王都への旅路
各部修正
1
紅の森に流れる川。
そのそばで、レーヴは目を真っ赤にした金髪の少女を困ったように見つめていた。
少女は年の頃14、5といったところか。紅色に金糸で模様が描かれた、一目で高級品だとわかる独特のチャイナ服に似た衣装を身につけている。
しかし、少女が纏う悲痛な雰囲気で打ち消され、服装の美しさはないも同然だった。
何と彼女は、この大陸(北大陸というらしい)を統べる大国のお姫様だというではないか。
この悲嘆に暮れながらも気品を漂わせた少女、リーヴィリアは、先ほど自らがここに至った境遇をレーヴに告白し終えたのだ。
その話をしているうちに、彼女は少しずつその大きな目に涙を溜めていき、ついには泣き出してしまったのである。
余程ここまで辛くて、それでも耐えてきたのだろう。いよいよ溜まりに溜まっていたものが決壊してしまったのだ。
それなりに長かったリーヴィリアの話をまとめるに、王様が死んで、リーヴィリアと従兄弟の王子様の後継者争いが勃発。王子側の大臣がリーヴィリア側の貴族達を謀殺しまくり、リーヴィリアが孤立したところを、テキトーな罪を被せてこの『血染めに森』に島流し、という顛末である。
なんというか。
前世で読んだ事のある、一昔前のファンタジー伝記小説みたいだなとレーヴは感想を抱いた。
聞けば、王子の政治の能力はまったくのゼロ。本人も自覚していて、興味もないらしい。
だからこのままでは、セプレス王国の運営はその大臣が一手に取り仕切る事になってしまうという。
そして肝心の大臣にも謀略の才能はあっても、政治の才能はあまりないらしいというのだから致命的だ。
更には苛烈な王子は隣国征服を目論んでいて、万が一戦争なんて事態になれば両国共に壊滅は必至とか。
憐れセプレス王国、お先真っ暗である。
ならば。
レーヴは心を決めた。ぐっとその小さい拳を平たい胸の前で握り締める。
『王魔』として莫大な力を手に入れたが故の傲慢かもしれない。人を遥かに超越した存在となって、思い上がっているだけなのかもしれない。
だが----
--僕が救ってやろうではないか、セプレス王国を。
リーヴィリアがこの『血染めの森』から脱出したいというならさせてやろう。
王国の未来を憂うなら、打倒大臣&王子を手助けしよう。
僕にはあの騎士さんとの約束がある。娘さんを探し出さなければならないのだ。今王国に滅ばれてもらっては困る。……王都観光もしたいことだし。
そう決意したレーヴは、俯き、目元をハンカチで拭うリーヴィリアに話しかけた。
あとはリーヴィリア次第である。
「それで、リーヴィリアはどうしたいの?」
「私は……。私は…………セプレス王国を」
レーヴは優しく語りかける。
それは正しくリーヴィリアにとって救世主から差し伸べられた手だったが。
それは過たず、件の大臣にとっては悪魔の囁きだっただろう。
「セプレス王国を救いたい?」
「うぅ…………」
リーヴィリアはずずっと鼻をすすった。覚悟を決め、顔を上げる。
「……はい……!」
「なら、クーデターしよう?」
「…………はい?」
レーヴの科白に、顔を上げたリーヴィリアは、青色の瞳に疑問の光を浮かべていた。
2
結局、事の元凶はその悪い大臣と、邪悪な王子様って事?
邪あ……ええと、はい。まぁ、間違ってはいないです。
以上がレーヴとリーヴィリアの間で交わされた会話である。
レーヴはなるほど、と頷いた。悪目立ちせぬようにと、魔力で灰色に染めた髪が揺れて、柔らかそうな頬をくすぐった。
「つまり、悪い大臣をやっつけて王子もぶっ倒せば万事解決だ」
レーヴはリーヴィリアに、ビシッと薄く桜色づいた指先を突きつける。そしてニヒルな(と本人は思っている)笑みを浮かべた。
「そうすれば、リーヴィリアが女王様としてセプレス王国に返り咲ける」
「そんな簡単な事ではないと思うのですが……」
レーヴのあまりにも簡素な反逆計画の全貌に、リーヴィリアは困ったように苦笑した。
どうやら少しは気分がマシになったようだ、レーヴは少女を見つつ思う。もうリーヴィリアからは出会った当初の、諦観に支配された者独特の淀んだ空気は感じられない。
「……でも確かに、結局はそれが一番の近道かもしれませんね」
「うん、そうさ。まだ良心的な貴族はいくらか残ってるんだろ?」
「はい……最後まで私に味方してくれたクルセウスおじ様。彼ならば国内外に相当影響力が強いので、そうそうリブル大臣も手を出そうとはしないでしょう」
「ならその人に連絡とって、最低限の政治的な下地を整えて、僕が上の二人を取っ払え|ば《
・》それで終わり。大団円さ」
レーヴが微笑むと、リーヴィリアは感極まったように唇を震わせた。
レーヴはこう言っているのだ「僕が二人を排除するから、君は王になって国を救え」、と。
「何故……何故、そこまでしてくださるのですか?」
「言ったろう、僕の目的は人探しと観光だ。そのためにセプレス王国がなくなるのは好ましくないから」
レーヴが冗談めかして嘯いた。吐いた言葉とはまったく似つかわしくない無邪気な表情。
目を見張ったリーヴィリアは数回瞬きした後、口元に手を添えて、おかしそうにクスクスと笑った。
「つい先ほどまでセプレス王国の名もご存知なかったのに……」
その少量からかいが含まれた声音に、レーヴは可愛らしく口を尖らせた。拗ねたように顔をついっと背ける。
