03.訓練場にて
「武器強化」
わたしの詠唱に応えて、手にした長剣がほのかな光を帯びる。
それはすぐに刀身に吸い込まれるように消え、わたしはそれを視界の片隅に確認すると同時に、一気に剣を振り下ろした。
ヴンッ……!
虫の羽音のような擦過音とともに、眼前の木偶人の首が飛んだ。
訓練用のそれは、一応中古のフルプレートメイルで『武装』しているのだが、魔法で強化した剣の前では泥細工に等しい。翻っての二撃目で胸から上が、三撃目で腰から上が下半身と泣き別れて宙に舞った。
「筋力増強」
次いで唱えた魔法により、全身が一瞬熱を帯びる。身体の中心部からなにかが沸き上がってくるかのような、浮遊感にも似た感覚が神経を走っていく。
わたしは三撃目で剣を横にないだその流れのまま、回転しながら身体を低くし、木偶人の『足』である支柱に蹴りを入れた。長靴の拍車が、それ自体強力な武器であるかのように、めきりと音を立てて木にめり込む。少し力を込めて足を振り抜くと、わたしの腿ほどもある太さの支柱はあっけなく折れた。そうして倒れた訓練人形に、わたしは剣を突きつけた。
動くはずのないつくりものの仮想敵だが、だからこそ、そこに油断を挟んではならない。わたしはそう教わった。
「すごいや」
ややあって、わたしが剣を引いたところで、横合いから素直な感嘆の声がかかった。
立ち上がりながら、わたしはそちらに視線をやった。
「鬼気迫る、って感じだね、エウクレストさん」
燃え盛る炎のように赤い髪に縁取られた、少女と見まがうような愛らしい顔立ちの騎士がそこにいた。
しかし彼はれっきとした男性であり、わたしと同じ所属の、しかも先輩だ。
「お恥ずかしいところをお見せした、レイク殿」
わたしは立ち上がって剣を腰の鞘に納めながら言った。
少年騎士が、意外そうに目を丸くする。
「とんでもないよ。すごかった。動きのひとつひとつが鋭くて、あなた自身がひと振りの剣みたいだった」
「貴殿にそのような言葉をいただけるとは、恐縮だ」
無邪気に笑って近づいてくる彼に、わたしは愛想のよくないだろう目つきをそっと向けた。
ミシェイル・レイク殿は、わたしの所属する『魔法騎士団』の筆頭騎士である。
彼は天才だ。
若干13歳にして魔法騎士団に入団、その類稀なる魔法の才と独特の剣技で、あっという間に団の筆頭の座を手に入れた。それから3年あまり経ち、彼が17歳になったいまも、その地位を脅かすものはいない。団員総勢33名の頂点に立つ実力者、それが、このあどけない顔立ちの少年騎士なのだ。
そう、彼は17歳。
早熟であったために団員としてはわたしの先輩にあたるが、年はわたしよりひとつ下となる。
そんな事実が、レイク殿を、養父に次いでわたしの劣等感を刺激してくれる存在たらしめている。同僚に嫉妬など、我ながら狭量なことだが。
「嫌味で言ってるんじゃないよ。そう聞こえたなら、ごめん」
レイク殿はそう言って、すねたように唇をとがらせ、上目遣いにわたしを見る。天才少年騎士は、わたしより背が低い。
「いや、あやまるのはわたしのほうだ。申し訳ない。すぐ卑屈になるのはわたしの悪癖だ」
わたしはかぶりを振った。
そして、足下に転がる訓練人形だった木片を拾い集める。
レイク殿も隣にきて、拾うのを手伝ってくれた。
「ありがとう」
「当然のことだよ」
礼を言うわたしに、レイク殿が笑いかけてくれる。
そして、
「ねえ、団長に聞いたけど、今度の剣舞会、出るんだって?」
木片を隅にどかしながら、何気ない調子でそう持ちかけてきた。
やはり、彼なら気にするか。
「締め切り間近であったため、一般枠での参加となったが、な。
まぁ、もともと魔法騎士など余興扱いだ。せいぜい民の目を楽しませよう。しかし同時に、参加するからには全力であたるつもりだ」
わたしは、自分では精一杯の軽口のつもりで自嘲した。
しかし、この無愛想な顔と声とで言うと、それがなんとも重苦しい皮肉に聞こえる不器用さよ。
レイク殿は、あからさまにしかめっ面をした。
「僕も参加するんだ」
怒ったように言われて、あ、しまった、と後悔する。
「いや、貴殿はわたしと違って、見せ物にはなるまい。貴殿の剣技は正規軍の騎士にけして引けを取るものではない」
あわてて言い繕ってみたが、それが耳に入ったのかどうか。
レイク殿は自分の足下をにらむように、表情を神妙なものに引き締めた。
「僕は、勝ち抜くよ。やってみせる……今まで、ずっと任務があって参加できなかったけど、今年こそは……この機を、僕は逃したくないんだ」
わたしに、というより、自分に言い聞かせているような口振りだった。
