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踏破せよ、世界を  作者: 一ヌキ末
人篇 北大陸
22/36

破滅の棄却 5

8

 自ら刻んだ罅が至るところに刻まれた壁の淵に手をついて、レーヴは三つ目、最後の部屋に入り込んだ。

 基本的なつくりは前の部屋たちとは大同小異。やはり黄色の紋が壁全体を覆っていて、しかし部屋の中央に巨大な楕円形が鎮座している。

 いやに清浄な空気だった。まるで淀みや汚れが残らずかっさらわれたの如く澄んでいる。

 

「またイヤな予感が……」

「何者だ?」


 ポツリと呟いたレーヴに返ってきたのは、紙を擦り合わせるような声だった。

 楕円形の影から現れた男は暗い目でレーヴを見た。瞳には怖気立つほどの敵意と殺意が込められている。

 男は口を開いた。零れ出した声は陰鬱で、ひどく憎々しげな調子である。


「……あの粗暴な男はどうした」

「バーミット? リーヴィリアが相手してると思うけど」

「……私手ずから『調教』してやったというのに、この程度の役目も果たせぬか」


 ぶつぶつと呟いたリプルは、不意に焦点の合わない目で叫んだ。


「貴様、一体どうやって入った!? 扉の鍵はあの粗暴者に持たせてあったというのに!」

「はぁ? どうやってって……そこの壁をぶち抜いてきたんだけど」


 肩越しに背後を小さな親指で指す。

 レーヴの入室はレーヴ自身から考えても相当派手だったというのに、リプルはまるで気付かなかったかのように口角泡を飛ばし、口汚く喚いた。淀んだ両目はあらぬ方向を向いている。


「何なのだ? 何なのだ!? そうか、貴様も私を脅かす者か! この下賤で、魯鈍で、無知蒙昧な屑どもめが!!」

「…………」


 レーヴは首をひねった。様子がおかしい。狂っているのかは微妙なところだが、今のリプル大臣は少なくとも正常な様子ではない。


 ━━━━積み重ねてきた地位とかを全部失う羽目になりそうだから、トチくるったのか……?


 一考したレーヴは眉をひそめながら、とっととこのおっさんを捕獲してしまおう、と思った。こういう類の人間の相手はひどく面倒くさいのだ。


「……取り敢えず、お縄につこうか。そこな悪い大臣」


 その言葉は特に考えもせずに、ぞんざいに放った一言だったが、痩せた男の反応は激甚だった。

 血走った目を零れ落ちそうなほどに見開き、レーヴから一歩ずれた虚空を親の仇でも見るように睨む。


「悪い……悪いだと!? 『強い』私が悪いなどと、そんなはずがない!!」


 余りの力みによろけたリプルは、隣にそびえ立つ楕円形に手をついた。

 途端に悪鬼の如き相好を緩ませ、愛おしそうに表面を撫でる。

 ぞりぞり、ぞりぞり。

 それは明らかに皮膚が削れる音だったが、こけた頬は穏やかな微笑みを浮かべていた。枯れた貌に硝子(ガラス)玉のように曇った瞳がはまっていなかったなら、まだまともな顔に見えただろう。


 ━━━━前言撤回。これは完全に狂人だな。


「さぁ、おとなし……」

「おお。目覚めの時か」


 レーヴの台詞を中断するかたちで言ったリプルが、血塗れの手で巨大な楕円形を叩く。

 ピシ、と何かが罅割れる音が響いた。


「……く捕まえら……れろ……?」

〈━━ォ━━━━オォ━━━━〉


 楕円形から、地獄の蓋を開けたような魔力が噴き出した。

 魔力に押されるかのように罅は頂点部分から楕円形を侵食し、側面まで至ってついに楕円形に裂け目を作った。

 ひどく耳障りな音と共に割れ砕け、楕円形━━━━卵の殻は完全にその役目を終えた。

 

