我の成すは 後
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「や、やりなさいッ!」
女性の叫び声が部屋に響いた。
貴人と思われる婦人だ。纏った衣服は色合い鮮やかで、いかにも上流階級の人間といった身なりの良さ。
しかし、その顔には疲労と憔悴の色が濃かった。浮かんだ皺ともつれた髪が女性の品格を貶めている。
女性の叫び声に応じたように、部屋の扉が縦に両断された。扉の残骸が蝶番と共に吹き飛ばされて、部屋の床に転がる。
現れたのは痩せた女だった。扉を破壊したと思しき長剣を片手に垂らし、瞳孔の開いた目で目標を睨みつけている。まるで鮮血を垂らす刃のような悍ましい雰囲気。全身から匂い立つような威圧感を発しており、その存在は例え雑踏の中でも一目瞭然だと思われた。
痩せた女は躊躇なく目標━━━━幼い女の子へと襲い掛かる。
手に握った長剣には強い魔力が籠められており、高い殺傷力を持つ事は明白だった。骨など霞のように断ち切って、一息に人の首をはね得るだろう。
痩せた女が躍り出たと同時に、黒づくめの男がひっそりと出現した。
家具の裏から無音で現れた黒づくめの男は、目標の背後から忍び寄る。
驚くべきことに、男には動物なら当然存在するはずの生物らしい気配が殆どなかった。極限にまで無駄な魔力を排除した隠密行動。まさしく達人だった。そのガラス玉の如き瞳には害意も殺意も無く、ただ風景を鏡のように照り返すのみ。
これでは目標が自身への殺気を感じるのは不可能だ。『視線を感じる』というのは、感情によって発動する微細な"経絡"を読み取る事に他ならないからである。
殺気を撒き散らす痩せた女が陽動に目標の視界内から迫り、目標が女に目を囚われている隙に、極限まで気配を殺した黒づくめの男が目標を背後から仕留める。それがこの二人組の手口であった。この手で仕留める事のできなかかった者は今まで一人もいない。
叫んだ女性も、魔力を練って放出する。
強い魔力で"強化"された長剣。体幹に当たれば即死。
背後から迫る致死の毒針。血管に当たれば死亡確定。
目は粗いが強力な魔力網。囚われれば容易には抜け出せまい。
三方向から挟み撃ちの形で放たれた三撃。普通なら背中を刺さんとする男に気づかず、対処できたとしても、痩せた女にかかずらっている間に前方からの魔力に絡めとられて詰む。
目標に許された選択肢は、死ぬか、一瞬後に死ぬか。この状況下で可能なのは、己の無様な死体を見せる事だけである。
━━━━それが普通の人間ならば。
その目標たる幼い少女が、そんな醜態を晒す事は終ぞなかった。
冷えきった白銀の双眸が僅かに細められる。大きな二つの眼が、刃のように絞られた。
痩せた女の長剣、黒づくめの男の針、女性の魔力網が、それぞれ目標に触れんとした瞬間、少女が爆発した。
否、爆発したかのように大量の魔力が少女から噴出した。
白い少女を中心に、純白の嵐が巻き起こる。
室内に吹き荒れる凄まじい純魔力の渦。部屋の調度品が倒れ、ガラスの砕ける甲高い音が一斉に鳴った。
痩せた女の長剣は、中途半端に魔力が宿っていたが故に純白の魔力と激烈に反応し、持ち主を巻き込んで爆発。その柔い首筋に触れるか否か、というまでに迫っていた男の毒針は持ち主ごと吹き飛ばされ、女性の魔力網は脆い膜のように千切られてあべこべに女性へと跳ね返った。
宙を舞った女性と女と男は、既にその意識を奪われていた。人間に耐えられる限界を優に超えた魔力量に、三人の保有する魔力が押し負けたのだ。
床に落ち、だらしなく四肢を広げる男と二人の女。自らの魔力を他人の魔力で塗り潰されたのだ。その程度如何によっては、魔力行使に障害が残るかもしれない。
床に伏す男たちを一瞥する事もなく、レーヴは貫頭衣に新しく備えつけたポケットから文字が書き込まれた紙を取り出した。
「えーっと、三十代。茶髪の女……。こっちか」
仰向けに倒れた貴族の女性。
レーヴは女性に歩み寄ると、その襟元をむんずと掴んだ。
ぽいっと上に放り投げると、女性の体が空中で不自然に停止した。レーヴが女性の周囲に張った透明の結界に入れられたのである。
軽く叩いて結界が無事展開した事を確認すると、レーヴは不可視の立方体に指先を着けた。と同時に、その髪が極彩色を帯びていく。
「『極楽蜘蛛』の糸」
