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19.隠しごと


 アルンバートと連れ立って騎士官舎の執務室へと、廊下を歩く。

 銀環騎士隊に出向してまだそんなに日は経っていないが、訓練の行き来などで何度も通り、すっかり慣れた経路なのだが……


 常にない、奇妙なことが起こった。


「あの……はじめまして」

「はあ」

「お名前を伺ってもいいだろうか?」

「ニア・エウクレストです。初めてではありません。配属初日に挨拶しました」


 官舎の談話室の前を通り過ぎようとしたところだった。

 騎士のひとりが慌てた足取りとともにわたしの目の前にやってきたと思ったら、赤面しながら急に声をかけてきたのである。


 こんなことは初めてだ。

 いつもは、アルンバートと一緒であろうと、はたまた独りであろうと、まるでいないものであるかのように扱われることが多かった。たまにしつこく難癖をつけてくるものもいるが、以前にアルンバートが騎士と一悶着起こしたあとにリオンタール隊長の口入れがあったらしく、数としてはかなり減っている。本来よそものの顧問官と補佐官の扱いなどこんなものかと、こちら側も早々に折り合いをつけていたことだったのだが……


 おかしいのはこの騎士だけではない。

 談話室にいるほかの騎士も、軒並み惚けたような顔でこちらを見ている。


「そ、そうか、いや、あのときは失礼した。なにしろ……いや、あの、こんなに美しいかただとは思いもせず」


 騎士が赤い顔のまま、もじもじと胸の前で揉み手をする。


 ……ああ。


 あからさまにがっかりして、わたしはこれ見よがしにため息をついた。

 すっかり忘れていた。兜を外してここを歩いたのは、配属前日以来だ。あのときは廊下が無人だったので、素顔でだれかとすれ違ったのはこれが初めてということになる。


「勤務中ですので、失礼します」


 なおもなにか言ってこようとする騎士に、我ながら愛想のない声で言いおいて敬礼を返す。

 虚を突かれたように目を丸くする騎士の横をすり抜けて、連れであるアルンバートを促しつつ歩き出した。


「さすが、対処の仕方は心得ているようですね」


 廊下の角を曲がると、アルンバートが笑いを含んだ声をかけてきた。

 視線は前方に向けたまま、わたしはうなずく。


「バーティアス様がおっしゃった『うるさいの』とは、あれのことですね?」

「そうです。男など単純な生き物ですよ。兜を外したあなたが美しい女性と知れば、注目せずにはいられない」

「魔法騎士団に入った直後にも、まったく同じ扱いを受けました」


 わたしが魔術師の認定を受け、魔法騎士団に入ったのは3年前だ。

 魔法騎士団初の女性騎士の登用とあって、そのときも無駄に話題に上がってしまったわたしは、配属されるなり団員全員の格好のおもちゃにされた。


 やれ美しいの、可愛らしいの、嫁に来いのと、思い返すだに情熱的な口説き文句を、ひと月かそこらの間にひととおりは聞いたと思う。

 当時、現在に輪をかけて愛想のなかったわたしは、それらをずっと無視していたのだが、それは相手を助長する悪手だった。ついには悪質なつきまとい行為まで発生するに至って、ようやく明確に言葉や態度に現して拒絶しないといけないと悟り、それ以降、多少手荒な手段も含めてきっぱり撥ね除けるようになったのだった。

 そういう態度と訓練浸けの生活習慣が認知されるようになってようやく、どうやらニア・エウクレストは見目はよくても中身はかなりの変人だと、そう周囲の目も変わっていったという経緯がある。


「あれを繰り返さなくてはならないかと思うと、正直、ぞっとします」

「時間はかかるでしょうが、変えられないことではない。受け取りかたですよ。今回は僕もカシウスもいますし」


 憂鬱を隠さず沈んだ声音でつぶやくと、アルンバートが慰めの言葉とともに肩を叩いてくれた。

 なんでもないことだと言うような、軽い口調ながらも優しい友の言葉に、肩から力が抜ける。たしかに、味方がいるというのはとても心強いものだと実感する。


 途中すれ違う騎士に何度か声をかけられそうになりながら、さりげなくそれを回避しつつ、アルンバートの執務室に戻った。

 扉を閉めて、ほぼ同時に魔導師の防音魔法が発動したのをマナの動きで察してから……わたしとアルンバートと、どちらの口からも万感を込めたため息がこぼれた。


「アルンバート」

「ん?」


 補佐官の口調を捨てて話しかけると、アルンバートも素の表情でこちらを振り向く。


「教えてほしい。あなたの魔力属性は、なんだ?」


 静かに問うて背の高い男を見上げる。

 男の美しい顔が、驚いたような表情をつくり、それから、ふにゃっと弛緩するように笑った。


「まあ……ばれるよね」

「わたしに魔力属性について説明してくれたときに、あなたは自分にもともと魔力属性はなかったと話してくれた。『もともと』ということは、いまは違う、ということ……そして、さっき見せたあの魔力は」


