思って訊いたことがらに、当然とばかりうなずかれる。
「今回の遠征は、報告だけでは見えないことが多い。昨夜のそなたの報告もそうだ」
「シュルマの」
わたしは目を瞬いた。
昨日あのあと、シドレイ様の報告が終わるのを待って、わたしは隊長のもとにふたたび参じ、尋問で得たシュルマの情報を報告したのだ。
隊長は大きな反応を示されなかったが、どうやら相当に強い興味をお持ちだったらしい。
「シドレイ、不在の間はそなたが責任者だ。あとを頼む」
「やれやれ、いつもながら無茶をおっしゃる。俺はそういう器ではないと何度申し上げたら……ううむ、まあ、いいでしょう。どうぞお気を付けて。道行きに女神の加護があらんことを」
「心配せずとも、明日の日が落ちる前には戻る」
親しげに言葉を交わす隊長と養父の横で、ふと、さきほどの従者がこちらに近づいてきた。
その馬の操り方がずいぶんぎこちないような気がして、わたしは従者の姿をまともに見た。
寸足らずの騎馬服を着た少年は、改めて見るとほんとうに小柄だ。
袖口からのぞく手首など、貴婦人のそれかと思うほどに細くて、これでよく馬が操れるものだと驚いてしまう。
こんな若者が、今回の遠征についてきていただろうか?
騎士の従者はそれぞれにいるが、隊長のそれを、そもそも見たことがなかったような?
疑問に突き動かされるまま、わたしは少々ぶしつけに従者の顔を覗き込んで……絶句した。
「あ、気づいてくださった」
従者がにっこりと笑った。
猫のように目を細める愛らしいその笑顔に、わたしはものすごく見覚えがあった。
「み、ミリー?」
「はい、ニアさま」
唖然としたまま呼んでみた名前に、あっけらかんと返答がくる。
そう、緑がかった黒髪を髷のように後ろで縛り、馬上で男子の格好をしているのは、ついさっきまでわたしの野営の準備に奔走してくれていたはずの、ミリーだったのだ。
「な、なにをしているの? あなたは見送りのまえに準備があるといって、さっき」
「ごめんなさい、嘘を申し上げてしまいました」 うろたえるわたしに、ミリーは首をすくめつつ、悪びれることなく言い訳した。「実はこうして、着替えと、自分の準備をしていたんです! 今回は、あたしも同行させていただきます!」
「なんですって!」
思わず大きな声を出してしまい、シドレイ様とカシウス隊長もこちらを見た。
「私が許可したのだ、ニア」
「隊長!」
やはり抑揚なく、とんでもないことをおっしゃる隊長に、わたしはつい咎めるような声を上げる。
炎のような怒りが、腹の底から駆け上がってくるのがわかった。
「これは隊の作戦行動ではないのですか! 騎士どころか、戦闘訓練も受けていない乙女を連れて行こうなど、危険すぎます!」
「そなたが守ればよい」
「そういう問題ではないでしょうに! ミリーはわたしの侍女です! 厳重に抗議いたします!」
冷静になったら絶対に後悔すると、頭の隅ではわかっていながら、わたしは不敬そのものの態度で食って掛かるのを止められなかった。
けれど、美しい隊長の無表情はすこしも揺らがない。
「この件はそなたではなく、アルと話してある。バーティアス嬢が私の従者として作戦に同行するのは、遠征前から決まっていたことだ」
氷のような冷たい色の瞳に、少々の険が乗る。
その強さに、昨日なら怯んでいた。
ガルリアン最強の王国騎士にふさわしいその威容に、絶対に逆らえないだろうと思っていたのだが、今日ばかりは引き下がる気にならなかった。
「ミリーとは、どうなのです?」 わたしはうなるような低い声とともに、正面から隊長をにらみつけた。「彼女自身が恐れていないかどうか、一度でもご確認なさったのですか? この子に今回の役目を強要したのであれば……わたしは、あなたに決闘を申し込む!」
「ニアさま!」
ミリーが慌てて割って入ってきた。
文字通り、わたしと隊長のあいだに馬首を突っ込んできたのだ。
「あたしも納得したことです! ニアさまのおそばにいられるなら、どこだってついて行くって、あたし、自分の口でリオンタール閣下に申し上げました! それに、あの、護身用の道具もたくさん持ってきたんです」
「ミリー」
「あたし、魔法具屋の娘ですよ。しかも兄を脅し……頼み込んだんで、売り物よりも高性能で、使い勝手のいいやつを、たっくさん作ってもらったんです」
早口に言いながら、ミリーはふところからいくつかの魔道具を出して見せた。
一見してただの宝飾品に見えるものから、特殊な紋が刻まれた短剣と、たしかにいろいろと持ってきてはいるらしい。
