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04.魔法具店での再会

 店の扉を開けると、その上部に取り付けられたベルが、カランカラン、と軽やかな音を立てた。


 バーティアス魔法具店は、昨日訪れたときとなんら変わらぬ内装でわたしを迎えた。

 入ってすぐの棚にさまざまな薬草が並び、それらを加工した薬品類、魔力を込めたスクロール、貴石類に杖などの魔法具が一見雑然と陳列されている。一番奥にあるのが店の人間とやりとりするためのカウンターで、そのさらに奥に、一目で年代ものや値打ちものと知れる魔法具が並ぶ。


 ものが積みあがっていたり、棚がいくつも並んでいたりで、入り口から店全体を見渡すことはできないが、見える範囲にひとの姿はない。

 思えば、昨日もこうだった。他に人がいないなら気楽だと、すっかり気を抜いて商品を見て回っていたところ、いつの間にかアルンバート某が隣にいた、という具合だったのだ。


 そういえば、棚が倒れたような音を最後に聞いたのだったが、見たところ、そんな名残はどこにもない。

 なにか壊してしまっていないか、今頃になって罪悪感が出てくる。とっさのことでどうしようもなかったとはいえ、あれは本当に、狼藉としか言いようのない行いだった。あんな派手な音を立てて、商品もだし、あの男も、無事だったのだろうか。


 そんなことをつらつらと考えながら、わたしは店の内部へと進んだ。

 棚の間に、昨日のようにいつの間にかあの男が忍んでいないだろうか。そう考えて、まわりを見回しながら、一応奥のカウンターを目指して歩くと、


「あっ」

「おっと」


 ふと横を見ながら歩いているうちに、前方にいた誰かにぶつかってしまった。

 なんてことだ、わたしの粗忽ものめが! いくらひとを探しながらとはいえ、前を見て歩くという基本を忘れるなどと!


「あの……あ!」


 内心で自分を罵りながら、あわててぶつかった相手に顔を向けて……わたしは間抜けな声を上げた。


「おっと、昨日の姫騎士じゃないか」


 相手も、わたしを見て、目を見開いた。ただし、口元には状況を楽しむような笑みを浮かべて。


 くすんだ大地色の髪。

 淡色ながら不思議な深みのある青灰色の瞳。

 少年の頃をようやっと脱したというほどの若々しい容貌に、まったく不釣り合いなはずの老獪な表情が妙に馴染んでいる。


 あのときの戦士だ。

 昨日、この店から逃げ出したあと、道ばたでぶつかってしまった相手。


 これはなんの皮肉か。二日続けて、同じ相手にぶつかってしまうなどと。しかも、完全なるわたしの不注意で。


「姫騎士どのも、この店に用か」

「え……と」


 ぶつかられたことなどなかったかのように、戦士がごく自然に話しかけてくる。やはり、面白がっているような表情で。

 だが、それに対して、わたしは愚かにもまともに声を返せなんだ。


 なんというか、頭が状況についていかない。

 どうしてこの男がこの店に?


「ゼフ?」


 そのとき、助け船というべきか、奥から別の声がかかった。

 それは、今度こそわたしの探していた相手、昨日会った緑髪の魔導師だった。


「なにしてんの、おまえ? 注文のスクロールならカウンターに……って」


 あいかわらずくたびれたローブ姿のアルンバート・バーティアスは、のんびりとした動作で店の奥からやってきて戦士に声をかけ、ある程度近づいたところで、その陰に隠れていたらしいわたしの姿を見つけたようだった。

 眠そうだった表情が、一瞬にして、あっけに取られたふうに目も口もまん丸になる。なまじ整った顔をしているだけに、それは実に滑稽に見えた。

 とはいえ、それで笑うほどわたしは礼儀知らずではないし、そういった軽妙な人格を持ち合わせてもいない。


「邪魔をしている」


 わたしは固い声で言った。表情も、きっと同じく硬直していることだろう。

 戦士とぶつかったことによる動揺は、いつの間にか胸の内から去っていた。


「え、お、あ、え、エル」


 かわりに、動揺は魔導師どのへと移ったらしい。

 バーティアスは、細切れの声を出したあと、例の名前を呼ぼうとして、素早く自分の口元を手で押さえた。その橙色の虹彩が、わたしと、その前にいる戦士の顔とを往復し、せわしく動く。