 そこまで言って、耐えきれずにわたしは眉間に力を込めた。そうしないと、泣き出してしまいそうだった。


「あれは……わたしのせいだな? アルンバート」

「ニア?」

「わたしを助けようと、この体内に入り込んだ重魔力を吸い込んだから、あなたの魔力属性は重魔力と同じくなってしまった。そうだな?」


 魔法の効かない体質の黒騎士に、唯一苦痛を与えた黒い魔力。

 あれを、アルンバートは「もともとおまえのものだ」と言っていた。

 重魔力は人智を超えた悪魔の技法……ひとは誰もがあらがえずに死に至る。だから、本来魔法が効かないはずの黒騎士でさえ苦しんだ。それを、魔導師は偶発的にではなく自分の意志で制御していた。


 ひとの身で悪魔の術を使う魔導師……そのように変化させたのは、わたしだ。

 わたしのせいだ。


「ニア、違うよ。きみのせいじゃない」


 魔導師はわたしの肩に優しく触れ、応接用の長椅子までうながし座らせてくれた。

 彼自身は、座ったわたしの足元にしゃがみこみ、子供でも慰めるように手を握ってくれる。


「アハトが……おれの使い魔が、もともと闇の属性を持ってた。あいつはひとの嘘を見抜くって言ってただろ? あれは、ひとの負の感情が呼び寄せる闇のマナを感知するからなんだ。

 たしかに、それがおれにまで影響するようになったのは、ニアの重魔力を治療してからだ。吸魔(マナドレイン)で重魔力を吸い込んだとき、アハトがそれを近似の、自分の属性でもある闇属性に変えておれに流し込んだ……だから、おれの魔力も闇になった。重魔力とは別物だ。おれでも重魔力はさすがに御しきれないよ。さっき使ったのは、限りなく重魔力に似せた、ただの闇魔法。そんでもって、おれが闇属性を持ったのは、おれがニアを助けたいからやったことの副産物みたいなもんで、悪いことでもなんでもない」

「あの、鱗は?」

「ああ」


 泣きそうなまま、うつむきがちに見つめると、アルンバートが困ったように眉尻を下げて笑う。


「魔力属性が交じったときに、おれとアハトも交じってしまった」

「交じる……? 使い魔と術者が?」

「そう。おれも知らなかったけど、使い魔と同調が過ぎると、同じ存在になるらしい。つっても、永久に交じるわけじゃなくて、一定以上の魔力を使ったときだけね。さっきはちょっとキレちゃったから、制御がきかなくてかなりの深度まで交じった結果、鱗まで生えたみたいだけど」


 我ながらグロくてびびった。

 そう言って笑うアルンバートの顔を、わたしは呆然と見つめた。なんと言えばいいのかわからず、絶句するしかない。


「そういうわけだから、おれは大丈夫。ついでにアハトも大丈夫。

 だけど、重魔力もどきは我ながらさすがにヤバすぎたかな……あのままだと暴走したかもしれないけど、ニアがそれを止めてくれた。ありがとう」

「わたし、が?」

「浄化してくれただろ?」

「浄化?」


 目を瞬くわたしに、アルンバートが説明してくれた。


 アルンバートの前世にあった遊技盤『ガルリアン戦記』では、主人公のエルティニアは聖女と呼ばれる存在になった。

 それはなにも作中の戦乱を収めたという功績からだけではなく、実際に、神の加護を得ることのできる存在だったからだという。


 神の声を聞き、重魔力すら浄化しうるのが聖女の能力らしい。

 つまり、人類で唯一悪魔の技に対抗しうる魔力というわけだが……


「そ、そんな力はわたしにはない」


 わたしは大急ぎで否定した。

 魔法の理論を学んだことはあっても、神官の神聖魔法についてはまったく知らない。聖女の能力など言うに及ばずである。

 むしろ、いままで生きてきたなかで、聖女などという存在について聞いたこともないのだ。


「おれだってそう思ってたよ。ゲームでのエルはなんかよくわからん覚醒を経て聖女の能力に目覚めたっていうイベントがあったけど、現実のニアにはそういうのなかったわけだし、おれとしても、もうゲームのことをニアに押しつけるのはやめようって思ってたから、そういう話は一切しないようにしてたし……

