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人化せし魔

1

 この世界に生まれ落ちて、随分と時間が過ぎた。

 あれから、実に様々な事があった。

 メタリックな鷲の恐怖、賢そうな猿鬼との遭遇。騎士然とした男性に、この世界での名前を付けて貰い、約束をした事。

 僕は、そうやってこの迷宮で生きるうちに、考えた事がある。

 この体は、魔力を以って維持されていて、その供給が途切れないうちは、稼動し続ける。

 この体には、およそ寿命と呼べるものがないのだ。

 元々有限の生き物だった僕が、永遠の時間をただ過ごしていたら、精神は少しづつ擦り切れていくだろう。

 だから僕は途方もない目標設定をした。則ち、達成するのに相当長時間かかるか、ほとんど達成不可能なものである。

 一つ、神を倒す。

 二つ、世界最強生物になる。

 三つ、この迷宮を完全制覇する。

 一つ目に関しては、まぁこれくらい荒唐無稽な方が達成しがいがあるというものだ。

 二つ目は、順調に進行中だ。最初期のゴツゴツした状態をバージョン一とするならば、今はバージョン十一である。

 僕の形態は『昇格』する度に正四面体、正六面体、菱形十二面体と丸みを帯びて行き、今や真球。

 最初期と比較すれば、魔力は絶大と言ってもよい域に達している。

 多種多様な魔物たちを狩りまくったので、この迷宮の魔物は 一匹を除いて完全攻略したといっても過言ではない。

 そして目標の三つ目、この迷宮の攻略、についてだ。

迷宮『竜熱の竈』、全八百二十三層。

 そして僕の現在地は八百二十三層目。

 つまり、今現在僕は、この迷宮の最下層に居るのである。




2

〈儂の負けだ〉


 頭の中に、直接声が響いた。

 ここに至るまでの軌跡を粗方追憶し終えた僕は、視線を上げる。

 『竜熱の竈』第八百二十三層。ここを形容するならば、"地獄"が最も相応しいだろう。

 だだっ広いこの層は異常な熱気で覆われており、水気は一切ない。あるのは岩と、炎と、そこかしこに流れる溶岩の川。

ただ、一つ言っておかなければなるまい。

 燃え盛る炎は赤くない。紫である。

 当然、紫の炎で溶かされた溶岩も禍々しい色にそまり、この層は岩の黒と炎の紫が彩る二色の世界となっていた。

 層の中心には一際巨大な岩が鎮座しており、その岩棚の上に僕たちは居た。

 黒を通り越した闇色の体。細長く流麗なそれは、刀の刃を彷彿とさせる。頭上の双角。漆黒の四肢。鋭い尾。夜を嵌め込んだような瞳。その身体の要所要所に紫炎を纏わせて、その龍は僕の前にとぐろを巻いていた。