わたし自身、アルンバート手製のスクロールを使ったことがあるので、その性能にも疑いはない。
……しかし、
「納得できません」
「だろうな」
うつむくわたしに、カシウス様が淡々とうなずいた。
「ニアよ、そなたがバーティアス嬢を大切に思っていることは、ここ数日で十分にわかっていた。だからこそ、直前までそなたに明かすことを避けたのだ。何と言われようと、今回の作戦にとって、彼女の存在は欠かせぬものだ。」
「ミリーが? なぜ……」
「まだすべては明かせぬ。だが、彼女は私にとっても大切な友人の妹だ。どんな危険からも守ると誓ったから、連れていく。それは信じてほしい」
誠実な隊長の物言いを聞いているうちに、わたしは自分が馬鹿になったような気がしてきた。
本来なら、こんなふうに気軽に言葉を交わせるはずもないかたが、わざわざ、弁明してくださっている。
わたしが子供のように拗ねてしまったせいで。
ミリー本人でさえ納得していることを、ひとり、意地を張って突っぱねてしまったせいで。
黙って決定に従えと、本来の立場を思えば、その一言でたりるものを。
わたしはいったい、何様だ。
急に頭が冷えて、恥ずかしさが怒りにとって代わるのがわかった。
「申し訳、ありません」
うつむいた格好から、わたしはさらに頭を下げた。
そのあたりで、遅れていた他の隊員たちが続々と前庭広場にやってきた。
カシウス様は、ミリーを連れて集団の先頭に行ってしまう。
わたしは改めていつもの半兜を装着し、集団に押しのけられるように後ろのほうへと下がった。
「気を付けて行け」
シドレイ様が、温かい一言とともに、わたしの肩を叩いて馬首を回した。
はい、と口のなかで小さく答えながら、養父の背中を見つめる。
シドレイ様は前庭から去るのではなく、カシウス様の隣へと向かったようだ。
それをなんとなく目で追っていると、とてつもなくみじめな気持ちになった。
「やあ、ニア、来ていたのか」
横合いから声をかけてきたのがアルフォンソ・キプリーだったので、さらに気分が落ち込む。
「遅かったな」
つい嫌味が出たのは、そのせいだ。
キプリーが芝居がかって髪をかき上げ、ため息をつく。
「仕方ないさ。いろいろと支度が必要なんだから。そうだろう? まったく、この僕が野宿だなんて、憂鬱だよ」
任地に来るまでも、何度も野宿はしているだろうが。
そう言ってやりたかったが、この男とあまり長く会話したくない気持ちのほうが勝って、黙っていた。
「たるんでいるな!」
それを聞きつけた別の騎士が、ぐいと馬首ごと突っ込んできた。
明るめの赤毛を短く借り上げた精悍な顔には、見覚えがある。
たしか、近衛隊から出向している男だ。話したことはない。
「栄えある任務だ! キプリーよ、気合を入れんか!」
「なーんだ、きみも一緒なのか、オランド」
怪気炎を上げる騎士を、キプリーがうんざりした横目で見た。
オランドと呼ばれた男は、馬上でそっくり返るかと思うほどに胸を張ってうなずく。
きりりと吊り上がった太い眉も、引き結ばれた真一文字の口元も、彼の実直さを表しているようだ。
「ニア、こいつはオランド・レイクだよ。僕と同室なんだ。……オランド、こちらはニア・エウクレスト。美人だろう? 僕の相棒さ」
「今回の遠征でだけのことだ」
キプリーの紹介に、わたしとオランド・レイクの声が重なった。
思わず互いに顔を見合わせる。
どうやらこの優男にいい印象を抱いていない同志らしいと、その一瞬でわかった。
「よろしく、エウクレスト」
「こちらこそよろしく……ところで、レイク、といったか?」
さっと握手を交わしてから、わたしはふと気になったので疑問を投げかけてみた。
オランド・レイクが、心得ているといった顔で、皮肉っぽく片頬をつり上げる。
「ああ、かの『レイク家』さ。……とは言っても、おれは分家だ」
「そうだったのか。いや、無作法を許してほしい。わたしは魔法騎士団の出身ゆえ」
「なるほど、ミシェイルを知っているのだな」
レイク家はガルリアンでも屈指の名家として名高い。
魔法騎士団で一緒だったミシェイル・レイク殿は本家の嫡男だが、聞くと、オランドは従兄に当たるらしい。
「あいつの知り合いなら、おれを家名では呼びにくいのではないか? 気にせず、オランドと呼んでくれ、エウクレスト」
「そうか。そう言ってもらえると助かる、オランド」
「僕のことも、アルフォンソって呼んでくれていいんだよ、ニア」
「ええい、任地で腑抜けるんじゃない、キプリー! おれと来い、もう出発だ!」
