王都への旅路 2
3
バーミット=マセルダ。
この男を一言で表すなら、戦闘狂だ。
彼はセプレス王国の大貴族クルセウス=マセルダの三男としてこの世界に生を受けた。
彼の長兄と次兄は貴族らしく、王都で政治やなんやらをしているようだったが、政治だのなんだの、そんな事はバーミットにとって微塵ほども興味はなかった。
彼の関心は常に、『闘い』に向いている。
今自分と戦っている敵はどれだけ速いのか、どれだけ頑丈なのか、どれだけ力強いのか。どんな経歴を持っていて、過去にどれほどの獲物を仕留てきたのか。民魔なのか、下級士魔なのか、上級士魔なのか、はたまた公魔なのか━━
彼の興味は己が相対する敵の『強さ』、ほとんどそれのみで、事実彼は己が衝動に逆らわず生きてきた。
そんなバーミットだから、兄たちと同様に貴族学校卒業した後どこそこの重役に就くことを薦められる……なんて事はなかった。
なぜか? バーミットはその凶暴な趣向で知られていたし、一生を血湧き肉躍る戦いに中過ごしたいと常々考えていたから、『防人』になれるよう、前々から手を回していたのだ。
北大陸を東西に隔てる東部山脈から侵入してくる魔物たち。それらからセプレス王国を守護する存在、それが『防人』である。
『防人』は北大陸の切れ込みから山々に沿うように建設された長大な防壁に駐屯し、専門の魔術師による予見で防壁を突破する危険があると判断された魔物を駆除する仕事だ。
恒常的に高位魔物が襲来するこの職場は非常に不人気で、『防人』になるのなど、食いっぱぐれた下級貴族の四男坊とか、不祥事を起こした魔術師とか、そんな者たちばかりだった。
大多数の者にとっては給料も少ない上に休みなどほとんどない『防人』は最悪の部類に入る職だったが、バーミットに限ってはそうでなかった。
バーミットは大貴族マセルダ家の血族だったから、就任早々南部隊長に任命される事となった。
バーミットは不審がったが、なんということもない。そういった管理をしていた中級貴族がマセルダ家にごますりしていただけだった。
いくら名門だとはいえ、実力も計らずにそんな大役を預けるなど、セプレス貴族にあらざる腐った行いだったのだが、結果として魔物撃退率は上昇の一歩をたどった。
バーミットは戦士だけではなく、指揮官としても優秀だったのだ。
『防人』たちの欠員も激減し、結果より効率良く戦闘をこなせるようになった。
王都周辺の小迷宮ではほとんどお目にかかれない上級魔物や『士魔』が頻繁にやって来る。
戦い、闘い、殺し合い。それだけの日々。
まさにバーミットにとって『防人』は天職だった。
そしてやはりというか、何というか、彼の価値観は『強い』か『弱い』かだけだった。
今の『防人』の仲間たちは、過酷な状況を生き抜いてきた猛者ばかりだったから、バーミットも彼らを高く評価していたが、『弱い』人間には微塵も興味はない。『弱い』のはバーミットにとって何の価値もない屑も同然だった。
『弱い』者は搾取されて当然。
『弱い』者は食われて当然。
『弱い』者は死んで当然。
だが『強い』者は至上の価値を持つ。
まさに弱肉強食の権化たる男だったが、そんなバーミットの感性に曲がりなりにも共感してくれたのは、この国のヴァレイア王子だけだった。
バーミットにとってヴァレイア王子は特別な存在だった。
バーミットと似たような考え方をしていて、何よりもバーミットよりも断然『強い』。
バーミットが「お前となら結婚してもいい!」などと言って、無論「阿呆ぬかせ」などと返されたのは最近の話である。
要するに、バーミット=マセルダとはそんな男だった。
4
場所は北大陸中央部、『切れ込み』のすぐ上。防壁最南端部と山脈に挟まれた『マーデ森林』。
時刻は明け方。弱い朝日が葉の間から差し込み、辺りを薄く照らしている。それだけならただの閑静な森だったが、辺りには複数の魔物の死骸が転がっていた。
まばらに生える木々の合間を六人の武装した『防人』たちが風のように駈ける。
時折、誰かが剣を振るうか、手をかざすかすると、きっちりその数だけ魔物が絶命する。
