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05.転生者


「あんた……いや、きみは、エルティニア・マルセルか?」

「ちがう」


 魔導師アルンバート・バーティアスの投げかけてきた質問に、わたしは即座に答えた。


 バーティアスが、すこし動揺したように瞳を見開く。そのまま、視線が、自分の首に巻きつく使い魔の蛇へと下りた。

 蛇のアハトは、持ち上げた鎌首をそのままにわたしを見つめ、しゅるしゅると音を立てて細長い先割れの舌を出し入れした。


「嘘だ」


 それを見て、バーティアスがそう断じた。

 きっぱりと、確信している物言いだ。


 ……なんと。


「わたしは、いまは、ニア・エウクレストだ」


 わたしは、静かに言葉を続けた。

 蛇の舌が、ぴたりと動きを止める。


「だが、かつて……その名で呼ばれていたことがある」

「やっぱり!」


 わたしの答えに、バーティアスが興奮を隠せない様子で前のめりになる。それと入れ違うように、蛇が首を引っ込めた。もう興味が失せたとばかりに、魔導師の首もとに巻き付けた己の体に頭を乗せる。


 わたしは小さくのどを鳴らした。

 わざと持って回った言い方をしたのだが、あの蛇はそれを冷静に見極めてみせた。嘘を見抜くという話、はったりではないのか。


 それにしても……

 ああ、認めてしまった。


 わたしは瞬きのふりをして、刹那の間だけ瞑目した。


 逃げないと決めた。

 その決意に揺らぎはない。後悔もない。だが、実際にこうして過去と向き合うことになると、心はやはり大きく引きつってしまう。


「じゃ、じゃあ……」


 そんなわたしの内心などお構いなしで、バーティアスはいささか興奮気味に質疑を続けた。

 わたしは無表情を意識したまま、視線を魔導師に返す。


「『ガルリアン戦記』って、聞いたこと、あるよな?」


 知っていて当然、という口振りで言われたが、わたしは眉をひそめた。


 ガルリアン、戦記?


 ガルリアンとは、わたしたちの住まうこの国の名前だ。魔法と大自然に守られた神秘の聖王国、ガルリアン。アンテローザ大陸の東を支配する大国。

 その歴史は古く、一説に天地開闢のころより大地にはガルリアンの名があったとすら言われる。そこから数百年、大陸ではいくつもの争いが起きたという。多くの国が興り、領土や覇権を巡って互いに争い、また多くが滅んだ。その中で、我らがガルリアン王国は常に覇者足り得た。領土の些細な増減はあれど、ほとんど国の形を変えることなく、長い間在り続けている唯一の国だ。魔法の力が、その長きにわたる栄華を支えたと言われている。

 そんな国であるから、戦争の記録というのはいくらもある。多くが歴史書として、あるいは戯曲に姿を変えて、人々に受け継がれている。

 だが……それらの中に、堂々とガルリアンの名を冠した戦記があったとは、記憶にない。いくさの記録は、だいたいが地名で統一されているはずだ。一部王朝の名を戴いた記録もあったかもしれないが、それとて相手国のものであったり、はたまた、時の国王の御名であったように思う。

 もちろん、わたしの単なる勉強不足で、そういた名の戦記がないとは言い切れない。だが、そのような大胆な名前をつけた戦記など、国内で認められるとは思えない……では、外国にそういった戦記が存在するのだろうか?

