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踏破せよ、世界を  作者: 一ヌキ末
人篇 北大陸
29/36

我の生すは 2

 どうにかこうにか会場から脱出したレーヴは、会場の明かりが拡散しきるまで足を進めていた。

 日も完全に暮れたらしい。レーヴが上を見上げると、空を真っ赤に焼いていた太陽は既に地平線の向こうに沈んでおり、代わりに月が浮かんでいた。

 夜の帳はとっぷりと降りているが、レーヴには昼寝とさして変わらない風景が見えている。暗いなとは感じるのだが、それが『見えない』には繋がらないのである。しかし、普通の人間ではこうはいかないだろう。人物の判別などは殊更難しいに違いない。肉薄すればまた話は別だが、会場からはまず無理。

 一息に考えて、レーヴはひとつ、安堵の息を零した。焦燥で乾いた唇をその小さな舌で湿らせると、改めて辺りを見回す。

 周辺は崩れ落ちた王城の残骸が広がる一帯で、未撤去の瓦礫が無数に転がっていた。振り向いた背後には未だ健在な部分が残っているだけに、その荒廃ぶりは余計目についた。

 足元を阻む小さな、あるいは大きな塊をひょいとひょいと回避して、一息つくのに良さげな場所がないか散策する。普通なら好んで来るような場所ではないが、すべては、ここまで来ればひとまず大丈夫だろう、という安心感を得るためである。

 レーヴはしばらくそうやって歩き回って、一帯に転がる石塊の中でも一際大きく平らな瓦礫を見つけることに成功した。表面はごくごく滑らかで、おそらく元は天井か床の一部分であったことが見て取れる。

 卓状に広がったその上に腰を降ろす。尖った瓦礫片が多数散らばる危険地帯だったが、掃除するまでもなくそれらはレーヴの薄い尻には問題ない程度の鋭さだ。他の人間のなら二度と見れないような無残な代物になっていただろうが。

 周辺は物の色が薄まって、陰影だけが濃い。会場を背にするレーヴの前方に影が長く、薄く伸びて、瓦礫たちの影に同化していた。

 お化けでも出そうだな……と考えつつ、レーヴはちらりと隣を盗み見た。けして長いとは言えないレーヴの腕でも十分届く距離に、人が一人座っている。かなり近い。面識のない相手には躊躇する距離感だった。というか、レーヴがわざわざ近くを選んで座ったのだが。しかしそうでなくても、居心地のよい位置に先客が陣取っているのは当然でもあった。

 隣の人間の周りは念入りに箒でもかけたかのように綺麗で、こちらはちゃんと瓦礫片を除去したらしい、とレーヴは座り心地の悪さに身じろぎしながら思った。

 隣の人間━━赤茶色の長い髪を獣か何かの尻尾のように纏めた女━━つまりヴァレイアは、糸のように細い月を見上げている。そのまま微動だにしない。いや、グラスに注いだ液体を呷った。

 レーヴの鼻がその独特の芳香を察知して、どうやらヴァレイアが手元の酒だけではなく、既に幾つもの酒瓶を開けていたらしいことを知らせていた。視線を下に降ろすと、高級そうな拵えの瓶がからっぽの状態で複数本転がされている。レーヴの予想は的中していたようだった。

 じっと黙ったまま、ヴァレイアは目を細めて月を眺めていた。当人の秀麗さとあいまって、このまま絵としても売り出せるような構図である。がしかし、何の反応も返さないところを見るにレーヴの事情に興味はない様子だった。

 うぇ、と気の抜けた息を吐いて、レーヴも月を見上げる。ほとんど線のように細い。もう少しで新月といった形だが、前世でのそれと比べると黄金の色が妙に強い。魔力を帯びているのだ。そのためか、見つめているとレーヴの背筋はゾクゾクと震えた。


