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06.心の傷

 花のように美しい娘、エルティニア。

 彼女は、名門貴族マルセル家の姫として生を受けた。


 しかし、彼女が8歳になった時、両親と弟が事故死してしまう。

 ひとり残されたエルティニアは、マルセル家の家督を継いだ叔父の元に養女として引き取られたが、その扱いはひどいものだった。叔父はみずからの領主としての無能さを、エルティニアのせいと転嫁し、養女というより奴隷のように扱った。


 それでも、幼い姫は気丈に振る舞い、また、つねにまわりの人々への感謝と愛情を忘れなかった。

 そんな彼女を、使用人たちは心から慕い、できる限り叔父の差別的扱いから守ろうとしてくれた。


 そんな生活をするようになって数年。ある日、エルティニアは屋敷の小間使いの少女から、たまたま漏れ聞いたという驚愕の情報を伝えられる。


 ひとつは、エルティニアの縁談。四十も年のはなれた地方貴族のもとへ、無理矢理に後添いとして嫁がせようという計画。


 そして、もうひとつは、エルティニアの家族の死が、実は謀殺であったということ。

 叔父もそれに一枚噛んでいたが、しょせんは地位への欲に目がくらんだ末での浅はかな行動であり、首謀者は他にいるらしかった。それもどうやら、国の中枢に。


 それを知ったエルティニアは、いまが潮時と、使用人たちの協力を得てマルセル邸を出奔した。

 行くあてはただひとつ、ガルリアン王城。そこで、家族を殺した真犯人を突き止めることこそが、エルティニアに残された生きる目的となった。


 王都へ来て、『エリー』という偽名を名乗り、マルセル家使用人のつてで城の下働きとして潜入することに成功したエルティニア。

 彼女はそこで、仇を捜しながら、また運命の相手とも出会うことになる。


 若き騎士隊長、カシウス・リオンタール。

 心優しき王子、クレイグ・リレウス・エメルディオ・エス・ガルリアン。

 猛き魔法騎士、ミシェイル・レイク。

 孤高の魔導師、アルンバート・バーティアス。

 王家の懐刀、ラウル・ディレッカ。

 妖しき黒騎士、ジュード・イル・ジークハイド。


 この6人のなかから、誰を運命の相手と見極めるか。

 そして、その運命の先に、どんな波乱が待ち受けているか。


 未来は、すべてプレイヤーの手に委ねられている。





「……っていうのが、ガルリアン戦記のストーリーパートのあらましなんだけどーーーって、うわぁっ!?」


 バーティアスが説明に一区切りをつけるのと同時に、わたしは倒れて椅子から落ちた。


 がつっ! と鈍い音がして、後頭部が堅い床にぶつかったのを、他人事のように認識する。

 しびれたような感覚が痛みに変わる前に、血相を変えた魔導師がわたしのもとに駆け寄ってきた。


「だ、だ、大丈夫か!?」


 狼狽して、わたしを助け起こすかどうかを迷うような仕草を見せるバーティアスを、見るともなしに見上げる。


 ああ、痛い。

 目が覚めるような痛み、とはよくある言い回しだが、では、ぜひともこの痛みによって、いまこの瞬間から目覚めたいものだ。そうは思うが、後頭部から突き抜けて額まで響くこの痛みは、目覚めさせるどころか、いまが悪夢でも何でもなく、現実であるという残酷な事実を思い知らせてくれるばかり。