 いや、しかし……


 長々思案するわたしの、当惑に染まっているだろう顔を見て、バーティアスはみるみる顔色を失った。

 まるで、それを知らないことが、とんでもなく罪深いことであるかのように。


「し……知らないのか?」


 かすれた声での問いかけに、わたしは仕方なく、素直に首を横に振った。


「未熟なのは承知だ。しかし恥ずかしながら、そういった書物は聞いたことがない」

「しょ、書物って」


 力なくかぶりを振り、それから、バーティアスは思い直したように片手をあげた。


「じゃ、じゃあ、あれだ。スマホは? それか、タブレット! えっと、ソーシャルゲームでもいいや!」

「ソーシャ……?」


 それならわかるだろう、とでも言わんばかりの魔導師の口調から察するに、それは先の戦記よりずっと有名な、あるいは理解が容易なものなのだろう。

 しかし、あいにくとわたしには渋面を作るしかできなかった。

 知らないのだ。スマホとやらも、タブレットとやらも、聞いたことがない。最後の言葉にいたっては、そもそも聞き取ることすらできなかった。


 わたしの表情からすべてを察したらしいバーティアスは、今度こそ、はっきりと顔面蒼白になった。


「し、知らない……なにも、知らないのか」


 呆然とつぶやいたかと思うと、ずるりとそのまま丸椅子から崩れ落ちてしまった。


「大丈夫か」


 わたしはあわてて席を立ち、前のめりに倒れてしまいそうな男の身体を支えた。

 痩せた胸板へローブ越しに触れると、そこは小刻みに震えていた。それは次第に大きくなり、ついにはわなわなと全身が震えだした。


「なんてこった……自覚なしに、全部が狂ってる? じゃあ、いったいほかのなにが原因で……こういうときは、どうしたら……」


 バーティアスは、すぐ近くにいるわたしなどまったく目に入らない様子で、茫然自失の表情のまま、額に手を当てて早口につぶやき始めた。

 どうしたものか。わたしは戸惑ったが、とりあえず、抵抗される気配もないので、彼を支えて椅子に座りなおさせた。大人しく従う魔導師の肩を、蛇が流れるような動きで這い回り出す。


 おお……蛇の動く様をこんなに間近で見るのは初めてだ。

 というか、大丈夫なのか、これは? 主人であるバーティアスが思案に沈んでしまっているいま、この蛇が制御不能になって動き出したとか、じゃ、ないよな?


 見慣れないものに、ついついわたしが怖じ気づいていると、バーティアスが我を取り戻したような顔つきで顔を上げた。

 それに呼応するように、アハトが主人の片腕にまとわりつく。腕の先にある手は額に当てられたままで、蛇はその手先まで登ってきた。


「おれは、転生者だ」


 バーティアスが出し抜けに言った。

 わたしは目を瞬く。


 転生者。

 それは、聞いたことだけはある。

 とある宗教で説かれている思想のひとつだ。輪廻転生。

 たしか……魂は不変であり、器である肉体が滅んだとき、それはまた別の器へと移っていくものだという考えだ。魂が古い肉体の死を契機として新たな肉体の生へと移り変わっていくことを、転生と呼ぶ。

 しかし、それに照らし合わせて考えれば、なにも転生とはバーティアスだけのことではない。この世界のすべての生者が転生者ということになるが。


「おれはガルリアン戦記を知ってる。スマホも、タブレットも、ソーシャルゲームも知ってる」


 椅子に座った格好のまま、バーティアスは真剣そのものの表情でまっすぐにこちらを見つめ、言葉を紡ぐ。

 その瞳には、あの生々しい必死さが戻っていた。

 そして、その片腕で、黒い蛇が主人の顔にじっと見入っている。まるで、その言葉を吟味しているかのように。


 そうか。

 そうだったのか。

 やっとわかった。どうして、騎士の不興を買うことも考えずに、この蛇を呼んだのか。

 わたしの嘘を見抜くためではない。

 自分の言葉を信用させるために、バーティアスはアハトを呼び寄せたのだ。実際にわたしの嘘の回答を見抜き、その能力を証明してみせた上で。


「それらは全部、前世の記憶にあった言葉だ」

「ぜん、せ?」


 わたしは目を見開いた。


 さっきから、耳慣れない言葉ばかりが出てくる。わたしの知らないことばかりが、さも当たり前のことのように語られる。

 その意味を、答えを、言い出した張本人である目の前の男に見出そうと、無意識のうちに思ったのだろうか。わたしは、食い入るように橙色の瞳を見つめた。


 相手もまたわたしを見返す。

 目とは、感情を映す鏡だ。戦士ならば、誰しもそこに本心を映してしまわないよう気をつけるべき部位だ。

 そんな鏡である目が、橙色の瞳が、まっすぐにわたしを見ている。

 ああ。


 ああ。


 なんてことだ。

 わかる。


 理屈ではない。

 この目がこんなにも、物語っている。だから、わかる。


 この男は、真実を口にしている。

 音だけ聞けば、突飛で、風変わりで、意味不明な事柄の羅列だろうに。

 それが絵空事ではないのだと、無意味な戯れ言などではないのだと、目が、こんなにも雄弁に語る。


 そして、バーティアスは語り出した。

 前世のことを。


 そこは、魔法のかわりに、『科学』というもので栄えた世界だった。

 科学は人々の生活のあらゆるものを変革し、娯楽もまたその恩恵を受けた。もともとは情報伝達の手段として開発された、スマホ、そして、タブレットという道具は、やがて娯楽のために、遊技盤の役割も果たすようになった。