 この迷宮の主たる龍、ヤトである。

 僕らは先ほどまで熾烈な戦いを繰り広げていたのだ。


〈そして貴様……いや主の勝ちだ〉


 その瞳に賞賛の色を滲ませながら、黒龍は言った。

 その壮麗な体には幾多もの傷が付き、右腕には痛々しくも大穴が覗いている。


〈いや……相打ちだ〉


 僕も畏敬の念を込めながらそう返した。

 今まで、どれほど強力な攻撃を受けても傷一つ付かなかった僕の球状の体にも、ヤトの爪によって浅いが体の半分にも渡る痕が刻まれている。


〈儂が『この身体、貫けたなら、負けを認めてやろう』と言ったのだ。それに儂は言を翻しはせん〉

〈でも……〉

〈主、くどいぞ〉

〈わかった、なら僕の勝ちだ〉


 僕はヤトに近づいて、続く言葉を言い放った。


〈だから約束通り、言う事きいて貰うぞ〉

〈うむ。相分かった〉


 僕は緊張しながら台詞を発する。これで知らん。などと言われたら、僕の地上進出計画は頓挫してしまう。


〈"人化"の術を教えてくれ〉

〈うむ〉


あっさり頷き、ヤトは鎌首を持ち上げた。


〈ではまず、見本をみせよう〉


 ヤトは、やおら魔力を溢れさせ、その全てを自身に集中させた。

 巨大な龍の体が紫炎に飲み込まれる。

 僕はそれを胸を高鳴らせながら凝視した。

 "人化"を体得出来れば、人間社会に踏み込むことが可能になるのだ。そうすれば騎士の人との約束も果たせる。否が応にも期待は高まった。

 ヤトを包み込んだ魔力の炎は縮んでいき、ついに術が完成されたかに見えた。

 紫色の炎の塊から細い腕が飛び出し、炎を掻き分ける。

 そして現れたのは、妙齢の女性であった。均整の取れた肢体は、いっそ凄絶なまでの美を誇っている。

 切れ長の目は刃を連想させ、腰まで届く髪は黒を通り越して闇色だった。対象的な肌の白さは髪の昏さを際立たせている。 総じて、夜のような女だった。


「……ふぅ」

〈お、お前……女だったのか!?〉


 驚愕の余り問いただすと、ヤトは不満げに返答した。


「何を失礼な。儂を男だと思っていたのか?」

〈うん〉


 正直に告白するが、ヤトはいかにも呆れた、といった風体である。


「そも、一定以上の力を持った魔物……人間は『王魔』と呼んでいたか、はほとんど女だぞ」

〈そうなの!?〉

「知らんのか? 雌は魔に優れ、体に劣る。雄は体に優れ、魔に劣る。」

〈なにそれ〉

「常識だぞ」


 ヤトは顔に浮かべた"呆れ度合"を上昇させる。


「ほら、迷宮の浅い層に大量のゴブリンが居ただろう。その中に混じっている魔術を使う緑の奴、アレは全部メスだ」

〈そんなの知らんよ〉


 何が悲しくて、猿鬼の雌雄の確認をしなきゃならんのだ。

 だがヤトが言わんとする事は伝わった。つまり始めは肉体的に強い男もそれなりだが、魔力的な素養が高く『昇格』しやすい女の方が結果的に強者の位置を占める、と言う訳だ。

 それは置いておいて。


〈"人化"教えて〉

「うむ。相応の魔力を以って、己が肉体を人の形に押し込めるのだ」

〈……それだけ?〉

「む? "人化"すると怪我は大体消えるぞ」


 確かにヤトの身体に細かい傷は見当たらないが。

 ただし、とヤトは酷く傷付いた右腕を持ち上げ、付け加える。


「大きい傷は早々治らんが」

〈……すまん〉

「尋常な勝負の結果だ、謝るな。"人化"するのだろう?」

〈……あぁ〉