「死ぬかと思った」


 ヴァレイアはその愚痴めいた呟きに、ようやくレーヴの顔を見た。表情はまるで変わらないが、どこか馬鹿にするような雰囲気である。


「嘘つけ」

「ほんとだよ、ほんと……」


 言いながらぐてりと仰向けに寝転がる。背中の異物感に可愛らしい顔が顰められる。


「リーヴィリアに捕まったら、なんかほんっ……とうにやばい。冗談抜きで」

「なるほど」

「マルっていう危険人物と危険な話題で盛り上がってたんだ……あそこで見つかってたら、僕は間違いなく死んでた。精神的な意味で」

「なるほど」


 明らかにどうでも良さそうな態度でヴァレイアは相槌を打つ。

 同情だの慰めだのといった言葉は一言もなかった。真面目に聞いてくれるとはレーヴもまったく思っていないので、気にせず続ける。


「あ、あとバーミットが病院から抜け出してここに来てた。食事目当てで」

「そうなのですか?」


 木に向かって喋っている気分でレーヴが口を動かしていると、嗄れた声が低く返答した。

 思いも寄らぬ反応に寝転ぶレーヴが上目遣いに背を反らせる。そこには一人の老人が佇んでいた。

 定規のように真っ直ぐな背筋に、獣と見紛うような眼光。がっしとした全身からは隠しきれない存在感が滲み出ている。バーミットの父、クルセウスだった。

 生気溢れるセプレス人においても殊更気力を充溢させた老人だが、どうやら偶然レーヴたちに遭遇したらしかった。何故ならクルセウスが何も持っていなかったからだ。レーヴとの面会を予定している場合、彼は大概お菓子の類を用意しているのである。


「レーヴ殿、このような所にいらっしゃいましたか。……今回のお誘いは迷惑でしたかな?」

「いいや。ちょっとリーヴィリアから逃げてるだけ」

「そうでしたか。ここ、宜しいですかな?」

「勿論」


 そうレーヴが答えると、クルセウスは和やかに微笑んで、さっと腕を払った。

 その動きに呼応するかのように淡い橙色の魔力が薄く拡がる。レーヴが白い睫毛を瞬かせているうちにもクルセウスの魔力は膜のようになって、レーヴたちが乗っている平らな瓦礫の表面を撫ぜた。

 波のように動く魔力に細かい破片や砂が押し出され、纏めて地面に落下する。すっかり綺麗になった平らな瓦礫の上、レーヴの隣にクルセウスは腰を下ろした。

 自分が下敷きにしていた破片さえも除去せしめた技巧に、レーヴはおお、と声を上げて感心する。

 そんなレーヴに、クルセウスは孫でも見る好々爺のように相好を崩していた。一連の事件を通してこの老人も薄々レーヴの正体に気づいてるのではないか……とレーヴは勘繰っているのだが、この様子だとどうやらその方面の心配は必要なさそうだった。知られたところで何もされまい。


「そういうクルセウスこそ、なんでここに?」

「なに、少々月が見たくなりましてな。……ところで、あれがこの会場に来ているというのは本当ですか?」

「包帯だらけで目立ってたと思うんだけど……見なかったの?」

「ええ。私は先ほどまで裏方で仕事をしておりましたから。……あんの馬鹿息子め……」


 やんわりと緩んでいた目尻が台詞を連ねると共に釣り上がり、額に深い皺が寄った。

 クルセウスは暫し憤懣やるかたない、といった様子で息子に対する愚痴を呟いていたが、レーヴが視線を己に向けていることに気づくと、中断。一つ咳払いをする。


「申し訳ございません。あれはどうも私の若い頃に似ておりまして、どうも勘に障るのですな。大人気ないことですが」

「……似てる? クルセウスとバーミットが?」

「如何にも。三十年ほど昔の私と瓜二つです」


 似てない親子だなぁ……と密やかに思っていたレーヴはその言葉に驚かざるを得ない。

 クルセウスは白い顎鬚を撫でつつ、遠い目で月を仰ぐ。


「懐かしい…………私も若い頃は短剣のようにきれた奴、とよく言われていたものです。そういう意味ではあれよりも捻くれておったのですな……」

「今は違うの?」

「それはもう。他大陸で四年ほど旅をしましてな。あれはよい経験になりました。当時の私の価値観には大きな……それは大きな衝撃でした」


 ただひたすらに強くあることを是とする考え方しか持っていなかった私は、そこで他の様々な考え方を学んだのです。とクルセウスは語った。


「他の考え方?」

「そう……例えば、弱者は守るべきものという西南大陸の騎士、堕落を良しとする地下都市の娼婦、肝の冷えるような繊細な取引を平然と行う南大陸の商人……。どれもこれも馴染みのない思考の方向性で、私は随分と考えさせられたものです」


