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踏破せよ、世界を  作者: 一ヌキ末
人篇 北大陸
26/36

我の成すは 前

a-2

 瀟洒な邸宅。

 壁から屋根まで真っ白で、茶色を基本とした周囲の建物からどこか浮いている。

 その広い庭の一角から、朝の澄んだ空気を鋭く裂くような、強烈な音が時折響いていた。


 白い髪の、幼女といっても差し支えない幼さの少女と、赤みを帯びた長い茶髪を紐で縛った女が、それぞれ剣を持って相対していた。二人とも美しいが、特に少女の方は異常なほどに造形が整っている。

 二人が握った剣は無骨な、切れ味よりも頑丈さを重視したつくり。少女は片手で、女は両手で構えている。

 赤茶髪の女は纏った薄着が透けるほどに汗ばんでいるが、白い少女は一滴も汗をかいていなかった。

 と、緊張した場の空気が動く。


「ふん!」


 どこか間の抜けた掛け声。

 白い髪の少女が、その小さな手で優しく掴んだ、己の身長ほどもある剣を高く上方に掲げた。

 少女が剣を振りかぶったのを見た赤茶髪の女は、白い少女が腕を上げたのと殆ど同時といっても過言ではない速度で反応した。

 相手の剣先が頂点に達する前に、構えた剣を捻り、柄を上に、切っ先を下方に向ける。

 赤茶髪の女の動作が終了した、次の瞬間━━━━白い少女の肩から先が霞み消えた。

 火花が激しく乱れ飛ぶ。

 女が縦に構えた剣の刃片側が、火炎に晒されたかのように赤熱した。金属質の怪音が鋭く鳴り響き、邸宅の壁がびりびりと震える。

 赤茶髪の女は剣を盾のように構えたままの姿勢で固まったまま、ぴくりとも動かない。

 白髪の少女もその外見に相応しく、人形のように停止している。

 飛散した火花の熱は冷め、轟いていた音響は静まった。

 静止した時が、ただ粛々と経過する。

 ━━━━不意に風が吹き、背中に垂らした赤茶色の髪を小さく揺らせた。

 赤茶色の髪先が頬をくすぐり、女は途端に膝を折った。

 剣を放り出し、どっかりとその場に座りこむ。


「っはあ……」


 赤茶髪はほの暗い朝の空を見上げ、かすれた息を吐き出す。

 暫くぼうっと天を仰いでいた赤茶髪だったが、視線を下、少女の方に戻した。

 赤茶髪がその姿を認めたと同時に、白い少女も剣の柄から手を離す。

 赤茶髪と鏡合わせのように座りこみ、少女はふう、と息を吐いた。鏡合わせ、とはいっても少女は赤茶髪みたく大粒の汗を垂らして息を荒げてはいないが。微風に目を細めて、むしろ涼しげでさえある。

 更に目線をずらすと、もはや見慣れた光景が赤茶髪の目に入ってくる。

 庭に突き立った……というより刺さった剣。

 数秒前にはその頭上に存在したはずの白い少女の剣が、庭の地面に深々と食い込んでいた。

 恐ろしい事に、けして短くない刀身の半ばまでが大地に埋まっている。

 野太い剣が逆さまに埋没してその柄を天に向けている様子など、元からそういうオブジェだったかのようだ。

 これが魔力での強化なしで為された事だというのだから、いまだに信じがたい。

 俺には無理、とは言わないが、あれほど無造作にはできない。無魔力であんな事をすれば、まず間違いなく腕が壊れる。もしくは肩が外れる。

 そんな事を淡く考えながら、赤茶髪は荒れた呼吸を整えていく。

 邸宅の庭の土はそこかしこが耕され、このような事が幾度となく繰り返されたのを示していた。




a-3


「この剣ももう駄目だな」


 ヴァレイアは剣を持ち上げて言った。

 その剣は至るところに深い溝が刻まれ、両刃のうち片側は刃そのものが削れ、消失している。

 庭での『決闘』で使用された剣だ。

 もう片側の刃もぼろぼろで、もはや切れ味など皆無に等しいだろう。剣としては、これは既に死んでいる。南大陸の戦場で日夜酷使しても、こうはなるまい。

 レーヴの剣も似たり寄ったり。むしろ庭の土を深々と抉った分、細かい傷が足されて更に酷い塩梅であった。


「それで何本目?」


 鈴を鳴らすようなレーヴの声。


「十三本目」

「僕の分も合わせると?」

「二十八本だ」


 ヴァレイアが言うと、レーヴはやれやれと頭を振る。


「武器屋が大繁盛だね」

「店主は憤激していたぞ。もっと丁寧に扱え、と」

「お姉さんのせいだろ。他人事みたいに言うなよ……」


 ヴァレイアが持つ、見るも無残な剣。

 この剣は七代目だ。壊れる度に武器屋に持ち込んで、打ち直して貰っている。

 剣は『決闘』で大体二回ほども使えばこんな有様なので、ヴァレイアの分とレーヴの分の二本づつ計四本で、『武器屋での修理』と『この家での使用』を繰り返している。常に武器屋とこの家の両方に剣が二本ある計算だ。

