36.養父と父の話
「興味深い」
報告を受けたリオンタール隊長は、深みのある声でひとことそう仰った。
その言葉に、隣に立つキプリーの喉がこくりと鳴る。
リオンタール隊長の静かな口調からは、その真意が計り知れなかった。
今日は半兜を外しておいでのため、表情が見えているが、目を見張るような美貌にも明確な感情は乗っていないので、推量の役には立たない。
キプリーのように固唾を飲み込むのも無理はないと思った。
「単なる異分子というわけではなさそうだ。調査の課題は生じたが、問題が小さいうちに見つかったことは、悪くはない。囚人の現在の様子は?」
「怪我の処置をし、休ませております。気を失っているので、妙な術も無力化しているかと」
隣のキプリーが反応しないので、わたしが答えた。
隊長がうなずく。
「魔法騎士だけが抵抗しうる奇術か……のこる2人の調書も見直すべきだな。エウクレスト、領主殿に会うゆえ、先触れを出すように」
「はっ、承知いたしました」
「あ、あの、隊長!」
だしぬけに、キプリーが勢い込んで身を乗り出した。
リオンタール隊長が静かに優男を見た。わたしも、隣に顔を向けた。
「尋問は、今後も続行するんですよね? 責任者は、今後もぼ……いや、私にお任せいただけるんですよね?」
発言の許可をいただくまえに話し出したぞ、この男。
緊張していたくせに。
信じられない、という気持ちを隠しもせずに、わたしはまじまじとキプリーの横顔を見つめた。
リオンタール隊長は無言でキプリーを見ている。
見ているこっちがハラハラするくらいの間を置いて、ひとつ瞬きし、やはり変わらぬ静かな口調でこう仰った。
「担当を変えると、私が言ったか?」
「あっ、いえ」
「では尋問を続けよ。ただし、囚人にあまり傷をつけるな。そういう段階ではない」
「し、しかし隊長、あいつのおかしな術にはどう対処すれば……」
担当を外すなと言ったかと思えば、急に弱音を吐く。隊長に向かって。
なにがしたいんだ、こいつは?
あまりにも予想の範疇を超えた行為を繰り返すもので、わたしは開いた口が塞がらなくなってきた。
こぶしでも突っ込んでこの男を黙らせるべきだろうかと、なかば以上本気で悩む。
「魔法騎士には効かなかったと、たったいま報告を受けた」
リオンタール隊長には一切の動揺がない。
ただ、氷の色をした双眸が寒々しい光を強くしたように見える。
「キプリーよ、そなた、頭脳派で知られる黄銅騎士団出身だったな。その機知には期待している」
静かなはずなのに、その口調には異を唱える隙がない。
肝の小さいものが聞けば、ひれ伏したくなるに違いない。
「は、はい」
キプリーも圧に勝てないひとりだった。
わかりやすく委縮して、ひとこと答えるのがやっとの様子だ。
「下がれ」
隊長の短いご下命に、キプリーもわたしも急いで敬礼し、回れ右をした。
まったく、なぜわたしまで恐れるように退室せねばならないのか。
自分のなかで、キプリーの評価がどんどん下がっていく。
その後、あいさつもそこそこにキプリーと別れてから、言われた通り領主へのつなぎを取りに走った。
隊長が会談に向かわれる間に、書類仕事をいくつか片付ける。
あれよという間に、窓から見える空が暗くなってきた。
隊長はまだ戻ってくる様子がない。
話は長引くのだろうか。
キプリーが同席していては話しづらい報告もあったのに。
そう、シュルマのことを隊長のお耳に入れておきたい……
ひとり内心でやきもきしているうちに、複数の蹄の音が聞こえてきた。
窓際に寄って正体を探すと、調査で出ていたシドレイ様の小隊が、帰還したところだ。
お父様の本の話をお聞きしなくては!
