破滅の棄却 7
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「魔術師! 全力で"拘束"! 高威力の束縛系魔術が使える者はじゃんじゃん使え! とにかく上がらせるな!」
「くッ…………は、はいッ! "拘束"!」
「"拘束"!」
「はッ! "凍てつく鎖縛"!」
「"拘束"っ!」
『紅騎士』団長が声を張り上げる。
瓦礫の山から這い出てきた巨大な魔物に、騎士たちが攻撃をしかけていた。
決闘騒ぎが終わり、リプルが逃走した後、セプレス城では城をあげての大捜索が行われようとしていた。
しかし人員を集め、いざ捜索を始めんとしたその時、事は起きた。
突如としてセプレス城の一部が爆発したのである。
城中の人間という人間を説明と場所の振り分けのために集めていたのが幸いし、犠牲者は規模から考えれば相当少なかった。
が、城の半分が吹き飛んだ。
指向性があったその爆発は、角度から考えるとセプレス城地下の『修練場』からのものと思われた。
混乱する間もなくそこから強大な魔力の波動が発せられ、リプル捜索のために集められた戦闘用の人員がほとんどこちらに割りさかれたのである。
結果から論じると、そのクルセウス大貴族の判断は正しかったが、完全な正解とはいえなかった。
天井が抜けてただの凹みになった地下の『修練場』から、巨大な━━━━元からそういう造形なのかは定かではないが、左半分だけの━━━━骸骨が、緩慢な動作で上がってくる。
『修練場』は崩れた瓦礫が積もってすり鉢状になっており、魔物はその坂に半分埋れながら登ってきていた。それをセプレス騎士たちが地上から円状に見下ろす形である。
居並ぶ魔術師たちが"拘束"など、対象の動きを止める類の魔術を一斉に放っている。
様々な色の円や鎖などの魔術が巨大な魔物に絡みつくが、しかし魔物は歯牙にかける様子もなく動きを進める。骸骨が身じろぎするだけで、魔術師たちの渾身の魔術は初雪のように淡く崩れ去った。
人智を超えたその圧倒的な膂力に、団長の傍に控えた騎士が悲鳴をあげた。
「だ、団長、全くもって効いていません! 『紅騎士』の魔術師たちの魔術でさえ、まるで糸くずのように……!」
「直接ヤツを狙うのは中止だ! 足場を崩せ、動きを止めろ!」
団長の指示に従い、魔物の周囲、魔物が足がかりにしている瓦礫の山に、色とりどりの魔術が雨あられと降り注いだ。
魔術の刃が、槍が、矢が瓦礫の山へと飛び、瓦礫を四方八方に吹き飛ばした。
魔術師の一人が放った魔術が魔物の左肩についた右腕、その下敷きになっている瓦礫に命中する。その一撃は綺麗に瓦礫を抜き飛ばした。
重心を安定させていた腕を足場ごと掬いとられ、魔物は姿勢を保てなくなり、薄気味悪い残像を曳きながら横転した。
〈……ォ…………オォ……〉
瓦礫と粉塵をもうもうと巻き上げ、魔物が坂を転げ落ちる。
梃子摺っていた魔物を見下ろしながら、冷や汗を垂らしていた騎士たちは安堵の息を吐いた。
「良し! まずはあの腕を落とす! 左肩と腕の間を狙━━━━━━━━防御ッ!!」
倒れた魔物の姿に頷いた団長が次の指示を出そうとしたその瞬間、魔物のたった一つの眼窩に、見るも禍々しい炎が灯った。
眠りを妨げられて愚図る子供のように腕を振り乱しながら、魔物は鼓膜を直接掻き毟るような叫びをあげた。
魔物の叫びに呼応した魔力が波状に広がり、騎士たちに襲いかかった。途轍もない魔力圧に、団長の言葉に従ってあちこちで張られた魔術防壁が一瞬で砕け散る。