指を離すと、ついっと極細の糸が伸びた。細い。何か光が反射しなければ、細すぎて目視も難しいだろう。
金色のそれはレーヴの腕ほどの長さで伸長を終えた。
レーヴは軽く二、三度金糸を引いて、しっかり結界と糸が繋がっている事を確認した。命綱のような物だ。前に手掴みで運んでいた結界を落としてしまってからレーヴがかけている保険である。
部屋を見回して、障害物の有無を調べる。
特になし。
あるのはレーヴがぶち破った壁の穴だけだ。ひゅうひゅうと湿った風が吹き込んでおり、穴の向こうには寂れた街並みが覗けている。
「よし」
頷いたレーヴは前方に傾き、魔力を履物の裏に集めて軽く爆発させた。
小さな炸裂音が鳴る。白色の爆発はレーヴに人間外の加速度を齎した。
侵入の際に拵えた壁穴を潜って、外へ飛び出す。レーヴよりも大きな結界がそれに続き、破砕音と共に穴を更に大幅に拡張した。
今にも降りだしそうな曇天の下、レーヴは人の気配が少ない街を真っ直ぐに駆け抜ける。
真っ直ぐ、といっても、当然直進を遮る建物はあるわけで、レーヴは空へ跳躍する事でそれを回避する。
公共の場所を破壊するのはレーヴの本意ではない。なのでその猛烈な踏み込みの瞬間にだけ魔力で足場を強化して、レーヴは宙に躍り出た。わざわざ勢いづけて空へ跳ばずとも、そのまま浮かび上がれば良いだけなのだが、そこは本人の気分によるところが大きい。
鳥も真っ青になるような速さで、レーヴは空を突っ切った。レーヴの片手と糸で繋がれた立方体型結界は、向かい風に煽られてぐらぐらと傾いでいる。これがただの箱だったなら、中に居る人間は急加速に継ぐ超加速でぐちゃぐちゃに潰れてその中身を曝け出していただろう。
レーヴがしているのは、『悪い大臣一派残党狩り』だ。
前の政争時にリプルに加担して、様々な悪事の片棒を担いだ悪党たちである。
代表も死んで目論見は失敗したのだから、早々に諦め負けを認めて引き下がれば良いものを……とレーヴは思うし、実際その通りだ。
リプルが死亡した今、赤茶髪の女が王の座を手にしたのならともかく、それは金髪の少女が得た。もう彼らに勝機はない。
だが、彼らは自分たちを貶めた人間に報復をせんと各地で暴走していた。それも酷く陰険な真似をするものだから、レーヴが駆り出されたのである。
いや、『駆り出された』というのは正しくない。レーヴ自ら志願したのだ。金の無心に訪ねた際、クルセウスがあまりにも下手に諂うので、申し訳なくなったレーヴが住居と食費の交換条件として申し出た。でてしまった。
━━━━なんでこんな面倒臭い事自分から志願してしまったんだろう。
今となれば、後悔するばかりである。
レーヴは小さく溜息を吐いた。
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あれから、レーヴは各地を巡って旧リプル派、現犯罪者たちを片っ端から引っ捕えた。片手に引く箱型結界の中には、複数の人間がぎっしりと押し込められている。
今現在、空飛ぶレーヴの機嫌は宜しくない。億劫な仕事中だからというのもあるが、他にも要因はあった。
一つは、その腹部を苛む空腹感である。レーヴの小さな身体は魔力を燃料にして駆動している。なので食事が本当に必要ではないにしろ、虚無感にも似た胃の収縮の感覚が不快である事には変わらない。
それにレーヴは曇りが嫌だった。日が遮られて、暗い迷宮時代を思い出す。十数年暮らした迷宮が嫌いなわけではないが、今現在レーヴは自らが新天地にいる、という気持ちが強いのだ。それに水を差された気分になる。
なのに今の天気ときたら、夜と見紛うかという曇り空なのだ。陽光はその殆どが遮断され、ほんの僅かな光量のみを大地に齎すだけに止まっている。
仕事、空腹、天候など、複数の悪要因が重なり、レーヴの機嫌は丁度天空を覆う雨雲のような灰色状態だった。肉体は上空を飛んでいるというのに、心は地面スレスレの低空飛行である。
なにかして、憂さ晴らしをしよう。
とまで明確に考えたわけではないが、レーヴは大人しいだけの飛行を辞める事にした。
ふん、と気合を入れると、レーヴの全身を覆うように白い魔力が吹き出た。
濃密な魔力は風に削られることもなくレーヴ周辺に滞留する。
それらはゆっくりと時間をかけてレーヴの身体に染み込んでいった。ただえさえ神秘的な少女の肌は淡く発光して、今のレーヴはひどく神々しかった。
