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01.きみの名は



「あんた、エルティニアだろ!? エルティニア・マルセル!」

 唐突な言葉は、残念ながら、わたしに向けられていた。


 城下町の魔法屋である。

 スクロール、秘薬、水晶玉に色とりどりの貴石、瓶詰めの薬草たち。一般の民や剣で身を立てているものには、いったいなにに使うものなのか見当もつかないだろう、不思議で奇妙で剣呑な品々が並ぶ、小さな店舗だ。

 その幻想的でどこかいたずらめいた独特の光景に、わたしがすっかりと目を奪われているうちに、気づけば隣にその男が立っていたのだ。


 年齢はわたしより少し上だろうか、二十代にかかったかかからないか、という程度。

 ひょろりと背の高い痩躯によれよれのローブを引っかけて、翠緑の、いかにも伸ばしっぱなしで手入れもしていなさそうな髪を、なおざりに首の後ろでゆるく結んでいる。

 身なりに気を使うつもりなどいっさいないと宣言しているような風体だが、その顔は、なかなかどうして全身の印象に反して繊細美麗なものだ。

 格好がもう少しまともで、旅一座の看板役者ですよとでも触れ込まれれば、たしかに多くの女性を虜にするだろうとうなずいてしまいそうなほど。


 そんな男の整った顔には、隠しがたい驚愕と、疑惑と、確信が浮かんでいた。

 そして、その視線を一身に受けるのは、わたしである。


 ここに、同行者がいなくてよかった。

 心の中でそう胸をなで下ろす。


「残念だが、どなたかとお間違えのようだ」


 わたしはゆっくりと、小さな子供にでも言い聞かせるようにして、男にそう答えた。

 それからおもむろに、今まで見ていた店の商品棚に顔を向ける。

 窓際の棚には、護符にもなる貴石が種類ごとに並んでいる。差し込む陽光を受けてきらきらと輝くさまは目にも楽しい。

 同僚からは無骨者だ朴念仁だと笑われるわたしだが、この棚を見ていると、石がまるで笑いかけ話しかけてくれているような、そんな柄にもなく詩的な気持ちになる。


「いや、そんなはずない! オレが見間違えるわけないんだ! あんた、エルティニアだろ!? やっぱり生きてたんだな!」


 ところが、男は引かない。

 取り縋らん勢いでわたしに詰め寄ってくる。

 反射的に、わたしは右手を腰に回した。手指がむなしく空を掴む。剣を外しているんだった。


「待てって! そのピンクゴールドの髪に、縞瑪瑙の瞳! ちょっとつり目気味なのも、左目の下に泣き黒子があるのも、間違いなくあんたがエルティニア・マルセルだって証拠だ! こんな男みたいな格好してるのがよくわかんないけど……でも、そうだろ!?」


 剣を取ろうとした仕草を、逃げようとしたと誤解されたらしい。男は堂々とわたしの腕を掴んで、畳みかけてきた。青白い痩せた男としか見えないのに、その力は意外に強い。


「わたしはニア・エウクレストだ。貴殿の呼ぶ人間ではない」


 先ほどよりは強い口調で言って、わたしは無理矢理男の腕を引き離そうとした。

 ところが、離れない。

 なぜ? いくら性別が違うとはいえ、こんな枯れ枝のような男が相手なのに。毎日鍛錬をしているわたしが引き離せないなど……

 ……ああ、そうか。


 必死さが違うのだ。

 わたしは単に迷惑な男から逃れようとしているに過ぎないが、対して、この男、なんだかやたらに必死なのだ。この手を離せば己の命がない、とでも言うように。

 なぜだ?


「ニアだって? なんでそんな名前を」

「なんでもなにも、それがわたしの名だからだ。離せ!」


 意を決して、鋭い一声とともに、わたしは男の手を振り払った。

 今度はうまくいった。勢いの余りに男が前につんのめって、わたしの脇に倒れてしまったが、そうでもしないと離せなかったのだ。仕方あるまい。


「すまぬ、手荒な真似をした」


 かといって、倒れたままにしておくというのも忍びない。

 わたしはしゃがみ込み、男が立ち上がるのを手助けした。けがはないようだ。商品棚にぶつけるようなことにならなくて、よかった。


「オレ……アルンバートだ」

「ん?」

「アルンバート・バーティアスだよ。わからないか?」


 男は、思い詰めた表情でまたわたしに顔を寄せてきた。こりないやつだ。


 わからないか、と訊かれても、わかるはずがない。

 アルンバートという名前も、その顔立ちも、記憶にかすりすらしない。間違いなく初対面だと断言できる。

 しかし、バーティアスだと?

 その名は知っている。

 知っているというか、なんというか、この魔法屋の店名こそがバーティアスだ。バーティアス魔法具店。

 なんと。この男、客かと思えば、店主かその縁者か。


「すまない、バーティアス殿。貴店での狼藉を詫びよう。しかし、貴殿に会うのは初めてだと記憶している」

「いや、そりゃ、そうだけど」


 なんだ、初めて会ったので間違いないのか。

 じゃあなにが言いたいんだ?