 決闘や鍛錬の類が盛んに行われているセプレスにおいて、相当利益を出しているであろう武器屋だとしても、ほとんど毎日入る高級な剣の修理の注文はかなり儲かるはずである。

 何故レーヴが武器屋の帳簿を助けるような真似をしているのか。


 酒場での一件から始まった逃走劇は、無事レーヴの勝利で終わった。レーヴはリーヴィリアから逃げ切ったのだ。

 ところで、当時レーヴの食事、宿をはじめとした諸々に費やされる経費は、完全にリーヴィリアが負担していた。

 つまりリーヴィリアと離れたレーヴに金銭的余裕などない……というかそもそも、その時のレーヴはセプレス通貨を一銭たりとも所持していなかった。

 だがレーヴはしばらくの間、王都ルウムに滞在する心算であり、そのためには住む家と食費が必要だったのである。

 となると、誰か知人に助けを借りるしかない。リーヴィリアに頼るわけにもいかず、クルセウスにある条件と交換で、レーヴはこの邸宅を譲って貰ったのだ。

 ヴァレイアという余計なオマケ付きで。

 瞬く間に建ててもらった白い家。それは立ち並ぶ貴族らの邸宅にも負けない立派な一軒家だった。調度品も付属されており、その点には文句の言うようがない。

 なので余計に、レーヴは突然武器を大量に持ち込んできたヴァレイアに、疑問、そして懸念を抱いた。

 そして予感は的中した。

 杞憂であってくれと念じたレーヴの期待も虚しく、ヴァレイアはレーヴの家に張り付き、暇と見れば忙しなくレーヴに決闘を申し込んだのだ。

 食事の帰り道に出現。決闘の開始を宣言する。

 レーヴが庭先でぽーっと日向ぼっこをしていると、突如としてどこからか現れ、剣先を突きつける。

 ヴァレイアは時と場合など全く考えなかった。

 隙あらば申し込み、暇があれば申し込む。周囲にかかる迷惑など顧みず、節操など微塵もない。

 『いつでもどこでも闘う』と口にした手前、断る事もできず、レーヴは決闘を受け続けた。


「毎食後」

「五日に一回」

「毎食後」

「……三日に一回」

「毎」

「ま・い・あ・さッ!」


 とは、あまりの頻度に業を煮やしたレーヴとヴァレイアのやり取りである。この後も暫く話し合いは続き、その鋼鉄の如き意思の硬さにレーヴの方が折れた。決闘は毎朝一度のみ、と制限する事には成功したが、結局レーヴはヴァレイアの住み込みまで許可してしまったのだ。

 そしてその通りに、ヴァレイアはレーヴを叩き起こし、毎日毎朝飽きもせずに朝日を鋼色に照り返す物騒な代物を振り回しているのである。

 無論、レーヴも何の手段も講じなかったわけではない。

 こうなったら、何度か手酷く懲らしめれば諦めるだろう、とレーヴは幾度かヴァレイアを痛々しく打ちのめした。痣と傷だらけになる美女の姿は少々堪えたが、これも大義のため、とそんな感情は飲み込んだ。

 しかし連戦連敗を喫したヴァレイアは、五敗目を境に嬉しそうな表情であっさりとレーヴ相手に勝利を目指すのをやめる。

 そして、『決闘』の名目であれば拒否できない事を良いことに、あろうことかレーヴを自身の鍛錬の練習台として利用し始めたのである。セプレス人の多分に漏れず、ヴァレイアも能力向上のための自己鍛錬が好きだった。

 こんなの決闘じゃない! というレーヴの反論は馬の耳に念仏であった。

 『決闘』という名目なら、レーヴは絶対に断れない。

 否、断れないのではなく、断らないのだ。

 レーヴは約束や契約は絶対に破らない。実のところ、レーヴの行動理念は『神の打倒』ではなく、『最強への到達』でもなく、『己の無聊を慰める』だった。

 『公魔』より上の存在に昇ると、短命な蟲系魔物でさえ、寿命の楔から解き放たれる。それは『種族の中の一個体』から『唯一の自己』へ、生命としての在り方が変わるからだ。種族を存続させるための一つの駒から、ただ自身のためだけの存在に変化するのだ。

 そしてレーヴは『王魔』。『生命の境界線』を越え、その『格』は『公魔』以上。元々『精霊種』という寿命の概念が薄い種族である事もあいまって、その一生はきっと永遠のものになるだろう。

