EX03.隊長どのは目が怖い
カシウス・リオンタールは、腹立つくらいできすぎた美貌の持ち主だ。
細面なのに線の細さとは無縁で、輪郭も鼻筋もあくまで凛々しく通っている。
日焼けをしていてもいっさい荒れていない肌は、そもそも髭が生えたことがあるのか疑わしいくらいになめらかで、毛穴一つ見えやしない。
すこし物憂げに伏し目がちな切れ長の瞼も、骨ばった男らしい大きな手も、凛と引き結ばれた大きめの唇も、見れば見るほど、女の子の好きな顔ってこういう顔を言うんだろうなぁと、しみじみ思い知らされる。
そんな完全無欠の美貌にも、唯一、欠点がある。
それが瞳。虹彩の色。
めちゃめちゃ色素のうすいアイスブルーをしてるんだ。
黒目ばかりが目立って、はっきり言ってコワイ。暗闇で見たら泣きたくなるレベル。
紫がかった銀髪とこの瞳の色なもんで、社交界じゃ『絶氷の君』と呼ばれてるらしい。
初めて聞いたときは声出して笑った。
でも実際は笑いごとじゃなくて、この目は光にはとことん弱くて、視力もあんまり良くない。
専任の魔法医によって視力矯正と角膜保護をしてもらってるらしいけど、それでもあんまりまぶしいのはまずいらしい。色気ダダ漏れと言われる伏し目がちの真相も、無意識に光を避けてるだけだ。
騎士としてダメじゃん、致命的じゃん、と言わざるを得ないが、これはあくまで一時的なもの。
ゲームの記憶があるおれだから知ってることだけど、こいつは本来なら、グラデーションがかった紺碧の瞳をしている。でも、生まれてすぐに魔法の適正が確認されたので、宮廷魔導師によってその魔力を封印されたんだ。
理由は簡単、リオンタール家が息子を魔法騎士にしたくなかったから。
魔術師として国に登録すると、強制的に入れられちまうからね。早いうちに騎士団での実績が欲しかったリオンタール家はそれを阻止したわけだ。
瞳の色が薄くなったのと視力低下はその封印の代償。ふつう、魔力の色素なら髪色にきそうなもんだけど、リオンタール家はどういうわけか瞳に色素がでる家系なそうな。
ゲーム内では、封印されていた魔力をヒロインを守るためにカシウスが自力で解放するというドラマティックな展開があるわけだけど。
現実ではそういうこともなく、二十歳を過ぎても自己の鍛錬を理由に封印をそのままにしているわけだ。
視力に頼らず自分の感覚を研ぎ澄ますということがくせになってるらしい。どんな武術脳ですか。目をつぶっても勝てる、という台詞が、カシウスの場合しゃれにならない。
「エウクレストの娘の治療を担当しているそうだな」
さて、そんなどこぞの中二的な設定持ちのメインヒーローどのは、おっかないアイスブルーの目でまっすぐにおれを射抜きながら、おれんちに急に押しかけたことに対するあいさつもそこそこに話し始めた。
なんなの?
ゼフといいこいつといい、みんな、おれの実家はあいさつもなしに入ってオッケー! みたいな不文律でも持ってんの?