今回の『群れ』はあらかた退治し終えて、後は親玉を残すのみだった。
だが問題はその親玉がどんな魔物なのか、である。民魔なら大丈夫。下級士魔なら危ない。上級士魔なら最悪。
とはいえ、魔術師による高位の索敵魔術によって、親玉はおそらく下級士魔だろうことがわかっている。
そろそろ、索敵魔術が示した予測地点である。
目で合図しあった『防人』たちは速度を落とし、それぞれ木々の影に身を隠す。
そろりと顔だけ出して覗き見ると、先発隊として送り出した四人が、石のように動きを止めていた。その前には巨大な土塊。
いや、ただ硬直しているのではない。装備の隙間から覗く手足が灰色だ。実際に石化している。
バーミットは顔を盛大にしかめた。
「……よりにもよって『石眼の蛇鶏』かよ面倒くせえ」
「言わないで下さい、隊長。皆同じ気持ちです」
ボサボサの頭を掻きながら愚痴をこぼすバーミットを、同じ木に身を潜めた部下が諌めた。
「それに『泥の玩具』じゃねえか。見たとこ、こりゃあ随分とやり難い組み合わせだ」
「全くです」
『石眼の蛇鶏』。『下級士魔』の中でも上位であり、臨死級の迷宮の主を張っていてもおかしくない魔物だ。
一見ただの鶏であり、実際耐久力はそこらの鶏と大差ない。子供でも十分に叩き殺せる。
そこだけ聞くと民魔以下の弱い魔物だが、しかしその距離まで近づくのが凄まじく難しい。
魔力特化の下級士魔、『石眼の蛇鶏』は三つの強力かつ特殊な能力を持っている。
一つ、石の魔眼。『石眼の蛇鶏』の鶏の頭についている双眼に睨まれると、一呼吸ほどで身体が石化し始める。これを抵抗出来るのは一部の練達した魔術師のみなので、大抵の人間は『石眼の蛇鶏』の視線に晒されただけで行動不能に陥ってしまう。
二つ、"鬨の魔声"。鳥系の高位魔物がよく持っている能力で、魔力をふんだんに込めた鳴き声で飛び道具や魔術等を相殺しつつ、もはや打撃と化したそれで対象を破壊する。
三つ、尾の蛇。青と赤の毒々しい縞模様のそれは非常に強力な毒を牙に持っており、咬まれるとまず間違いなく死ぬ。
これらの厄介な特徴により、『石眼の蛇鶏』は奇襲して手早く一撃で仕留めるのが最も良いとされるのだが、これまた厄介なことに、バーミットたちが倒さんとする個体は、『泥の玩具』の頭上にいた。
ちなみに『泥の玩具』の高さは大体大人四人分くらい。
とてもじゃないが、手の届く距離ではない。その上、この場には遠距離攻撃を得意とする魔術師はいない。
「……まずあの『泥の玩具』からぶっ潰すぞ。ゲイブ、ヒドラは右足、ジョージとマルは左足。お前は俺と同時に弓で『石眼の蛇鶏』を狙え」
左右の木に身を寄せる部下たちに指示を出す。
弓の準備を終えた部下の姿を確認し、バーミットは左手を挙げる。
下ろした。
四人の『防人』たちが猛然と木陰から飛び出し、各々の魔力で強化した剣を『ゴーレム』の両足に叩き込む。
彼らはそれぞれ一撃すると、俊敏に安全圏に舞い戻った。
一瞬ともいえる攻撃だったので、誰一人と石化していない。
だが。
「お前らどうした」
「あれ……『泥の玩具』も石化してますわ」
「剣がまったく通らないっす」
「むしろこっちがへし折れそうだった」
「私たちの魔力じゃいくら武器に"強化"しても無駄ですね」
四人は『ゴーレム』の足には、ほんの小さな傷しか付けられなかったようだ。バーミットは溜息を吐いた。これだから魔力特化型の魔物は嫌いだ。正攻法が通じない。
木陰に戻ってきた部下たちは口を揃えて「無理」とバーミットにいう。
勿論、ただの石ならば彼らも余裕で切り裂ける。のだが、『石眼の蛇鶏』の魔力がこもったものとなるとそうもいかない。
バーミットは舌打ちすると、茂みの隙間から件の魔物たちを憎々しげに見つめた。
丸っこい泥人形に不細工な目口をつけましたといった風体の『泥の玩具』はほとんど動いていない。ところどころ石化した巨体を直立させ、今もぬぼぉーと顔を左に向けているだけだった。
「仕方ねぇ、一回俺が行って来る」
「ちょ、隊長!」
独特の訛りが入った年若い『防人』、ゲイブが止めようとしたが、もうバーミットは既に『泥の玩具』に切りかかっていた。