「でも、アルンバートだぜ。街の魔導師、孤高のアルンバート」


 言いながら、アルンバート・バーティアスは急に髪をなでつけ、襟元を正す仕草をし始めた。

 ふむ。


「そうか、貴殿はよほど高名な魔導師なのだな」

 わたしはうなずいた。

「知らぬこととはいえ、そのような方に無礼を働き、恐縮である。改めて詫びよう。許されよ」


 頭を下げてしまえればいいのだが、立場上、軽々にそういうことができない。騎士というのは面倒なものだ。


「ああ、もう! そうじゃないって!」


 しかし、なぜかアルンバートはそう言って、たった今なでつけた髪をいらいらと掻き乱した。


「どうしてわかんないんだ! アルンバートだよ! 一応、あんたの攻略対象なんだぜ!」

「なに?」


 攻略、対象?


 唐突な単語に、わたしは眉根を寄せた。若い身空で眉間のしわがとれなくなるぞ、などとからかわれてしまうので、できるだけやらないようにしているが、この場合、こんな表情をしてしまうのは致し方ないことだと思う。


 だって、意味がわからない。

 攻略って、どういうことだ?

 この男は、自分は犯罪者ですよとでも告白しているのか?

 だから捕まえろ、と?

 しかし犯罪者の捕縛は騎士の領分ではないぞ?


 わたしが混乱していると、アルンバートはさらにたたみかけてくる。


「いや、おかしいと思ったんだ。エルティニア・マルセルが死んでるはずがないってさ! だって、オレがここにいるんだから! なあ、あんた……もしかして、いや、もしかしなくても、オレと同じなんだろ? だから、わざとゲームと同じようにならないようにしてる。違うか?」


 じりじりと近寄ってくる男の迫力に圧されて、わたしもまたじりじりと後退した。

 とん、と背中に堅い感触。商品棚だ。追いつめられた。


「わかるよ、あんたの気持ち。ヒロインとか、面倒だもんな。特に『ガル戦』ってイベントとかバトルとかありまくりだし……でも! でも、それでもあんたがいないと、駄目なんだよ! だからずっと探してた。オレが手伝うから、もう逃げるなよ!」


 熱にでも浮かされているような調子で、初対面の魔術師は、わたしには意味のわからない言葉を次々と吐き出す。


 ゲーム? ヒロイン? ガルセン?

 なにを言ってるんだ、こいつは。

 なんなんだ、こいつは。


「なあ、エル。エルなんだろ? いい加減認めてくれよ!」


 男がわたしを呼ぶ。

 エル、と。


 エル。


 それはわたしの名前ではない。

 エルティニア・マルセルは、わたしではない。


 それは死んだ名前。

 いまは存在しない者の名前。


 幸せな娘、エルティニア。

 花のような、エル。


 その名を持つ者は、もういない。

 もう死んだ。


 家族とともに。


「わたしは、ニア・エウクレストだ!」


 ほとんど悲鳴のような声を上げて、わたしは男を突き飛ばした。

 今度は相手が倒れたのにも構わず、一目散に店から逃げ出す。棚が倒れるような物音が背後で立ったが、振り返らなかった。扉から外に出て、街路の石畳を蹴って走り出したかったが、騎士の矜恃として、足早に歩くにとどめた。


 大小の商店が並ぶこの通りには人も多く、服の裾が擦れ合いそうな距離でしか行き交うことができないような状態だ。

 季節が秋口にさしかかったこの時期、王都ガルリードはさわやかに晴れ渡っている。その穏やかな陽気のおかげか、はたまた、一月後に迫った収穫祭という楽しい予感のためか、道を行く民たちの顔は一様に明るい。

 そのなかを、わたしは歩いた。

 買い付けてきたばかりだろう香草の、えもいわれぬ芳香をはなつ束を抱えた同じ年頃の娘が、わたしとすれ違おうとして、きょとんと目を丸くする。あとを歩く恰幅のいい紳士も同じような顔をする。それほど、わたしは場違いな表情をしているのだと、いやでも気づく。


 いけない、いけない。

 騎士が不穏な顔をしていたら、それを目に留める民の心に不安の種を蒔くことになる。

 わたしは足早に彼らの視界から逃げながら、かるく瞬きを繰り返し、意識して自分の表情を引き締めた。まるで全速で駆けたときのように胸がどこどこと早鐘を打っているが、それを騎士服の上からそっと押さえて鎮めようと努める。


 こんなことで動揺してどうする。

 修行が足りんな、ニア・エウクレスト。


 心の中で自分を叱咤していると、だんだんと鼓動も落ち着いてきた。それにともない、歩調もゆるやかになる。

 ついでに、気もすこしゆるんでしまったらしい。いつの間にか下がっていた視線を上げ、あっ、と思ったときには、前から来た男と肩がぶつかってしまった。


「っ、失礼した」


 とっさに謝って、それから、しまった、と思う。

 騎士たるもの、簡単に他人に頭を下げるような真似をしてはならない。この国には階級がある。たとえ騎士からぶつかったのだとしても、相手が一般の民であるならば、民のほうが頭を下げねばならない。