さもありなん。
無邪気な天才肌、というように周囲から目されてはいるが、彼はその実、苦労人であり、野心家だ。
レイク家といえば、伯爵領を複数持つ名門貴族である。そんなレイク家の嫡男として生まれ、ありとあらゆる高度な教育と戦闘訓練とを受けたミシェイル少年は、しかし同時に魔法の才にも恵まれてしまったため、ほぼ強制的に魔法騎士への道を歩むことになった。
はっきり言おう。
わが国において、魔法騎士とは、お飾りの地位でしかない。
それは、魔法の稀少性と特殊な性質に原因がある。
魔法は、才能のある一握りの人間にしか開花しないものだ。
そして、厄介なことに、期限がある。たいていは10歳前後に発現し、その後、身体的に成熟する20歳前後で消滅してしまう。原因は、魔法の根元である『マナ』と呼ばれる力を取り込めなくなってしまうためだ。燃料を失えば火は燃えない。
なぜ、20歳未満の若年層にだけ発現するのか、という根本的な原因の解明には、あいにく未だに至っていない。とにかく、10代のごく一部のものだけ、しかも魔法についての専門的な教育を受けられる幸運な家庭環境にいるものだけが、魔法を使えるようになるのだ。
ごくたまに20歳を過ぎても魔法を使い続けることができるものもいるが、そういった輩は『魔導師』と呼ばれ、珍重される。しかし稀少も稀少、めったにいない。
そんな限定された能力である魔法だが、やはり、あるのとないのとでは、あったほうがあらゆる面で有利となる。
魔法の才があることを国に申告すると、その者には『魔術師』という称号と、貴族にも匹敵する地位が与えられる。もちろんこれは魔法能力の消滅とともに返上せねばならない地位ではあるが、それでも十分に魅力的な特権であるし、輝かしい経歴にもなりうる。
そして、魔術師は称号をもらった時点で、ほぼ否応なしに、研究職か魔法騎士かになる。進言、というかたちで国から打診がくるのだが、その実、与えられた特権の代価なのだとばかりの、無言の圧力による強制執行である。
わたしも、レイク殿も、つまりはその結果で魔法騎士を選択した魔術師である、ということだ。
そして、魔法騎士は正規の王宮騎士とは区別される。
魔法が関わる以上、訓練も戦法も、なにもかもが違うから、というお題目だが、ようは奇人を隔離しているのだ。
そんな奇人の集まりは、実戦で投入されることはまずない。
魔法が使えるとはいえ、その能力に個人個人のむらがありすぎるし、訓練を区別しているから正規軍との足並みもそろえられない。なにより、魔術師の避けられぬ条件として、みな10代の青二才ばかりなのだ。どんなに訓練を積んでいようと、正規軍から見れば、新兵だらけのお荷物集団でしかない。年齢による絶対的な経験の差はいかんともしがたい。
結果、魔法騎士団はまるごとお飾りとなるわけだ。
一応、その戦闘のしかたが派手だったり奇抜だったりするので、魔法騎士は、民衆からはたいへんな支持を集める。そこを利用しての見せ物として、儀式や祭典のときには活躍を期待されるが、それだけだ。
経歴のための足かけと割り切れる人間ならば、それでもいいのだろう。数年を耐えさえすれば、あとはどこに進路を取るにしても、特別待遇で高い地位が約束される。
だが、レイク殿は違う。
彼には才能がある。生まれ持った地位も、それに伴う責任もある。
魔法騎士という現状では、それらがなにひとつ生かせず、伸ばせもしないのだ。
もっとも血気にあふれ、身体も能力も上向きに成長し続けるこの時期を、無意味な地位でくすぶらせるよりほかにないというのが、根っからの武人であるだろうこの天才にとって、どれほどの苦痛か。
だから、彼はいつでも虎視眈々と狙っている。
自分の実力を証明し、正規軍に引き抜かれる機会を。
おそらく、それよりさらに上に行くことも考えているに違いない。
そのために、団の誰より、いや、王宮にいる騎士の誰よりも、厳しい訓練を毎日こなしていることを、わたしは知っている。
「僕、エウクレストさんにも勝つよ。悪いけど」
琥珀色の瞳にはっきりと闘志を燃え立たせながら、レイク殿はわたしを見据える。
わたしはそれを真っ正面から受け止めた。
レイク殿は、見た目は本当にあどけないのだ。17歳という年齢が信じられないほどに。
だが、彼の本質は年齢をはるかに飛び抜けて成熟している。その瞳に宿る覚悟と決意は、見るものが見れば身震いするほどに強固で深遠なものだ。
だから、彼を見るたびに、わたしは嫉妬するのだ。
わたしもそうありたいと願ってやまない姿勢を、頑として保ち続けるその姿が、とてもまぶしくて。