「……わお」

〈オ━━━━オォ━━オオオォオォ〉

「ふふ、ふふひふふはは」


 非常に濃密な魔力が場を席巻し、空気の重みが数倍する。

 殻を破って現れたのは、天井に届かんばかりの巨大な人の骸骨だった。暗い眼窩には熾火が揺らめいていて、例えようのない禍々しさを演出している。

 レーヴの知識に合わせれば『がしゃどくろ』が最適な形容だが、最も目立つのは頭蓋骨ではなく右腕である。

 そしてそれは右腕が特別大きいからとか異色だからとかではなく、単純に右腕が異様に多いからだった。

 骸骨は骸骨でも人骨の集合体という意味での骸骨であり、今レーヴが相対する魔物は、単純に人の骨を何十倍しただけの物ではない。

 左腕、腰から下はなく、あるべき部分の代わりに右腕があった。腕は両方とも右腕で、腰椎に接続しているのは無数の右腕の集合である。

 周囲に振りまく大量の魔力。余りにも他生物と隔絶した雰囲気。レーヴはこんな奴らを知っていた。

 『竜熱の竈』の深層に少数存在した、ヤトに次ぐ強さを誇った超常の魔物。


 『公魔』だ。


 『竜熱の竈』には図書館で読んだ『魔物大全』でいうところの『民魔』『士魔』はそれこそ数えるのも馬鹿らしいほど大量にいたのだが、『公魔』と呼ぶべき魔物は二十余りしか居なかった。

 『魔物大全』から引用すると、『一生見ない人間が圧倒的多数』との事だったはずなのだが、なぜこんな王都のど真ん中にいるのか。

 だが今重要視するべきはレーヴの眼前の『公魔』がどう見ても敵対的だという事だ。

 『がしゃどくろ』は右肩から伸びる右腕を黄紋彩る『修練場』の床についた。

 白濁した骨手が接触した場所が異常な魔力圧と加重に軋み、たまらず凹む。

 もはやリプルは錯乱状態の体で、枯れ木のような腕を掲げた。


「さあ、私に楯突く愚かさを、死をもって教授せよ! 『闇精霊(オスクロアーダ)骸骨種(オステオン)』!」


 まるで人が狗に命を下すかのような口調だった。

 対する『骸骨種(オステオン)』は大人に言われた子供のような無邪気さで左肩に付いた右腕を振るった。


「う━━━━のわぁっ!?」


 慌てて跳び上がった純白の幼女、その真下を長大な骨手が通過する。白い骨が通った後が陽炎のように空気が歪んでいた。余りに大量の魔力が光を妨げているのだ。

 空中のレーヴを、腰部に足代わりに生えた大小様々な右腕が襲う。


「お、おい━━━━」

〈オオオォォォ!〉

「ちっ。せ、いっ!」


 横合いから迫る細い右腕を打ち落とす。反動で斜め前方に飛び、振り下ろされる太い右腕を避けて着地した。

 次々と落とされる白い右腕から逃れるために、『修練場』を駆け回る。

 縦横無尽に走りながら、レーヴは『骸骨種(オステオン)』に叫んだ。


「お前! 聞こえてるだろ……攻撃やめろ!」

〈オ、オォォォオオォオ!!〉


 返ってくるのは稚児めいた喚きだけだった。眼窩に揺らめく焔にも、理性の光は感じられない。


 ━━━━僕の言葉を理解していない?


 おかしい。

 レーヴが『竜熱の竈』で遭遇した『公魔』たちには最低でも会話するだけの知能はあった。話が成立したところで結局は戦闘になったのだが。


 ━━━━こいつ、知性がないのか……!?


 幾多もの攻撃の中でも不可避の軌道を描く骨指だけを砕き、レーヴは右へ左へ疾走する。

 レーヴの通過した場所に、次々と骨の腕が叩きつけられた。


「魔物に話など通じるものか! ま、まして私が『調教』しているというのに!」

「『調教』……?」

「そうだ!」


 レーヴはリプルの口走った『調教』なる単語が気になったが、今は目の前の『公魔』である。


 ━━━━話が通じないとなると……。


 レーヴは"人化"をかなり緩めた。『魔』と『人』の天秤が大きく傾き、肩ほどまで伸びた純白の髪が星の数ほどの色彩に彩られた。白銀の瞳も百を優に超える色合いを帯びる。

 存分に己の魔性を引き出して、レーヴは『骸骨種(オステオン)』を全力で威圧した。

 レーヴの異常の双眸から放たれた膨大な魔力は、視線を介した"経絡(パス)"を通じて『骸骨種(オステオン)』へと突き刺さる。

 津波の如く押し寄せた魔力はその余波だけで『修練場』の壁に罅を入れ、痩身の男を気絶させつつ木屑のように吹き飛ばした。

 莫大すぎて物理的な破壊力まで伴う魔力を真正面から受けた『骸骨種(オステオン)』は大きく仰け反り、しかし服従せず、反抗する子供のように大量の右腕を振り乱した。

 『骸骨種(オステオン)』の勘気で濁った半透明の魔力と、レーヴの攻撃性を孕んだ極彩色の魔力がぶつかり、部屋を二分する魔力界面ができあがった。それを幾多の白い巨骨が掻き混ぜる。