「娘の話訊きたいとかだったら、保護者のほうとどうぞ」
おれはこれみよがしにため息ついてみせた。
「娘のことというより、その身に起こった現象が気になってな」
「それって、いま話すべきこと? おれが登城する日でよくない? カシウスが来るとさー、おまえんとこのこわい副官におれが怒られるんだけど。へんな噂にでもなったら商売上がったりなんで、勘弁してくださいマジで」
「マイルスにはかまうなと伝えてある。それより、できるだけ早く現状を把握しておきたい」
「あっそう……居座る気満々っすか……あーやれやれ」
まあ、俺様なこいつになにか言って覆せるわけがない。
おれは早々にあきらめて、店の陳列棚のほうを振り返った。
「ミリー! こっち防音張るから、用あるときはアハト呼んで!」
「死にたくなるくらい困窮するまで呼ばないから安心して~」
「おまえそろそろ蛇慣れろよ」
おれの呼びかけに、妹が陳列棚の向こうから手だけ出してひらひら振る。
あきれのため息をつきながら、おれはカシウスに向き直った。相手が座ってるのにおれだけ立ってるっていうのもしゃくなので、丸椅子を部屋の隅から引っ張り出してきて差し向かいに座る。
「そんで、なに? 剣舞会の事故調査委員会でも作るの?」
「それは私の管轄ではない。興味とでもいうか……看過できない気がした。あの日の出来事は異常だ」
「異常、ね」
おれがエルティニアと相対するときに、頭のなかで連呼してた単語。
そうだよな、たしかに、すべての異常の始まりはあの日、あの試合だ。目の前のエルティニアの怪我にばっかり気を取られて、そこまで頭が回らなかった。
「カシウス先生はあのときの試合、どう見た?」
会話しながら、片手を上げ、目をつむって意識を集中する。
風系の魔法のひとつ、『沈黙』に小細工した術で部屋全体を覆う。これで防音されてる、はず。
いつぞや、どっかの冒険者にニアとの会話を盗み聞きされてから開発したおれ独自の魔法だ。
それを待ってたわけじゃないだろうが、おれが目を開けたタイミングでカシウスが話し始める。
「私には、一方的な蹂躙に見えた。実力差はたしかにあったようだが、なぜ、彼女は魔法騎士なのに魔法で反撃しなかったのか」
「まじか……」
おれは、実際に剣舞会のニアの試合を見たわけじゃない。
その場にいたのは使い魔のアハトで、意識を同調しても伝わってくるのは映像ではなく、もっと抽象的なイメージみたいなもんだ。なにしろ蛇の思考回路をのぞいてるわけだから、なにもかもが人間のおれとは捉え方がちがう。
だから、まずいことが起こってるんだと感覚的にわかったけど、詳しくは……それにしたって、蹂躙って、どういうこった。
「魔法を唱えるひまがなかったとかじゃなくて?」
「一度、唱えようとしたのが見えたのだが」
カシウスは、目の前の卓に置いてあるものに手を乗せる。
兜だ。顔の上半分を覆う独特の形状をしていて、カシウスが外に出るときはいつもこれを被ってる。面が割れないようにするためというよりは、日光対策だな。
サングラス作ったらどうだって言ったことがあるんだけど、デザインの素案(現代日本で出回ってるようなふつーのグラサン)見せたら、無言で突っ返された。
「魔法になる前にはじけたようだった」
「は? はじけた?」
おれは目を丸くした。
「はじけたって? なにが? 魔法が?」
「魔法になる前のものだ。そちらの知識に疎いので、なんというべきかわからない」
「マナが暴走したってこと?」
「わからないからここに来ている」
カシウスの言葉に、おれは急いで思考回路を働かせた。
「なんだ、それ。聞いたことねえ……魔法が、はじける? だってマナがあれば魔法は……ニアほどの使い手ならマナを集め損なうなんてことはないだろうし……スペルミス? さもなきゃ自然発生的な……まさかな」
急いで考え事をまとめようとするときにブツクサ声に出しちまうのはおれの悪いくせだ。でも、こうするとなんとなく考えが明確になって整理できそうなかんじがするんだよな。