 いつになく饒舌である。どうやらクルセウスも酔っているらしいな、とレーヴは思った。

 このパーティーが執り行われたということは、諸事がひと段落したのだろう。今まで何かと忙しそうだったクルセウスを労わる気持ちも込めて、レーヴは話し相手になることに決めた。


「そうして私は自分の生まれ郷たるセプレスのことを知ったのです。この国にいたままでは、おそらく永劫気づくことは叶わなかったでしょう。やはり『己』というものは『他』を知り、比べることでしか理解できぬのですな」


 そう言われてみればそうだ、とレーヴは思った。セプレスという国の行き過ぎた実力主義ーーあくまでレーヴの主観だがーーを知った時はうへぇ、と流石のレーヴも感じた。

 が、しかし。よくよく考えてみると他ならぬレーヴの前世、生まれた国も一種の実力主義だ。

 おそらく故国に住む人間の大半が、レーヴがそうだったようにまったく自覚してはいまい。まさしくクルセウスの言う通り、他を知ってやっと自分のことが見えてくるわけだ。

 おそらく、古くは精神面に重きを置いていた文化が時代と共に変遷した結果だろう。つまり、体の弱さは守る、守られるべき儚さだが、心の弱さは悪しき脆弱性だという常識である。

 それを悪いとは言わないが、セプレスとどちらが気持ちいいかと訊かれれば、レーヴは断然後者だった。


「腕力、知力、魔力、精神力……私が思うに、セプレス出身の人間は他国民に比べ全般の能力が秀でております。……しかし下手に能力が高いものですから、大抵失敗してからでも取り返すことができますし、()()()()()()()()()()()()()のですな」


 クルセウスは厳かに言う。視線は虚空の闇を捉えていた。

 セプレスでは、完全なる弱者、無能はいっそ清々しいまでに切り捨てられている。ヒトは性欲を始めとした深く本能に根ざした動物的な本能を嫌悪し、無意識のうちに敬遠するきらいがあるとレーヴは思っていたから、弱肉強食を国家規模で貫く姿勢には少なからずの敬意を向けていた。

 加えて、セプレス人は『弱さ』『堕落』というものを心底嫌っているから、そもそも他人を蹴落として自分の相対的な強さを上げようという発想がないのである。つまり、自分はおろか他人の弱ささえも気に入らないので、切磋琢磨を基本的な心情としているのであった。人間的な卑しさというものに真っ向から喧嘩を売っている。これに気づいた時のレーヴの驚愕は筆舌に尽くしがたい。


「その繰り返しが育んだセプレスの精神性が……よく言えばおおらか。悪く言えば能天気です」

「確かに」


 レーヴは大きく頷いた。その点に関しては、同意せざるを得ない。リーヴィリアやクルセウスのような一部の人間を除いて、セプレス人は危機感の類が薄いのである。それは美徳でもあるが、大きな欠点でもあった。