 言われた通りに魔力を引き出し、人の姿に自分の肉体を押し込めるーー--

 そうすると、魔力製の人型ゼリー状物体が出来上がり、僕の目の前にぽてんと落ちた。

 僕はなんとも情けない気持ちでそれを見つめた。

 明らかに失敗である。

 侘しくヤトを見やると、主は馬鹿か? という表情をしていた。


「主は馬鹿か?」


 口に出して言った。


「主は石精霊なのだろう? 気付かんか。肉体がないから精霊というのだ」

〈……じゃあ、"人化"出来ない?〉

「主、儂との戦いで他の魔物の肉体を使っていただろう」


 なるほど。そういう事か。

 そうと決まれば話は早い。

 僕はあらん限りの魔力を込めて、己の出来得る限りの魔物の肉体を顕わす。

 僕を中心として爆発するように魔物の肉が広がった。


「のわっ!」


 其処には僕のこれまで倒してきた魔物がわかりやすく表されている。鬼が、獣が、魚が、虫が、竜が。手が、足が、頭が、尾が、翼がそこには在った。

 何か弾き飛ばした気もするが、気のせい、気のせい。今はそれどころではないのだ。

 山の如き肉塊に、改めて魔力を通し、人の形に精錬していく。

 無駄な部分を削ぎ落とし、強いパーツ同士を組み合わせ、弱点を補う。そしてそれらを凝縮し、血肉を創り出す。

 皮膚から、血まで。髪の一本一本から、骨のひとつひとつまで。

 人の身体構造を、この肉と魔力を用いて再現する--

 "人化"が完了したのを、肌で感じ取り、僕はゆっくりとまぶたを持ち上げた。

 身を焦がさんばかりの熱風までもが今は愛おしい。水晶体を通した視界など嬉しくて堪らない。温度が高すぎて嗅覚は上手く働かないが、それさえも喜ばしい。

 久しぶりの人の身だ。

 あとは最終確認を残すのみ。僕は敢えて自身の身体を見下ろさずに、魔力を操り、光を反射させる。

 僕はできた鏡を覗き込んだ。

 歳の頃は8、9歳くらいだろうか。見る人によっては、少女とも幼女ともとれる危うい幼さ。真っ白な肌はいかにも柔らかそうだ。

 だが特筆すべきは、そのなだらかな身体のラインや、ぷにぷにのほっぺではなく、その髪と瞳だ。

 基本白色の髪だが、時折様々な色彩が入り混じり、瞳はなんと七色にころころ変わる。

 僕が驚くと、女の子も目を見開き、僕が後ろに下がると、女の子も後ずさる。

 結論しよう。僕の目の前にいたのは、世にも不思議な幼女であった。

 否、僕が幼女だった。



 僕は驚倒した。



3

「むくれるな、レーヴ。可愛らしくて良いではないか」

「…………」


 僕は、ヤトの腕の中に収まっていた。

 鬱々とした心境で、膝に埋めていた顔を上げる。

 空中に浮かぶ鏡を睨みつけると、絶世の美女に抱かれた大変愛らしい幼女が、不満げにこちらを見つめてくる。

 僕は通算何度めかの溜息と愚痴を吐いた。


「……男が良かったなんて言わないから、せめてもう少し年嵩が欲しかった」

「"人化"は見てくれを変えるだけの魔術ではないのだぞ。主は明らかに魔力特化型。人の形に押し込めば、女になるは自明の理だ」


 女だったら魔法が得意。それは逆に言うと魔法が得意ならば、そいつはつまり女、という事になってしまうのだ。

 ヤトの言葉は正しかった。色々試してみたが、外見年齢を弄るだけでも、総合的な能力は半分ほどにまで落ち込んでしまうし、これで男に成ろうものなら、僕は著しく弱体化するだろう。

