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20.呪われた血

 ガルリアン聖王国の北西に位置するテルヴァス帝国は、内紛の多い国だ。

 いまから30年ほど前にひとまずの平定を見せて新皇帝が践祚したが、それでも政情は不安なままだとして、長く我が国とは緊張関係にあった。とはいえ、ことが起こって困るのはテルヴァス帝国のほうで、皇帝の即位から数年後、あちら側からの働きかけで和平条約が結ばれている。

 その和平条約締結の折、両国友好の証としてひとりの姫がガルリアン王国に嫁いできた。

 名をリーディア・レティ・テルヴァスというその姫君は、時のテルヴァス皇帝の妹であり、帝国一と謳われた美貌の持ち主でもあった。


 一旦は国王陛下の第二妃となったリーディア姫だったが、当時はガルリアンも王家と議会がごたついており、和平の姫の立場を危険にさらすわけにはいかないとして、数年後にはガルリアンでも屈指の名門貴族へと降嫁することになった。

 それが、リオンタール侯爵家。

 リーディア・リオンタールとなった姫は、そこで男児を産み落とした。母君に似て輝くばかりに美しいその男児には、カシウスという名前がつけられた。


「母リーディアは私を産んですぐに身体を壊し、数年の療養を経て儚くなった」


 淡々と言って、リオンタール隊長は疲れたように長い手指で眉間を揉んだ。


「晩年は気が触れたようになり、ほとんど部屋から出てこなくなった母が、珍しく私を呼びつけたことがあった。そのときに言われたのだ。リーディア・ロアードこそが自分の本当の名であり、息子のおまえもその名を継ぐのだと。しかし、けしてこれを口外してはならぬ……ロアードは呪われた血だと、そう言っていたな」

「呪われた、血?」


 思わず、わたしは口に出して繰り返した。

 差し出す機会を逸した茶器がすっかり冷めていることに、手が触れて気づいた。急いで淹れ直そうとしたが、どうにも手が震えてしまってうまくいかない。


 さきほど魔力の水鏡で見た光景が、頭のなかで何度も何度も繰り返される。

 血を流すゼフュロスの姿を思い出す。歯を食いしばって、それでも戦う男の姿を、なぜか、何度も思い出す。


「なにそれ」


 のんきな声を出すのはアルンバートだ。


「本当の名前が違うってことは、お母さんは皇妹じゃなかったってこと?」

「そこまで大胆な偽称かは私もわからん。絵姿で確認した限りでは、容姿も容色も皇帝とよく似ていた」

「違ったらとんだ醜聞だけど……もしも実の兄妹だとするなら、皇帝もロアードってことになるよな?」

「一度調べたことがあるが、皇帝にしても母にしても、その出自には謎が多い。手に入るのは肝心なところが塗りつぶされた資料ばかりだ。それ以上踏み込むには、私の立場も微妙でな」

「そりゃそうか。血筋で言えば、皇帝の甥だもんなあ」


 やれやれという魔導師のため息を、呆然としたまま背中で聞く。


「顔色がすぐれんな、エウクレスト」


 そんなわたしに、リオンタール隊長の声がかかる。

 振り仰ぐと、いつの間に立たれていたのか、隊長がすぐ後ろにいらした。わたしの手にあった皿を、やんわりと取り上げられる。手が震えたままなので、割れるといけないと思われたのかもしれない。


「申し訳ありません」

「責めているのではない。茶はいい。どうやら我が顧問はその暇を与える気がないらしい」

「え?」


 頭を下げようとしたわたしは、隊長の言葉にアルンバートのほうを見た。

 顧問官どのは、手元の茶をぐいっと勢いよく呷ると、乱暴に口元を拭いながら席を立った。


「よーし、そんじゃ、行こうか」

「行くとは、どこへ?」


 さも当然のように言われたが、初耳なのでわたしは目を瞬く。


「ここで事情の分からない同士で議論してても埒があかないってこと。都合よくカシウスもいることだし、せっかくだから下っ端だけじゃ行けないところに行こう」


 そう音頭をとるアルンバートはいかにもなにかを確信した様子で、わたしもリオンタール隊長も黙ってついていくしかなかった。

 部屋を出るなり、いつもの顧問官のすまし顔になったアルンバートは、そのままごく自然な足取りで王城の奥へと向かう。長い廊下を歩き、番兵のいる扉をいくつもくぐった。それはティナ様にお会いするときに通る道筋に似ていたが、たどり着いたのは内宮ではなく、賓客のための離宮だった。