そうだ。
わたしも、こうなりたい。彼のようにありたい。
目指すものは違うが、己の望みへと邁進するその迷いのない瞳に、そこからにじみ出る強さに、どうしようもなく憧れる。
わたしもそれを体現できるならば、性など、女であることなど、喜んで捨てよう。
「すまんが、それはわたしの台詞だ。負けるつもりで剣は握らん」
わたしは強い口調で言った。
それを聞き、レイク殿が口元をゆるめた。嬉しそうに。
「そっか、じゃあ僕たちライバルだね。今日から訓練をもっと厳しくやらなくちゃ。女性に負けたとあっちゃあ、僕、恥ずかしくてもう外を歩けなくなるもの」
「お気にめさるな。剣舞会当日には、女に打ち負かされる殿方が続出しよう。いまさら貴殿がその集団に加わったとて、誰も恥とは思うまいよ」
「言うなあ」
ころころと明るく笑って、レイク殿は、何気ない様子で片手を腰の剣へと置いた。
「もうちょっと柔らかに応じてくれるなら、僕も手心を加えようって気になるかもしれないのに。損な性格してるよね、エウクレストさんってさ」
剣に置かれた手指が、慰めるように柄頭を撫でる。
レイク殿とわたしの距離は2エンテ(1メートル)もない。彼がいま剣を抜いて軽く踏み込めば、たやすく首を落とせる位置に、わたしはいる。
なんでもないような手の動きで、それを意識させる彼の圧力。これも攻防のうち。
強い。
何度も訓練で打ち合った経験があるので、わかりきっていたことだが、それでもこうして相対して、改めて思い知らされる。レイク殿は強い。
剣舞会では、彼にも勝たねば優勝はない。運良く彼と当たらぬとしても、彼に匹敵するほどの実力者はいるだろう。楽観視はしない。油断は常に惨めな敗北を、そしてときには死を招く。
わたしは、けして優勝したいわけではない。レイク殿ほどの勝利への渇望はない。
だが、さきほど口にしたとおり、負けるつもりで剣は握らない。
わたしにも、わたしなりの矜恃がある。
そのために勝ちたいのだ。
ここで引いてなるものか。
「あ、そうだ」
強い意志を固めたわたしをはぐらかすように、レイク殿は急に容姿相応の無邪気な口調で話題を変えた。
無言の牽制で感じていた圧力が、なにごともなかったかのように霧散する。その変わり身の早さは、見事と感心するほど。
「そういえばさ、エウクレストさん。この前話した魔法屋、昨日行ったんだよね? どうだった?」
魔法屋、という単語に、わたしは一瞬、まともに動揺しかかった。
だが、寸でのところで持ちこたえる。
「ああ、バーティアス魔法具店、だったな。貴殿の行きつけとあって、さすがにすばらしい品ぞろえであった。あのような貴重な店を教えていただき、感謝している」
なんでもないような口調で、わたしは言った。
レイク殿が無邪気に笑う。
「そっか、よかった、喜んでもらえて! あそこ、いいよね。噂では、銀環のカシウス隊長も通ってるんだって」
知っている。
「それにしても、こうなると、敵に塩を送っちゃったかなあ? うーん……まっ、いいか。エウクレストさんはトクベツ! 僕のライバルだもんね!」
小鳥のように可愛らしく小首を傾げたかと思うと、レイク殿は花のような笑みを浮かべた。その美しさはまさに可憐の一言、見るものの保護衝動をかき立てずにはいられまいといった風情だ。
おお。
これが、殿方が手心を加えたくなるという『柔らかな応じ方』か。
などと、それを言った本人から、しかも女が男から学び取るのだから、わたしはなにか間違っている気がしないでもない。
だが、レイク殿の言ではないが、まあ、いいか、だ。
「ときに、レイク殿はかの店のものと親しいだろうか?」
わたしはふと聞いてみた。
このとおりの人なつこい容姿と性格のレイク殿ならばあるいは、と思ったのだ。
「店の? ああ、ご主人とはあまり顔を合わせる機会がないけど、息子のアルさんとはたまに話すよ」
レイク殿はあっさりとうなずいた。
アルさん、とは、かのアルンバートのことに違いあるまい。
店主の子息であったか。
「あ、エウクレストさんもアルさんに会った? おもしろいよねーあのひと」
「おもしろい……ふむ、そういう見方もあるか」
「あれ? なんかちょっとちがう感じ? ……あっ、もしかして、エウクレストさんってば」
可憐な笑顔から一転、レイク殿は絶好のいたずらを考えついた子供のような顔でにやりとする。
「告白されちゃった? アルさんって、なんだかんだ面食いな部分があるとは思ってたんだよね。エウクレストさんて美人だからなー」
「告白?」
わたしは絶句した。
告白……告白? 昨日のあれは、告白ではないよな?