 いっそ気を失ってしまいたいが、あいにくそんなやわな鍛え方はしていない。


「なん……だ」

「え?」


 唇から、自然と声が滑り出た。乾いてひび割れた、女にしては低い声が。

 バーティアスが目を瞬き、いぶかしげに眉根を寄せる。

 その、なにも理解していないような、ゆるみきった顔を見た瞬間、わたしの感情に火が点いた。腕に力を込め、一息で上半身を跳ね起こす。


「なにが目的だ!? この下衆が!」

「え、えぇっ!?」


 わたしの怒声に、魔導師はまともに面食らった様子で仰け反る。

 その様子が、突風となってまたわたしの怒りの炎を煽るのだ。


「言うにこと欠いて、貴様、もったいなくも王子殿下の御名を軽々しく! し、しかも……しかも……!」


 声が震える。

 声ばかりではない、肩も腕も足下も、ぐらぐらと煮えたぎるがごとくに、全身が小刻みに震えている。

 視界もまた嵐のただなかにある船のように揺れ、さらに赤く染まったかと思えば白くつぶれたりと、焦点すらまともに結べない。

 怒りで、頭が爆発しそうだ。


「死者、をっ……死者を、愚弄するようなことを抜かしおってっ!!」


 叫ぶと同時に、わたしは立ち上がり、腰の鞘から剣を抜きはなった。

 しゃりいぃん! 鈴の音のように清涼な音が、狭い室内に高々と響いた。


「う、うわああぁ!」


 恐怖に美貌を歪ませる魔導師の悲鳴に、わたしの獣じみた唸りが重なった。

 剣を振り下ろす。風が鳴る。抜き身の刃が白銀の流星となり、痩せた男の、蛇を巻き付けた肩口へと吸い込まれていく。


 金属音が、爆ぜた。

 鈍く、軋んだ、耳障りな音だった。


 気づくと、わたしと魔導師の間に、湾曲した片刃の短剣があった。

 それが、わたしの長剣を受け止めている。さっきの金属音は、これがぶつかった音だ。

 わたしは視線を、短剣の柄へと滑らせた。それは、革手袋をはめた逞しい腕に握られている。そしてその腕は、いつの間に入ってきたのか、あの大地色の髪の戦士につながっていた。


「ゼ、フ」


 床に尻餅をついた格好のバーティアスが、掠れた声を出した。


「ずいぶんと物騒な乳繰り合いだな」


 つまらなさそうな顔と声音で、戦士が言う。

 その腕は無造作に剣を握っているだけに見えるのに、わたしが剣で押しても小揺るぎもしない。


「そういう被虐趣味があるとは知らなかったぞ、アルよ」

「ばっ……そういう下品な冗談言ってる状況じゃねえ!」


 軽口をたたく戦士を、蒼い顔のままたしなめるバーティアスの声には、しかしはっきりと安堵の色がある。


「そこをどけ!」


 わたしは憤怒に身を震わせ、叫んだ。


「その男は、かの方を……イヴァン・マルセル・リア・アゼキス・シシディア・アンティシアを愚弄したのだ!」


 イヴァン。

 それは、前マルセル家当主の名前。

 エルティニアの、父親の名前。


 いまいちピンと来なかったのであろう。戦士ゼフははっきりと首を傾げ、横目で魔導師を見た。


「よくわからんが、そうなのか?」

「ち、ちがう!」


 バーティアスがただでさえ乱雑な髪をさらに振り乱して首を振る。


「そうじゃないって、聞いてくれってば! 大事なのはここからなん」

「黙れ! 貴様のおとぎ話はたくさんだ! 貴様が事実を曲解し、勝手な妄想をするのはかまわん。だが……だが、かの方々を貶めるような発言は許さぬ!」


 なにか弁解したげな男の声を遮り、わたしは叫んで剣を持つ手に力を込めた。

 ぎりぎりと音ばかりが苦しげに響くが、やはり戦士の短剣は揺るがない。震えるのはわたしの腕と剣ばかり。

 なんという腕力か。男女差があるとは言っても、これは異常だ。


「邪魔立てするようであれば、貴様も容赦せぬぞ!」


 頭のどこか片隅の方では、冷えた思考がやめておけと諭しているのだが、わたしのおもてに出るのは凶暴な怒りばかり。そしてその暴走する感情は、戦士へも牙を剥いた。


 けれど、わたしの怒鳴り声を受けても、戦士ゼフの表情には一切の動揺は浮かばない。どこか諦観したような、醒めた青灰色の瞳で、わたしを見返すばかり。


「頼むよ、聞いてくれ! 重要なのはここじゃないんだ! 妄想なんかじゃない……いや、単なる妄想なら、どんなにいいか……! とにかく、最後まで聞いてくれよ!」


 その戦士の肩越しに、魔導師が必死な声を張り上げる。


 わたしは歯噛みした。ぎりぎり鳴る歯の間から、うなり声が漏れ出てしまう。

 それがつい今しがた斬りつけた直前に出したものと同一の音と気づいたか、バーティアスの顔に怯えが走った。


「アルよ」


 そこでおもむろに口を開いたのは、ゼフだった。

 声には隠しようもない呆れの色がにじんでいる。さらにそのあとにため息が続いて、だめ押しした。

 まさか庇ってくれている相手に呆れられると思っていなかったのか、バーティアスがぎょっと目を剥く。


「おまえは、そんなだから、顔がいいのに女が寄りつかんのだ」


 言いながら、ゼフが短剣を持つ手を何気ない動作で跳ね上げた。

 わたしは息を呑んだ。噛み合っていた剣が弾かれ、その力の強さに、わたしは数歩後ろへと下がらされたのだ。


「ゼ、ゼフにはいまは関係ねぇんだって」

「阿呆め。ここで俺の助言を聞かねば、おまえ、この姫騎士に両断されて終いだぞ」

「うっ……そ、それは」

「いやだろうが。……いいか、おまえこそ聞けよ」


 剣を抜いたままのわたしを前にしながら、ゼフは堂々と後ろのバーティアスを振り向き、指さす。

 首筋をさらすような無防備な格好なのに、わたしは、その姿のどこにも隙を見いだせなかった。仮にどんな角度で斬りつけたとしても、それより速く防がれる予感しかしない。


「とにかくな、おまえ、あやまれ」

「は!? な、なんで? おれ、ただ説明してただけで」

「だからおまえは阿呆なんだ。かび臭い店にこもりきりで、ついに頭にまでかびが生えたな。子細は知らんが、その『説明』で、おまえは姫騎士の心をなにかしら抉ったのだ。自覚があろうがなかろうが、失礼をしたなら詫びろ。みっつの子供とて知っている常識だろうが」