「き、騎士どの、連日のご来店、ありがとうございます」


 わずかの間ののち、魔導師は内心の荒波を隠し切れていない震えた声ながらも、当たり障りのない言葉を返してきた。

 わたしは黙ってうなずいた。


「アルよ、この姫騎士と顔見知りか」


 すると、今度は戦士が興味をそそられたようすで、わたしとバーティアスを見比べる。


「ゼフ」

 バーティアスが、しかめ面で戦士をたしなめる。

「いいから、ちょっと、おまえ、あっち行ってろ。言われたやつ、カウンターにあっから!」


 兄が弟を叱るかのような、深い親しみを込めながらも、邪険な物言い。

 どうやら、バーティアスと、この、ゼフというらしい戦士は、かなり親しい間柄のようだ。似てはいないので、血縁ということはなさそうだが。


「つまらん」


 戦士は半眼になり、拗ねたように唇をとがらせた。

 しかし、魔導師にひとにらみされると、肩をすくめ、おとなしくカウンターのほうへと下がっていった。


「あ、あの」


 戦士がいなくなると、バーティアスは、少し抑えた声音でわたしに声をかけてきた。

 どうして、ここに? おびえたような目が、その疑問をありありと映し出していた。


「話がしたいのだ」


 わたしは、依然固いままの声で言った。

 喉が乾いている、と感じた。鼻孔ははまた、水のにおいを嗅いでいる。怒濤のごとき水流のにおい。ここにはない、過去のにおい。


 魔導師も、また同じ乾きを覚えたのかもしれない。

 潤いを求めるかのように、ごくり、とその喉が鳴ったから。


「わ、かった。こっちに」

 緊張した面持ちで、バーティアスは店の奥を指した。そして、カウンターの前に立つ戦士を振り向く。

「ゼフ! 悪いけど、ちょい店番たのむわ。すぐ済む」


 当然ながら、抗議の声があがった。


「なんだと? 俺は、夕刻には発つんだぞ」

「知ってるよ。四の鐘が鳴るまでには戻るから!」

「それは依頼だな?」

「けっ、この我利我利亡者め! わぁったよ、30フィンでよろしく!」

「まいどあり」


 やけのように声を荒げたバーティアスに、戦士は悪童そのものの笑みを浮かべて、鎖骨のあたりを手で払う仕草をした。


 冒険者の礼だ。話に聞いたことはあるが、見るのは初めてだ。おのが首にかけて、とかそういう意味合いの仕草らしいが、依頼の受領であったり、軽い謝意を伝えるだけだったりと、あらゆるところで冒険者が使う、一種の暗号のようなものだ。

 やはり彼は冒険者なのだな、と納得する。


「あの、じゃあ、こっちに」


 バーティアスがそう言って、わたしを先導して店の奥へと足を向けた。

 それについて行くと、カウンターのところで、戦士に手を握られて引き留められた。驚いて、声もなくそちらへ顔を向けると、


「アルの女ってわけじゃなさそうだが」


 昨日と同じ、ひとを射抜くような目が、とても近いところにあった。


「忠告しておこう。その青白い枯れ大根より、俺のほうがずっと食い応えがあるぞ」

「は?」


 わたしは目を瞬いた。

 男の言葉の意味が、よくわからなかった。


「この……腐れタラシがっ!」


 すると、憤怒の形相を紅潮させたバーティアスが、手近な棚にあった杖で戦士の後ろ頭をしたたか殴りつけた。

 ごっ! と、わりと派手な音が上がった。痛そうだ……


「おい、痛い」


 ちっとも痛くなさそうな顔と声で、戦士が魔導師を振り向く。


「うるせぇ、この石頭! いいから、これ以上おれの罪状を増やすな!」


 バーティアスは怒鳴りながら、強引にわたしから戦士の手をもぎ離した。そして、はやくはやく、とわたしを急かして、店奥に続く扉をくぐらせた。


 扉の先は、薬草を調合するための小部屋だった。広くない部屋の四方は、扉以外は棚が覆い尽くし、薬草を分類する引き出しや、調合用の乳棒とすり鉢、ガラスの瓶などがところ狭しと並んでいる。