 それでも、幼女は如何なものか。

 頭上に陣取る二つの膨らみが、これまた思考を阻害した。

 鏡に写るヤトはこの凄まじい熱気の中にも関わらず、にこやかな笑みを保っている。

 僕はのしかかってくる乳越しに、ヤトをじとっと睨めつけた。


「何が楽しいんだ」

「いやなに、今まで儂と張り合える者など、見た事もなかったからな。嬉しいのだ」

「……竜とかは?結構強いのいただろう」

「中途半端に強い竜とは戯れに闘って、皆焼き殺してしまった」


 炎に強い耐性を持つ竜を焼き殺すとは、尋常の火力ではない。流石竜の『王魔』といったところだろうか。

 その竜の『王魔』さまは、いたく僕の事が気に入ったらしい。

 僕の"人化"の時に吹っ飛ばされた後、戻って来てからずっと僕に貼り付いている。

 ヤトが言うには、儂と主の双方が"人化"せんと、主を抱きしめる事も出来んかったしな、との事。

 幼い頃は、こんな奴の事を"くっつき虫"とか呼んでたな、と考えた僕はある事に気づき、自嘲した。幼女のくせに『幼い頃は〜』とは。我ながら失笑ものである。


「こら、腐るな。人里に出る、などと言っていたのは嘘だったのか?」


 ヤトが頭を撫でてくる。

 一拍おいて、ひどく甘やかな声音で耳元に囁きかけてきた。


「まぁ儂はそれでも勿論良いのだが」


 鏡から覗くヤトはぞくりとするような艶然とした表情で、僕の全身が総毛立った。

 僕を撫でていたヤトの左手の指先が、頭上から優しく首元をなぞり、少しづつ僕の体を下りてくる。

 言い忘れていたが、"人化"の際には、意識して作らないと服なんぞついてこない。

 要するに僕もヤトも全裸であった。

 閑話休題。


「……ぁっ」


 鎖骨の辺りに触れられて、鼻にかかった声が口から漏れた。

ヤトの左手が二の腕の裏を通り、脇を撫でる。そのまま五指がほんの僅かな膨らみを柔らかく包み込み、そしてその頂点を弄くるように指を動かーー

 まずい。非常にまずい。このままではナニとは言わぬが危険である。

 未知の体験に惚けていた僕は、慌ててヤトの指先から回避行動をとりつつ、その腕からなんとか抜け出した。

 荒い息を吐きながら距離をとる。おそらく僕の顔は火照って真っ赤に染まっているだろう。


「そ、そうだな!じゃあ僕は、早速地上に出るとする!」

「……待たんか。主、人語は話せるのか?」


 ヤトはつれない奴だ、と呟いた後、呆れたような口調で僕に尋ねかけた。どうやらこの人を小馬鹿にした表情が、ヤトのデフォルトらしい。

 僕は、先ほどの妖しい雰囲気が霧散した事に、かなりの安堵と少しの残念さを感じつつ、感じた疑問をヤトに返した。


「え……? だって、今喋ってるじゃないか」

「今使っているのは発音を媒介にした、半念話のようなものだ。決まった言語で話している訳ではない」


 再び近づいて来たヤトに、僕は赤くなって胸元を隠す。しかしヤトは左腕で僕の頭をむんずと鷲掴みにした。

前が見えない。


「何するんだ」

「うむ。"精神死の腕"と云う魔術の応用でな、対象の頭に情報を刷り込むのだ」

「……精神死……?」

「取り敢えず、儂が昔地上に出た時にここら一帯の人間共が使っていた、セプル語を入れるぞ」

「ちょ、待っ」


 止める間もなく、僕の頭部を完全に固定するたおやかな指が妖しく発光。ヤトの魔力が僕の頭に情報を染み込ませてくる。

 激烈な頭痛が僕を襲った。


「い、痛だだだだだだ!」


 文字通り脳を弄られて、僕は悶絶する。普通の人間だったなら、間違いなくあの世行きだと思われる痛み。


「や、やめ、……やめろ!」

「ぬっ」


 手を振り払い、僕はヤトを涙目できっと睨んだ。ヤトは払われた手をぷらぷらと振りながら、やけに真面目な表情で口を開く。


「快感と苦痛に歪むレーヴの貌……良いな」

「真顔で……何言ってるんだ……」


 何を言うかと思えばこの発言である。僕は戦慄を隠せなかった。

 先の羞恥と痛みを思い出し、思わず後ずさると、ヤトは儂は悪くない、とばかりにまくし立てた。


「だって、儂と同格で、しかもこれほど愛くるしいのだぞ? 最早この世界で最強の生命体ではないか!」

「僕の第二目標を勝手に達成させるな」


 しかも言い訳になっていない。

 僕は小さな手でヤトにツッコミを入れる。顔を合わせた当初の威厳たっぷりのヤトは、一体どこへ行ってしまったのだ、と虚しさが去来した。

 気を取り直し、話を戻す。


「取り敢えず、セプル語とやらは習得出来たし、僕はそろそろ地上に出発するよ」

「『王魔』としての常識も入れてやりたかったが、仕方あるまい」


 言うと、ヤトはこちらに背を向け、足元に手をついた。紫の魔力が円を描き、時空が揺らぐ。

 空間のぶれが収まった後の円の中には、見覚えのある薄汚い廊下が映っていた。


「この迷宮の入り口付近と繋がっている」

「送ってくれるの?」

「うむ」

「……ありがとう」


 予期せぬ羞恥プレイを強いられたが、ヤトは純粋な善意で色々と良くもしてくれたのだ、礼を言わぬ訳にはいかなかった。

 こちらを振り返ったヤトは微笑むと、紫の炎で縁取られた円を指す。


「別に良い。さぁ、行ってこい」

「わかった。行ってくる」

「うむ。儂も傷が治れば、会いに行こう」


 最後の台詞に嫌な予感を感じつつ、僕は円の中にひょいと飛び込んだ。





11/4

微修正

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