「隊長、相変わらずめっちゃ速いっすね」
「まぁ、隊長だからな」
木の陰で小声で喋り合う部下を他所に。バーミットは『泥の玩具』の左膝に、雷光の如く剣を突き刺した。
関節部分が弱いのは人も魔物も同じである。
魔力を剣の切っ先に集中させ、『泥の玩具』の足を支える箇所を削りとる。石化している部分は避け、脆い部分のみを狙った一瞬の早業だった。
『石眼の蛇鶏』に見られ続けないよう、バーミットは素早く『泥の玩具』の背後に回り込み、今度は膝裏から一撃。
左膝を砕かれた『泥の玩具』がぐらつき、その巨体が傾く。
「せ、いッ‼」
バーミットは『泥の玩具』が傾いで出来た足場を駆け上がり、『石眼の蛇鶏』を両断せんとする。
振り上げた剣先に、木漏れ日が当たって煌めいた。
「━━━━ィィイエッッッ!!」
瞬間、振り向いた『石眼の蛇鶏』のクチバシがめいいっぱい開き、魔力を含んだ叫びをバーミットにぶち当てた。
まともに"鬨の魔声"をくらったバーミットは空中を飛び、部下たちがいる木陰とは逆方向の茂みに突っ込んだ。
「あーあ……」
「ダメでしたか……」
「隊長は特化型の魔物とは相性悪いですからね」
「肉体型にはべらぼうに強いんだがな」
吹き飛ぶ自分たちの隊長を見て、軽い口調の青年と女性が痛そうに眉をひそめる。
弓を片付けた柔らかい物腰の青年と、無骨な中年の男が仕方ないがない、という風に言った。
それぞれ、ジョージとマル、ミシェルとヒドラだ。
皆バーミットが死ぬとは、しかし露ほども思っていなかった。
果たして四人の予想通りに、ガサガサと草葉をかき分ける音と共に、葉っぱに装飾されたバーミットが現れた。
右手が石化している。
「隊長」
「耳は咄嗟に塞いだが、宙飛んでる最中にちっと見られちまった」
「防壁に帰ったら、あそこの全身石化してる連中と一緒に治療しなきゃっすね」
「ああ……ったく」
バーミットが影から盗み見ると、『泥の玩具』の左膝は完全回復していた。剣創は消え、地面と同色の皮膚が再生している。
土の塊だから、土さえあれば自己修復可能なのだ。
「これじゃラチがあかねぇ」
「隊長、それでは……」
「あぁ、持久戦だな」
『石眼の蛇鶏』が腹を空かせる何かして、『泥の玩具』の頭上から降りるのを待つしかない。
降りたところを全方向から狙い撃ち、という気長な作戦である。
のっそりと立つ『泥の玩具』を覗き見ながら、『防人』全員がこれからの暇を考えてうんざりしていた時。
不意に、高い声が聞こえた。
「……むむ、なんかいる」
「あっ。レーヴ様、あの『ゴーレム』に乗っているのは━━」
「『変なニワトリ』じゃないか」
「変なニワ……」
あろうことか『マーデ森林』の山脈側から進んで来たと思われる人影が、バーミットたちの居場所とは反対の茂みから出現したのだ。丁度吹き飛ばされたバーミットが突っ込んだあたりである。
現れたのは、二人の少女だった。
金髪の赤い服を着た、妙に既視感のある少女と、灰色の髪に肩が出る形の白い服を着た幼い少女。
どちらも将来を大いに期待させられる美少女である。後者に至っては、まだまだ幼いのに信じられない美貌だった。
慌て気味の金髪の少女と違って、灰と白色の幼い少女はまったく動じていない。まるでしょぼい魔物を発見した熟練の冒険者の反応であった。
とそこで、『石眼の蛇鶏』が闖入者を睨めつけた。邪悪な鶏の瞳から、石化の魔力が発せられる。
金髪の少女がビクリと硬直した。
「だってこいつ」
幼い方の少女が、平然と『石眼の蛇鶏』を見返す。
「こっち見てくるだけで━━」
突然、『石眼の蛇鶏』がぶるぶると震えだした。
二つの赤い目玉がピシ、と固まり始める。
「勝手に自滅するし」
ついに『石眼の蛇鶏』は全身を灰色の石にして、『泥の玩具』の頭上から落下した。
硬くなったトサカから森の柔らかい土に落ちて、半分ほど埋もれる。
それら一連の光景を、『防人』たちは大口開いて、目をまんまるにして呆然と見ていた。
ついでに金髪の少女も。
2012/12/21
『ゴーレム』→『泥の玩具』
各所修正