とたんに、わたしの頭のなかからは聴取のことなど吹き飛んでしまった。
調査隊は報告でこの部屋に来るはずだ。
いそいそと乱雑に広げていた書類をひとまとめにして、執務室の体裁を整える。
コンコンと扉をたたく音がして、わたしは半兜を装着してから応対に出た。
「おお、ニアか。隊長にご報告に参ったのだが」
予想通り、そこにはシドレイ様が立っていた。
全身鎧姿に、兜をわきに抱えている。
帰還から間を置かずに馳せ参じるその身軽さが、いかにもシドレイ様らしいと思った。
「エウクレスト卿、無事のご帰還をお喜び申し上げます」
わたしは敬礼で答えた。
「ですが、申し訳ございません。リオンタール様におかれましては、現在領主どのとの会談に出ていらっしゃいます」
「そうか。間が悪かったな」 シドレイ様は目を丸くし、それから少年のような笑顔になった。「では、ほこりを落としてから改めて参じよう。そう伝えてくれるか」
「承知いたしました……あっ、それでは」
必要なことだけを告げていそいそと退室しようとする義父を、わたしはあわてて呼び止めた。
「すこしだけ、お時間をいただけませんでしょうか。個人的なことです」
「ここでよいのか?」
シドレイ様は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、快く応じてくださった。
後ろ手に扉を閉めて、少々いぶかるような、気づかわしげな目線をこちらに向ける。
「はい。隊長がお戻りになっても問題のない話題です」
わたしは答えた。
父の著したものからシュルマの情報が出たことは、遅かれ早かれ報告すべきことだ。
そう思っての返答だったが、なぜかシドレイ様は気色ばんだ。
なんだか、うれしそうだ。
「決めたのか⁉ リオンタール殿との婚約を!」
「ええっ⁉」
勢い込んで出てきた言葉に、わたしは仰天した。
「ちっ、ちがいます! あっ、というか、義父上! わたくしに無断でそのような大それた提案をなさっていただなどと! どういうおつもりですか!」
「どういうもこういうも、そなたらは似合いと思ったからのことよ。なにしろ、亡き主君の残されたアンティシアの至宝だぞ」
「大昔の、それこそ年端もいかない頃の世辞でございましょう! いまのわたしは一介の騎士です。分不相応に過ぎます」
「名が釣り合わぬのなら、いくらでも後見先を見つけてやる。リオンタール家と縁続きになれるなら、いやという貴族はおるまい」
慌てるわたしと対照的に、シドレイ様の目は真剣そのものだ。
「ニア、これは譲れぬぞ。そなたは真実マルセル家の姫なのだ。いまは事情があるが、本来ならばこんなところで鎧など着ていていい身分ではない」
「エルティニア・マルセルは死んだのです、義父上。事実はどうでも、世間的にはとうに。死者はよみがえりません」
言っていて、心の底がちくりと痛むのは、どうしても家族のことを思い出すからだ。
でも、わたしはもう落ちたりしない。
だいたい、そんな場合ではない。
「リオンタール様に死者の花嫁など失礼千万ではないですか。このお話は、これきりにしてくださいませ」
「俺はあきらめんぞ」
「頑固な!」
子供のように意地を張る養父に、わたしも眉が吊り上がった。
まったく、まっすぐなお人柄であるがゆえの融通の利かなさよ!
「それと、わたしが言いたかったことは、そのことではございません。お父様の本についてお聞きしたかったのです」
「本? なんだ、それは?」
きょとんと目を瞬くシドレイ様。
そこでわたしは説明した。
お父様の著した書物のなかに、シドレイ様のお名前があったこと。
そのとき、聞き覚えのない部族と不思議な交流があったこと。
「おお」
話を聞き終わったシドレイ様が、懐かしそうに目を細めた。
「覚えているぞ。イヴァン様の視察には何度か同行させていただいたが、なかでもあの、なんだ、シュルマ? とかいう部族との邂逅は特に印象深い」
「もしよろしければ、覚えておいでのことを、お話しいただけませんか? とても……たぶん、とても重要なことなのです」
わたしの様子が、あまりにも必死に見えたのだろう。
養父は意外そうに片眉を上げ、真意を測るようにわたしの顔を数瞬のあいだ凝視した。
しかし、そのあとは深く追求してこず、わたしの示すまま、応接用の椅子に腰を下ろして話し出した。
「印象深いというのは、イヴァン様のはしゃぎようだ。
普段は寡黙で冷静沈着なあのかたが、子供のように喜ばれてな。まるで、旧知の友に会ったかのようだった。見ているだけで、こちらまで自然と笑顔になったのを覚えている」
「お父様が?」
「はは、驚くだろう?」
目を丸くするわたしに、シドレイ様は笑ってうなずく。
お父様は、不愛想というほどではなかったが、それでも幼心にもはっきりとわかるくらい厳格なかただった。
そのお父様が、子供のようにはしゃがれたと?
とても想像がつかない。
「俺も当時はずいぶん驚いたものだ。
かの部族は独特の製法の酒を持っていてな、側近のジュニエーヴ様はお止めしたのだが、お館様はなんのてらいもなくグイと干されて……いや、あのうまそうなお顔ときたら。ずっと探し求めていたものに会えた、というお顔だったな」
懐かしげな、嬉しそうなシドレイ様の話は続いた。
相手は他国からの流入民ということもあって、言語の違いからやりとりはたどたどしかった。
だというのに、なにか共通の話題があるかのように、時折いくつかの言葉を互いに繰り返したりしていたらしい。
その言葉のなかに、かの「ジンク」という単語もあった。
「意味まではわからんな」 シドレイ様は難しい顔をなさった。「だが、歌のことだ。それは間違いない」
「歌、ですか?」
「うーむ、おそらく、歌だ。シュルマが会合の場でそらんじたのだが、なんというか、旋律のない、朗読と独唱の間のような不思議な調べでな。言語もそのとき初めて聞いたし、こんにちまで同じ発音は聞いたことがない」
そういえば、お父様の本でも「ジンクを聞いた」と表現されていた。
土着の歌なのだろうか?