ちゃっかりと会話に割り込んでくるキプリーの首根っこを摑まえて、オランドは広場の前のほうへと離れていった。
わたしもその背中を見送ってから、列の後ろに改めて並ぶ。
前庭には、わたしのほかに4名の騎士が集まっている。
カシウス隊長と、ミリーを入れて、7人。
単なる調査にしては、人数が多いような気がした。
その疑問には、すぐに答えが示された。
カシウス様のとなりのシドレイ様が、隊長に代わって今回の調査について説明してくれた。
昨日の調査で、怪しいと思われる場所は、村落程度の規模があるとわかったらしい。
そのため、手分けして探る必要がある。それでこの人数が必要らしい。
「現場では個々人の洞察が重要になる。調査の主旨を重々に理解し、どんなにわずかな手がかりであろうと持ち帰るという気概で当たるように! もちろん、反乱分子の潜伏先を見つけた際には、戦闘行為も予想される。我々には、見逃すという選択肢はない。貴君らには、ガルリアンの騎士に恥じぬ働きを期待する!」
「おおっ!」
シドレイ様の檄に、騎士が勇ましく応じる。
そのまま、調査隊は列をなして領主の館から出発した。
隊員が先行し、隊長とミリーがその後ろ。
わたしはというと、その護衛役としてしんがりを務めることになった。
目的地はケイネス東部の森林地帯。
町のぐるりを囲む壁の外ということもあって、ほぼ未開拓であるはずの地だ。
馬でも多少の時間がかかる。
「報告を聞こう」
出発してすぐに、隊長がわたしに声をかけてきた。
一瞬なんのことかわからなかったが、今日の尋問のことだと、すぐに気づいた。
「目に見えた成果はありません。その……昨日の、二の舞になりました」
さっきのいまということもあり、さらには報告の内容のふがいなさとも相まって、わたしは気まずさに声を詰まらせた。
そう、昨日の隊長からの指摘もむなしく、責任者を買って出たはずのキプリーが示した今日の尋問の方針は、前回となんら変わらなかった。
キプリー本人の意気込みが違うのだと散々ぶち上げて、尋問室にガノを呼び出し……そして、またあれが起こった。
きらきら光るマナと、途端に曇る周囲の目。
ガノはへらへらと笑い、昨日とほぼ同じことをわたしに言った。
巫女に会ってくれ、助けてくれ、と。
「なるほど」
隊長はそれだけ言った。
怒っているようでもなければ、落胆したようでもない、ましてや興味を引かれたふうでもない、ごくごく平坦な声。
だからこそ、自責の念が押し寄せる。
キプリーの、根性があればなんとかなるという主張は、実に単純極まりないお粗末な対策だ。
だが実際のところ、魔法を使えない人間にとって、それは珍しくない理屈である。
彼らにとって精神操作系の魔法が効くか効かないかは、要は気の持ちようだ、という結論が出やすい。実際はマナが流れと特性に則った極めて物理的な対応になるのだが、理論を知らない彼らが、どうしてそれをわかるだろう。
ガノの能力はふつうの魔法とは異なるので、また別の話にはなるが……これも、魔法を知らない層から見れば同じこととしか思えまい。
「対応の仕方について、わたしがもっと強く出て話し合うべきでした」
「仮定の話より、得られた結果をどう活かすかだろう」
「は……」
反省の言にもカシウス様は平坦に答える。
そうなると、こちらとしては沈黙せざるを得ない。
しばらく、カツカツという蹄の音と、揺れてぶつかる鎧の金属音だけが辺りに響いた。
「そなたは」
街区を抜けたころに、隊長がまた口を開いた。
わたしに対して話しかけたものか、一瞬わからなかったが、声が届いているのがわたしくらいしかいなさそうだったので、うつむきがちだった視線を上向けた。
「出世はせんな」
わたしに対してだった。
半兜に隠された美貌が、わずかにこちらを向いていた。
「はい」
「いいことだ」
「……は?」
落ち込みかけたところに、思わぬ言葉がかかったので、わたしは目を丸くした。
揺れる馬上ではきちんと見分けられなかったが、カシウス様の口元には笑みが浮かんでいるように見えた。
「いかにも、シドレイの娘らしい」
それだけ言って、前に向き直ってしまわれる。
そのとなりで、会話が聞こえていたらしいミリーが、驚いたように目を瞬いていた。
わたしも一瞬なにを言われたのかわからず固まったが、頭で理解する前に、胸をふさいでいたものが薄れたのがわかった。
「ありがとう、ございます」
ためらいながら口にした御礼に、カシウス隊長は振り向かなかった。
けれど、大きくうなずいてくださったように見えたのは、たぶん、乗馬の揺れのせいではないと思う。