魔物を中心とした放射線状に瓦礫が飛散し、ふんばりが利かなかった数人が秋風に吹かれた枯れ葉のように吹き飛ばされた。
「があッ……こ、れは……!」
「だ、団ちょ……うえぇ、えぐ」
何とかその場にかじりついていた傍の騎士がくずおれ、吐き戻しつつ気を失う。
この場の全員を圧迫する莫大な魔力もさることながら、魔物から放たれた凄まじい嫌悪感と拒否感が騎士たちを直撃していた。
騎士の中でも魔法抵抗力が低い者が次々と失神し、白目を剥いて倒れ伏す。
むせ返るような濃厚な魔力に揺れる意識を保つために、団長は口内の肉を噛んだ。
鉄にも似た苦味が舌に広がり、そのえぐみが団長の思考能力を取り戻す。
明らかに先ほどまでとは圧迫感が違う。いくら強力な魔物とはいえ、今まではせいぜい上級の『士魔』程度の存在感だったはずである。
団長は瞳を僅かに開けて、階下の魔物を見る。痛烈なまでの怖気が団長の全身を粟立たせた。
魔物は一階分凹んだ元『修練場』で動きを止めていた。
暗い眼窩の奥で、どろりと泥を垂らしそうな気色の悪い炎が明滅している。それはまるで、寝起きで瞬きをしているかのような仕草だった。
その事に気づき、見ているだけで胃の内容物を吐き出してしまいそうな、おぞましい魔物を見下ろして、団長は愕然とした表情で呟いた。
「こいつ、まさか今まで……寝ぼけてたっていうのか…………!?」
団長の台詞に反応したかのように魔物の瞬きと思しき焔の点滅が止まり、放出される魔力が更に増大した。
人間など遥かに超越した存在感に、
押し潰されてしまいそうな絶望感に、
生物としての根本的な格の違いをまざまざと刻みつけられた騎士たちの身体は、ひとりでに心と乖離し、抵抗の為の稼働を勝手に放棄した。
もはや騎士たちは指先一つたりとも微動だにできない。
どうにかして生き残るとか、なんとしてでも逃げ延びるとか、そういう次元では断じてなかった。
この魔物の前では人間という低格存在の些細な行動や意図など、文字通り塵ほどの影響力を持たないのだ。むしろ先程転ばせられた事が、何かの間違いなのである。
もしアレに害意の篭ったひと睨みでもされたら━━━━それだけで発狂してしまう。悪ければ、死ぬ。
瞳以外の何も動かせない状況で、騎士たちは魔物の一挙一動に恐怖した。
団長は仮にも『紅騎士』団長の肩書きを持つ者。このなすすべもない絶望をかつて味わった事があった。
その名を、血を吐くような声音で呟く。
「『公魔』…………!」
無理だ。団長は冷静に悟った。
セプレス王国屈指の戦闘能力を誇る極一部の人間は一人を除いて王都の外。彼らが十人ほどいれば抵抗するぐらいなら出来そうだが、生憎その内の一人、唯一王都在中のヴァレイアは昼寝中だ。異常な魔力が吹き出たにも関わらず、『レーヴがいるから大丈夫だ』とか何とか言って信じがたい事に寝てしまったのである。
『王座継承の儀』に団長は臨席していなかったので、『レーヴ』とやらが何者か知らなかったが、もはやこの状況は人の手に収まる事態ではないと断言できた。それこそ龍神たる『夜刃神』が降臨でもされない限り、王都の壊滅は必至。今更レーヴ某が加わったところで状況は変わるまい。
君臨した絶対の存在に、ついに団長までが心を折り、忍び寄る死に首を差し出そうとしたその時━━━━純白の風が吹いた。
「…………ぁぁぁぁああああッ!」
団長の横を通り抜けた純白の何かは、恐ろしい速さを維持したまま、巨大な魔物に矢のように激突した。