「それじゃあカシウス隊長、よろしくお願いしますね」

「おまえの勝手さに慣れてきた自分が腹立たしいな」

「あなたに人使いの荒さについて言及されることのほうが腹立たしい。はい、どうぞ」


 互いに文句のありそうな視線を見交わしていたが、隊長のほうが折れて、離宮の士官となにかをやりとりし始めた。

 さすがにリオンタール侯爵家嫡男にして銀環騎士隊の隊長の取りなしとあって、その後すぐに、ほぼ障害も制限もなく離宮のなかへと入り込むことができた。


 離宮は、かつて王城として利用された建物の名残だ。

 ガリオス帝国と名乗っていた我が国が聖王国へと遷移するとき、ガルリアン大聖堂を戴くこの丘を王都と定めた。その際に建てられたのがいまの離宮で、建築様式も古く、独特の様式美がある。

 柱や壁は下部が素材むきだしのようなごつごつとした質感だが、目の高さを超えたあたりから息を呑むような精緻な彫刻が施されている。その極端な変遷は、まるで下から膨れ上がって枝葉を伸ばす大樹のような、不思議な畏怖を掻き立てる。人工物でありながら自然に畏敬を抱かせる光景は、いまよりも政治に神事が密接だったという時代の、その独特の思想が伺えるようだった。


 とはいえ、それに見とれるのはわたしばかりのようで、隊長も魔導師も、すたすたと頓着することなく廊下を奥へと進んでいく。

 わたしは急いでそれについて行った。


「こんにちは。先触れもなく失礼します」


 やがてアルンバートがひとつの扉を叩いて、その奥から顔を出した侍女ににこやかに挨拶をする。

 まだ若いだろうその侍女は、突然現れた美丈夫にうっとりと見惚れるばかりで、魔導師の訪問に関する口上も聞いているやらいないやら、締めくくりの、よろしいですか? という一言にだけ何度もうなずいて、あっさりと扉を開け放ってくれた。


 魔導師に先導されるかたちで、室内に入る。

 中に入って驚いた。まだ日の高い時間帯のはずなのに、部屋のすべての窓には布がかけられ、真っ暗な室内には暖炉の火だけがあかあかと灯っている状態だったからだ。

 冬に入ったばかりという季節ではあるが、締め切った室内は異様なほど暑い。しかも香を焚いているらしく、甘くとろけるような独特の香りが充満していた。


「ふむ、異国の文化は尊重しますよ」


 不遜なほど悠々と部屋の中央まで進み出て、アルンバートは部屋を見回した。

 闇がこごったようなその先で、なにかが動いた。


「ふぇふぇふぇ、この国は触媒で鉱物ばかりを使うから、みな最初はこれを気味悪く思うものよ」


 黒い布を丸めただけような、小さな影がゆっくりと近づいてくる。

 それは、杖をついた魔女だった。


「初めまして、と言うべきですか? アルンバート・バーティアスです。直接お会いできて光栄ですよ」

「この日を恐れておったよ。リヒテルマイアじゃ、氏はない」


 異国から来た占術師は、相変わらずその正体をたっぷりとしたローブのなかに押し隠した姿で、我々の前に立った。

 恐れるというその言葉通り、いっそうずくまっているのかと思うほどに背中が今までになく丸まっている。堂々と立つアルンバートと対比すると、王と主従のようにも見えた。


 しかし、会うのは初めてだが、あらかじめ互いを知っていた、というようなふたりの口振りはどういうことだろう?