「なんだい」
「ふふ……ごめんなさい」
言うと、リーヴィリアは居住まいを正す。表情を真剣なものに変えて、彼女はレーヴに丁寧に頭を下げた。金の長髪が土に擦れる。
「……ではレーヴ様、私が王冠を被るまで、どうか助けてくださいませ」
「わかった。微力を尽くそう」
レーヴが格好をつけ、大仰に頷く。
その実に愛らしい仕草に、リーヴィリアは思わず口から笑みが零れた。
「んん。じゃあ、行こうか」
「はい!」
二人は立ち上がる。同時に風が吹いて、赤色の葉が空へ舞い上がる。それらは太陽の光に照らされ、綺麗な茜色に染まった。
3
「あり得ないです……」
「現実を直視するんだ」
「いえ、確かに私は王都に出来る限り速く着きたいと言いました。言いましたが、」
レーヴのお腹に力の限り抱きつきながら、リーヴィリアは顔面を蒼白にしていた。
上に見える空は晴れ渡っていて、その青を遮るものは何もない。
下に見える山々は天辺に雪を被っている。相当標高は高そうで、薄い雲を纏った山も幾つかあった。
「まさか空を飛ぶだなんて!」
言いつつちらっと下を覗き、震え上がってレーヴの薄い胴体に絡めた腕に、更なる力を込める。
二人は北大陸東部に連なる山脈の上空を飛行していた。
山脈を越えるまでは時間短縮のために空路で行こう、という魂胆である。
「だってこの方が歩くよりずっと速いし」
レーヴはフワフワと浮かびながら、胸元に押し付けられたリーヴィリアの頭のつむじを観察する。
なかなか綺麗なつむじである。
大まかな方角はリーヴィリアから聞いて進んでいるので、後は到着を待つだけだ。
レーヴは視線を上げる。壮大な風景がゆっくりと後ろに過ぎ去ってゆく。
なかなりの速度を出しているが、二人の周辺にはそよ風さえ吹いていない。
本来ならば、凄まじい冷気と風圧が二人を襲っていただろうが、レーヴが展開した魔力壁で、二人を害するようなものは完全に弾かれていた。
「ででで、ですが……」
「それと、別に僕に掴まらなくても落ちやしないよ」
魔力の力場は球状で固定されていて、そこに込められた魔力たるやこのまま地面に落下してもヒビ一つ入るまい。
だから、リーヴィリアが手を離したところで球の下で止まるだけなのだが。
レーヴはどうしてそこまでリーヴィリアが怯えるのかわからなかった。
「いえ、それもあるのですが。……この純魔力で構成された魔力壁に触れたら、私など気絶してしまいます」
「純魔力?」
何やらまた新しい言葉が出てきたぞ、とレーヴは心の中で身構えた。
リーヴィリアがもぞもぞとレーヴの薄い胸から顔を上げ、上目づかいで少し呆れた視線をレーヴに送る。
しかし余りにも顔が近接している事に気づいて、リーヴィリアは慌ててまたレーヴの平たい胸に顔をうずめた。
傍から見れば、幼い少女と幼げな少女が身体を寄せ合い睦み合う、なんだか禁断の光景である。
少し上気してレーヴに顔を擦り付けるリーヴィリアは、自分が何をしているか全くわかっていない。そしてそのままモゴモゴ喋り出した。
「純魔力とは、加工されていない魔力の事です。生物に吸収されやすいだけなので通常、特別危険というわけではありませんが、」
「危険というわけじゃないけど?」
「これほど大量の純魔力。うっかり体内に取り込もうものなら、ひどい場合魔力中毒で死んでしまいます」
「死……」
胸がくすぐったくて身をよじっていたレーヴは思いもしない言葉に驚愕した。更に言うなら、 レーヴとってこの程度の魔力、かなりの微量でしかなかった。
たったこれだけで下手すれば殺しちゃうって……。
「じゃあ、どうすれば……」
「一旦、なんらかの性質を与えてしまえば良いのです」
「性質を与える……?」
一瞬、ハテナを浮かべたレーヴだったが、ある事に思い至った。
レーヴは光を操る魔術をよく使ってきた。これは魔力に『光』の性質を与えているという事なのではないか。
ならば----
「こうか」
レーヴは球体を構成する純魔力に干渉した。
純魔力がレーヴの魔法的な働きかけで『風』の性質を得る。
今や球体は、超圧縮された空気で作られていた。
魔力の変化を感じ取ったリーヴィリアがレーヴの胸の中で少し力を抜いた。またも上目づかいでレーヴを見上げる。今度は顔をそらさなかった。
「……一体レーヴ様は何者なのですか」
「…………」
「…………」
「…………」
「……すみません、不躾な事を聞きました」
レーヴが答えないでいると、リーヴィリアはしおらしく謝罪した。
レーヴはまさか自分が"人化"した、石精霊で『竜熱の竈』出身の『王魔』級魔物だとは言えなかった。
いや、言えない訳ではないのだが、今正体を明かせば凄まじく面倒くさい事になる。そんな半ば確信的な予感がした。
「……まぁ、それは王位奪回とか、僕の人探しとかが一段落してから」
「はい……。ところで、レーヴ様が探しているのはどなたなんですか?」
えっと、とレーヴは思案した。
名前が咄嗟に出てこない。あれから少なくとも数年は経っているから、5、6歳ぐらいには成長しているだろう。
騎士さんの娘さんの名前ってどんなだっけ。確か……イ、イーア、イリア……。
「確かイーリアって名前の小っちゃい女の子」
「イーリアちゃん、ですか。すみません、聞き覚えはありません」
「そうか……一体どこにいるのかなぁ」
王都にいてくれたらいいけど。レーヴはそう思った。