「節の一部でも、覚えていらっしゃいませんか?」
「おいおい、勘弁してくれ。俺は吟遊詩人ではないぞ」
無茶な質問をする私に、養父は気を悪くするのではなく、冗談めかして笑いながらかぶりを振った。
それ以上新しい情報を引き出すことはできなかったが、そのかわり、シドレイ様は当時の他愛ない話を色々としてくださった。
お父様がシュルマ以外の民族とも積極的にかかわり、そのたびに異文化にかぶいては臣下を困らせたこと。旅先でもお母様の肖像画を肌身離さず持っていることを見つけたシドレイ様が、それを他の者のまえでうっかり暴露してしまい、陰でこっぴどく叱られたこと……
お父様の意外な面を知れるのが楽しくて、わたしも夢中になって聞き入ってしまった。
いままで、シドレイ様とはたくさんの時間を共有してきたが、こんなふうに過去の話をしたことはなかった。
辛い記憶から逃げていた、わたしの弱さのせいで。
それが、いまはなんの躊躇いもなく聞けるし、話せる。
シドレイ様はそれがとても嬉しそうだったし、わたしも嬉しい。
そうしてすっかり話し込んでいるうちに、会談を終えたリオンタール隊長がお戻りになられた。
「エウクレスト、ここにいたか」
入っていらっしゃるなり、さして驚いたふうもなくつぶやいた隊長の言葉に、
「はい」
わたしもシドレイ様も、同時に返事をしていた。
はたと互いに顔を見合わせる。
「ややこしい」
隊長が低い声で言った。
執務室へと歩きながら半兜を脱いだ下には、その声音に似合いの寄せた眉根が見える。
「申し訳ありません」 わたしは慌てて恐縮し、
「親子でございますゆえ」 シドレイ様はなぜか誇らしげに胸をそらした。
「はじめの言葉は、娘のほうにかけた」
リオンタール様はそう言って椅子に座るなり、たったいま入ってらした扉のほうに声をかけた。
「入りなさい」
その呼びかけに答えて、部屋の扉がキィ、と遠慮がちに音を立てて開いた。
「ミリー」
そこから顔を出した不安げな少女の顔に、わたしは目を見開いた。
足早に歩み寄ると、こちらを見たミリーの顔に安堵が広がり、ようやっと全身をするりと室内に躍らせた。
「ニアさま、ごめんなさい。お戻りにならないので、まだお仕事中かと来てみたんです。そうしたら、廊下でお声をかけていただいて」
いつもよりも気後れした口調のミリーの視線が、ちらりと奥の隊長に移った。
「それは……隊長、お心遣いをありがとうございます」
「迷ったのかと思って声をかけただけだ。侍女をあまり心配させるな」
「はっ、申し訳ございません」
敬礼して恐縮するわたしに、隊長は、かまわない、とでもいうふうに軽くかぶりを振った。
となりで心配そうな顔をするミリーに気づいたので、わたしは、だいじょうぶ、という気持ちを込めて優しくその肩を撫でた。
「隊長、親父のほうも気にしてくださいますでしょうか。今日の報告にまかり越したのですが」
「ふむ、相変わらずむさくるしいが、気にかけんわけにもいかんな。ではエウクレストは下が……」
シドレイ様に声をかけられたリオンタール隊長が、わたしに向かってそう手を振りかけ……
また顔をしかめた。
「ややこしい」
「もう、今後は下の名前で呼んではいかがでしょう? 俺は慣れておりますし」
シドレイ様がごく当たり前のように出した提案に、わたしは内心で仰天した。
となりのミリーが、ぴくり、と肩を震わせたのがわかった。
「よいのか?」
「え? あ、え……あの、はい」
リオンタール様が無表情にこちらに確認してくるのに対して、わたしはうろたえながら、半分以上は場に流されてうなずいた。
「ふむ」 隊長は思案気に顎を撫でた。「では、不公平にならぬよう、そなたも私を名で呼ぶように」
「はっ⁉」
なにを思ったか、さらに無茶なことを言い出した隊長に、さすがにわたしの口から耐え切れず変な音が出た。
シドレイ様が噴出し、ミリーの肩がびくびくびくっ、と震えた。
「そ、それはできません。不敬に過ぎます」
「私が許可している。こちらだけが気安く呼ぶのは、いかな私でも遠慮が出る。いいな、ニア?」
遠慮と言いながら、なんの衒いもなく無表情のまま呼ばれた名前に、わたしは一瞬で固まってしまった。
生きながら凍り付いたかと思うような、落ち着かない心地がした。
かの瞳に見つめられて、いったい、どうやったら逆らえるというのだ。
「は……はい」
「呼んでみよ」
「……は?」
「呼んでみよと言ったのだ、ニア。一度呼べば踏ん切りがつく。私のように」
「は、はい……か……カ、カシウスたいちょう」
言われるまま従うわたしの声は、自分でも驚くほど片言で、舌足らずで、馬鹿馬鹿しかった。
シドレイ様が耐え切れず笑いだし、ミリーが思わず「んまあぁ」とこぼすくらいに、滑稽だった。
けれど、当のリオンタール……もとい、カシウス様は、満足げにうなずいた。
「それでよい」
全然よくない。
とは答えられない、小心者のわたしだった。
……ああ、キプリーよ……そなたを笑えぬ……