 バーティアスは、部屋の中央に小島のように置かれた卓の下から、丸椅子をふたつ引き出し、ひとつをわたしにすすめてくれた。


 ありがたく腰掛けながら、わたしは内心で首を傾げていた。

 向かいに座った魔導師の表情は、どうにも浮かない。神妙というか、陰鬱というか。昨日の必死さとはまた違う、なにかせっぱ詰まったものを感じる。

 それに、さっき、気になることを口走っていた。「罪状」と。


「悪いけど、うち、茶とかそういう気の利いたものはなにもないんで」


 バーティアスが、わたしと目を合わせずにそう口火を切った。


「構わない。客として来たつもりはない」


 わたしが背筋を伸ばしてまっすぐに相手を見つめて言うと、バーティアスは、絞め殺される鶏のようなうめき声を上げた。

 なんなんだ、いったい。


「そりゃ……冷静になって考えたら、昨日おれがしたことは、不敬以外のなにものでもないけど!」


 すると、魔導師はたったいま座ったばかりの椅子を蹴倒し、わたしに詰め寄ってきた。


「だからって、そんな、逮捕されるほど重大なことかよ!? ほかにやることあるだろうが! 特にあんたは!」

「逮捕?」


 わたしは目を見開いた。


「なんのことだ? なにを言っている? わたしは、逮捕しに来たなどと、一度も言っていないぞ?」

「へ? ちがうの? 捕まえに来たんじゃないの?」


 すると、魔導師も驚いたように目を丸くした。

 そのまま、数瞬のあいだ、びっくり眼を互いに見交わしたが、


「な、なんだー!」


 重圧から解放された、というふうに脱力して、バーティアスはわたしの足下にひざをついた。口からもれたのは安堵の吐息であろう。


「おれ、てっきり昨日のことで怒って捕縛に来たんだと……ああーそっかー! ちがうかー! よかったー!」


 ううむ。

 見たところ、明らかにわたしよりいくつか年上なのだが、なんとも子供っぽい安心の仕方だ。というか、なんというか、もっと有り体にいって、道化っぽいというか。

 まあ、よほど不安に思っていたのだろうな。

 それはそうか、昨日因縁のあった相手がこわばった顔で訪問してくれば、誰でも警戒する。


「すまぬ、誤解をさせたようだ」


 わたしは素直に詫びることにした。


「だが、わたしの目的はさきほど言ったとおり、貴殿と話がしたいというだけだ。その話がどうあれ、それで貴殿を不当に逮捕したりなどという狼藉はしないと誓おう。わが剣にかけて」


 理解してもらえるよう、誠実を心がけて言葉を紡ぐ。

 そんなわたしを、床にひざをついた体勢のまま、バーティアスは呆けたように見上げた。


「口調が……違うんだよなあ」


 ぽつりと、唐突にそんなことを言い出す。それから続けて、


「なあ、それって、わざと? 意識して、ゲームから遠ざけてる?」


 出た。

 『ゲェム』ーー謎の言語。

 前後の文脈からも意味を推し量ることができない。


「その、ゲェムというのは、魔法に関するなにかか?」


 自分の無知を呪うのはあとにして、とにかく直截に訪ねることにした。

 すると、バーティアスは驚いたように目を見開き、固まった。


 しばしの沈黙。


 目の前の男の明るい色の瞳が、外目に子細は読めないが、さまざまな感情や思案に揺れているのがわかった。

 わたしはそれを待った。

 心は静かだった。恐れも、不安も、昨日のような動揺の波も、いまはなにもない。揺らぐのは、これから、魔導師がなにかを言い出してからだろう。それに備えようと力む緊張すら、いまは出てこない。