おれは剣舞会の記憶を呼び起こす。
あのとき、おれはアハトと同調してた。蛇のアハトは、ことマナに関してはおれよりも数倍鋭い感覚を持ってる。あのとき、アハトはおれにしきりに現場の異様な様子を伝えてきてた。
あれは……
「黒騎士」
思い当たったことを、とっさに口に出す。
「あいつが、なにかしたのか? 自然にないもの……だからアハトは反応した? 怒気、殺意……でもない。マナの乱れ……感情じゃないなら、なんだ?」
アハトは、試合というものにはあまりピンときてない感じだった。
だってあいつは人間じゃないから、生存競争でもない形式的な戦いの意義を、よくつかめてなかった。それでもニアが痛めつけられてるということが良くないことだという判断はついただろうが……最初の違和感は、たぶん、それより先に来てた。
アハトが反応する違和感といえば、マナに関することとしか思えない。
「カシウス、試合中になにか不自然なことがなかったか?」
「具体的には?」
「うーん……急に暗くなったりとか、気温が変わった……いや、そんな大げさでなくてもいい。とにかく、いまここでこれが起こったら変だなってこと、なんでもいい」
おれの質問に、カシウスは腕を組んで沈思する。
「風が起こった」
「風? 吹いた、じゃなくて、起こった?」
「そうだ。エウクレストの娘が一度ジュードに反撃して兜をとばした。そのあとに、ジュードが手を払うと……風が起きた。妙なのは、試合場にいたふたりが風にあおられるところは見たが、私のいる席までは風が来なかったことだ」
「マナだ」
おれは思わず立ち上がった。
マナは大気中に漂ってる。マナが一気に集まれば、そのぶんまわりの空気も動いて風が起きる。でも、人があおられたと傍目に見えるくらいの風が起きるってのは尋常じゃない。かなりの量のマナが集まらないとそういう現象は起きない。
「そのあと、へんな魔法が発動したりはなかったんだよな? エル、じゃない、ニアの魔法が発動前にはじけただけ。そうだな?」
内心の興奮に比例して早口になっちまう。
カシウスはそんなおれには慣れてるようすで、落ち着きはらってうなずく。
「やっぱり! 一定以上の濃度になると、マナは魔法にならなくなる……ああ、なんだっけこの設定……ちがう、研究棟で見たのか? でも、マナ同士は結合しないはずだ……スペルでかき乱せば拡散するんじゃないのか? ちがう……もしかして、マナが集まることがすでに意味付けになってて……聞いたことある。聞いたことあるぞ……なんだっけ……ちくしょう、こういうときに限って思い出せない……!
……あっ! カシウス!」
思考と考察の海からいったん浮上して、おれはカシウスに詰め寄った。おれの片手はいつの間にかまた髪の毛をぐしゃぐしゃにしてたが、いつものことなので気にしない。
「これから城に行きたい! このまえ顔出したばっかりだけど、別にいいよな?」
おれはいまは魔導師として独立し、生家の商売を引き継いでいるが、国に籍を置いているため、城の魔法研究棟の客員研究員という肩書きも持ってる。
おかげで最低月に一度は魔研に顔を出さなきゃいけないという義務があるんだが、そのついでに城の資料とかを当たったり、商売のつなぎをとったり、あとはカシウスのところに遊びに行ったりと、有意義に利用させてもらってた。
いまも、突発的に城の資料を見たくなったので義務とやらを利用しようと思いついたんだけど……5日くらい前に行ったばっかりなんだよな。客員研究員とはいえ結局はよそものだから、正式な理由もなしに頻繁に行くと、上の人間に情報漏洩なんかを警戒して渋い顔される。
カシウスが静かにおれの顔を見つめ返す。
水晶みたいな瞳に、いかにも必死ですっておれの顔が映ってる。
てか、怖い怖い。カシウス先生、やっぱ目ぇ怖い。
目を逸らしたらダメな場面なのに、全力で逸らしたくてたまらなくなるわ。
「私の許可証がほしいんだな?」
「わかってんじゃん」
打てば響くような答えに、おれはにやっと笑った。