眉を寄せたレーヴは、糸を出していない自由な方の腕を上に曲げて、手を開いた。
目を閉じて、指先に意識を集中する。
その指のそれぞれに、莫大な量の魔力が五つ、凝集して光の玉をつくった。
神々しい煌めきを放つ光の玉は隣同士干渉し合い、バチリ、と純白の雷を指の間に走らせた。
やがて光の玉たちの反応は安定し、五つの魔力玉は指先を繋ぐ光の帯に変化した。
レーヴは己の思う通りにできたのを確認して満足そうに頷いた。不可能が可能に変じるのは、かくも気分の良いものである。
複数の魔力塊を任意の箇所に作り、帯状に連結させるというこの一連の魔力操作は、以前のレーヴではできなかった事だ。魔力を制御する新方法を思いつくその前に同じ事をしようとしていれば、おそらく暴発しただろう。
と、いってもこの方法が浮かんだのはつい先日の事なのだが。
━━━━逆転の発想……ってわけじゃないけど、我ながら中々の閃き。
白い少女は心中で呟く。
レーヴは、使用できる魔力量自体は非常に優れているのだが、それを行使するのがかなり拙い。上達しようにも、一朝一夕で解決できる問題ではなかった。レーヴは思い悩み、ついにその方法に思い至った。
その方法を説明するには、魔力について知らなければならない。
魔力。それは全能だ。
心で働きかける事によって、世界の理を覆し改変するちから。
無尽の魔力を以てすれば、不可能な事は本当に何もない。凍れと念じれば炎も凍てつき、完治を祈れば全身を蝕む不治の病も消え失せる。
つまり、レーヴは念じているのだ。己の魔力行使が上手にいくように、と。
簡単な話である。
魔力を上手く操れないのなら、上手くなれるように祈り、出来上がった"円滑的魔力行使用魔術"で本来の拙さを補完すれば良いのだ。
魔力をもって魔力を扱い易くする。それがレーヴが行った事だ。
積み木の塔を支えるために、限りある積み木で補強する……そんな通常の人間が保有する魔力量の尺度から考えると凄まじく非効率な方法。普通ならば、積み木を補強に使ったがために肝心の塔に使える積み木が足りず、塔は完成しない。
だがレーヴは『王魔』である。魔力なら、唸るぐらいに持っている。無駄の目立つ新しい魔術を組み上げてなお有り余るほどに。
白く、細いレーヴの腕が曇天へと向けられる。
その頂きに宿る皓皓たる輝きは、まさしく人にあらざる魔性の証左だ。
「名付けて━━━━」
上から下へ、手首を小さく倒す。
「"ウルトラ除雲光線"!」
閃光が奔った。
この世のものとは思えない怪音が空を割る。空気を残らず焼き尽くす純白の光が、広く扇状に伸びた。
天候にも干渉しうる閃光が、湿り気を帯びた空を駆け、ぶ厚い黒雲を貫く。何か薄緑の塊が近くを漂っていたのだが、閃光の余波に掠って撃ち落とされた。
白く平な光は鞭のようにしなる。『手首を倒す』というレーヴの手元のほんの僅かな動きは距離が伸びるにつれて拡大され、遠大な規模の一撃に昇華されていた。
雲が、天を覆うそれが、白い光に削られていく。
純白の魔力は巨大な光の扇を形成し、レーヴの進行上の雲を薙ぎ払い、削ぎ取って彼方へと消えた。
ぶ厚い灰色は縦長く切り取られて、その長細い穴から陽光の侵入を許す。
どんよりと淀んだレーヴ目下の街並みに、麗らかな太陽の光が差した。ほんわりと柔らかくなった空気がレーヴを包む。
湿ったものから暖かなものへと頬に当たる感触が変わり、レーヴの表情が綻んだ。
余った魔力を飛行に転化し、その速度を増していく。すれちがった鳥が空中で数回転した。
ネーミングセンスが無いだとか言われた事のあるレーヴだが、今回の技の名前は中々だと自負していた。
前回の巨大骸骨を始末する時には、なるべく無機的になるようにと色々名付けてみたのだが、残念ながら『灼鋼の龍爪』だの『光線・五芒星』だのは、レーヴの心の琴線には触れ得なかったのである。
その点、『ウルトラ除雲光線』は文字通りウルトラグッドであった。レーヴ的に。
猛烈な速さで飛行しながら、絨毯のようにひかれた陽光の道に、レーヴは満足そうに頷く。
そんなレーヴが、己の視界の隅に薄緑色の影がチラついたのに気づくことはなかった。
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修正。
御指摘感謝




