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間話:人と魔の邂逅

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 薄汚れた廊下を、一人の男が進んでいた。男は見るからに高そうな、それでいて実用的な鎧を纏い、一目で高級品であるとわかる剣を帯びていた。その挙動は疲れきってもなお優雅で、気品を感じさせる。

 誰から見ても男は貴人だったが、今の彼を見て憧憬の目を送る者は誰もいまい。

 男は満身創痍だった。傷だらけの赤い鎧は左脇部分が破断し、脇腹の肉も大きく削げて、下半身に血を垂らしていた。剣や、その他の装身具もくたびれて、今にも壊れてしまいそうだった。

 多量の出血のせいか顔色も悪い。治癒魔術が必要なのは明らかである。

 血を失くした男の頭が朦朧とする。体のあちこちが痛む。折れている骨も一本や二本ではない。

 だが、男に不満はなかった。彼女と関係に及んだときから、覚悟はしていた。むしろ即刻死罪にされないのは僥倖なくらいだった。

 とはいっても、決死級迷宮の『竜熱の竈』に放り込まれたのである。『試練』と称され、迷宮の攻略を条件とされたが、そんなことは土台不可能。死刑も同義である。己の死は確定的だった。

 不意に聞こえた物音に、男が前を見ると、土色と草色の肌を持つ魔物が現れた。小柄ながら、大の大人に劣らぬ膂力を持つ『ゴブリンチーフ』と、『ゴブリン』の魔術師、『ゴブリンメイガス』。

 それらの姿を確認すると同時に、男は風のように駆け出した。並ぶ二匹を通り過ぎざまに、『ゴブリンメイガス』の首をその胴体と分かつ。腹部の出血が激しくなるのも厭わず、返すもう一振りで、『ゴブリンチーフ』の首を狙う。

 男の魔力で強化された剣は、容易く魔物の延髄を砕き割った。

 この間、たった数秒である。

 剣士として、男はまさしく達人だった。冒険者としてもだ。なにせたった一人で"決死"級迷宮の第十七階層まで進んだのだから。

 だが、そんな彼にも限界が訪れた。疲れ果てた膝はいよいよ震え出し、体と鎧の重みを支えきれなくなる。男は脇腹を押さえながら、とうとう魔物の死体の横に膝をついた。

 もう次の魔物は倒せない。

 これまでか。男はそう思った。次に現れる魔物が、自分にとっての死神になるだろう。

 死を目前にして思い起こすのは、無事産まれたと聞いた、娘のことだった。

 不貞の子だが事情が事情だ、殺されはすまい。心残りは、その顔も見れなかった事。

 その時、鈴の残響のような音が響き、顔上げた男の目に、新たなる魔物の姿が写った。

 まるで宝石をそのまま人間大に巨大化させたような形。独特の音色を響かせながら浮遊するそれは、淡い迷宮の光を取り込んで薄っすらときらめいていた。


「珍しい……石精霊か。しかもかなりの高位とみえる」


 勿論、常ならば魔物に話しかけなどしない。だからこれは己の臨死を自覚した、男の気まぐれだった。


石精霊(セキセイレイ)……?〉


 だから頭の中に響いた声に、男はひどく驚いた。


「お前……しかも、『王魔の卵』か」

〈『王魔(オウマ)(タマゴ)』……?〉

「知恵がある魔物の事だ。……魔物の王にして神たる『王魔』は、押し並べて賢いと聞くからな。その卵ってことだ」

〈ナルホド……〉


 なにやら愛嬌のある返事に、男は思わず表情を緩めた。少しこの王魔の卵に興味を抱いて、口を開く。不思議と傷はあまり痛まなかった。


「お前、名は?」

〈……ナイ〉


 少し間を開けて、石精霊が答えた。

 男は更に話しかけた。将来大物になりそうなこの魔物に、死にゆく自分の痕跡を遺したかったのかもしれない。


「ならば……レーヴ、というのはどうだ?」

〈レーヴ?〉

「息子が産まれたら、付けようと思っていた名だ。……娘だったから、リーヴィリアになったがな」


 どうやら悪くない、と感じたらしい。了承の意が伝わってくる。

 と、そこで何かやって来た気配がした。十中八九、新しい魔物だろう。この迷宮は神域の名に違わない難易度の高さだった。魔物との遭遇率が凄まじく高い。


「『ゴブリン』か……」


 現れたのは、『ゴブリンチーフ』一匹と、『ゴブリン』二匹。

 そこまで男が確認した次の瞬間、閃光が瞬いた。

 三匹が気付く前に急所を貫き、その命を奪い去る。

 圧倒的であった。この石精霊--レーヴはこんな浅い層に居るような魔物ではない。


〈マタ猿鬼(エンキ)……〉

「猿鬼?」


 呆れた声音で発せられた、聞き慣れない言葉に男が訊き返す。


(ボク)()ケタ、アレノ名前(ナマエ)

「では、あのデカイ奴は?」


 男の指が、頭に穴の空いた『ゴブリンチーフ』を差す。


猿鬼将軍(エンキショーグン)。アッチの緑ノハ、猿鬼呪術師(エンキジュジュツシ)


 あまりにも単直なネーミングに男は笑みを浮かべた。微笑みながら忠告する。


「レーヴ……どうやらお前には、名付けの才はないようだ。名付け親には、ならない方がよいな」

〈……!?〉


 石精霊の反応に、心中で苦笑しながら、男は顔を引き締め、血で汚れた腰元からペンダントを取り出した。ちらと見えた床は、自身の血で染まっている。

 下半身の感覚はもうなかった。


「レーヴ。お前は強大な力を持っている。これから先、人里に出る事もあるだろう。覚えていたらで良い、これを私の娘の元に届けてくれないか」

〈……コレハ?〉

「私が果て、紛失したら紛失したらで、それも良かったのだが……まぁ形見のような物だと思ってくれたら良い」

〈……ワカッタ〉

「心遣い、痛みいる」


 男はペンダントを石精霊に渡し、その体に沈んだのを見届けると、微かに笑い、目を閉じた。

 男はそれから目を開かなかった。

 つい先ほどまでの会話が嘘のような突然の死。

 レーヴは冷たくなっていく男の死体を眺めていたが、暫らくたって、その場を後にした。




2013/8/4

修正。御指摘感謝

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