「あ、でもヴァレイアと決闘した時、広間にいた人達は……」


 もっときちんと政治家のオーラを纏っていたような。

 というレーヴの呟きに、クルセウスは頷いた。


「彼らは私と同じ『経験組』なのです。

 セプレスの人間の、その能天気さに端を発する思考性には、圧倒的に政治的感覚が欠如しております」

「経験……あぁ、クルセウスみたいに旅に出るのか」

「ええ。文官などに将来を見据えた若者たちは三年ほど国外……他大陸などを練り歩き、『外』の空気に触れることによって、政に必要不可欠な感性を養うのですよ」


 リプル大臣が政治の能力はない、とリーヴィリアに評されていたのはそういうわけだったのか、とレーヴは納得した。おそらく彼は『経験組』ではなかったのだろう。


「じゃあ、リーヴィリアも?」

「ええ。西南大陸の王立総合大学園に、というのが一応の予定ですな」

「王立総合……大学園?」


 仰々しい響きに身を起こして、レーヴは訊き返した。どこかの学校施設らしいことは窺い知れた。

 が、クルセウスには聞こえなかったようだった。彼は突然手のひらを打ち合わせると、おお!と声を上げた。


「そういえば、レーヴ殿の御助力のお陰で、分かったことがありましてな」

「分かったこと?」

「あ奴……リプルのことです」


 レーヴが鸚鵡(おうむ)返しに尋ねると、クルセウスは憎々しげに答える。


「レーヴ殿が捕縛してくださった一派残党から聞き出したところによりますと、奴は『魔物を意のままに操る』という能力を有しておったようです」

「……能、力? 魔術じゃなくて?」

「そうなのです。眉唾ものですが……俗にいう超能力、というやつですな」


 ちょっと待てよ、とレーヴは思った。

 この世界にやっと順応しかけているレーヴだが、前世で培った価値観からすれば魔術の存在だけでも十二分に常識外れなのである。

 そこに超能力。いやいやなんかおかしくない?というのが偽らざる本音だった。

 というか、レーヴからすれば魔術も立派に超能力の枠内にあった。


「いや、超能力ってそんなの本当にあるの……?」

「十中八九、与太話だろう」


 と、今の今まで石像さながらに固まっていたヴァレイアが言った。月はひとまず見飽きたらしい。レーヴは己に向けられた赤茶色の目と白銀色の目を合わす。


「私もそう思うのですが、実際そうだとしか思えぬ証拠が多数残っておりましてな」

「そういえば『継承の儀』でも、肥えたおじさんの腹から虫が飛び出てきたね……それもえらくタイミング良く」

「確かにあれはリプルに都合の良すぎる展開だった」


 思い出す。前世でのレーヴなら顔を真っ青にして蹲り、嘔吐を堪えるような凄惨な場面だったが、今は違う。レーヴとしても伊達に『竜熱の竈』などという魔境を踏破していたわけではない。赤黒い血飛沫や桃色の肉片など見飽きるほどに目にしたし、人間的な物差しで測り得ない卦体な魔物たちを幾種も見てきた。もはや生半可な『気持ち悪さ』では、レーヴにほんの少しの動揺さえも与えられないのである。

 クルセウスはレーヴの台詞にタイミ? などと首を傾げていたが、幸い意味合いは通じたようだった。頷くと、顔をしかめる。


「そうなのです。同輩だったという者に話を訊きましたところ、実際目の前で実演された、とまで言っておりました」

「じゃあ本当なのかなぁ……超能力」


 と呟きながら、レーヴはふと疑問に思った。何をもって超能力と呼称するのか。

 物理法則を超越する謎の力のことを言うのなら、まんま魔術のことである。しかし、この世界の住人からすれば魔力も魔術も十分普通の範囲内にある概念だろう。よって魔術を超能力とは称しはすまい。つまり、魔術的な観点から見てもなお常識外れの力ということになる。


━━いや、魔力って使えばなんでもできる万能パワーのはずなんだけど、それを上回る謎パワー……?


 これ以上は自分で考えても答えは出そうにないなと判断して、レーヴは素直に口に出した。


「と、いうか……超能力ってなに?」


 首をこてん、と倒しながら尋ねる。言いながら、これ傍から見れば相当可愛らしいだろうな僕、と他人事のように思う。

 レーヴの美貌は幼く未完成といえど、人間の辿り着き得る美しさの終極点のひとつである。リーヴィリア相手でなくとも悩殺必至の仕草だったが、クルセウスもヴァレイアもこれでたじろぐような生易しい人間ではない。


「いわゆる超自然的な力のことですな」


 とクルセウスは答え、


「謎の力だ。俺は信じていないが」


 とヴァレイアは言った。

 まずレーヴの脳裡に燦然と輝いたのは、魔力って超自然的な力じゃないのかよ! という文字列だった。ちなみに故国語で、である。

 しかし先ほども考えた通り、彼らにとって魔力とは自然界に当然のようにして存在する力のひとつ。レーヴの前世でいうところの磁力や重力や静電気力などに該当する。あって当たり前で、なくてむしろ不自然な力なのだろう。

 そして当たり前ではないからこそ『謎』だとヴァレイアは言ったのであり、自然ではないが故に『超自然的』だとクルセウスは答えたのだ。

 しかしこれでは説明になっていない。なっていないが、クルセウスたちもこれ以上は説明のしようがないようだった。

 ヴァレイアがむぅ、と短く唸る。


「しかし、魔物を操る……他の生物を意のままにする、か。それは確かに超能力でもないと不可能だ」

「え? できるけど」


 ヴァレイアは無理なことは無理と言う人間だったが、できないことを論ずることは少なかった。なので、こういう物言いは珍しい。

 しかし、反駁せずにはいられなかった。なにせレーヴの能力のひとつ『併呑』は、斃した相手の魔力を喰らい、更には生前の肉体を再現。操作するというものなのだ。それでなくとも、レーヴにはにっくき『ゴブリン』どもを操って、死ぬまで盆踊りをさせたという経験があった。若気の至りである。