 残り時間が悠久である以上、この世界に飽きてしまえば、死よりも辛い退屈がこの先待ち受けている事は間違いない。

 だからレーヴは、自分の行動にあえて制限をかける事によって、暇を潰せる『期間』を延ばそうとしているのだ。何でもかんでも自分の都合の良いようにばかり事を進めていれば、あっという間に()()()()()()()、とレーヴは本能的に理解している。勿論、本人は自覚していおらず、自分はただ最強を目指している、と思っているのだが。


 現在レーヴを『使って』ヴァレイアが取り組んでいるのは、回避能力の向上。

 練習内容は極単純だ。

 レーヴが要求された『ヴァレイアがぎりぎり避けられるかどうか』という攻撃を放ち、それをヴァレイアが避ける、又はいなす。レーヴも武装しているのはその攻撃の威力を抑えるためである。素手では打ち合った剣が砕けてしまう。

 超人的な肉体能力を誇るヴァレイアが感じる可避不可避の境界線なのだから、二人の間で交わされる応酬は、もはや常人の領域を遥か遠方に置き去りにしていた。

 おそらく普通の人間が二人の『決闘』に臨席しても、レーヴが剣を構えた次の瞬間にその間近の地面が抉れ飛んだりする光景しか認識できまい。

 今朝の最後の一合は、レーヴが高速で斜めに振り下ろした剣撃を、ヴァレイアが己の剣で真下へいなした、というやり取りであった。レーヴの剣は下へ逸らされる事が多いので、家の庭は抉れ返っている。

 驚くべきことに、ヴァレイアは全力ではないにしても、人外の膂力を持つレーヴの攻撃を避け、いなしたのである━━━━超絶的な速さで擦れた結果として、哀れ剣の刃は削れきってしまったが。

 それから汗を流して、朝食を摂って、そして今だ。

 二人は柔らかな、間違いなく高価と思しきソファに隣り合って座っていた。女性にしては長身のヴァレイアはともかく、小さなレーヴは腰元まで沈み込んでしまっている。

 剣に入った深い疵を指先でほじくるヴァレイアを隣に、レーヴは左手を眼前に持ち上げた。

 手のひらを下にして"人化"を緩める。

 濃密な魔力が吹き上がる。が、ヴァレイアは横目でちらりと虹色を帯びたレーヴの頭を見るだけで、すぐに興味を失くした風に視線を剣に戻した。

 ヴァレイアにはレーヴが『王魔』の『人魔』である事を明かしている。当初は柄にもなく大喜びしていたヴァレイアだが、今はもう反応が薄い。同棲しているのだ、ヴァレイアは何度も目にしており、慣れるのも当然の事だろう。

 逆さまにしたレーヴの手のひらから極薄の刃が飛び出し、ソファに突き刺さる寸前で止まる。

 レーヴは自由な右手で、刃の腹をゆっくりと撫でる。恐ろしいほど冷え切った感触が尋常ならざるこの刃の本質を示しているように、レーヴには感じられた。

 『徹魔鎗』。神がセプレス初代王に与えた神槍だという。

 ヴァレイアなんて七面倒くさい代物を抱えてまで調べた物だが、いまいち何なのか解らない。


「解ったのは、ものすんごくかったい事と、魔力を完全に打ち消す事ぐらい」

「当たり前だ。セプレスが長年弄くり回しても全くもって謎なんだから」

「うーん……」


 実際に神さまの槍なのだったら、神さま捜索の良い手掛かりなのだが、レーヴでは解析できない。

 というか、そんな国宝的な物を気軽に貸し出してよいのだろうか。とレーヴは思うのだが、以前疑問に感じてヴァレイアに尋ねたところ、


「元々、リーヴィリアが『起動鍵』を見つけてこなければ、もう使えないと思われていた物だ。他ならぬレーヴが欲しいと言うなら、さしものクルセウスも嫌とは断れないだろうさ」


 との答えが返ってきたので、レーヴの疑念は杞憂なのだろう。

 手のひらを上に向け、『徹魔鎗』を収納する。肩ほどまでの髪が白色に戻った。

 レーヴはどっこらせ、とこの世界の住人には通じない掛け声と共に、こぢんまりとした腰を上げる。

 小さく柔軟な身体をめいっぱいに伸ばし、形ばかりの背伸びをする。レーヴに肩凝りやそれに類する不全は発生しない。様式美、という奴である。

 朝食後は、王都中の料理店を巡っていくのがここの所のレーヴの習慣だったのだが、今日は用事が入っていた。飯屋行脚は中止である。


「今日は早く帰ってこいよ、レーヴ」

「……なんで?」

「アレがあるだろう。アレが」

「あ、今晩か」


 レーヴは得心したと頷いた。夜に(もよお)しがある事を思い出したのだ。

 だが、取り敢えずレーヴが果たすべきなのは、昼の用事である。

 つまり、この邸宅の提供との交換条件に約束した、クルセウスとの契約。

 その履行だ。




10/12

微修正。

御指摘感謝。

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