王都への旅路 3
5
バーミットの部下たちはその二つの目玉を飛び出さんばかりに、驚嘆の上に驚嘆を重ねた面持ちで『石眼の蛇鶏』がその体の上半分を土に埋没させる光景を見ていた。
彼らは最早木々の影や茂みに隠れる事すら忘れ、ただただ呆けたように『石眼の蛇鶏』の、身悶える形で固まった蛇の尻尾を凝視━━━━
「このアホどもが」
瞬間、五人の『防人』たちは我を取り戻した。早急に身を潜める。
緩みに緩みまくっていた気を引き締め、彼らは目を細めて二人組の少女を観察する。
バーミットは既にその鋭い眼光で少女たちを射抜いていた。
「レレレ、レーヴ様…………『石眼の蛇鶏』を逆に石化させるとは……何事です?」
「え……あのニワトリ、そんな立派な名前ついてたのか。似合わんな」
金髪の少女の言葉は今この場にいるほとんど人間の総意だったが、それに対する灰色の少女の返しで『防人』たちはこの小さい方の少女が常人ではない事をいよいよ確信した。
『石眼の蛇鶏』は並み居る魔物の中で、最も名前が知られている『士魔』の一種である。
市井の子供でも知る常識だ。
その『石眼の蛇鶏』を知らない。
それはつまり、この灰色の少女が通常の環境外で生きてきたという事だ。
そしてそんな者には総じて曲者が多い。『防人』たちの中で警戒度が更に上昇した。
それをいうなら、『石眼の蛇鶏』を石化させるようなヤツが常人のはずもないのだが。そちらは余りにも人外染みていて彼らには現実味が薄かった。
この時の『防人』たちには、いつものように「似合ってないのはお前の口調の方だ!」とか突っ込むような余裕はひとかけらもなかった。
あるのは緊張による筋肉のこわばりだけである。
と、灰色の少女が動いた。
『防人』たちはこの要警戒人物を注視し、神経をとがらせた。
少女は周辺に立つ石化した『防人』に視線を投げかけながら、てくてくと『泥の玩具』に近づいていく。
頭上の『石眼の蛇鶏』を失った『泥の玩具』は、今や完全に動きを止めていた。
少女はその巨大な土塊の足に触れると、やおら魔力を注ぎ込んだ。
少しして、その小さな手を離し、『泥の玩具』をぺちりと叩く。
「ほら、これで動けるだろ。さっさと山に帰れ」
「……ン、ゴ……」
「…………『泥の玩具』って話せたんですか……?」
そこかしこが灰色に染まった『泥の玩具』は、そのどこかも良くわからない口から音を発し(!)、ノロノロと反転。鈍重な動きで二人の少女の横を通り過ぎて、『マーデ森林』の奥深くへ入って行った。
その折、『泥の玩具』は少しだけ頭を下げて、灰色の少女にお辞儀をした、ような気がした。
『泥の玩具』を見送った灰色の少女はかいてもいない汗を手で拭う仕草をして、小さく吐息を出す。
「ふぅ」
「レーヴ様」
「なに?」
「何故あの『泥の玩具』を退治なさらなかったのですか?」
「僕は何か理由があったり僕に敵対行動をとらない限り、生き物をおいそれと殺したりしないよ」
二人の少女たちは何気ない風に会話しているが。
バーミットの部下たちは冷や汗が止まらなかった。
『泥の玩具』が去ってから、顔こそ金髪の少女にに向いているが、灰色の双眼はずっとこちらを向き続けている。
明らかに『防人』たちの存在に気づいている。
灰色の少女は金髪の少女の言葉に返答した後、不意に右腕を上げた。
かえって不自然なほどに整った彼女の人差し指が、他の四指を残してピンと伸びる。
そしてついにその指先が『防人』たちの潜む場所を指した。
バーミット以外の五人はまるで『石眼の蛇鶏』に石にされた同僚たちのように硬直した。
バーミットだけが食い入るように少女を見つめている。
「んん。イリア、あそこ」
「はい?………………誰か、いる……?」
「うん。さしずめ、この人たちの仲間ってところだろう」
灰色の少女は指先をずらして、精妙過ぎる四つの人間の石像を示した。
「多分この人たちってイリアの言ってた『防人』じゃないか?」
イリアと呼ばれた金髪の少女は石像たちに痛ましげな視線をやり……それらが着ている服に『防人』の赤い紋章を確認したらしい。表情を緩ませて、頷きで肯定した。
「はい。この方たちは『防人』ですね」
「ん、幸先がいいね」
「はい!」
二人して機嫌が良さそうだ。
今なら声をかけても殺されたりはすまい。
口火をきるなら、今が好機。
決意を固めた『防人』副隊長ミシェルは、微動だにせぬバーミットを横目に木の影から体を出し、ゴクリと唾を飲み込んで少女たちに話しかけようとした。
だがミシェルより、灰色の少女が口を開く方が早かった。
現れたミシェルを正面から見据え、透き通るような声を発する。
「ねぇ」
「っ!」
「『防壁南部砦』ってどこにあるか知ってる?」
「え、えぇ。というか、私たちの『塒』ですが」
灰色の少女を正視する事となったミシェルは、そのあまりの美しさに息を呑んだ。動転しつつも、なんとか灰色の少女に答えを返す。
灰色の少女はミシェルがそう答えるのを予測していたかのように微笑んで、
「良かったら、案内してくれない?」
そう言った。
6