 そのままわたしに構わず、戦士は魔導師を説教し始めた。

 悪口を浴びせられてうろたえる主人をせめても守るつもりなのか、バーティアスの肩で蛇のアハトがゼフに向かって鎌首をもたげ、しゅうしゅうと威嚇音らしき音を立てて舌を見せている。


「あ、おま……いや、あの、でも、あやまれったって」

「見てみろ」


 いまだ納得しない様子のバーティアスに、ゼフが今度はわたしを親指で指さした。


「姫騎士が泣きそうだ。こういう顔を女にさせる男は、とりあえずクズだと相場が決まっている」

「なっ!」

「えっ」


 わたしまでうろたえることになった。


「だっ、だれが泣いているものか!」


 わたしは声を張り上げた。顔が熱い。

 ああ、くそ。どうしてわたしは、気づけばいつもこの男の前で赤面しているのだろう。


「姫騎士にもご忠告申し上げておこう」


 ゼフは、そう言ってわたしを振り向いた。その顔には、どこか状況を楽しんでいるような、酷薄ともとれる笑みが浮かんでいる。


「短慮はよせ。こんなことをしても、傷つくのはおまえのほうだ」

「なっ、なにを……!」

「この男を斬っても、失ったものは還らんし、なにひとつ解決せんぞ」


 言い終えた戦士の顔から、唐突に笑みが消えた。

 同時に、目に見えそうなほど濃密な殺気が、その全身から噴き出した。

 その圧の凄まじさ。部屋の中が凍り付いたかと思うほどの冷たさ。


 わたしは、言葉をろくに発することもできずに、剣を取り落とした。

 ごとん、と重い音を立てて、騎士団支給のなまくらが床に転がる。その音を、呆然と耳で聞くことしか、できなかった。


 格が違う。

 この、ゼフとかいう戦士は、わたしなどとは次元の違う強さを持っている。それがわかった、こわいほどに。

 これに比べたら、先刻訓練場で感じたレイク殿の威嚇でさえ、児戯に等しい。

 この男は、死地を抜けてきたのだ。それも、何度も。そうでなければ、こんな気配が出せるはずがない。場数でいえば、正規軍である養父すら越えるのではないだろうか。そんな相手に、実戦を踏んだこともないお飾りの騎士であるわたしが、どうして太刀打ちできるだろう。


「それとな、友を斬られて、俺が黙っているとは思わんことだ」


 いまや、部屋の中はゼフの放つ威圧感で息苦しいほどだ。それがすべて自分に向けられているという、絶望と恐怖。

 浴びせられた言葉は静かだが、それは、わたしの戦意を根こそぎ奪う吹雪のひとことであった。


 殺される。

 そう思った。


 いやだ。

 死にたくない。

 わたしは、まだなにも成していないのに。なにひとつ、成していないのに。

 こんなところで死んだら、くだらない、まるきりただの犬死にだ。なんのために、今まで生きながらえたというのか。

 なんのために。


 ああ。


 ああ。


「おとうさま……おかあさま……レオ」


 息が苦しい。


 苦しいの。


 ここでは、息ができないの。


 水が。

 水が冷たいの。


 冷たすぎて、あちこちが痛むの。


 いや。

 ここはいや。


 いまさらになって、こんなに苦しいのはどうして。


 あのとき、わたくしを連れていってくださらなかったのに。


 どうして、いま、わたくしをこんなに苦しめるの。


 どうして。


「……おい?」


 わたくしを置いていかないで。


 苦しい。

 息ができない。

 なにもないの。

 ここにはなにもない。

 わたくしは空っぽ。

 わたくしは抜け殻。

 打ち捨てられた人形。

 どうして。

 どうして。

 どうして。

 ひとりはいや。

 わたくしも連れていって。

 わたくしにはなにもないのに。

 もういらないの?

 なにもいらないの?

 わたくしは、いらないの?


「おい、聞こえるか? どうした?」


 苦しいの。

 水が冷たいの。

 石がぶつかる。

 草がからまる。

 なのに死ねないの。

 生きろとおっしゃるのね。

 ひどいひと。

 なにもないわたくしの背を押すのね。

 ひどいひと。

 わたくしをけして連れていってはくださらないのね。


 ひどいひと。


「おい!」

「エ、エル!?」


 その名前で呼ばないで。


 その名前は。


 せめても、その名前だけは。



 愛するひとたちと一緒に、死なせてちょうだい。

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