 でも、さっきのおれの暴走を止めたのは間違いなく浄化の能力だったんだよ。ほら、おれの目を覗き込んだときに」

「あれは……あの魔力からいやな感じを受けたから咄嗟にしたことで、止めなければと、とにかく夢中だっただけだ」

「無意識で浄化できるってことか。ふーん」

「あの……アルンバート? ちなみに、手はいつまで」

「えっ? あっ、ごめん」


 ずっと手を握られたままというのも落ち着かなくて言ってみると、アルンバートが慌てたように手を離して立ち上がった。

 その仕草も表情も、いつものとぼけた魔導師のものだ。そのことに、ほっと胸をなで下ろす。


「茶を淹れよう。アルンバートは座っていてくれ」

「あ、うん……あのさ、さっきの状況を聞きたいんだけど、黒騎士はニアのこと、エルティニアって呼んでたよな?」

「ああ……その通りだ。わたしがエルティニア・マルセルだと、確信する口調で話しかけられた。絵姿を見たので間違いないと」

「絵姿?」

「わたしもよくはわからない。あとは転移門(ゲート)があるから来いと言われたところに、アルンバートが来てくれたのだ。

 ……話しておいてなんだが、こういう話は隊長がいらっしゃってからのほうがいいのでは?」

「ん? うーん、まあ、そうだな。でも大体わかった。ありがと」


 頭を掻くアルンバートが、いつもの執務机に着くのと入れ替わりに、わたしは立ち上がって茶の用意をすることにした。

 日常で慣れた動作をすると、不思議と心もすっかり落ち着いてくる。さきほどまで感じていた、泣きたくなるような不安はだいぶ薄れていた。


「そういえば……アルンバート、別件で相談したいことがある」

「うん?」


 茶器をアルンバートに差し出しながら、わたしはたったいま思い出したことを口にした。


「魔力制御の訓練をしているときに、ゼフュロスを見たのだ。誰かと戦っていた」

「あ、見えたんだ? だいぶ上手くなったんだなあ」

「アルンバートの助言のおかげだ……ただ、ゼフュロスは怪我をしていた。見たことのない型の鎧を着た騎士と戦っていて」

「あいつの刃傷沙汰なんてさほど珍しくもないけど」


 答えの軽さに、わたしはむっとして声を荒げた。


「血がたくさん出ていたのだぞ! 騎士剣が肩に食い込んでいた! 心配ではないのか!?」

「あっハイ、心配です。すごく心配ですごめんなさい」


 剣幕に押されてアルンバートがうなずく。もちろん少しも心配している様子はない。

 それに山ほど文句はあったが、わたしは大きく息を吐いて気持ちを落ち着けた。


「まあ、肝心なのはそこではない」

「えっそれって完全に怒鳴られ損……」

「アルンバート」

「ハイすみません何でもありません」

「いつも魔力制御で見える映像には音がないのだが、一言だけ、ゼフュロスの声が聞こえたのだ」


 黒騎士とのごたごたで薄れかけていた記憶を呼び戻す。

 怪我を負いつつも騎士を返り討ちにしたゼフュロス。その彼が殺した相手の兜を剥いで、思わずといった様子でつぶやいた一言を。


「ロアード、と聞こえた」

「ロアード? ゼフの名前だよな」


 そう。

 ゼフュロス・ロアードが彼の名前だ。手配書にもそう書いてあった。


「騎士の顔を見たときにそう言ったのだ。まるでその相手をそう呼んだかのように」

「ふーん。貴族と違って、おれら平民の家名なんて適当だからなあ。出身地方を家名にしてるのも珍しくないし、そのたぐいなんじゃ?」

「出身地方……アルンバートも知らないのか」

「聞いた覚えはないなぁ。アンテローザの地理地名はだいたい覚えてるけど、慣習的な呼び名の場合もあるし、それを全部ってのはさすがに」


 茶を飲みながら首をひねるアルンバート。アンテローザ、というのはガルリアン聖王国と周辺諸国のある大陸の名前だ。

 そのとき、執務室の扉が外から叩かれた。ちらりと魔導師と目配せをしてから扉を開けると、リオンタール隊長だった。


「早かったじゃん。副官あたりに捕まってくるかと思った」

「捕まってほしかったような口振りだな」

「違うっつーの。その理由でいままで何回面会を潰されたかっつってんの」


 部屋に隊長をご案内するなり、男性ふたりは親しげに軽口をたたき合う。

 わたしはいそいそと隊長の分の茶を淹れた。


「そうだ、いまニアと話してたんだけどさ。カシウス、ロアードって聞いたことない?」

「ロアード?」

「なっ……アルンバート!」


 ごく当然の体で隊長に質問する魔導師に、わたしのほうが慌てた。

 ただでさえ忙しい隊長がこうして時間を割いて来てくださっているというのに、本題に入らずにそんな質問をするのは、とても失礼なことだと思ったのだ。

 だが、


「知っている」


 にべもなく隊長がそう答えられて、わたしは茶を運ぼうとしていた手を止めた。

 見ると、隊長は応接用の椅子に座られたまま、それが何か? とでも言いたげな顔でアルンバートを見返している。


「まじで?」


 アルンバートのほうは、まさかあっさりと肯定されるとは思っていなかったらしく、目を丸くしていた。


「むしろ、そなたらこそなぜロアードを知っているのか問いたいほどだ」

「なんでって、えーと……知り合いの名前だから?」

「知り合い……そうか」

「で、ロアードってなに?」


 口元に手を当てて考えるような仕草をされるリオンタール隊長に、遠慮会釈もなくアルンバートが追求の声をかける。

 わたしはそんなふたりを情けなく交互に見つめることしかできない。


 そうして、リオンタール隊長はいつも通りの冷静沈着な表情と声とで、こう言った。


「私の名前だ。カシウス・ロアード……母から受け継いだもうひとつの名で、リオンタール侯爵である父もあずかり知らぬことだ」

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