 異なる意志を孕んだ魔力が渦を巻き、部屋のそこかしこで火花を散らした。

 魔力の花が無数に咲く中、レーヴは前にも増して乱雑な攻撃の嵐を危うげなくかいくぐる。


〈オオォオオオォォアアアアァア!!〉

「うおっと」


 ━━━━駄目か。なら……斃すしかないな。


 そう結論したレーヴだったが、レーヴが『骸骨種(オステオン)』を斃すには大きな問題がある。

 レーヴはいまだ細やかな魔力調整が苦手なのだ。蛇口を僅かに捻って一滴二滴雫を零すか、それこそ蛇口ごと取っ払って水を溢れさせるかの操作ぐらいしかできない。

 レーヴの得意とする"光線"なら一撃で巨大骸骨を跡形もなく葬り去る事も可能だが、威力が高すぎて確実にセプレス王城まで貫通してしまう。

 しかし跳躍して下向きに放てば良いかと言われればそれも微妙だ。『血染めの森』では考えなしに地面に穴を穿ちまくったが、この下にマグマ溜まりでもあって"光線"の衝撃で噴火、王都崩壊なんて事態は間違ってもごめんである。

 だが単純な純魔力による攻撃では逆に威力が低すぎて、『骸骨種(オステオン)』に決定打を与えられないだろう。少なくともレーヴが出会った他の『公魔』はそうだった。

 かと言って肉体攻撃では殴打する手足がこんなに小さいのだから、致命傷は望めまい。

 魔術では強い。魔力では弱い。殴るのでは時間がかかり過ぎる。

 となると━━━━


「人間の身体で使うのは始めてだけど、まあいっか」


 いい機会だし。呟いて、レーヴはジクザクに走りながらにやりと微笑むと、指をパキパキと鳴らした。


 魔物の中には、特に高位になると種族固有の特殊能力を得るものがいる。それは例えば視線を通して相手を害する『邪眼』だったり、『魔物魔術』と呼ばれる変則的な魔術だったり、燃える鱗や凍る爪だったりする。

 レーヴ属する『石精霊(リトスアーダ)』の能力は、『斃してその魔力を吸収した魔物の肉体を再現する』という他に類を見ない、非常に特殊なものだ。

 レーヴが『併呑(へいどん)』と名付けているこの能力の最大の特徴は、肉体を出力するだけの膨大な魔力さえ(まかな)えられれば、本物と寸分違わない肉体が創造できるという事なのだ。

 そして『竜熱の竈』でレーヴが自らの物とした魔物の総数、

 『民魔』以下数十万体。下級『士魔』一万体。上級『士魔』約千体。


 ━━━━『公魔』二十数体。


 『士魔』以下の魔物とは一線を画する『公魔』ともなると迷宮の特色が強くなるらしく、実際『竜』の字を冠した『竜熱の竈』でレーヴが斃した『公魔』たちの半数以上が『竜種』だった。

 即ち、レーヴは十余りの龍の鋭い爪を、強壮な翼を、猛烈な炎を。己が武装として使役する事ができるのだ。

 レーヴは白い魔力を身に纏うと、『修練場』の床が砕けるほどの勢いで踏み込んだ。人という形に許された限界を魔法によって超越し、レーヴは途轍もない速さで突進した。

 巨大な骸骨には歩行のための脚もなく、移動もできない。レーヴは一瞬のうちに『骸骨種』の腰元、何十もの右腕が生えた部分、その手前に到着した。

 骨の右腕たちが動きを見せる前に、『骸骨種(オステオン)』の頭蓋骨の上まで飛び上がり、レーヴはその白い右手を掲げた。

 レーヴの髪と瞳が宿る光を変じさせる。純白を背景に浮かぶ色彩は、リーヴィリアの魔力色よりくすんだ紅と、鍛え抜かれた鋼の鈍色。


「『焔火龍(リットゥ)』の爪」


 レーヴの小さな白い腕から大量の肉がせり上がり、赤く脈打ちながら形を成す。

 長大な四本指の手を備えた見上げるほど巨大な右腕。燃え上がるような赤い肉はまるで鉄の如き筋繊維で編まれていて、軽く一振りしただけでも大地がごっそりと抉れるであろう事がありありと解る。