 その、遊技盤で遊べる数多の演目のうちのひとつが、『ガルリアン戦記』。主に女性が遊びやすいようにと作り出された、ソーシャルゲーム、というもの。

 『ガルリアン戦記』には、大きく分けてふたつの要素があった。登場人物のやりとりを通して見る物語としての要素と、戦略を駆使して駒同士を戦わせる疑似戦闘の要素。


「物語の要素……ストーリーパートには、固定の主人公がいた。それが、エルティニア・マルセル」

「なっ」


 淡々と説明を続けるバーティアスの口から出た名前に、意識せずにわたしの肩が震えた。

 だが、それ以上の動揺は、なんとか表に出さずに呑み込んだ。いまは、口を挟むべきときではない。


「ストーリーパートは……なんつったらいいのかな。乙女ゲーム、とか、恋愛ゲームとか、向こうでは言ってたんだけど……プレイヤー、つまり遊戯者は、主人公になりきって何人かいる男の登場人物のなかから自分の好きなやつを選んで、会話して、仲良くなってく、っつーか……あのー、つまり、なんだ、疑似的に登場人物と恋愛をするっつーか」


 なんだか気恥ずかしそうに、バーティアスが続ける。

 だが、わたしにそれに対して反応する余裕などありはしない。


 心の底から沸き上がる、なんと形容していいかわからない複雑極まる心情が、喉のあたりでぐるぐると激しく渦巻いているようだ。嫌悪のようでもあり、恐怖のようでもあり、憤怒も、悲哀も、もちろん驚愕も、少なからず内包されている。不思議に、というべきか、疑念だけはそこにはない。そして、それらの感情の中でもとくに大きいのは、羞恥、だろうか。

 叫びだしてしまいたい、と思った。わけもなく、意味もなく、とにかく喉に引っかかっているこれを、声というものに換えて吐き出してしまいたいと思った。だがそんなことはできない。それを抑え込むのに、意志の力を総動員することになった。

 そのため、バーティアスの口から続けて出る言葉を、ただ聞き流すことしかできなかった。


「そんで、もうひとつの要素である疑似戦闘……バトルパートは、物語の進行に合わせて、騎士団の任務だったり、冒険者の依頼だったりで野党や他国軍と戦うって感じ。こっちはいかにもソシャゲーって感じで……っつっても、わかんないか。とりあえず、ストーリーでエルティニアが選んだ男を中心に、バトル専用キャラ、えーと、戦闘要員を集めて、プレーヤーが好きにパーティーを組めるつくりになってた」


 この世界とは理の違うことがらを説明せねばならないとあって、バーティアスは必死に言葉を選びながら話を続ける。

 なんとか感情の波をやりすごしたわたしは、それらの説明を、かなりの時間をかけて咀嚼した。


「つまり」


 魔導師の話が途切れてから、さらにしばしの間を空けて、わたしは口を開いた。


「貴殿の前世では、我が国は遊技盤の中の存在だった……つまり、つくりごとであった、と?」

「うん……まあ、そう、だな」


 ためらいがちに、バーティアスがうなずく。


「つくりごとのガルリアン王国があり、そのなかに、エルティニア・マルセルという女がいた、と?」

「ああ」

「そのエルティニアが、わたしに似ていると、そういうわけか」

「そうそう。萌え絵と実写だから、そりゃ違和感はあるけど。それでも、あの絵を実写にしたら間違いなくあんたになる。それは間違いない」

「もえ……? よくわからんが、それで、貴殿は昨日わたしにあのような反応をしたのだな」


 言いながら、わたしは、どうにも抑えようのない怒りが自分の声ににじむのを聞いた。


 嘘を言っているとは思わない。

 だが、言われたことをすぐに丸まま信用しろというのは、土台無理な話であろう。疑うというわけではなく、受け入れられない。

 なにを馬鹿な。そう言いたくなるほどに、奇想天外に過ぎる話ではないか。

 そして同時に、あまりにも、なんというか……浅い。


 昨日も今日も見せたあの必死さが、前世で見たつくりごとの女に、わたしが似ていたからという、それだけだというのか。

 こちらは、隠しに隠してきたことを、躊躇と逡巡を重ねた上で無理矢理に認めたというのに。できればいまも明かしたくなかったと往生際悪く思ってしまう事実を告白したことへの、代価がそれだというのか。


 わたしの苛立ちを、バーティアスも敏感に感じ取ったらしい。

 あわてた表情でかぶりを振った。


「あ、それはたしかにそうなんだけど! でも、話はここで終わりじゃないんだ!」


 そう言う緑髪の魔導師の瞳には、まだあの必死さが映っている。


「エルティニア」


 バーティアスがわたしを呼ぶ。

 捨てたはずの古い名で。


 ぴくりと、自分の目尻のあたりが引きつるのがわかった。


 そのわたしに向かって、男は、ことさらにゆっくりと、一音一音を強調するようにして、言った。


「聞いてくれ。あんたの力が必要なんだ。

 おれの前世で見たガルリアンが、この実際のガルリアンとつながっているのならば……


 あんたがいないと、この国は、いや、この世界は……滅んでしまう」



 わたしは、絶句した。

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