耳を劈くような衝突音が破裂し、魔物が垂れ流していた魔力が止む。騎士たちの硬直が解けた。
一拍おいて、強襲された魔物の左肩が木っ端微塵に砕け散る。左肩に付いていた右腕がくるくると宙を舞った。
甚大な力を受けて仰け反った魔物は、仰向けに倒れた。一帯に骨と瓦礫がぶつかり合う音が大きく響く。
団長を始めとする意識を保つ事に成功していた騎士たちは、突然の事態に呆気にとられた。
支配者を害した白い塊は、傍の地面にしゅたりと着地した。
そしてむくりと立ち上がる。
それは幼い少女だった。後ろ姿だけでも十分に窺える、煌めくような整いきった美貌。何故か息を荒げており、首筋が真っ赤に染まっている。
少女はずかずかと魔物に近寄り、ただただ目を丸くするだけの騎士たちを他所に、倒れた魔物の肋骨の一つに触れた……いや、むんずと掴んだ。
魔物が何を察したのか必死にもがき始める。腕を失った左半身だけの身体を捩らせ叫びをあげた。
〈ウォオオオ、ォォオオオオォォオオォォォオッ!〉
「うぉおおぉぉぉおおおおらぁぁぁぁああああ!」
魔物の叫びと少女の甲高い声が響き、全くもって信じがたい事が騎士たちが見つめる中で起こった。
少女の髪が極彩色に煌めき━━━━
その小さな腕が、巨大な魔物をまるごと持ち上げた。
魔物に付着した瓦礫の細片がぱらぱらと剥がれ落ちる。
少女周辺の床は白く染まっており、そのままでは莫大な加重に耐えきれない足場を補強している……のだろう。
あまりの光景に、団長はもう自分が夢を見ているのではないかと真剣に疑い始めた。視界の隅に映る部下たちの顎は今にも外れそうだった。
〈オォァァアアア!?〉
「せ、」
少女は両足を軸にくるりと反転し、
魔物をその薄い腰に乗せ、
僅かに力を溜め、
「りゃあああぁぁぁああああ!!」
魔物を大空に向けて投げ放った。
空を切り裂く大質量に、膨大な風が渦を巻く。荒れ狂う空気は、その場全員の髪を空へと巻き上げ、汗の浮いた額を露出させた。
頭上を飛ぶ巨大な魔物に騎士たちは叫ぶ、呆然とする、気絶する、などなど各々多彩な反応を見せた。共通するのは限界にまで見開かれた目と、開きすぎて落ちそうな顎である。
と、自らも釣られて呆然と空を見上げていた団長は、斜め下方向から魔力の不気味な鳴動を感じた。
空飛ぶ魔物から、魔物を投げ飛ばした謎の少女に恐る恐る視線を移す。
白い少女は可愛らしい手のひらを、自分が投げた魔物に向けていた。前方から見る少女の顔はやはりとんでもなく美しく、しかし双眸は潤んでいて、頬は真紅に紅潮していた。
掲げた少女の右手に、魔物と同格どころかそれ以上の凄まじい魔力が凝集しているのを察知して、真っ青になった団長は叫んだ。
「伏せろッッ!!」
小さな手が白い魔力を曳いて、宙に紋様を描き出した。
「"光線・五芒星"」
直後、少女が魔力を開放した。
瞼を閉じているにも関わらず、地に這いつくばった団長の視界は白色に塗り潰された。
五感が残らず吹き飛んだ中で、ただ途轍もない魔力が真っ直ぐに駆け抜けている事のみを団長は知覚した。
五感が少しずつ戻ってくる。砂利の感触を手に感じながら、団長は思う。
どれくらいの時間が経ったのか。
団長には永久にも感じられたが、おそらくほんの一瞬の事にすぎなかったのだろう。魔力の熱は、既に遥か遠くへと消え去っていた。
いまだ震える体を起こし、団長は薄く瞼を開く。
「く…………」
まだ白い残像が映るまま、団長は空を見上げた。
そこには、青空を透かせた穴空き雲だけが漂っていた。
サブタイトル修正。
御指摘感謝