 こっそりと隣に立つリオンタール隊長を伺うが、事情を知っているやらいないやら、泰然と立たれる姿からは察することができない。


「ほーお」


 そのとき、魔女が調子の外れたような声を出した。

 感心したような声音だと一拍遅れて気づいたとき、魔女リヒテルマイアの目線がわたしの隣に向かっていることにも気づいた。


「こりゃあ、こりゃあ、珍しいもんじゃ。この国で貴色の持ち主に会うとは思わなんだ。銀の髪と青の瞳……皇帝にのみ許された容色を堂々とさらして生きていられるとは、いやはや、異国よのう、おもしろいのう」


 そう言って、魔女は礼儀も遠慮もなしに堂々とリオンタール様を指さす。

 隊長は動揺することなく無表情のままだが、その隣で、わたしは眉根を寄せた。


 まただ。また、テルヴァス皇帝だ。

 ついさっきも話題に出ていたことがらが、当たり前のようにここでも出るという、その違和感。

 もっと言えば、皇帝に限らず、テルヴァス帝国の名をここ最近になって頻繁に聞くような気がする。


「その話も含めていろいろと訊きに来ました。ジュード・イル・ジークハイドを城に引き入れたのはなぜです?」


 アルンバートが冷ややかな口調で質す。

 その発言内容に、わたしは息を呑んだ。


 この老婆が、黒騎士を?

 たしかに黒騎士は移動手段として、転移門(ゲート)のことを口にした。そして失われた古代魔法である転移門(ゲート)をこの魔女が使いこなすところを、実際に目にしたこともある。

 しかし……どういうことだ? 彼女はゼフュロスの知己ではないのか?


「さて、なぜかと問われれば答えねばなるまい」


 まるで謎かけでもするように、魔女が持って回った言い方で答える。


「婆は道具であるからして、道具は使われれば効果を発揮せぬわけにはいかぬというだけよ」

「つまり、あなたを使った人物はほかにいるのですね。それはテルヴァス人ですか?」


 質問を畳みかけるアルンバートに、魔女の矮躯ががくがくと揺れた。恐怖におののいたのかと思うような震え具合だったが、少し遅れてから、甲高い笑い声が上がった。


「くくっ……くふふふっ! 国境の向こうに、テルヴァス人などというものはおらぬ」 高い声を笑いで不安定にゆらめかせながら、魔女が言った。「国が違えばそこは異界じゃ。こちらの常識で見ぬことよ。ヒヒッ」

「では、あなたの常識で答えてください。あなたに命令をしたのは、あなたの認識では誰なのか、なんなのかを」

「急くな急くな、若人」


 とん、と手にした杖で床を叩き、リヒテルマイア老がきびすを返した。


「まあお座り。珍しい茶を淹れてやろう、毒ではないぞえ」


 冗談めかして言うあまりにかえって怪しく聞こえる宣言をしてから、魔女は我々を奥の円卓に案内した。

 暖炉にかかっていた鍋から謎の液体を銀杯に取り分け、水差しの水でそれを薄めてから差し出してくる。こっそり視線を向けてみたが、暗い室内で見ると、その液体はどろりと黒く濁った正体不明のものとしか見えなかった。

 わたしの右隣に座ったアルンバートが、聞こえよがしなため息をつく。


「言っておきますが、僕に嘘は通用しませんよ」

「流転の星は、さすがにすべてにおいて型破りよのう」

「ふたりとも、飲まないでくださいね。これは思考を鈍らせる薬湯です」


 アルンバートがわたしと隊長に向けて言った言葉にぎょっとする。

 その隣で、いやいや、と魔女がかぶりを振った。


「適量を飲めば夜はぐっすりと眠れるで、婆の必需品よ。毒ではあるまい?」

「使い方によるでしょう」


 素っ気なく言って、魔導師の手が無造作にひらめく。

 次の瞬間、わたしたちの前にある銀杯がぼんやりと発光し、すぐに収まった。再度なかを覗き込むと、さきほどまで濁っていた液体は透き通った水に変わっていた。前にもアルンバートが使ったのを見たことがある。『真水精製(ウォーター・ピュリフィケーション)』だ。


「魔術師の会談というのは面妖なものだ」


 左隣でリオンタール隊長がどこか呆れたようにつぶやいた言葉に、わたしも無言のまま大いに賛成した。いちいち驚いていたのでは心臓が持たない。


「えふぇふぇふぇ、これだけの技量を持つ術師は、世界中を探してもこの男くらいなもんだて。婆も恐ろしいわい」


 わたしの向かいに座る魔女が笑う。口を開けると、前歯と奥歯数本を残して、ほとんど歯がないのが見えた。

 アルンバートは優雅な仕草で水の入った銀環を口に運び、わたしと隊長に向かって事情を説明してくれた。


「ニアから魔女殿の王城滞在を聞いたときから、使い魔を通してやりとりはしていました。警告の意味もこめてね。

 以前に話したことがあるかと思いますが、古代魔法は現代では禁忌とされるほどに強い効果を及ぼす技術です。それを行使できる人物と知って、なおかつ止められるのは、この城では僕くらいなものだ」