『マーデ森林』は山脈南端部の麓から広がる森林で、『防壁』によって西部への拡大をせき止められている。
逆にいうなら『防壁』まで草木が生い茂っていて、煉瓦製と見える長大な壁は蔦が絡まりまくって、緑色に染まりきっていた。
木々の合間から覗き見えるだけの、壁上方の元の茶色がなんだか物悲しい。
そこ、『防壁南部』『マーデ森林隣接地』には(石化したのも含めて)総勢10人の『防人』たちと、二人の少女が馬車に乗っていた。
現在は最近地の『門』を目指して、『防壁』沿いに馬車を走らせている。
中々に広い馬車の中で、『防人』の紅一点、魔術剣士のマルはひたすら気まずい空気に、どうしたら良いか迷いに迷っていた。
マルは四角い部屋の中ほど、『防壁』側の壁の近くに腰を下ろしていた。
マルは頭を回して左、馬車前部を見る。
そこには、バーミットを始めとする9人の男たちが集まっていた。ほとんどが居心地悪そうにもぞもぞしたり、一心不乱に剣の手入れをしていたり、石化していたりしている。
唯一、バーミットだけが馬車後部、正確には灰色の少女をジッと見つめている。馬車に乗ってからずっとである。
そう、問題はあの恐ろしい灰色の少女だ。
マルは再度首を動かして右手、馬車後部を見た。
そこには二人の少女が座って、仲良さげに談笑していた。
あの「案内して」発言の後『防人』たちの間で一悶着あったが、バーミットの「連れて行く」という一声により彼女らを馬車に乗せて行く事と相成ったのである。
少女たち、そのどちらとも幼いながらも既に美しい。成長後を考えると自分とは比べものにはならないだろう。
と『防壁南部砦』で人気女性順位断トツ一位獲得の清楚美人マルは思った。
マルは自覚のない美人だった。
ちなみにこれまでの数多の求婚は全て断っている。
閑話休題。
金髪の、イリアと呼ばれていた少女はまだ良い。柔らかい雰囲気を纏っていて、実に親しみやすそうだ。
だが、先にも言ったが灰色の髪と瞳をした少女が問題だ。大問題だ。
マルはバーミットよろしく灰色の少女を凝視する。
どこか無機物的な美しさを持つ少女だ。まだ結構幼いから、可愛らしいと言った方が良いかもしれない。金髪の少女もマルが知っている女性の中で一二を争うほどの美少女だったが、この少女を勘定に入れたら彼女も2位以下は確定である。
それほどまでの造形美。完璧なまでに釣り合いがとれた、しかしまだまだ幼い少女。まるで人ならざる魔性の美だった。
ただ灰色だけが似合っていない。灰色よりも、彼女が身につけている服の白の方が映えるだろう。
マルはこの少女と『石眼の蛇鶏』との一幕を追憶した。
━━少女を睨む『石眼の蛇鶏』。
━━極普通に見返す少女。
━━石化し、頭から地面に突っ込む『石眼の蛇鶏』
おかしい。
何がと訊かれれば、二つ目からおかしいが、特に最後が激しくおかしい。
魔術と剣の才能が両方共に優れていたために、マルは魔術剣士などという稀有な存在になった。そして軽いイザコザがあって、こんな僻地に追いやられているわけだが。
そんな人生経験豊富なマルでも、あんな情景見た事もなかった。
魔術を一通り修めているだけに、マルには事の異常性が良くわかった。
まず、『石化の邪眼を見返して逆に石化させる』という行為は魔術学的には不可能ではない。
『邪眼』にも色々あるが、基本的には視線を介して対象に魔力を送り込み干渉する、といった代物だ。
『邪眼』持ちの魔物は目玉を抉ればかなり弱体化する。
しかし逆に言えば相当量の魔力を目に集中させている、という事。
『邪眼』持ちは視線を"経路"にその大量の魔力を相手に注ぎ込む。
込められた魔力が相手の魔力を上回ったら、効果発動。という訳だ。
対抗手段は三つある。
『邪眼』の視界に入らない。
"抵抗"。
"呪返"。
"抵抗"は『邪眼』の"経路"を魔力で破壊する力業だ。"経路"を砕くほどの強力な魔力が要るので、余程の魔術師でないと難しい。少なくとも『士魔』相手ではマルには無理だ。
"抵抗"を力業とするなら、"呪返"は超力業である。
『邪眼』が通した"経路"。そこから流れ込んでくる魔力を自分の魔力で押し戻して、『邪眼』にブチ込むという荒業。産まれたての低位『邪眼』持ち魔物に仕掛けて十のうち一回成功すれば良い方だ。
そして灰色の少女は"呪返"した。
その口調から自分でも何をやっているか理解していない風だったが"呪返"に成功したという事は、少女にとって『石眼の蛇鶏』は格下。
そこまで思考したマルは戦慄した。
この少女が本気で暴れれば、『公魔』並の災禍が撒き散らされる事になるだろう。
そんな羽目にはせぬ為に、少女とは良い関係を築かなければならない。
そしてそれは、今いる『防人』の中で唯一の同性である、マルの役目だ。
他の皆もそう思っているだろうし、マルもよくよく承知していた。
マルは単独で『臨死』級迷宮に挑む心情で少女たちに近づき、たった一人で『士魔』に斬りかかる思いで二人に話しかけた。
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微修正。御指摘感謝。