 レーヴにとって他生物の身体を動かすのはけして難しいことではなく、むしろ極めて身近なことだったのである。

 なので、自身の考えとまるで正反対の言葉を口にしたヴァレイアのことをレーヴは純粋に不思議に思い、ならば目の前で実演して見せようと思い至った。

 維持し続けていた魔力断絶の結界を解除する。ぶわりと濃密な存在感が周辺を席巻した。その効果故に、結界を消去しなければ自分も魔力を満足に扱えないのだ。結界魔術は、"光線"以外に唯一レーヴが容易に行使できる貴重な魔術だったが、レーヴ自身の魔力だけを結界の適用外にする、などという器用な真似は流石にできない。

 早速、ヴァレイアのグラスを持った右腕に真っ白な魔力を絡みつかせ、ヴァレイアの魔力を弾き飛ばす。

 ヴァレイアの右腕に空いた魔力的な空白域に、レーヴは己の魔力を注入・掌握した。


「ほら」


 やっぱりできるじゃないかと、レーヴは試しに小指を動かした。連動してヴァレイアの小指もへにょへにょと動く。精密機械もかくやという常の俊敏さの面影は欠片もない。

 これが僕の動きか……とレーヴはなんとも言えない表情で自分とヴァレイアの小指を動かす、が虚しさを覚えて数秒でやめた。

 魔力を引っ込め、己の小さな手を握り開きする様を眺める。ちっちゃくて、ふにょふにょしている。自分のことながら、少し心配になるほど真っ白だ。

 そうやってレーヴは暫く感傷に浸っていたが、誰からも反応がないのを不信に感じて顔を上げる。と同時にヴァレイアが低い声を出した。


「お前が、()()なのをすっかり忘れていた……」

「……お姉さん、どうかした?」


 声だけは呆れた風な調子だが、その顔には玉のような汗が浮かんでいた。どう見ても何かを痩せ我慢中だった。本人は抑えているつもりらしいのだが、赤茶色尻尾の毛先がぷるぷると震えている。


「……阿呆らしくなるくらいの力量の差がなければ、相手の体内への強制的な魔術的干渉など、絶対に、できない」


 と、いつも通りの虚無的な口調で言う。しかし、その言葉尻は微妙に揺れていた。

 なるほど、これは超能力の範疇なのか、とレーヴは納得した。納得して、ヴァレイアの異常さを尋ねようとする。

 しかしヴァレイアの弁は止まろうとはしなかった。まず合点がいった、という意をレーヴが伝える暇もなく、矢継ぎ早に言葉が飛来する。


「相手が心底同意していれば別で、これが治癒魔術の理屈なわけだが、通常時ではそうはいかない━━つまり、不可能だ。加えて今判明したが、相手の意に沿わない形での魔力的な体内干渉は、された側に激烈な不快感を齎す」

「ごめん。僕が悪かった」


 青ざめたヴァレイア、という非常に珍しい光景にレーヴの頭が反射的に下がる。今まで操り人形にしてきた魔物たちはそのまま斃してしまっていたので、こんな副作用があるとは知らなかったのだ。

 とはいえ、非は完全にレーヴにある。口早に謝って、レーヴはヴァレイアの右腕に手を当てた。先ほどヴァレイアの話していた治癒魔術を試そうとしたのである。やったことなど一度もないが、間違っても失敗することはない、とレーヴは根拠もなく確信していた。普通の人間ならば浅慮だが、レーヴは王魔。魔力に関する直感はけして信用に値するものだし、レーヴ自身もそれを承知していた。

 まぶたを静かに下ろし、自分の中の魔力を意識する。『蛇口を捻って魔力を垂らす』のが先ほどの魔力行使なら、今回のそれは『魔力をタンクの中で燃やす』だ。前に使った"円滑的魔力行使用魔術まじゅつがうまくなーれ"と同じ感覚である。