プラス鋼盾龍(イージス)』の鱗━━━━」


 そんな腕を包むのは、幾数多(いくあまた)もの鉄板。金属質のそれは一枚だけでもレーヴの胴体よりも大きく、其処らの剣が刃を潰したなまくら同然に思えてしまうほどに鋭利だ。

 ただえさえ強靭な『焔炎龍(リットゥ)』の腕と超硬度を誇る『鋼盾龍イージス』の鱗が合わさる事によって、今のレーヴの右腕からは凄まじい存在感が放たれていた。

 鋼を纏った炎の腕は、『修練場』の淡い光を鈍く反射する。


「"焔鋼の龍爪"!」


 『骸骨種(オステオン)』のそれにも比肩しうる巨大な腕が、容赦なく叩きつけられた。

 拳を握り、思いっきり殴る。

 レーヴがしたのは単純明快な攻撃だったが、それ故に威力は想像を絶するものとなった。

 まず接触した『骸骨種(オステオン)』の頭骨右部が硝子(ガラス)のように粉砕され、右鎖骨から右肩の右腕全般に至るまでの全てが乾燥した泥塊のように削られ、粉々に砕かれた。

 骨の欠片が飛び散り、地に落ちる前に一つ残らず消失する。

 音もなく着地して、レーヴは続く二撃目を食らわせようとしたが━━━━叶わなかった。

 骨の身体の右半分を失った『骸骨種(オステオン)』が、もはや左眼窩が辛うじて覗く大きさしかなくなった頭部から、天井を隔てた王城を揺らすかというほどの唸りをあげたからだ。


〈━━━━ウゥウオオォオオオオアァアアア!!!〉


 顎骨も砕け散って、背骨の端でどうにか繋がっている頭骨から地震のような声を発した『骸骨種(オステオン)』は、残った左肩の右腕を『修練場』の天井に壮絶な勢いでぶつけた。


「うぇ?」


 突然の行動に虚を突かれて目を瞬かせるレーヴ。使役者の意識が逸れて、不釣り合いに巨大な腕が元の魔力へと帰す。

 白い骨が黄色の魔力紋に深々と食い込み、ついに堅牢な内壁を粉砕した。容易に砕けたが、本来ならば『公魔』でも一撃では困難な事である。レーヴの威圧や今までの戦闘で『修練場』の耐久性もかなり落ちていたのだ。

 巨大な骨が突き刺さった部分を中心に放射線状に裂け目が走り、轟音と共に『修練場』の天井が崩落した。


「なぁ!?」


 黄色の光を失い、ただの石塊と化した天井の欠片が落下する様を見ながら、レーヴは驚きつつも焦りはしなかった。しばしの生き埋めになる事は確実だが、石塊が当たったくらいでレーヴが死ぬなんて間違ってもないからだ。

 ふぅ。王城は犠牲になったのだ……などと一人小芝居をしたレーヴは、ふと喉に刺さった小骨の如き引っかかりを覚えた。


 ━━━━あれ、何か忘れてる気が……。


 それもとっても大事なことを。

 生まれた疑念を解消すべく、レーヴの思考が二桁単位で加速する。

 透明な泥に沈むような緩慢さで落下する天井と、左半分だけになった『骸骨種(オステオン)』が突き入れた腕をカタツムリも欠伸(あくび)するような速度でほじくる光景を交互に見つつ、レーヴは衝撃波が起こるレベルの超速で首を傾げた。

 むんむんむんむむむ……と唸り、そして現実世界において半秒が経過した頃にレーヴの脳内豆電球がちかちかと点灯した。


 ━━━━リーヴィリア!


 思い出したレーヴは瞬時のうちに、自ら開通させた二部屋目に続く大穴めがけて飛んだ。『骸骨種(オステオン)』の動向も気になるが、生憎そんなヒマはない。


 ━━━━やばい、やばい、やばい! これ絶対あっちも崩れてる!


 アホのバーミットは別として、リーヴィリアを捨て置く選択肢が消えるくらいにはレーヴにも金髪の少女への愛着は湧いていた。

 なにせこの世界で知り合った始めての人間である。見捨てる、なんて考えはまったくなかった。

 穴の向こうに、破片と石塊が天井から垂れる様子が覗く。案の定天井は崩れていた。

 更に悪い事に、暗闇の中でひときわ強い存在感を放つ小柄な少女の身体は、最も崩壊が進んだ天井の真下に在った。

 ちょ、やば━━━━

 レーヴは元の可愛らしさを取り戻した小さな右手をリーヴィリアへと目一杯伸ばし━━━━

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