 上司にそう教えられたのだが、どうにもその考えがわたしには馴染まない。しかし、馴染まないからといって造反していいというものではない。秩序を重んじてこその騎士なのだから。


 やってしまった、とじわじわ浮かぶ後悔の念に捕らわれながら、わたしはぶつかった相手である男を見た。

 相手は戦士だった。

 一目でそうとわかったのは、こんな大きな街の中心地ちかいところにいても、最低限の武装をしているからだ。そしてなにより、その気配が一般人ではあり得ない。なにか得体の知れないものを背負っているかのような、重圧感、とでも呼ぶべき気配が男の全身に満ちている。

 かといって、それを周囲に垂れ流すような剣呑な雰囲気というわけでもない。あくまで、戦うことを知っているものだけにわかる、といった程度に抑えてあるというか。わかるものにはわかる牽制、のようなものかもしれない。

 自由人、あるいは冒険者とも呼ばれる輩には、こういう無意識の威嚇や牽制をするくせがあると聞く。


「いや、こちらこそ」


 戦士は、わたしの沈思を待つかのような間を空けたあと、さらりと答えた。

 思っていたよりも若い声に、内心意外に感じてそっと顔を見上げると、日に焼けてまだらな大地色の前髪の奥で、爛々と光る、意志の強そうな青灰色の瞳にぶつかった。


 若い。わたしと、そう変わらないだろう。

 そう感じさせるほど、顎や首の線に成熟しきらないまろみを残しているのに、その全身には若年者特有の甘さや弱々しさが少しもない。いったいどういう生活、どういう経験をすればこんな不均衡な人間ができあがるのか。


 呆気にとられてわたしが立ち尽くしていると、戦士が笑った。老練で、獰猛な、やはり見た目の若さとはあまりにも不釣り合いな表情で。


「俺になにか問題でもあるか? 騎士殿」


 挑むような口調でそう言われた。


「いや、そういうわけではない」


 わたしはすぐさま答えた。

 気圧されないよう気を引き締めたので、我ながら、普段の三割増しでぶっきらぼうな声になった。


「そうか、ならよかった……しかし」

 戦士は無造作にわたしの横をすり抜けかけて、間近で聞こえよがしにつぶやいた。

「剣を佩くより、花でも抱えるほうが似合いと思うが。惜しいな」


 花。

 その単語に、わたしは固まってしまった。身体も、思考も、ぴたりと止まった。


 そして数瞬ののちに、あわてて回転しだした思考が、全身に命令を下した。すなわち、なにか反応せよ、と。

 その反応が、あわてたあまりにか、普段のわたしにはあり得ないようなものになった。顔が熱くなったのだ。血という血が、一瞬動きを止めた頭に発破をかけんと、考えなしに一気に集結してしまったかのようだ。

 そして同時に、たまらなく恥ずかしい気持ちになった。身の置きどころがないような、むずがゆくも激しい羞恥が、頭部に集まろうとする血液をさらに促進させる。そうして潤沢な血流を得た頭は、ますます張り切って、現状精神を支配している羞恥をいっそう強めるのだ。

 ひどい悪循環だ。なにが先で、なにが後かがもうわからない。

 つまり、わたしはパニックを起こしたのだった。


「ぶっ……ぶ、無礼なっ」


 なにか言わなければと口を開くと、我が人生のなかでも屈指の情けない声しか出なかった。騎士の威厳? そんなものはひとかけらも含まれていない。

 そのまま去ろうとしていたらしい戦士は、そんなわたしを呆気にとられたような顔で見つめ、それから、弾けたように笑いだした。


「なんとまあ、可愛らしい姫騎士だな! 無礼ついでに、貴殿の名前を教えてくれないか?」


 遠慮のない物言いとともにこちらに詰め寄ってきた戦士に、わたしはなぜか、ついさっきの魔法屋でのやりとりを思い出した。

 名を訊かれるのと呼ばれるのでは正反対のことがらのはずだが、とにかく、わたしの頭の中では、同じことを場所を替えて繰り返しているような、奇妙な感覚にとらわれたのだ。


「そっ、そなたのような男に名乗る名などない!」


 だから、わたしはむきになって強気に言い放った。

 自分の頬に触れる。熱い。きっと、わたしはいま、ばかみたいに赤い顔をしているに違いない。こんな顔を市中でさらしていることに、もう耐えられない。


 またぞろ笑い出しそうな戦士に、わたしはさっさと背を向けた。

 なんとも最悪なことに、まわりの注目を集めてしまっていたと、そのとき気づいた。あたりを歩く人々が、みなこちらに顔を向けていたのだ。わたしが見るなり、そそくさと顔を背けられたけれども。


 ああ、くそ! なんなんだ、今日は厄日だ!


 非常にみじめな気持ちになりながら、わたしは大急ぎで本日二度目の逃走を謀ったのだった。



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