 ある種、訓練のときに似ている、と思った。剣を握って向き合ったとき、相手の出方を待つあいだ、心は凪いでいなくてはならない。へんに構えれば、それは隙を生む。相手がどう動いてもそれに対応できるよう、わたしはただ静かに待つのみだ。


 果たして沈黙を破ったのは、バーティアスでもなければ、ましてやわたしでもなかった。

 しゅるしゅるしゅる、と何かが擦れる音が部屋の片隅から起こったのだ。


 すばやくそちらに目を向け、わたしは、危うく声を上げてしまうところだった。

 蛇だ。それも、かなり大きい。

 わたしの腕よりも太く、わたしの身長に達するほどではないかというような体長の蛇が、店のさらに奥につながる扉の隙間から、この室内へと侵入してきたのだった。


「アハトだ」


 バーティアスが立ち上がり、すっかり落ち着いた声で言った。


「斬らないでくれよ? おれの友達なんだ」


 倒した椅子を立て直して座る魔導師の足に、その『友達』が絡みついて昇る。

 見たことのない種類の蛇だ。そもそも、王都のある地方では蛇自体が珍しいのだが。全体的に、漆黒と言っていいほどに黒い体色をしていて、背中に一筋、切れ切れに金の模様が入っている。目もまた見事な濡れ濡れとした黒で、近くで見なければ、どこに目があるかが分からないだろう。

 そう、つまり、目がどこにあるかわかるほど、蛇はわたしの近くに顔を寄せてきたのだ。バーティアスの肩にゆるく体を巻き付けた状態で、鎌首をまっすぐこちらに向けてきている。


 う、む。

 世間ずれしていないご婦人がたに比べれば、奇抜な生物に対してもある程度耐性のあるほうだと、自負してはいるが……

 なんとも、居心地は、よくないな。

 蛇を見たことはあるが、正面切ってにらまれるのは、生まれて初めてだ。


「この、蛇は」

「アハトだって」

「アハトは、どうしてここに?」


 我ながら情けないことに、少々上擦った声しか出ない。

 魔導師は、一瞬拗ねたように唇をとがらせ、それから、神妙な面持ちになった。


「こいつは、嘘を見抜くんだ」


 言われた台詞を理解するのに、数秒を要した。


 遅れて、この蛇はただの蛇ではないのだと気づく。

 魔術師の中でもとくに魔力の強いものは、使い魔として動物を使役すると聞く。使い魔の契約を交わした動物は、動物でありながら人並みの知能を持ち、その生命力や思考を、一部魔術師と共有するのだという。このアハトも、そうなのだろう。


 そして、嘘を見抜く、ということが本当なのかどうかはわからないが、それはつまり、わたしに嘘をつくなという警告だ。

 この、法のもとに忠実かつ誠実であることを義務づけられた、王国の騎士に向かって、だ。これが、どれほど大胆な振る舞いであることか。

 それこそ、へたをすれば捕縛されても文句の言えないようなことだ。さきほどそれを恐れてみせたばかりだというのに、どういった変心ぶりか。


 わたしはバーティアスを見据えた。

 彼もまたこちらをまっすぐに見つめ返してくる。

 その視線に、見覚えがあった。


 昨日と同じだ。

 これを逃せば命がない、とでも言いたいような、必死に食らいつくものの目。生を渇望しつつ、だがそのためにはどんな危険も厭わないというような、矛盾をはらんだ、だからこそ、ぞっとするほどに人間くさく生々しい目つき。


「よかろう」


 わたしはうなずいた。

 背筋を伸ばし、軽く開いた膝の上に手をおく。

 バーティアスが一瞬息を呑んだように見えたが、すぐに真剣そのものの表情でうなずき返した。


 魔法屋の奥まった一室で、奇妙な査問会が始まる。

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