カシウスの正式な客人として招かれれば堂々と城に入れる。研究棟にはもちろん客員研究員の手形で入ればいい。
利用できるもんは利用しないとね。
「では、調査の委任状をやろう。一時的だが王立図書館の禁止区画にも入れるようにする」
「まじっすか! 先生ふとっぱら!」
「……私は太っているのか?」
「ごめん気にしないで外国の言い回し。カシウスは安定の男前だから気にすんな」
いけねぇいけねぇ、前世語はしまっておこう。
こいつには前世の話とか、してないんだよなぁ。なんか、同じゲームのキャラ同士だと思うと怖くてさ。
でも、いいやつだし……いつか、話せるようになりたいな、とは思う。
おれはカシウスと連れ立って外に出た。
店を出る前に、カウンターに置きっぱなしだった商工ギルドからの手紙をしっかり持って行く。資料を当たりつつ、ついでに読むんだ。
騎士隊長どのは、外に出るまえにしっかりとヘルムを装着。難儀だよなあ。
まあ、むやみやたらと美しい顔を周りにさらすのは、へたに注目を集めるばっかりで同行者的にうれしくもなんともないので、ありがたいと思おう。
「そういえばさ」
商業区の大通りを歩きながら、おれはカシウスに声をかける。
「シドレイって忙しいの? 今日会えるかな? 今日のおれの進捗にもよるけど、できればちかいうちに込み入った話がしたくて……まー行ってみりゃわかるか。
いっしょに執務室の近くまでついてっていい? てか、おまえ今日休み? ……なーんてね、隊長どのがそんな軽々しく休みなわけないよな。あっ、副官どのに会ったらくれぐれも言っておいてくれよな。おれがおまえを呼んだわけじゃねえぞって」
たまに疑問符も挟んだりするけど、基本、おれが一方的にしゃべる。
いつもこんなもんだ。慣れっこです。
「エウクレストの娘はどんな様子だ?」
ところが、珍しくカシウスが言葉を挟んできた。
「え、気になんの? 契約上守秘義務があるんで何とも言えません。エウクレスト卿に訊いてください、としか答えられないよ?」
「助かるのか?」
わざと軽めに答えてやったのに、カシウスはとんでもない言葉をぶっ込んできた。
それはなんか、さっきエルティニア本人と交わしたやりとりを彷彿とさせる。
「はあ? 助けるよ! 当たり前だろ! そのためにおれは毎日通ってんの!」
思わず怒鳴っちまった。
子供みたいに、なにムキになってんだって、自分でも思うけど、おれにとってエルティニアのことはいま一番デリケートな問題なんだ。
隣を歩くカシウスが、首をわずかにこっちに向けて、そんなおれを見つめてくる。驚いてんだか、呆れてんだか、鳥のくちばしみたいな変な形の兜に隠されて、表情はわからない。まぁどうせ平常運転の無表情なんだろうけど。
「ニア・エウクレスト、か」
前に向き直り、カシウスがちいさくつぶやく。
平坦な声からは、内心は見えてこない。でも、こいつが他人を気にするなんて珍しいなとは思った。
そうだよ、ニアだ。
おれが治したいのは、ニアなんだよ。
城への道を見据えて歩きながら、おれは、自分の中に今更な疑問が浮かび上がってくるのを感じた。
ニア・エウクレストと、エルティニア・マルセル。
違う名前の同一人物。
これを分かつのは、いったいなんだろう?
おれが毎日会っているのはエルティニアで、会いたいなと思っているのは、ニアで。
じゃあ、このふたつの人物の、違いはなんだ?
どこで、どうして、分かれてしまったんだ?
おれが初めて会ったとき、彼女はすでにニア・エウクレストだった。
ゲームの通りいくならば、彼女はエルティニアのままでいなければいけなかったはずなのに。どうして彼女はゲームから逸脱した存在になったのか?
ニア・エウクレストは、どうやって生み出された人物なのか?
おれの知らないことがある。
それを、おれが知るべきなのかは、正直言ってまだわからないけど。
でも、なんとなく、直感で。
ニアを治すのには……彼女にまた会うためには、それを知る必要があるような気がした。
 