たんなる誰何であったとは思う。が、尋常ならざる意気込みを感じたあたり、なんだか告白めいた雰囲気もあったな。そう、朴念仁のわたしにも、告白のなんたるかはわかっている。いやしかし……
「たぶん、そういったたぐいのものではなかったと思う」
十分に考えたのち、わたしはそう答えた。
「てことは、告白ではなかったけど、なにかふつうじゃないことは言われたわけだね?」
「ふむ……黙秘しよう」
「あはは、それ、すでに認めてるようなもんだから」
レイク殿は無邪気に笑う。
ううむ、情報のやりとりというものは難しいものだ。わたしにこういった駆け引きの才はない。
「それで、そのアルさんとやらのことについて訊きたいのだが、いいだろうか」
仕方なく駆け引きなどは早々にあきらめて、わたしは真っ向から質問してみることにした。
だが、
「あっ、ごめん。僕、これから団長に会わなくちゃ。そのあと訓練もしたいし」
どうやら都合が悪いらしかった。
残念ではあるが、まぁ、どうしても訊きたいというわけでもなかったので、よしとしよう。
「いや、忙しいなか、時間を割かせるような真似をして申し訳ない」
「ううん、エウクレストさんの訓練を見ると、いつもいい刺激になるんだ。剣舞会、お互いがんばろう! あと、今度ぜひ一緒に打ち合いしようね!」
頭を下げたわたしに、レイク殿は気楽そうに言葉をかける。そのまま、無邪気なようすで手を振り、きびすを返した。
去っていく少年騎士の背中を見送り、わたしはちいさくため息をついた。
訓練で身体を動かしていれば、考えごとをせずに済んでいた。
だが、ひとたび止まれば、わたしの思考はまた悩みの坩堝に巻き込まれる。ご丁寧に、レイク殿がそうと意識せずにそれを思い出させてくれたしな。
いや、他人のせいにはすまい。
これはわたし個人の問題である。わたし個人が、向き合いたくて向き合っているだけのこと。
「さて」
わたしは声を出して、汗で首筋に張り付いた髪をかき上げた。
剣技の邪魔にならないよう、最低限縛れる程度の長さを保つようにしているが、そろそろ背中の中ほどまでも伸びてきた。切らねば。
訓練所の壁の、高いところに開いた窓を見上げる。
日はまだ高い。空はよく晴れている。
夕刻にはまだ時間があるが、しょせんお飾りの騎士団に、訓練以外にまともな仕事はない。今日は特にそうだ。多少抜け出しても、誰もとがめるまい。
いつもは情けなさに怒りすら覚える事実であるが、今日ばかりは都合がいい。
「少し出てくる」
訓練所を片づけ、剣をしまったあと、わたしは隣の房で訓練している同僚に声をかけた。
ちかくの椅子にかけてあった上着を取り、肩にかける。
いまから部屋に戻って着替えても、まだ日は沈まないだろう。
厳密にどれほどの時間まで開いているのかを知らないが、これなら、行ってみたのに閉店している、ということはあるまい。
「アルンバート・バーティアス」
わたしは、口の中でちいさく唱えた。
これから会いに行く男の名を。
待っていろ。
いま行こうぞ。
わたしは、逃げないと決めたのだ。