「ただでさえ見張りの多い虜囚のごとき生活だというに、時間を問わずに輝く星のまぶしさときたら、目がつぶれるほどじゃ」

「あなたは僕を星と呼ぶ。それはニアに占ったという言葉と同じものを指すと考えていいのでしょうね?」


 魔導師の含むような目つきを、魔女はわざとらしく受け流す。逸れた視線は、あろうことかわたしのほうに向いた。


隣国(テルヴァス)の成り立ちを知っておるかえ? お嬢ちゃん」


 急に水を向けられて、わたしは目を瞬いた。


「都市国家が内紛で統一された、他民族国家と……聞いておりますが」

「賢いもんだのう」


 リヒテルマイアは嬉しそうな猫なで声を出し、うんうんと何度もうなずく。


「では、そこな皇帝色の騎士殿、多数の民族をどうまとめればいいと思う?」


 魔女の視線が、今度はリオンタール隊長に向く。

 隊長は答えず、ただわずかに眉根を寄せただけで、静かに魔女を見つめ返した。たったそれだけだが、その眼力の鋭さたるや。

 見るものを震え上がらせるような眼力だが、魔女は動じなかった。のんびりとすら見えるしぐさで、改めてわたしたち三人を見回す。


「つい昨日まで殺し合っていたもの同士を、同じ国民と思わせねばならん。そのためにテルヴァス皇帝は一計を案じた。同じ方向を向かせたいのなら、その先に共通の標的を置いてやればいい」

「まさか、ガルリアンを……?」

「ほほ、違うわえ。そりゃいくらなんでも無謀じゃ」


 思わずこぼしたわたしのつぶやきは、一笑に伏された。


「人間の選別じゃよ」

「え?」

「数多ある民族を、神の名の下に等級づけしていったのじゃ。そして最下級と定められた民族は、みなで指さし迫害するよう仕向けた。神に背く罪深い種だとしてな」

「良識の転換か」


 魔女の台詞に、アルンバートが苦々しくうなる。


 昨日まで戦っていた対等な種を、あるいは同盟を組んでいた親愛の種を、戦争が終わったあとも粗雑に扱う。そのとき、ひとはみな罪悪感を覚える。

 皇帝はそこに言い訳を与えてやった。あれは下等種、ひとではないと。

 人々はそれに縋る。そして、縋るからこそ互いに互いを監視しあう。自分の罪悪感を薄めるために、隣人にも同じ行いをせよと強要し、同じ思いを抱えて団結する。


「下等と定められた民をシュルマという」


 リヒテルマイア老が静かに告げて、再度杖を床に打ち付ける。

 とん、と堅い音が立った次の瞬間、部屋の採光を遮っていた布が一斉にめくれ上がった。まるで、その布の周囲でだけ風が巻き上がったように。


 驚いて見回した目を、差し込んできた陽光が眩ませる。

 急いで目を瞑り、かぶりを振ったが、閉じた瞼の裏でもまだちかちかと光が瞬いた。


「さて、道具ふぜいに語れるのはここまでじゃ。せっかく来てもらって申し訳ないがのう、そのかわり、そなたらが来たことも白昼夢と思うことにしよう」


 からりと軽い声が聞こえる。老婆のその声は、不自然に明るい。


「帰るときは魅了(チャーム)の魔法は解いていっておくれ。侍女がああじゃと使い物にならん」

「もちろんですよ。彼女も白昼夢を見たのでしょうからね」


 答えたのはアルンバートだ。ある程度納得できたというような、さっぱりとした口調に、もはや長居は無用であるということを悟った。

 まだ眩しさに幾分目を回しながら、わたしは席を立つ。ふらつきそうになったのを、リオンタール隊長がさりげなく支えてくださった。申し訳なさに頭を下げる。


 こうして、奇妙な会談は唐突に始まり、唐突に終わった。

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