 先ほどとは比較にならない程の魔力を燃やしながら、レーヴは念じる。


━━ヴァレイアの不調が治りますように。


 レーヴィの『内』で、魔力が一際激しく燃え盛る感触。凄まじい勢いで魔力が消費されていくーーといっても貯水池から小匙一杯分ほどが蒸発しただけ、なのだが。

 目を開くと、ヴァレイアがレーヴを見つめていた。幾分か顔色が赤味を取り戻している。右腕は最初から外見上は何も変わっていないが、どうやら快復したらしい。


「……相も変わらず、湯水のように魔力を使うやつだな。お前は。今の魔術もどきだけで、百人が干からびるぞ」

「もどき?」

「もどきはもどきだ」


 取りつく島もなく言い捨てて、ヴァレイアはそっぽを向いてしまった。まだ少し違和感が残っているのだろう、と推測する。

 ……あとで決闘何回かサービスしよう。レーヴは罪悪感の篭った溜息を吐き出した。

 行き場のない感情を持て余して、レーヴはクルセウスに話をふった。


「そういえば、魔物を操るっていってたけど、バーミットもなんか操られてたよ?」

「え、ええ。どうしてでしょうな……」


 レーヴとヴァレイアのやりとりを苦笑いで見守っていたクルセウスは突然の台詞に虚をつかれた様子で返事をした。


「思ったんだけど……魔物の定義って、どんな?」

「そうですな……ヘカテ著の『魔理法則論』によりますと、魔力の影響によって後天的に一代限りの変質を遂げた個体と、先天的に『原初の螺旋』が魔力のせいで変質しているもの、の二種類が魔物とされております。要は魔力を帯びた生物のことを指すのですな」

「原初の螺旋?」


 聞き慣れない単語だった。


「生物の設計図らしきもの、ということなのですが……実はまだよく解っておりません。信じられないことに、かの大魔術師は四百年経った今でも我々のはるか先におるのです」


 クルセウスは感慨深げに髭を撫ぜた。

 螺旋状、設計図。おそらくDNAだ。この世界は魔術という異様に汎用性の高い力があるせいで、産業革命も満足に起きていない。そんな世の中でこれである。大魔術師ヘカテさん凄いな……と思いつつも、レーヴはぽっと思いついたことを口にした。


「それだと人も魔物か。魔力使えるし」

「んむ? ……いや人間は魔物では……」

「だって人って、多分だけど生まれつき魔力が使えるでしょ? それってDNA……もとい『原初の螺旋』に魔力の影響があるってことだと、僕は思うんだけど……」


 魔力なんてものが存在しない世界出生者ならではの発想だった。レーヴからしてみれば、魔力を少しでも持っていればそれだけで魔物である。


「む、むむむ……!?」


 顔面中の皺という皺を寄せて唸るクルセウス。どうやらレーヴの『人間魔物説』は彼の常識と鉢合わせを起こしたらしい。

 悩むクルセウスをレーヴは眺めていたが、ふと、唐突に、言い知れぬ悪寒を感じた。

 背筋を這い上がる謎の寒気。冷や水を浴びせられたようにレーヴの全身が竦み、白い肌が粟立つ。

 生命の危機とはまた違う、しかし致命的な予感だった。ここで回避し損ねれば、大切な何かが失われる。

 レーヴに災厄を運ぶもの━━それは明確な存在感を持って、着実に迫っていた。そのことをレーヴは肌で感じとっていた。

 そしてからん、と何処からか音がした。瞬間。

 レーヴは気付いた。


━━僕、気配遮断用の結界を貼り直し忘れ……!?


 それは決定的な失敗だった。結界を展開していないということは、それすなわちレーヴの魔力が漏れ、濃密も濃密過ぎるその気配が周囲に露見することを示していた。

 気付いたところで、ことに対処するには完全に手遅れだった。転がった小さな瓦礫を足で除ける音が背後から響いて、足音が鳴る。体重の軽い人間のそれだった。

 そして、それはとうとうレーヴの知覚域に侵入した。もう振り返らずともレーヴには手に取るように分かる。金髪の少女だった。長い、金髪の。


「……レーヴ様━━」


 その声を、レーヴは諦観と共に受け止めた。


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